青の稲妻・8
劇場まで戻る。下級生からは手厚い歓迎を受け、上級生からは率直な感想を求められた。
「うん、すごくよかった。僕も原作は読んだことがあるけれど、まさかあれほど大胆に脚色をするなんて。それでいて全体の流れや良さは変わってないのだから、大したものだよ。そして、その脚本通りの思惑に仕立て上げる君たちの力量。感服するばかりだ」
そう感想を述べる。棘とならぬよう、言葉は選びながら。
「ありがとうございます! 梨山お兄さまに褒められて光栄ですわ!」
「ちょっと多井中さん、あなたは通行人だったでしょう! 梨山お兄さまはあなたを褒めたわけじゃなくってよ!」
「そう言う藤田さんだって台詞もないクラスメイトだったじゃないですの!」
僕がどのように褒めたか、それを元に喧嘩してしまう。これだから迂闊に口走れない。
「なにを言っているんだい君たち。どんな脇役でも、どんな裏方でも、必要のない人なんていないよ。混然一体となって創り上げるのが舞台上の物語なんだ。一人が欠けて、どうしてそれが完璧な演劇と言えようか」
「ああ、梨山お兄さま……」
「わたくし、感激しましたわ!」
「これからは、文字通り必死の覚悟で脇役を演じ切ります!」
いや、やるからには主役級を目指した方がいいと思うけれど……それも選択かな。折角、僕の拙い励ましで元気になってくれているのだから、僕が水を差してはならない。
「なによ、あんな女の当たり障りのない軽口にほだされて」
「重みがないのよ。わたしたちの苦労も知らないで」
「足を引っ張るゴミは、ちりとりで集めるにかぎるのにねー」
その一方で、僕を無視している娘も、少なくない数が居る。
「なんなのかしらあの人たち」
「ほら、布浦お姉さまに心酔してるから……」
アオナシの二大派閥。その片方に所属している娘は僕を極端に嫌う。これは最早、常識にも近いもの。僕はもうこちらに関しては受け流す術を会得していた。
「悪く言わないでくれよ。僕は『自分を否定する人間は許さない』なんて考えは持っていないのだから。十人十色でいいんだよ。僕が嫌いという意見も、認めてあげてほしいな」
これは本心だ。百人に支持される必然はないと思っている。
「それより梨山お兄さま。諫早様はもう、寮に御戻りになられたのですか? 残念です。是非とも、諫早様にも感想を頂戴したかったですのに」
「諫早はねえ、あれでなかなか忙しいから。それに口ベタだし、文章にしたいんだって。文章にした方が推敲もできる。伝えたいことが齟齬なく書けるとか」
「まあ。それなら、楽しみにしなければなりませんわね」
詳細はかなり違うが、嘘も方便。諫早はどちらかというと僕よりも暇な時間は多いが、ほんの少し前までは、一人であちらこちらに行動していた。説得力もある。
「そうだ。君たちへ訊きたいことがある」
僕はさも、今思いだしたかのように切り出す。
「ずばり、諫早をどう思う?」
演劇部員は顔を見合わせる。いきなり何を訊いてくるのだろう、といった表情だ。
「なんでもいいんだ。『男ってあんな感じなんだー』とか、『気にくわねー』とか、『諫早って名前、聞いたことねーよ』とか」
「梨山さんって他の倶楽部でもそれを訊いてるわよね? なにかあるのかしら」
「僕も【お兄さま】ですから、波風が立たないよう、防波堤を立てておきたいんですよ」
この先輩には、他の倶楽部でも似たような質問をしたことがある。それを演劇部でもしたから疑問になったのだろう。こういう返答に対し、僕はテンプレートを用意している。
「たしかに、『諫早』という名は聞いたことがありませんわ」
「そんなのどうでもいいではありませんの。わたくしは、梨山お兄さまと諫早お兄さまのダブルお兄さまが見れればそれで満足ですわ」
「ちょっと。【お兄さま】は梨山お兄さまのためだけに与えられているのであって、いくら男性である諫早様でも、お兄さまをつけてはいけないわ」
ああ、僕の意図してない論争が……。それぞれがそれぞれの夢と理想を持っている。こうして統一された偶像性を保つのは大変なことなのだ。
「いや、僕も気になってね。諫早とは仲良くやっているけれど、実はよく分かっていない部分も結構あって。こうして客観的に見つめることで、いい発見にならないかなと」
これは嘘……とも言い難くはあった。
実家に諫早家の調査をするよう頼んだところ、『調査続行不可能』の知らせが入ってきた。なにがあったのかは、こんな遠いところにいる僕には思いつかない。だが、なにかしらの力が働いているようだった。かなり大きな家柄が、彼のバックにはいる。
「――そんなことをして、どのようになるというのです?」
「……うわ」
自分の頭蓋骨だけが響く程度で、うめき声を出してしまった。
なんで、さっきまでいなかったのに、このときになって。
「『諫早』。はん、卑しい家ですわ」
布浦後輩。可能であれば、会いたくない。
「……知っているんですか? 諫早の家系を」
「あら。梨山後輩は知らないですの? ふふ、無知なのね。これだからあなたの矮小な脳味噌は、その無駄に大きな胸に吸い取られているのですわ」
一々、他人を罵倒しないと気が済まないのだろうか。こういう部分も、僕は――。
僕らの周囲からは、さっと生徒が消えた。野次馬すら残らない。この演劇部室に残っているのは、僕と布浦後輩だけだった。僕らの「単なる話し合い」は、外部からでは消火させることはできない。だったら、火の粉が降りかかるところへ居座るべきではない。いつからか、そんな不文律が成立していた。
僕が布浦後輩をここまで嫌うのに理由なんてない。強いて言えば「存在が気に食わない」。嫌いではない場所こそが存在しない。その顔、声、服装……坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。見ているだけ、肌で感じるだけでも、僕は嫌悪する。
それはあちらとて同じ。合わせ鏡なのかもしれない。こちらの敵意を、あちらが反射させる。あちらの憎悪を、こちらが反射させる。光は永久に狭間を彷徨い、脱出することはない。
誰しも、こういうものはあるだろう。ないとは言わせない。
「あんな小さく下賤な家、わたくしの記憶を占めているだけでも罪作りですわ。『梨山』も似たようなものですけれど。いえ、『梨山』は華族ですらなかったでしたっけ? 穢れた血が、どうしてこのアオナシのキャンパスをアオ色に染めているのでしょう」
だめだ、諫早には悪いが、布浦後輩のいる場で情報収集は無理だ。冷静になれない。
「梨山先輩はそれでもいいとおっしゃいますが、では男性が嫌いな生徒はどうしますの?」
「その折り合いを見つけているところでしょう。抗議をするのなら、すべてを許可した学園長にするのが筋ではないでしょうか」
「手前で救えない者は見捨てる発言。はっ。【お兄さま】ともあろうものが名折れですわね」
「大多数を捨てる、布浦後輩にこそ言われたくありません」
「わたくしはアオが嫌いですもの。どうしてアオなどという不浄に、身をやつさないといけないのでしょう」
「そこまでして男をこの世から消し去りたいのなら、自分から行動すればいい。ただそれだけ。なのに起こさないあなたは、ただの臆病者ですね」
「梨山先輩に――こんなものがなければ、それも考えますわね」
そう言って……布浦後輩は、僕の胸を掴む。文字通り、掴んで握りしめる。
そこに、愛情や慈しみなど存在しない。傷をつけるだけ。
「梨山先輩も男性であれば……わたくしは、勇気を奮って迫害できますのに」
よりいっそう、布浦後輩の指は、僕の胸を引きちぎらんばかりに力が込められる。……意気地なしめが。自分の絶対的なる意志で決めることもできないのか。その言葉は、僕が女だから勇気を持てない、と言っているのと同じだ。
僕は痛みなんかに物怖じせず、毅然とした態度を貫く。別に僕に怯えたわけでもないだろうが、布浦後輩は呆気なく、僕の胸から手を離した。手をブンブンと振って、空気をまぶすことで気休めでも消毒をしようとしている。
「――『わたくし』から、手を離しなさいな」
「あらあら。本性がでましたわね。これだから俗物は」
「諫早はアオナシの一員ですの。あなたがとやかく口出ししたところで、既に男性と居る事実は変えられませんわ。夢落ちにできるほど、世の中は綺麗に纏まっていませんの。現実を受け止めてくださいまし」
あまり素は出したくないのですけれど……わたくしにも我慢の限界はあるのです。
わたくしは、わたくし以外の人間の悪口を話すのが許せないんですわ。




