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ぐだぐだ長いです。
《 ――――…貴方は"傷んだ薔薇"、決して真の紅薔薇には成り得ない…… 》
《 高潔で気高いその心は、嫉妬と憎しみと孤独で歪み… 》
《 …最後は誰にも愛でられず、独り淋しく枯れて散る…… 》
《 "紅"とは違う"緋"、陽だまりに踊る"乙女"と陰日向に佇む"少女"。 》
《 でも、どちらもちゃんと捨て難い、どちらも素晴らしい美しさ…。 》
《 ……貴方は何色?どんな風に咲き、どんな"華"になりたい?――――… 》
「――――…っ!!」
…何処か不気味で意味深な、真に迫る様な言葉の羅列が暗闇に響き。まるで、その答え次第で"全て"が決まるのではないかという。心が毛羽立つ様な、言いようのない胸騒ぎに瞼を開き。勢いよく、羽根の様に軽い…最高等級の水鳥の綿毛と最高級の絹をふんだんに使用した。豪奢な刺繍がちりばめられた羽毛布団を跳ね除け。同じく、最高級の純白の絹の寝間着をじっとりと濡らし。引き絞られた赤味の強い、大きな鳶色の瞳を揺らしながら。苦しい程の動悸を訴える心臓を鷲津噛む様に、胸元の寝間着を皺を気にせず。…随分と小さくなった両手で握り締めると……。
自分を落ち着かせるように大きく、何度も、深呼吸を繰り返し。段階を追って、小さく穏やかな脈動を打つようになった心臓を意識し。それに応じて引いていいく、体の火照りに一息つき…。当然の様に伸ばされた、以前よりずっと短い手は。西洋風のベットの直ぐ横にある、小さく可愛らしくも…繊細に加工された赤い色ガラスのランプへ手をかざし。その所有者の意図を正確に感じ取ったランプが、手も触れず、独りでに淡い温かな光を灯す。
濃い暗闇に浸る寝室、カーテンから零れる一筋の月光とランプの光が唯一部屋を照らす。薄暗い静けさに包まれる中。ランプと同じ第二置かれた、美しい切子細工の硝子の水差しを掴むと。それと対の硝子コップへ…氷も無しに、程よく冷える澄んだ水を注ぎ。はしたなくも、一息でそれを飲み干した"少女"は。体の内から冷やされる爽快感に息をつき。ポツリと呟く……。
「…今のは、何…?」
時刻は既に午後12時を過ぎ、日付が変り午前2時を回った頃。可笑しな"夢"にうなされ、らしくなく、織女あるまじき剣幕で飛び起きた。今年で晴れて齢9歳を迎える、緋色にワインレッドの様な艶やかな深みを讃えた。見事な緋髪を振り乱す、高貴な生まれと血筋を持つ少女――――スカーレット・ディア・オロレウム上級伯爵令嬢は…。
混乱する頭へ必死に鞭打ち。しかし、考えれば考える程こんがらがる思考に頭を抱え。延々と自問自答と肯定否定を繰り返してゆく内に…。粛々と明けていく夜と、早くも薄っすら白け始めた外の青白い光が。部屋を僅かずつ照らし出している事に、気付いた頃には。寝室に置かれていた、小さな置時計の針が午前5時を示すのを目の辺りにした所で。スカーレットはハッと我に返り、あと2時間半となってしまった睡眠時間に。寝付こうにも、冴えてしまった頭と体はそう簡単に休ませる事は出来ず。かと言って、この様な早朝に部屋の中を動き回れば。使用人達に可笑しな勘繰りを入れられてしまう為。
…仕方なく。汗に濡れた寝間着は誤魔化せないまでも。こんな早朝に起きていては、スカーレットを起こし朝の着替えを任された侍女に悪いと。無理を押して、気休めでも体を休ませるべく。柔らかで気持ちのいい、程よい汎発性を有する。キングサイズもかくやよいう、大きな天蓋付きベットへ身を沈ませ。横になったスカーレットは。今か今かと、起床時間ピッタリに用意を済ませやってくる。侍女の呼び声を待ち遠しいく思いながら。スカーレットは再び、その瞼を閉じた――――…。
* * * *
「――――…モリー。お父様は明日も、お仕事なのかしら?」
「はい、左様に御座いますお嬢様。今期領地の税収集について税理官方からのご報告と、領地外延付近の各宿場町の視察で。…今日を含めまして、早くともお屋敷へのご帰還は5日後となるものかと……。」
「…5日、ね。それじゃあ少なくとも、丸々一週間は、私はこの屋敷でひたすら暇を潰すしかないという事ね…。」
「…お嬢様……。」
ようやく長い夜が明け、まだ緩い暖かさの日差しが寝室を満たし。既に気づき、起きてはいるものの。静かに寝室へ入室してきた、侍女達の呼びかけを待って起床する…。彼女達、"使用人"の存在理由と。役職や身分によって明確に異なる、階級社会の厳しい上下関係の有無を指し示す。高貴なる身分の子息子女に施される、ごく一般的な情操教育の一環である。ある種の儀式を終え……。
特に予定もない休日用のフリルなどの派手な装飾を控え、上質な綿糸に絹糸を半々に織り込んだ。…平民どころか、其処らの貴族家でもおいそれと手が出せない。上級貴族家であるオロレウムの名を冠してこそ身に付けられる。贅沢な普段使いの、春らしい明るめの藍色のドレスに身を包み。見事な柔らかな香りを漂わせる、一等茶葉の紅茶と。長年、領地本邸である田舎屋敷で仕える料理長が手掛ける。自領の新鮮且つ、厳選された食材をふんだんに盛り込み作り上げられた朝食を…。一セットで金貨数枚分する皿や銀食器を巧みに使い、丹念に味わいながら。
スカーレットの専属侍女頭――――モリーナ・エナ・トールトン上級子爵次女が応えた。今だ恐ろしい程に若々しい相貌を讃えながら…。既に10年前に亡くなった妻であり、スカーレットの母"ヴァーミリア"に今だ愛し忘れられず。スカーレットが物心ついた頃から仕事にのめり込み。ほぼ毎日の様に、屋敷外での長期の外泊ばかりを繰り返す"実の父"――――マウロス・ルナ・オロレイムの。いつも通りの長い不在に、無意識に不機嫌で棘のある言葉を発し。大振りのこんがり焼けたソーセージへ、八つ当たり気味に銀のフォークを突き立てる…。
「…分かっているわ。何時もの事よ。お父様は栄えある我がオロレウム上級伯爵家の現当主…。ようやく冬も終わり、雪も解けきった今が仕事時なのだから。お父様の大っ嫌いな春の社交シーズン前に、大好きな仕事が重なって、滞る様な事に成らぬよう。そちらに命一杯、気を巡らせているのでしょうよっ…。」
「お嬢様っ、その様な事は…。」
「あるでしょう?仕方のない事だわっ。そもそも、忙しいのはお父様だけではないし。他領だって、今頃は忙しなく走り回っているのだから。……別に、悲観する様な事なんてないのよ…。」
「……レティお嬢様。」
上級貴族家の令嬢として、表向き年齢的に不相応な程達観した気丈な物言いであるものの…。終始その表情は険しく、微かに、寂しさを滲ませる年齢相応の子供らしい感情を晒し捲し立てるスカーレットへ。何時からか呼ばれるようになった、スカーレットの愛称"レティ"の名を呼ぶ。長い頃から傍で仕える、気心の知れた侍女頭モリーに「…平気だわ。」っと、強がりつつ…。
一人寂しい、無駄に広く大きい贅の凝らされた食堂の食卓に並ぶ。折角の、温かく美味なる朝食を品よく口に運びながら。スカーレットは傍に控える侍女モリーに気取られぬよう、ひっそり、物思いに耽る――――…。
昨夜、スカーレットを混乱させた"夢"。豪華で快適な貴族としての毎日を過ごしてきたスカーレットには、決して見慣れない…。貧相で殺風景な狭い物置の様な部屋と、安っぽい家具に安っぽい服、品のない小さなベットに寝そべり。"ゲーム機"なるものを両手で持ち、ころころと鮮やかな映像と聞き慣れぬ粗野な音色が流れるそれへ。なにやら楽し気に口角を上げ、カチカチと何かを操作する。……珍しい、黒髪黒目の平凡な顔立ちをした"彼女"の視点で映る。意味不明で摩訶不思議な光景の後。
何の前触れもなく大きく部屋ごと揺らす、激しい揺れがその身を襲ったかと思うと。ブツリと途切れた意識の中、先の"謎の問い掛け"が暗闇の世界へ響き渡り。目が覚め、混乱し考えが纏められずにいたスカーレットだが…。汗でベタつく体をたっぷりの湯でサッパリと流し、サラサラと滑らかな衣類に着替え。デザートまで付いた、出来立ての朝食を咀嚼し。体の隅々まで冴え渡った、今のスカーレットは。過不足なく、その混乱の原因を導き出す事が出来る。
(…私は"傷薔薇の乙女"。「前世」で初めて手を出した、人気乙女ゲーム『七華繚乱~薔薇乙女の軌跡~』に登場する。…悪名高き"悪役令嬢"、ね……。全く、面倒なことわっ…!)
…又は、"傷薔薇"とも揶揄される。乙女ゲーム本編の主人公ロゼルの、あの鮮明で鮮やかな紅い髪と瞳の「赤薔薇」もかくやという容姿に比べ。…品格と美しさはあるものの。紅と違い、何処か病んだ様な赤黒さのあるスカーレットの緋い髪色は。並び立つ程にその色味の違いが顕著で、まるで「傷んだ赤」の様に映る事から。そう、陰で卑下されるその仇名は。
…今現在の、まだ物語の開始時――――ロゼルが実の父エストモーラ伯に保護され、その1年後の16歳の年よりも。今年の冬で10歳となる、約6年前のスカーレットを着実に蝕む心の闇の一つとなっていた……。
(…この次の年から、そのまた6年を経ても。お父様は私を見てくれないっ!何時もいつまでも……"|お母様(妻)"を忘れられずに、もう咲く事のない「朱薔薇」を追い求めているのね…。)
……ゲーム中ではほんの僅か言及されるのみの、スカーレットに対する"同情"と"哀れみ"が込められた裏設定…。
人伝と、父が描かせたと言う…何処まで忠実であるかも定かではない。生前、顔も合わせた事の無い"実の母"――――"ヴァーミリア・ロサ・アルマンテ=オロレイム"元アルマンテ上級子爵令嬢は…。ゲームではロゼルが先ず目指すべき指針として出てくる、淑女の中の淑女。ゲーム上の国「ローゼリオン真王国」で貴ばれる、薔薇の中の薔薇たる。完璧な、唯一人の見目麗しい貴族令嬢に贈られ。ゲーム終盤に控える、主な舞台である王立魔導学院18歳の最終学年の卒院舞踏会の場で審議される。選ばるし淑女誉れ高き――――『薔薇乙女』に、選ばれた事のある…。
数十年前の、「朱薔薇の乙女」としてその名馳せた。今だ、密かに色褪せないその母ヴァーミリアの美しさと栄華は。母を娶った、当時同じく18歳だった父マウロスは――――その年の『薔薇の乙女』と卒院最後のダンスを初めに踊った紳士に贈られる、『薔薇の騎士』を勝ち取り。身も心も、己の人生全てを捧げて愛を誓い…。10年経て尚、今だにそれに縛られ溺れている事実は。
確かに、スカーレットの親恋しい幼心に強い"嫉妬心"を覚えさせ。同時に、途方もない"劣等感"と"寂しさ"を与え続けている……。
(……もうその人は死んでしまっていて、その人は確かに私を生んだ母親なのだから。その死を悲しみ慈しんで、尊敬し誇るべきなのは分かってるっ。でも!でも……私がっ、何をしたっていうの…!!)
……自身が乙女ゲームの登場人物で"悪役"。それは、あの"紅い乙女"相手では致し方ないと理解出来なくもないが。しかし、その大本となった要因の一つは既に故人である生みの親であり…。その血を確かに色濃く受け継ぎながらも、それとは違う"緋"を持つ実の娘スカーレットを。何時までも、亡き妻と重ね認めようとしない父親からの冷遇は。どれも、スカーレット自身が悪い訳ではなかった…。
とは言え、それを延々と愚痴り憎しみと愛憎を募らせようと。その結果、待っているのは…。夢では、まだゲームを初めてプレイしたばかりで。実際、どの様な展開になるかは知れていないが。大抵の乙女ゲームの悪役の末路、「公開断罪」「国外追放」「処刑」「修道院送り」等。どれもこれも、碌でもない最後を送る事となるのは確かで。ある意味、ある程度確定した"既知の未来"である。
(確かに今だって、機嫌を悪くしたら…声を荒げたり、責め立てる事はしてたけど……。そんなの、貴族なら多少、あっておかしくない事だわ。それを責められたとしても。……これから気を付ければいい、だけの、筈…。)
「…お嬢様?如何されましたか?…何か、ご不満な点でも?」
「!…何でもないわ。紅茶も朝食も、いつも通り、とても美味しいわ。……そうね、今日の午後のお茶の菓子は…サッパリと、オレンジを使った物がいいわ。」
「はい、畏まりました。その様に、料理長にお伝え致します。」
そのように、同時進行で朝食を食べ進んでいたスカーレットの。僅かな、表情の変化を読み取り…。心配げに様子を伺う、モリーの声を耳にし。つい崩れてしまった"仮面"を再び、被り直しつつ。何食わぬ顔で、いつも通りの平静を装い。適当に、焦点をずらすべく。何時もの午後のお茶の菓子の注文を口にし、モリーに向けられた疑念を薄めると。
何時もより少し、遅い食べ進めであったが。問題なく、絶妙なタイミングで運ばれて来たデザート…「苺とハーブのゼリー」に僅かに目を輝かせ。今、この時だけは…。一旦、面倒な前世や乙女ゲームの事を頭の片隅へ据え置いたスカーレットは。心持いそいそと、鏡面の様に磨かれた銀のスプーンを手にし。ゼリーを口に運ぶスカーレットの姿は。
侍女モリーが知っている。何時もの気丈で強気な言動に隠れた、甘味に目がない、愛らしい少女の姿が。確かに、そこにはあった――――…。