ゴソゴソ×8
冬。それは寒い季節。
当たり前の事を思いながら、僕はカーテンを開けて窓の外を眺めた。
時刻は朝六時。そして本日は日曜日。さらにそして、外はもうこれでもかってくらいに雪が積もっている。
「うへぁ……今日学校休みで良かった……」
神に感謝しつつ、炊飯器のスイッチを入れ……ようとして止めた。
今日は加奈さんの所に行こう。
昨日紗弥さんの所で食べさせてもらったハンバーグのお礼も言わなきゃだし。
極寒の脱衣所で全裸になりつつ、さらに冷え切った浴室でシャワーを浴びる。
まるで何かの修行でもしているようだ。しかしこのくらいで根を上げるわけにはいかない。
「さむっ!」
シャワーを浴び終え、部屋着のジャージに着替えてアパートを出る。
その瞬間、目の中に飛び込んでくる光。
凄まじく眩しい。真っ白な雪に反射する日光、あぁ、でもこれも冬の風物詩だよな。
「ワン!」
その時、アパートの中庭で犬が暴れ……駆け回っていた。
誰の犬だろうか。大家さんは犬なんて飼ってなかったし……。
「ココナッツー、おいでおいでー」
むむ、飼い主らしき人が居る。
三十代……いや、二十台後半? そのくらいのおばさ……お姉さんだ。
誰だろうか。見たこと無い人だけど。
「よーしよしよしよしよし……オヤツだぞー」
まあ、僕には関係ない人だ。
とりあえず大家さん……加奈さんの所で朝食をご馳走になろう。
いい加減寒いし……
「ぁ、悠馬くーん。おはよぉー」
「へ?」
大家さんの家へと向かう途中、犬の飼い主に挨拶されて呆然とする。
誰だ。何故僕の名前を知っている。
「……? どうしたの? 悠馬君」
「い、いえ……あの……」
誰? と必死に思い出そうとする僕。
しかし一向に名前が出てこない。というか見たことの無い顔だ。
完全に初対面の筈なのだが……。
「ぁー、覚えてないかー。君がこのアパートに入る時に口利いいてあげたのにー」
……ん?!
なんだ、口利いたって……僕はシスターさんにここで住めと一方的にメモを渡されて……
あれ、という事はもしかして……
「シスターさんの……お知り合いですか?」
「あはは、やっぱり覚えてなかったかー。君が教会に来た時に会ってるんだけどねー」
覚えてる筈無いだろ! 僕がシスターさんに拾われたのは赤ん坊の頃だって聞いてるし!
「ごめんごめん、実はここのアパートの大家は私の妹なんだー。今日はクリス……いや、シスターさんに頼まれて君の様子を見に……どう? 元気でやってる?」
「ぁ、はい……どうも……って、大家さんの姉?!」
ちょ、ちょっと待て!
大家さんは五十過ぎだぞ! いや、あの大家さんも相当に若い見た目だけど、姉もどう見ても二十台から三十代にしか見えない! どうなってるんだ、大家さんの家系は……。
「何言いたいのか何となくわかるけど……まあそれはさておき……加奈の所いくの?」
「ぁ、はい……その……朝ご飯食べに……」
なんとなく、申し訳ない気分になってしまう。
いつも大家さんの所で朝ご飯食べてます……なんてシスターさんに報告されたら……
「あはは、大丈夫大丈夫、それは秘密にしておいてあげる」
この人エスパーか! 僕の心の声が聞こえたのか!
「まあそれはさておき……朝ご飯食べるなら早く行こう。私もお腹空いたんだー」
そのままお姉さんは”ココナッツ”と名付けられたマルチーズを抱っこし、大家さんの家へ。
どうでもいいけど……ココナッツ可愛い……。
※
日曜の朝。
大家さんの家で朝食を頂く僕とお姉さんと犬。
「ごめんねー、悠馬くん……。いきなりびっくりしたでしょ」
「い、いえ……」
チラ……と大家さんの顔とお姉さんの顔を見比べてみる。
確かに似ている……かもしれない。見た目だけで言えば、お姉さんの子供が大家さんって感じなんだが。
「うふふのふ。加奈は幸せ者だなぁ。こんな可愛い子が毎朝ご飯食べに来てくれるんだから」
お姉さんはガツガツ白米と加奈さんお手製の松前漬けを食べている。
あぁ、僕も松前漬け好きなのに……っ、食べられてしまうっ!
「ところで悠馬君。学校の方はどう? 勉強付いていけてる?」
「ま、まあ……レベル高い所だし進学科なので……順位はそこそこですけど……」
松前漬けを齧る僕を見つめてくるお姉さん。
なんだ、もしかして「そこそこでどうする!」とか説教されるんじゃ……
「実は……熊本でまた孤児院を開くそうだ、クリスの奴」
「えっ……」
クリス……シスターさんが?
「どうする? 私と一緒に熊本に帰るか?」
「…………」
思わず箸が止まってしまう。
またシスターさんや皆と一緒に暮らせる……?
でも……
「……う、うーん……」
「悩むくらいなら止めとけ。まあ戻ってもクリスに叱られるだけだわな、悠馬君の場合は……」
そうかもしれない。
僕はシスターさんにアパート代や生活費を出してもらい、今の高校に通っている。
レベルを落として寮のある高校に入るという選択もあったが、それはシスターさんに拒否られたのだ。
僕は期待されている……と思う。
「他に何か悩み事とかある? お金が足りないっていうなら……」
「い、いえ……お金は十分ですよ、バイトも始めたし……」
「ああん? バイト?」
ぁ、なんかあからさまにお姉さんの顔色が怖くなった。
バイトなんかせずに勉強しろって事だろうか。
「まあいいや……そうだよね、バイトくらいしたいよね……」
ん?! 今一瞬見せた怖い顔はなんだ!
「じゃあ私ちょっと出てくるわ。ココナッツ見ててくれる? 悠馬君」
「ぁ、はい……」
ココナッツ……真っ白なマルチーズ。
フワフワの毛並みにクリンクリンの瞳……あぁ、やばい、抱き着きたい。
そのままお姉さんは「買い物に行く!」と大家さん拉致り、共に出かけて行った。
僕はココナッツと共に大家さんの家でテレビを見て過ごしている。
「……フン」
むむ、なにやらココナッツが僕の膝の上に顎のせしてきた!
ふぉぉぉ、なんだこのフワッフワで温かい物体は!
あぁぁ、なんてかわゆい……紗弥さんじゃないけどヨダレが垂れてしまいそうな……
「ぁ、紗弥さん……」
そうだ、あの人はこういう可愛いの好きそうだ。
ちょっと見せてあげたいな……でもまだ寝てるかな……昨日もあれから、変な儀式してたみたいだし。
どうしようか唸っていると、コンコン、と誰かが窓をノックしてくる。
むむ、今は大家さん居ないんだけど……と思いつつ窓を開けると……
「やふー。あれ? 加奈さんは?」
噂をすればなんとやら……そこには紗弥さんが。
「加奈さんはお姉さんと一緒に買い物ですよ。おはようございます」
「ぁ、おはよぅ……そっかー、家賃滞納してた分持ってきたのに……」
滞納してたんだ……まあ、僕はシスターさんに払ってもらってるから何も言えんけども……。
「ん? って、ぎゃぁぁぁ! 犬! 犬が居る!」
「……ん? あぁ、この子ですか?」
ヒョイ、と抱っこすると、紗弥さんは尻餅をついて倒れてしまった!
え、ど、どうしたの?!
「い、犬……怖い……犬なんて嫌いなの! うわあぁぁーん!」
そのまま泣きながら自室へと駆け込んでいく紗弥さん。
犬苦手だったのか。しかし泣かんでも……。
「ワフっ、ワフっ」
むむ、何やらココナッツが窓の外を見て興奮している。
もしかしてまた暴れ……駆け回りたいのだろうか。
まあ、食後の運動は必要だし……僕も久しぶりに雪で戯れよう!
❅
白銀の庭へと足を踏み入れる。
ココナッツは興奮しながら雪の中へとダイブし、そのまま飛び跳ねつつ突き進んでいく。
僕も雪へとダイブ……しようと思ったが、ものすごく寒いので自粛しよう……。
「ワフッ」
ココナッツは僕へと「遊ぼ遊ぼ!」と言うように駆け寄ってくる。
よしよし、じゃあ鬼ごっこでも……と、思っているといつのまにか庭の隅っこに三歳くらいの子供が。
「……え? どこの子?」
このアパートにあんな小さな子供はいなかったはずだ。
ということは迷子か。
「……ココナッツ、あの子にちょっと話を聞いてくるんだ」
「ワフッ」
僕の言葉が通じたのか、ココナッツは三歳くらいの女の子……へと駆け寄っていく。
そして女の子の裾を齧って引っ張り……って、倒しちゃった!
ヤバい! 女の子が泣いてしまう!
「……わんわん? わんわん?」
「ワフッ」
「わんわん? わんわん!」
「ワフッ、ワフ!」
雪の上に尻餅をついた女の子とココナッツが見事に会話している(?)
なんということだ。っていうか凄い微笑ましい……
「わんわん……」
女の子はココナッツの頭を撫でまわし、ココナッツも女の子の顔を舐めまくっている。
そしてついには押し倒してしまい、それでも舐めまくるココナッツ。
いかん、これではいつか泣かれてしまう。
「おーい、ココナッツ……あんまりやりすぎちゃダメだよ……」
ココナッツを抱き上げ、女の子を救出する僕。
すると女の子はケロっとした顔で立ち上がり、ココナッツを指さして……
「わんわん?」
むむっ、そうだぞ、わんわんだぞっ。
「わんわん?」
次に僕を指さす女の子。
いえ、僕はわんわんではありません。
「わんわん……わんわん……」
撫でまわしたいのだろうか。
僕は女の子の前にココナッツを下ろす。
当然のようにココナッツを撫でまわす女の子。
むむっ、今度はココナッツ大人しいな。
素直に撫でられてやるぜ……という余裕を感じる。
しかしこの子供は一体どこから……どこの子なんだ?
「迷子……なのかなぁ……」
困った。
今頃、親さんも必死に探しているに違いない。
……いや、探しているか?
もしかしたら……この子も僕と同じように……親に捨てられたんじゃ……。
そうだ、そうかもしれない。
親なんて……親なんて……
「お困りのようですな」
「……って、うわぁ! 紗弥さん?! 蓑虫モードで出てこないでください!」
いつのまにか僕の背後に紗弥さんが立っていた。
しかも蓑虫モード。その恰好で外に出たら犯罪なのでは?!
「そんな事ナイヨ。っていうか犬! 犬抱っこしてて! 私の方に来ないように!」
なんなんだ、この人。
犬が嫌いなら出てこなきゃいいのに……。
言われた通り、ココナッツを抱っこしつつ一度大家さんの家の中へと入る僕達。
あぁ、雪を払わないと……ココナッツがベトベトの雪だるまにっ
「さてさて、この子の親を探そうか。まあ、私に掛かれば……」
いいつつ紗弥さんは加奈さんの家で儀式の準備を始めた。
テーブルの上にぬいぐるみを置き、女の子の着けていた手袋を拝借する。
そしてその手袋をぬいぐるみの頭の上に置き、何やら唸り始めた。
「ハァー……マッチャパフェ、シュークリーム、ドーナツ、チョコアイス、ミタラシダンゴ、オオバンヤキ、タイヤキ、ユキミダイフク……」
またもや奇妙な呪文。
今日は甘い物系のようだ。
「ハァー!」
するとぬいぐるみの頭の上に乗せた手袋が落ち、まるで指をさすような形に。
これは……加奈さんの家の玄関の方を指さしている。
なんだ、この結果は……
「……一人で帰れる?」
「……わんわん?」
女の子へと尋ねる紗弥さん。
しかし女の子は首を傾げるのみ。
いや、というかこんな小さな子が一人で帰れるわけ……
「わんわん……」
すると、女の子の体がだんだんと薄れていく。
って、え?
な、なんで……
女の子はそのまま、まるで何事も無かったかのように消えていく。
「……な、なんですか、今の……」
「”風”って奴だね」
……なんだって?
風?
「あの子はまだ生まれてないんだよ。こんな話聞いたことない? 妊婦の前に、生まれてくる前の子どもが姿を現すって奴」
あぁ……昔なんかテレビで見たような見てないような……
「きっと待ちきれなかったんだねぇ。パパに会いたくて仕方なかったんじゃない?」
「……はぁ?! ぼ、僕ですか?!」
他に誰が居る、と頷く紗弥さん。
いや、でも僕は結婚なんて……
「人生は分からない物だよ、悠馬君。まあ私は未来見てきたから知ってるけど……」
「え?」
ジ……と紗弥さんの顔を見つめる。
なんか凄い赤くなってるけど……
「はぁ……悠馬君に似てたね……私の面影ないじゃん……」
……何か聞こえた気がしたが、恐らく空耳だろう。