一八
まだ夜も明けきらぬ朝まだき。
帰宅すると、すでに海晴は目覚めていた。ときどき、こいつはいつ寝ているのだろう、と思うときがある。
早寝早起きを日課にしていると本人は主張するのだが、夜中、トイレへ行く際に自室前を通りがかると、ドアの向こう側から人声が聞こえたりするときがあって。おそらく、ラジオかなんかの音だと思うのだが。
さもなくば、招霊の儀式に熱中しているとか。生贄を捧げ、魔神や地獄霊を呼び出してなにかよからぬこと(世界征服とか)を企んでいる……なんてのは、さすがに妄想が過ぎるな。
ちょっと謎めいたところがあるが、海晴は他人に怨恨を抱くような女の子じゃない。
スニーカーを脱いで、上がりがまちに上がると、パタパタと足音が近づいてくる。
「お兄ちゃん、顔が真っ青だよ? 赤リンゴじゃなくて、青リンゴになっちゃってる」
「ああ」
海晴はカバさんがプリントされたピンク色のパジャマを着ていた。昔からカバマニアで、その理由を尋ねると、『見かけはトロそうなのに、最強だから!』との答えが返ってきた。
「それにまた朝帰りなんかして。グレちゃったの?」
「かもな」
「まさか、ふてえアマにいじめられたの? それか、フラれちゃったとか?」
「ちょっと一眠りするわ」
今朝ばかりは、心あたたまる兄妹トークをする気が起きない。すまぬ、妹よ。
「も~~~~~~っ! お兄ちゃんのいけずっ!」
着ていたパーカー、ロンT、ジーンズを脱ぎ捨て、パンツ一丁の姿になると、俺はミニコンポのスイッチを入れた。再生ボタンを押すと、シンセ音で作られた叙情的なイントロが鳴り出す。
星宮純の7thシングル、『悲恋物語』だった。歌声が始まると、俺は知らずに歌詞の内容にいまの自分を重ね合わせていた。
『似ているふたり 愛し合えるはずさと キミは言ったのに まわり道 重ねて またも刻がすれ違う Ah~ 何度 悲恋 味わうの……』。
「ぐすっ……いい歌だなあ……」
布団にうつぶせに寝転がり、枕に顔をうずめると、女々しさ最高潮の気分になった。二〇ウン年前の歌がここまで心に沁みるなんて。作詞家は俺の心がわかっているとしか思えない。
結果的に、最悪のタイミングでの告白になってしまった。
海晴は俺を乙女男子扱いするが、女心なんてまるでわかっちゃいなかったんだ。そもそも、まだ顔を合わせて間もない女の子のなにを理解しているというのか?
境遇が似ているのは表面上だけで、俺は彼女のことをほとんどよく知らないのだ。それなのに、勝手に似た者同士認定なんかしたりして。失礼千万にあたるというものだ。
なにより責められるべきは、まだ自分の心の整理がつかないうちに、具体的な行動に打って出てしまったことだ。
俺は、お嬢様の南風さんが好きなのか?
それとも、『地獄の夜叉姫』時代の過去もひっくるめて惹かれたのか?
はたまた、星宮純の娘だから?
そこらが曖昧なままだったのに、思い込みだけで突っ走ってしまった。
前に俺は美樹原に、『一目惚れとか、ありえないだろ。お互いのこと、よく知らないまま好きになるなんてさ……』などとぬかしたのだ。どの口が……と自分にツッコミたくなる。
俺はのっそりと起き上がると、机の引き出しから一冊の大学ノートを取り出した。表紙には『極秘重要! 無許可での閲覧を禁ずる!』と太マジックで書かれている。
しばらく迷ったのち、俺はノートをゴミ箱に叩き込んだ。




