〈4〉クレーム
信也は小倉麻衣子のビートファイトを一時間楽しみ、スタジオを出て更衣室に向かった。更衣室にはシャワールームがあり、信也はそこでシャワーを浴びて、全身から吹き出た汗を流した。
シャワールームを出て、ロッカーで着替えようとしたとき、同じビートファイトに参加していた常連の加藤貴が話しかけてきた。
「あのさ、後ろで声出すの、やめてくれる」
信也は突然話しかけられ、少し戸惑った。しかもクレーム。
加藤は常連で、いつも永島裕子と並び最前列に陣取っている。面識はあるものの信也はビートファイトの参加者と話をしたことがない。おそらく、一人で「えぃ!」と気合の声を出す自分は変わり者に思われているのかもしれない。信也はそう思っていた。
名前も知らない加藤に、信也はとりあえず答えた。
「え、面白くないですか?」
「リズムが狂うんだよ」
そういって加藤は自分が使っているロッカーに戻り、着替えをした。
信也は少なからずショックを受けた。
ビートファイトは格闘技系エクササイズで今までいろんなスポーツジムや体育館でやってきた。声を出さないときは一度もなかったし、自分だけでなく周りの参加者も声を出して、祭りのように盛り上がるところが楽しさだった。この普段の日常では味わえない感覚。そして「えぃ!」と気合の声を出してやることがストレス解消にも繋がっていた。
五十五歳の信也は体力の衰えを感じる中、声を出すことでストレスを解消するために参加している節もあった。
それが声を出すな……。
コロナのときのようにマスクをし、誰も声を出さないでやるビートファイトがいいのか? そんなの楽しいのか?
加藤は常連でインストラクターの小倉麻衣子や他の常連とも親しく会話をしている姿をスタジオで見かける。
〈これはみんなの総意なのか? 小倉さんもそう思っているのか?〉
信也は、声を出すことを好意的に思われていたと思っていただけに、さすがにへこんだ。
信也はロッカーで着替えると、ロビーに向かった。
券売機が見えた。
〈確かにみんなお金を払ってスタジオエクササイズに参加している。俺だけのビートファイトじゃない〉
信也は声を出すのを辞めることにした。
信也は青葉スポーツセンターまで自動車で来ていたので地下の駐車場に向かった。
加藤にクレームを言われ意気消沈している信也は駐車場で更なるショックを受けることになるとは思ってもいなかった。




