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31 アデル、過去を振り返る【後編】



パァンと、空気を裂くような音が響いた。


ここは、公爵家第三邸。第三邸は、当主の子供が幼少期に過ごす場所として決められていた。全部で六つある公爵邸は、それぞれの番号で役割分担をされていた。


さて、先ほどの甲高い音であるが。

それは、ルークがロイドの頬を殴った音であった。


「お前なんか、いなくなればいいっ」


ルークは、それだけ言って、走り去っていく。それをザワザワと第三邸の侍女たちが遠巻きに見守っていた。見守る、なんて耳心地のいい言葉を使ったが、彼らは守ってくれなどしない。ただただ、彼らは自分達を見て、値踏みして、擦り寄る相手を選ぶだけだ。

ねっとりとした空気が渦巻く。

それを気持ち悪いと感じながら、アデルはロイドに近寄った。


「大丈夫ですか?」


「ああ、悪いね。ただの兄弟喧嘩だよ」


ロイドは張り付いた笑みを見せる。この時、アデルは11歳。ロイドは、この頃から、元々上手だった作り笑いを家族にもするようになっていた。

聞いてみると、原因は彼らの父親の発言だと言う。2人で父の部屋に向かうと、そこで父が客人に「ロイドが長男だったらよかった」と話していたのを聞いてしまったそうだ。ロイドは、それを軽く言ったが、実際は悪意を多分に含んでいたのだと思う。

そして、普通に接するロイドをルークは殴ったのだそうだ。


それは、よくある兄弟喧嘩なのかもしれない。しかし、ここは公爵家だ。その喧嘩は大きな意味を持ち、やがて多くの人を巻き込む騒動となるだろうと予感していた。



アデルは、12歳となった。

その年のある日。公爵家の当主、つまりルークとロイドの父親が亡くなった。公爵として、立派に勤めを果たされた偉大な貴族だった。領地は栄え、領民は彼を慕っていた。


ただし、それは公爵当主としてのみだった。父親として、彼は子供たちに大きな爆弾を残した。


彼の遺言書には、「次期当主は領民に決めてもらう」とあった。そして、そこに連なる候補者たちの名前。息子であるルークとロイドはもちろん。彼らの叔父の名前や、その子供である従兄弟の名前も連なっていた。


そして、それぞれに公爵家としての権利を与えた。ルークには、第一邸とボヘミア家の執事たちを。ロイドには、第三邸と莫大な財産を、など。


次期当主を決める期限は、10年後とされていた。



その決定に、激昂したのは、ルークだった。当たり前だ。これまで、自分が当主だと疑わず、努力を重ねてきたのだから。

しかし、本家・分家ともに集まるビリアン公爵家会議では、ルーク以外の全員がこの遺書の内容に賛成した。自分にも、もしくは自分の息子にも、当主の座を得るチャンスがきたのだから。

その決定に、ルークだけが最後まで異を唱えていた。


ロイドはルークの元を去り、新たな派閥を築いた。


そこからだった。ルークが壊れていったのは。


当主を継げるように、策を張り巡らし、研究にも没頭していった。

そして、証拠も残らない完璧な毒を作り上げたのだ。それを闇市に売り捌くという話も出てきた。アデルは、それに何回も反対した。


しかし、ルークは、時々泣きそうになって言うのだ。


「アデル。お前だけは、裏切るなよ」


「‥‥‥はい」


昔の面影を残して、そんなことを言われてしまえば、裏切ることなど出来ない。


ある日、筆頭執事である兄のデヴィッドから、裏切り者の始末の命令が下った。

この頃のアデルはただの見習いであり、ルークについていたのは兄のデヴィッドだった。なので、ルークから直接命令されないこともしばしばあった。


「‥‥‥それは、必要なことなのでしょうか?」


「いやあ、ルーク様の命令じゃ、仕方ないでしょ」


「‥‥‥‥」


いよいよ、彼は一線を超えて行ったのだと思った。それに、この時には母を人質に捕らえられていて、命令に反することは出来ない状況になっていた。

自分の中の、彼への情が段々とすり減っていく。

それから、しばらくは、デヴィッドから伝えられたルークの命令を遂行する日々だった。


「‥‥‥待て。なんだ、その話は」


「え?」


アデルとルークの話に行き違いがあったことに、とある会話をきっかけに気づいた。

確かに、二度と公爵家を裏切れないように、苦しみを与えろと命じたのはルークだった。しかし、同時に解毒薬も渡していたと言う。その命令を勝手にねじ曲げたのが、兄のデヴィッドだった。


ルークは、それを知り、崩れ落ちた。しかし、彼を支えることが出来るほど、アデルには既に情も残っていなかった。そのすぐあと、デヴィッドはルークの元から立ち去り、アデルが筆頭執事に任命された。


この時、後継者決定まであと3年。この話を聞き、ルークは益々人を信用しなくなっていた。そして、サザンジール侯爵家へ行くことをアデルに命じたのだった‥‥




いつから、壊れてしまったのだろうとアデルは考える。

「弟」と言ってくれたこの人を絶対に裏切らないと、信じていた。が、それは叶うことはなかった。


今、アデルの人生に暁光がさしている。しかし、それもいつ終わるかは分からない。

今は、一生の主人だとおもっているケイトを裏切ってしまう日が来るのではないかと、それがとても怖い。


しかし、なによりも恐ろしいのは。

この感情を、純粋無垢な彼女に知られてしまうことだった。



アデルは、不安を目の前に残したまま眠りについた。



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