30 アデル、過去を振り返る【前編】
ロイドに個人的に会うのは危険だとして、お茶会か夜会に来た時にでも、隙を見て話しかけることになった。
そして、近々開催されるのは、夜会の方だ。
主催者は4大公爵家が1つ、ラビッツ家。
人脈を常につくっているロイドは必ず、この場に現れるという。
とはいえこれは、元の主人を完璧に裏切ることとなり、アデルも嫌なのではないかと考え、アデルと2人きりになったタイミングで聞いてみた。
「ねえ‥‥貴方は、前の主人を裏切るのは、嫌ではないの?」
聞いた時、しまったと思った。
嫌に決まっている。そんなことをわざわざ聞くなど、意地悪以外の何ものでもないだろう。
「ごめんなさい。忘れて」
アデルはチラリと私を見て、目を細めた。その視線にぞくりとした。怒っているのか、そう思ったところで、アデルは私に近づいた。
「僕の主人はこれからも貴方だけですよ」
一歩ずつ下がって行くと、いつの間にか壁に背中がぶつかってしまった。アデルは私の顔の横に手をつき、至近距離で言った。
「信じていただけませんか?」
んあーーーーーーーー!!!なにこの、捨てられた子犬のような愛らしさの中に潜む色魔のような声は!
久しぶりの、この、状況!!ここ最近は、アデルの声にも慣れて来て、人間毎日耳にするものには特別感を感じなくなるのかなとか寂しく思ってたんだけど。
撤回します。破壊力が半端ない。
「信じてるわ!信じてるから‥‥!〜〜っごめんなさい!」
涙目で弁明する。
「はい、存じてますよ」
ああ、またからかわれたのだと気づいた時には、アデルは部屋から出ていた。
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アデルはケイトの部屋を出て、自室に戻る。
すれ違う侍女たちに笑顔で挨拶を交わしつつ、自室へと向かう。
しかし、廊下に1人になった時、ケイトの顔を思い出して、めりっと壁に頭をぶつけた。めりっと。
「どうしたんですか?!」
ちょうど曲がり角で曲がって来た侍女が驚いて、アデルに声をかける。当たり前だ。いつも何事もそうなくこなしているアデルが、壁に食い込むほど思い切り壁にぶつかるというドジを踏んだのだから。
このままいけば、明日の侍女の噂話は、この話題で持ちきりということになるだろう。
しかし、ここでアデルが機転をきかせた。
「すみません。少し、立ちくらみが‥‥」
「え?!大丈夫ですか?」
憂げに目を伏せるアデルに、侍女は顔を赤らめる。ケイトの、声が素晴らしいという思考のせいで忘れられがちだが、彼はまごうことなき美形だ。体調が優れないと、憂うその艶やかさに、侍女がときめいてしまうのも、無理はないだろう。
アデルは「大丈夫です」と断りを入れてから、にこりと微笑んだ。
「なので、少し、休んできますね」
「はい。ぜひ、そうしてください」
「ありがとうございます」
通りすがりの侍女は力強く頷く。アデルはお礼を言って、そそくさと立ち去った。
彼はこれ以上、同じことをしないように急いで部屋に戻る。そして、部屋の扉を閉めたと同時に、ため息をついた。
簡素な部屋の、無味なベットに、だらしなくも寝転がり、片手で目を閉じるように隠した。
先程の、ケイトの言葉。それが脳にこびりついて離れなかった。
「前の主人を裏切るのは、嫌ではないの?」と。
その言葉を投げかけられた時、嫌ではないと感じている自分がいることに心底嫌気がさした。否。冷め冷めとした気分になったものだ。
アデルは、自分のことを無情な人間だと思っている。そして、それを仕方ないことだと割り切ってもいる。貴族に仕える身だからこそ、主人に代わり、汚れ仕事も引き受けなければならないことがあるからだ。
けれど、先ほどの言葉は、自分の性質を奥底から引っ張り出されて、晒されたような気分になった。
その動揺を隠したくて、アデルはケイトの弱みにつけ込んだ。うまく、誤魔化せたと思う。しかし、自分に潜む心のしこりは残ったままだ。
昔は、こんなではなかったのにー‥‥
アデルは、かつて公爵家でルークとロイドの付き人役として過ごしていた日々を思い出した。
ー10年前。
ビリアン公爵家第3邸。
そこは、次期公爵である子供と、その弟と、従者が住む場所だった。
アデルは、庭の1番大きな木の下で読書をしていた。すると、どこからともなく息を切らしたルークが現れた。
「アデル!ロイドを知らないか?」
その言葉にぎくりと体が揺れる。動揺を悟られないように、ゆっくりと本を閉じて、ルークを見た。
「‥‥‥いえ、知りません」
「お前、知ってるな?」
「‥‥‥」
「知ってるな?」
アデルは静かに目を逸らした。が、自分の主人である男に真っ直ぐ見られて、いよいよ居心地が悪くなり、口を開いた。
「エミリア嬢と、お出かけに‥‥」
「あいつは‥‥!」
ルークは、ギリと歯軋りをした。無理もない。これから、家庭教師の先生の講義があるのだ。このままでは、その時間に間に合うことはない。まあ、彼が怒る理由は非常に可愛らしいものではあるのだが。
「いつもいつも、女と遊んでばかりで!レイラルド先生に嫌われてしまったら、どうするのだ!!」
「‥‥レイラルド先生は、嫌わないと思いますよ」
彼は、家庭教師の1人であるレイラルド先生に惚れていた。それは、もう。誰から見ても、分かりやすく。
「そ、そうかな‥‥」
初恋である。もじもじしている姿は、見ているこちらが恥ずかしい。しかし、それを指摘すると慌てて否定するのも、面白いものがある。
しかし、すぐにその顔をアデルに向けて、視線を鋭くした。
「それはそうと。お前は、嘘が下手すぎる!」
「ええ‥‥」
理不尽なものいいに、アデルは微妙な顔をした。
「公爵家の人間なのだから、嘘が下手なのは致命的だ!」
「‥‥公爵家の人間ではないですよ。強いて言うなら、俺は公爵家の下僕でしょう」
アデルは口を尖らせる。公爵家にとって、自分は道具であり、家族を人質に、ずっとここに暮らすことを強要されていくのだと、ここ最近やっと分かってきていた。
それ故に、アデルはルークに反抗気味であったのだ。
「何を言ってる。俺はお前のことを弟のように思っているぞ」
「‥‥‥」
「それはそうと。本当に、ロイドは何をしているのだ。いつ頃帰ってくるのか‥‥」
「そろそろ帰ってくると思いますよ」
何せ、今日は特別な日だ。ロイドからも、外に出たことはバレないように。バレたとしても、上手く言い訳をして、間を埋めるように言われていた。
「本当か?ロイドは最近、女遊びに夢中になってはいないか?」
「兄上。俺のこと、呼んだ?」
「ロイド!」
ロイドは、庭に面している塀の上から、飛び降りる。通常の門には、見張りがいるため、そこから出入りは不可能だ。そのため、庭に面しており、土のクッションがあるここに飛び降りなければならない。
「やっと、帰ってきましたね」
「ごめんごめん。思っていたより遅くなっちゃった」
ロイドが申し訳なさの欠片も見せずに、手を合わせる。アデルは、「まったく」と言いながらも、その抜けた様子に怒る気も失せる。ロイドは、そういった不思議な魅力を持つ人間だった。
「ロイド!お前は、最近弛んでるぞ!今日もエミリア嬢と遊んできたと聞いたぞ!」
ロイドはアデルを見る。「お前、そんなごまかし方したのか」と目で訴えられる。
実は、ロイドがエミリア嬢といるのは事実無根の嘘だ。しかし、彼女と度々出かけているのは本当なので、アデルもそのことが思わず口に出てしまったのだ。
「そもそも、エミリア嬢には、婚約者がいて‥‥」
「あーもう。アデルは誤魔化し方が下手って分かったよ」
「は?」
「す、すみません‥‥」
アデルは居た堪れなさから、目を伏せて謝る。すると、ルークは目を吊り上げた。
「ロイド!アデルのせいにするな!」
「違くてさ。‥‥‥ほら!兄上。これを見てよ!」
ロイドは、仕方なしに、背中に隠していたものをルークの目の前に差し出した。それに、ルークは目を丸くする。
「兄上、今日が誕生日だろう?だから、プレゼントをアデルと協力して用意しようってことになったんだよ」
「実はそうなんです。先ほどのことは嘘ですよ」
きれいにラッピングされたプレゼント。中には、ルークの瞳と同じ色のボールペンが入っている。アデルとロイドで、予算を分け合い、プレゼントと決めたものだった。アデルは、にやにやしながら、ルークに話しかけた。
「ルーク様。騙されてしまいましたが、公爵家の人間として大丈夫ですか?」
と、さっきのお返しに揶揄った。がー‥‥
「‥‥‥っ」
ルークは突然ボロボロと泣き出した。その様子にアデルとロイドはギョッとした。
「どうするよ、アデル!」
「え?俺も、分かりません!!」
2人してオロオロとする。普段は頼りがいのあるロイドも、この時ばかりはどうしていいか分からないようだった。そんな2人の様子を、ルークは制止して、口を開いた。
「悪いな。嬉しくて‥‥お前たちには、いつも迷惑ばかりかけているから」
嫌われてしまっているのではないか、と。ルークはそう言った。ルークは、その真面目さとは裏腹に、要領が悪かった。それ故に、いつも周りから悪意に晒され、しかし、次期当主としてそれに一人で耐えてきた。
「ありがとう」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
アデルとロイドは顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
「喜ぶのは、まだ早いんですよ。兄上」
「とりあえず、その涙は拭っておいた方がいいと思いますよ」
「なんだ?」
アデルたちの意味深な言葉に、ルークは怪訝そうに首を傾げた。
すると、屋敷の方から、黒髪の美しい女性が出てきた。彼女の名前は、レイラルド・フラワー。ビリアン家お抱えの家庭教師であり、ルークの初恋の相手だ。
彼女はこちらに気づくと、優しい笑みを浮かべた。
「坊ちゃんたち。ここにいらしたのですね」
「え?」
途端に、ルークの顔がゆで卵のように真っ赤に染まる。それをアデルとロイドは愉しげに見ているのだから、性格が悪い。
レイラルドは、クスクスと笑った。
「ロイド様とアデル様が、お誕生日会を開くと張り切ってらっしゃったんですよ。なので、私もレモンケーキを焼いてきました」
「え?!」
ルークが今度は嬉しそうな声をあげる。アデルとロイドは、この先生がつくるケーキをルークが心底好きだと知っていた。なので、レイラルドに頼んであったのだ。
「せっかく天気もいいですし、ここで食べましょうか?」
「でも‥‥いいのですか?勉強、出来てないのに」
このケーキは、いつもは生徒が問題を正解できた時に、出す特別なものだった。真面目なルークはそのことを気にしているのだろう。
「大丈夫だよ、兄上。相変わらずお堅くていらっしゃる」
「ここは、甘えるべきところですよ」
2人して揶揄うように、ルークの肩を小突きあった。
「でも‥‥」
「確かに、このケーキは特別な時にしか焼きません。けど‥‥」
レイラルドは、茶目っ気たっぷりに、ウインクをする。
「今日は、ルーク様の誕生日です。特別な理由でしょう?」
ルークの顔が輝く。それを見て、アデルはこの企画は成功だったな、と嬉しい気分になった。
それは、幸せな日の記憶。
まだ、公爵家の家督問題など起きていない時の話だ。この頃のアデルは、まだ9歳。この世界の本当の残酷さなど知らない歳だった。




