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15 昇天。




私とアデルは、彼の母を侯爵家に連れて帰るために、馬車を待っていた。その間、アデルは母を再び寝室に運んだ。彼女は、頬が痩せこけており、頭髪は白髪が混じっていた。しかし、彼女はまだ三十代なのだ。

医学に精通していない私は、何の病気なのかすら分からない。


「母さん」


「アデル。ごめんね‥‥私が足を引っ張っていたね」


アデルは、母の手を握る。その手は骨張っていて、青白い。

彼女は、少しだけ体を起こして、私の方を見た。


「ケイト様。このような格好で申し訳ございません」


「いえ‥‥」


そして、彼女は頭を下げた。


「息子を助けて下さり、本当にありがとうございます」


「頭を上げてください‥‥」


私はそう言うことしか出来ない。何故なら、彼女を窮地に追い込んでいるのは私だからだ。私が余計な動きをしなければ、アデルはルークの言うことを聞き続け、治療を受けることが出来ただろう。それに、私はルークと同じようにアデルを利用しているのだ。お礼を言われる筋合いはないはずだった。

なのに‥‥

私は拳を握りしめ、意を決して口を開いた。


「あの‥‥‥」


「言い様だな。クソババア」


後ろから、ドスのきいた声がした。黒髪長身の男が、扉にもたれかかって、こちらを覗いていた。


「デヴィッド‥‥」


アデルは驚くほど険しい顔をしている。急に現れたこの人は、誰なのだろうと、彼の次の言葉を待つ。


「ははっ。愚弟が裏切ったと聞いて、来てみれば。ざまぁないな」


弟って‥‥この人、アデルのお兄さんっていうこと?!

そういえば、兄と姉がいるって設定はあったけれど。前世も合わせて、初めて見た。


「この家には、クソババアの味方なんて1人もいないからな」


「ちょっと、兄さん」


すると、別の人の声が聞こえてきた。その人は、デヴィッドを制して、「早く行くよ」と伝える。その人も赤い目と黒い髪をしていることから、アデルの血縁であることが窺える。


「愚弟と一緒にさっさと出て行って、とっととくたばれ」


デヴィッドは、その人と何度か言い合いをした後、捨て台詞を残して去って行った。


「母さん、すみません。‥‥間違えました」


「もう、いいの。こうなる運命だったのよ。アデル、私のことは気にしなくていいからね」


私は、その姿をジッと見つめる。そして、これでいいのかと考えた。答えは、ノーだ。


「まだよ。まだ、諦めるのは早いわ」


アデルは、私の言葉に眉を顰めた。


「けれど、ルーク様はビリアン家しか治すことが出来ないと‥‥」


「ねえ、何故、私がルークのことをよく知っていたと思うかしら?」


アデルはハッと顔を上げた。私は口端をあげた。


「どうして、ビリアン家の情報が私が口にした以外にもないと思ったのかしら?」


私は意識した。なるべく自信に満ちていると見えるように。確証を持っていると見えるように。


「お願いします!母を‥‥母を助けて下さい」


そう。それこそ、悪役令嬢らしく。堂々と。


「お母様の薬を用意することくらい造作も無いのよ」


私は、未熟で未完成な言葉を、言い放ったのだった。






⭐︎⭐︎⭐︎






その後。アデルは暫く私の元を離れていた。母への看病につきっきりになっていたからだ。私の父も、それは了承した。

父には、その前に公爵邸に忍び込んだことから何から何まで話した。流石に、ルーク本人に見られてしまったので、何も報告がないのは、問題があるので。

話し終わると、父は明後日の方向を眺め始めて黙ってしまったので、少し焦った。しかし、「分かった」とだけ言い、そのまま部屋に篭っただけで、お咎めはなし。アデルは一度、父の執務室に呼び出されているのを見かけたが、追い出されることはなかった。



そして、今日。アデルは数週間ぶりに、私の前に姿を現した。

背格好は、少し痩せているかな。しかし、顔色は良く、今までにないくらい晴々とした顔をしている。


「お母様の体調はどうかしら?」


「はい。お陰様で、順調に回復に向かっています」


「よかった」


私は、彼に椅子を勧める。が、彼は一向に座ろうとせずに、頭を下げた。


「ありがとうございます。僕も、母も、救われました」


「いいのよ!私が勝手にしたことだから」


「いいえ、本当に救われたのです。‥‥少し、僕の話をしてもいいでしょうか?」


私が頷くと、アデルは、そこから少しだけ身の上話を始めた。

アデル・ボヘミアという人物は、ずっと孤独な人間だった。ボヘミア家の一族は、冷たい人だった。父も、兄も姉も、主人のためなら平気で手を汚す。その在り方にアデルはずっと疑問に思っていたと言う。

しかし、それを口にしたら最後。父兄弟から折檻を受ける。けれども、そんなアデルの素朴な疑問を母だけは否定しなかったという。



「全て、貴方のお陰なんです。その‥‥」


「何かしら?」


「どのように、ビリアン家の薬を手に入れたのでしょうか‥‥調べてみたところ、どこにも流通していない薬でしたので」


「あー‥‥ええ。そうね」


突然の素朴な疑問に、私は言葉に詰まった。まーずいな。私はあー、うー、と何回か声にならない声を上げて側に控えるテラに睨まれた後、意を決して言葉を発した。ええい、儘よ。


「そ、それに関しては謝らなければならないことがありまして‥‥」


「何ですか?」


うはああああ。かわっ。今の声、少し幼くてかわええわあ。

じゃなくて。私は意を決して口を開く。


「はい。あの、ビリアン家で手に入れたと渡したアレなのですが。それ、嘘なんですよ‥‥」


「は‥‥」


一瞬の静寂。そして、アデルは首を傾げた。


「‥‥‥はい?」


「す、すみません!一か八かだったんです!すみません」


私はバッと頭を下げた。こういう時は、誠心誠意謝るしかない。


「ええと‥‥その、それはいいのですが。それでは、何を渡したのでしょうか?何故、母は治っているのでしょうか?」


「渡したものは、ただの風邪薬よ」


アデルの少しばかりの殺気を感じたので、すぐに弁明をした。貴様、何を渡した‥‥的な。


「そ、それから、何故治ったかについては、お話するのが難しいのだけれど。まず、前提条件として、貴方のお母様は、病に気持ちで負けている様子を見せていたわ」


「‥‥‥?」


「病気は、患者の気持ちも大切なの。『これで治る』という安心があれば、それだけで病は治癒に向かっていくものなのよ。嘘の薬でも、効果を見せることがあるの。特に、それが信頼の出来る相手が渡すのなら」


アデルは、眉を寄せて、フリーズを起こしてしまっている。当たり前だろう。そんな絵空事みたいなこと、信じられる訳がない。もしかしたら、騙していたのかと激昂されるかも。彼は一度、天井を仰いだ後、私を真っ直ぐ見つめてきた。


「その知識はどこで‥‥」


「えーと。昔、本で、読みました?」


ええ、前世の本ですけれど。確か、プラシーボ効果って言ったかな。偽の薬でも、「本物だ」と偽って、医者が渡すと、本物の薬と同じ効果が見られたっていう内容だったと思う。

今世でも、それが通用するか一か八かだったが、うまくいったようで本当に良かった。


「あ!でも、このことはお母様には言わないで頂戴!まだ完治はしていないのだから。これは、バレてしまうと効果がな‥‥い、」


その後の言葉は続けることは出来なかった。

アデルは、そっと私の手を取り、指先に口づけを落としたからだ。咄嗟のことに、何が起きているのか分からない。私の身体は、動作不能、機能不全。


「‥‥‥?!」


後ろで、空気の如く控えていたテラが狩人のような目つきに変わったのが見えた。

しかし、アデルは、それをものともせずに、私の手を握ったまま、ひざまづいた。


「感謝致します。僕は、貴方に一生忠誠を誓います」


「え‥‥いや、その。嫌だったら嫌と言っていいのよ!その、恩着せがましくしたい訳でもないし」


「いえ‥‥僕は貴方に一生ついていくと、今、決めました」


「そういうことは、じっくり考えなさい!」


私はアデルから手を引いた。

私は憤慨で、照れを隠す。そして、さっさと部屋を出て行こうと決めた。


「テラ、外に行くわ。ついて来て頂戴」


「かしこまりました」


「アデルはもうお母様の元へ戻りなさい」


「はい」


しかし、その従順な言葉とは裏腹に、アデルは私の手を強引に後ろに引いた。そして、耳元で言葉を紡ぐのだ。


「覚悟していて下さいね。ケイト様?」


最後に聞こえたのは、クスッという笑い声。


‥‥‥忘れていた。中村さんの声は、可愛いし、カッコいい振り幅が広い。だけど、本領を発揮するのは、可愛い時でも、カッコいい時でもない。ずばり、2つが折り重なった「悪戯っ子」のような声の時だ。それが、今、耳元に直撃した。


「ちょ、ケイト様が倒れたーっ」


テラの叫び声が聞こえ、ドタバタという音が響いてきた。だけど、何もかもどうでもいい。


‥‥‥本懐は遂げられた。もう死んでも悔いはねーです。



プラシーボ効果については以下の文献を参考に致しました。


斎藤勇 『イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める!心理学』 2021年12月10日 株式会社西東社

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