オープンオタクは許されない
受験勉強のストレス溜まって書き殴った。
スクールカースト、という言葉が存在する。
字面から解釈するならスクールは学校、カーストはあのヒンドゥー教におけるカースト制、すなわち身分制度を指す訳だが、この認識で概ね間違いはない。
つまりスクールカーストとは学校における身分制度の事なのである。
これは多くの学校にて形成され、これによって生徒の周囲からの扱いには大きな差が生まれる。
教室で生徒によって発言力が異なるのは分かりやすい例だろう。
しかし身分制度とはいっても、その階級の区分けは学生の本分とされる勉強の成績によらず、むしろ成績が良いと『ガリ勉』などという差別用語によって誹謗中傷を浴びせられる場合まである。
勿論この『ガリ勉』はスクールカーストにおいて下位層の人間を表すための言葉だ。
さて、では実際の区分けの条件は何か。
結論から言うと、『いかにそれっぽく青春しているか』である。
ここで重要なのが、『それっぽく』の部分だ。
学生生活、特に高校生活においては『若い頃こそ人生で最も輝いている瞬間だ』という根強い固定観念によって『青春』という言葉が凄まじい重みを持つ。
それ自体はそれほど悪い事ではないのだが、しかし問題はこの『それっぽい青春』の意味するところ、すなわち人が学生時代に情熱を傾けるべき矛先というものが偏見の集積である教室内の風潮によって決め付けられている点である。
つまりはこのスクールカースト、偏見によって区分けが為されているのだ。
ところで昨今ではスクールカーストの上位と下位を『陽キャラ』、『陰キャラ』と呼称して二分する傾向にある。
これまた字面からの解釈が容易で、『陽キャラ』というのはともかく、『陰キャラ』という呼称には分かりやすい類義語が存在する。
すなわち日陰者。
陰キャラ、略して『陰キャ』とは青春を楽しめていない哀れな日陰者の事なのである。
スクールカーストの特徴として、この烙印を押されてしまった者は暗黙の了解によってそれ以降、学校生活で青春っぽい活動に興じる権利を剥奪される。
体育で活躍する事や教室で教師からの質問に手を挙げる事すら周囲の冷笑と嫌悪を買う事になり、時にはそれらがイジメの原因になる事もある。
しかし、それではこの日陰者達は二度と青春を、人生で最も輝いている瞬間を取り戻せないのだろうか。
彼らの生涯はたったそれしきの事で薄っぺらくなってしまうというのだろうか。
そこで、先程述べた『それっぽい青春』という言葉が重要な意味を帯びてくる。
「へいへい爽太!放課後予定空いてるか!?
今日も今日とてスタジオ行ってアニソン|合奏しに行くぞー!」
そもそも青春には厳密な定義など存在しない。
辞書で調べたところで『若い頃』に前向きなニュアンスをくっつけた程度の意味しか載っていない。
青春というものが、そのまま昨今の若者が抱く青春像に一致するかと問われれば、それは全くもって否である。
だから、スクールカースト上位にいる人間の興じていること以外にも、もちろん青春は存在していて。
「……良いけど、今日は俺がベースな。選曲も俺がする」
「構わんぜい!」
例えば、オタクと呼ばれる人間が世の中には存在する。
彼らはこのオタクという肩書だけでクラスのカースト下位に追いやられる事が多く、大抵の場合、陰キャラとして扱われる。
しかし彼らには教室での立ち位置に関わらず、情熱の傾ける矛先が多く存在し、ともすれば、陽キャラと呼ばれる人間よりも人生を満喫する術を持ち合わせている。
「それと、出来れば月喰ちゃんも誘っといてくれ」
「了解。あ、こないだ言ってた小説投稿しようと思うんだけど、添削とか頼んで良いか?」
「応よ。スクショくれたら直ぐにでも赤ペン先生が火を吹くぜ。
そういやそれの主人公のキャラ絵、あの後に描き終わったんだけど要る?」
「マジ? ……え、マジで?めっちゃ欲しい」
「んじゃ、ダメ出しの返信次いでに画像送っとく」
「やったぜ。今度コミケ用の漫画の原稿手伝うわ」
「それはホントに助かる。……っと、予鈴鳴ったし帰るわ。月喰ちゃんによろしくな」
「あ、どこに集まれば良い?」
「部室集合で。これは『部活動』だからな」
「それ言っときゃ何でも出来るよな」
「その為にこんな名前にしたんだからな。
『娯楽作品同好会』あるいは『オタク活動部』。
今日も元気に部活動だ」
これはオタクと呼ばれ日陰に排斥された『陰キャ』達が、一切の負い目も引け目もなく、オタクらしさを全開に青春を駆け抜ける物語である。
感想欲しいけど、それで勉強のモチベが下がりそうなのが怖い。