第六十二話
“ふぁっ!?”
“許してないのに冤罪クソ女を雇うのかよ!”
“意味わからんwww”
混乱する視聴者のコメントを眺めながら、トールは自分の考えが整理されていくのを自覚する。この件に関しては割とどうでもいいというのが当初の本音だったが、雑多な意見をぶつけられることで見えてくるものもあった。
「あー……ちょっと、なんつーか……冤罪の件も、見下されてたのも、どうでもいいんだよ。言ったよな、これ。でも河合さんはそういう自分を『最低のクズ』だと今は思ってんだろ? じゃあ俺が許そうが許すまいが、河合さんにはあんまり関係ねぇよな。自分のことを許せるかどうかって話なんじゃねーの?」
“ちょっとよく判らん”
“いや、冤罪女の贖罪については話としては理解できるんだが”
“なんで許してない相手の謝罪を受け入れて仕事してもらおうってなるんだよ?”
理屈――というよりは、心境の言語化だ。
河合咲穂に求めたからには、トール自身も避けるべきではないような気がした。
「そうだな。まず、河合さんは、今の時点まで一切言い訳をしてない。おまえらのコメントの中には、さすがに度が過ぎてるのもいくつかあったと思うし、事実誤認とか妄想の飛躍とかもあったと思うけど、それでも言い訳をしなかった」
どうしてだ、と視線を向ける。
いつの間にか九条礼子も高笑いを辞めて河合を見つめていた。
「……その……なにを言われても仕方がないと思ってるからです。私がなにを言っても、視聴者の方が『こう思う』というのは変えられませんし、変えようとも思いません。こういうふうに言わないで欲しいとお願いするつもりもないです」
きっぱりと言い切る河合咲穂である。
少し申し訳なさそうではあるが、迷いはないように見えるし、潔さがある。本当にトールが知っているのと同一人物なのかと思いたくなる変化だ。
いや、ある意味では、同一人物ではないのだろう。
そういう変化に関しては、トールにも心当たりがあるし、当人が言った通りだ。心を入れておく器の形が変わってしまった、と。
そして――その器に心を入れたまま、生きていくしかない。
河合咲穂は、トールから視線を外さずに続けた。
「その上で、申し訳ないんですけど、一部の視聴者の言う通りに生きていくつもりもありません。あなたたちに従うと、私はどこかの物陰で申し訳なさそうに埃を食べて野垂れ死ぬことになります。そうしてろ、と思われても仕方ないとは思いますけど、そうするべきだとは思いません。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるが、要はおまえらの期待には応えない、ということだ。
もちろん――その『おまえら』は、視聴者のごく一部を指しているのであって、そうでない『おまえら』もいるのだけれど。
“まあ、確かに一部の視聴者の過激な意見に従う必要はないが”
“許してないのに仕事させる意味は判らんままだぞ”
「いや、まあ……俺だったら家族見捨てて逃げた俺自身のことを誰かに雑に許されても嬉しくねぇっつーか……今までが今までだから正直驚いたけど、河合さんがマジで言ってるんだから、マジで返すってだけ。軽々しく『許す』なんて言えねぇよ」
そもそも、許されたいわけではない、と河合咲穂は言ったのだ。
許してやるのが優しさだとは――トール個人としては、思わない。
“……まあ、そう言われたらなぁ”
“せいぜい真面目にやれよ冤罪クソ女”
“個人的にはトールニキにただ乗りして調子良すぎるだろと思わないでもないが、それをニキが許容してるのがなぁ……”
“見てらんねーから俺は二度と見ない。がっかりしたわ”
“二度と見ないくせに捨てゼリフだけは吐いて他人を不快にさせたいという欲望は見せつけていくの草”
“茶番じゃねぇか”
“俺たちはなににつき合わされたんだよ”
“カレー食いたい”
“ミカちゃん映してくれ”
「はいはいはい、ちょーっとごめんねぇ」
と、いつの間にか配信用カメラの後ろに回り込んでいたシェンナが、カメラの向きを変えた。携帯端末で配信画面を確認してみれば、猫獣人の自撮り、といった絵面になっている。とてもではないが探索者の配信画面じゃない。
“猫のねーちゃんだ”
“かーちゃんだろ”
“ミカちゃんを俺にくれないか?”
“むしろ俺をもらってくれないか”
「あははは。ノリいいね、あんたら。一応、アタシからも『ごめんね』しておこうと思ってさ。配信でやろうって言いだしたの、アタシだし」
からからと笑って言うので、特に謝っている感じはしないのだが、コメントを見る限り、シェンナに対して怒っている視聴者はいなさそうだ。
“そもそもなんでカレー食ってる絵面からこんなカオスになってんだ”
“猫のかーちゃんに言われてトールニキは配信することになったんだよな?”
「いや、さすがにアタシも、お嬢様の乱入は予想外だったけどさ。言ったかどうだか忘れちゃったけど、あんたらのコメントがなかったら、たぶんトールは雑に河合ちゃんのこと許して終わりだったと思うんだよね」
“???”
“一緒にりんごを買いに行って欲しいところまで理解した”
“なんもわからん”
“俺ら、猫のかーちゃんに利用された、ってこと?”
「人聞き悪いこと言わないでよ。あんたらはあんたらが思ったことをコメントしてたんでしょ? まあ、お嬢様が言うように、もしかしたらなにか思惑があるやつもいたかも知れないけど、大半は違うじゃん」
“それ、確認のしようがないから言ったもん勝ちじゃん”
“まあ俺らは無責任な視聴者様だからな”
「でも、意思を持った人間じゃん。あんたらのコメントはひとつひとつが、心の中から吐き出したもんでしょ。ただ、アタシは、あんたらよりも、河合ちゃんよりも、トールの方が大事だってこと」
にゃはは、とわざとらしく笑うシェンナ。
どうでもいいのだが、配信主であるトールよりもはるかに視聴者と会話をするのが上手い。さすがに夜職の人気者だけあって会話スキルが高いのだな、と妙なところに感心してしまう。
「つまりさぁ、受け入れるにしても拒絶するにしても、ちゃんと考えてやった方がいいと思ったんだよ。河合ちゃん、ある意味ではトールの同類でしょ? どうでもいいからって理由で門前払いしたら、後から気にしてたと思うんだよね」
“まあ、配信の序盤のトールニキは顔が死んでたからな”
“マジで無関心って顔してた。後でアーカイブ確認して切り抜くわ”
「アタシだって、別になんでもかんでも許せなんて思ってないよ。トールがよく考えてみたらやっぱ手伝いなんか要らないって言うならそれでいいと思ってたし。アタシも、ミカの父親のこと許す気ねーし」
“お、おう……”
“リアクション取りにくいんだが”
“大丈夫? りんご一緒に買いに行く?”
「んふっ。やっぱ、あんたら面白いよ。まあ今回ので嫌になったやつもいるだろうけど、そうじゃない人は、トールのこと見てやってよ。たぶん、あんたらに好き勝手言われてる方がいいと思うんだよね。クソみたいなところで頑固野郎だし、そうかと思えば意外に流されるからね、こいつは」
「……あのー……隣人相手に母性発揮すんの、やめてもらっていいすか?」
さすがに口を挟んだが、シェンナはそんなトールを一瞬だけちらりと見てから、まるっと無視した。あまりにもきれいなシカトだった。
「ってわけで、今回の配信を促した隣人から、トールの視聴者に『ごめんね』と、図々しいお願いでした。あと、ミカのことはあげません」
言って、シェンナは薄く笑いながら配信カメラの位置と向きを元に戻し、台所で丈一郎の手土産を食べているミカの元に戻った。
“ちっ”
“しゃーない。行き場のない父性はトールニキに向けるか”
“んで、どーすんだよ、ニキは”
「あー……そうだな、とりあえず母性と父性のことは忘れてくれ。そんで、ちょっと考えたんだけど、河合さんに条件が一個ある」
「ひとつと言わず、いくつでも」
「いや、一個でいい。とりあえず一ヶ月、俺の事務手続きの手伝いをしてもらう。九条さんが派遣するエージェントが、河合さんの仕事を監査監督するって話だけど……河合さんは自分の給料を自分で決めてくれ。もろもろ含めて納得できたら継続して仕事をお願いする。それでいいすか?」
「……はい。 誠心誠意、努めさせていただきます」
ぺこりと頭を下げる河合咲穂を眺めながら、頭を下げられるほど偉いやつでもないんだよなぁ、とトールは苦笑した。
“まあ、結局はこうなるか”
“ゆーて俺らはただの視聴者だからな”
“しゃーなしやぞ、トールニキ”
“ニキらしいっちゃ、ニキらしいのかも知れんな”
“ガチで怒ってるやついたけどなw”
「あー……っと、なんか、視聴者の人たちには、変なもん見せた気がする。まあいいかくらいのノリで配信したけど、おまえらの中の一部のやつらがごちゃごちゃ言ってきたおかげで、考えもまとまったわ。ありがとな。それと、期待に沿えなかったなら悪かった。まあ悪いなとは思うけどなんか直す気はねーんだけどさ。じゃあ、次は迷宮探索のときにでも、また配信するわ」
“おつニキ!”
“おつ~”
“また変なもん見せるんだろw”
“忘れてた。ティアたんかわいい”
“SNSで告知しろよな”
配信終了。
誰かの思惑の中で踊るトールは見たくない、なんて九条礼子は言っていたが、今回はシェンナの思惑の中で不細工に踊っていたような気がする。
嫌だったかと問われれば、そこまででもないと答えるしかないが――結局は、自分だけの意思で踊ることだって、それほど多くはないだろうな、と思った。
ちなみにというか、さすがに減るだろうと予想した『掃除記録』のチャンネル登録者数は、昼の時点から二万人以上も増えていた。
こんな意味の判らない配信をしたのになんでだよ、とトールは思ったが、もちろんどうしてなのかなど判るわけもなかった。
◇◇◇
「いやぁ、すごかったねぇ。ボクなんか途中から口挟めなかったよ」
白熱した試合の観戦でもしたような言い方をして、ティアがカレーの皿を持って来た。どうやら河合の食べかけを温め直したらしい。
「食事、途中だったでしょ。食べられるようだったら、食べちゃってよ」
「あ――はい。すみません、いただきます」
頷いてスプーンを受け取った河合だったが、小刻みに手が震えていて、まともにカレーライスを掬えていない。
「……なんか、今更になって……緊張が……すみません……」
「いやぁ、そりゃしょうがないんじゃない? 同接六万八千くらい行ってたし、コメントしてるやつらの三分の一くらいは河合ちゃんを罵ってたし。『現場ニキ』のときのことを考えれば、たぶんめっちゃ切り抜き動画が出回るよ」
他人事みたいな言い方をしながら、シェンナがミカを連れてテーブルの方へ戻って来る。手には菓子箱を持っていて、やはり丈一郎の手土産を食っていたようだ。
「『冤罪クソ女』っすか。これから大変っすねぇ」
と、こちらも他人事の感慨を述べながら執事の丈一郎がいつの間にか台所で淹れていたらしい紅茶をテーブルに乗せる。もちろんトールの家には縁のない高級そうなカップとソーサーだ。九条礼子が当然のようにカップの取っ手をつまみ、一口。
「はい。でも、手伝わせてくれるのですから……頑張ります」
「道端で石投げられたりして」
「それ、シェンナの責任じゃないの?」
意地悪く笑う母猫獣人に、聖剣使いが呆れたふうにツッコむ。
「元はといえばトールを見下して冤罪かけてたせいじゃん。石投げられたなら、石を投げて来るやつが悪いじゃん。ムカつくからって石投げていいわけないでしょ」
「あー……そういえば『お願い』って、なんすか?」
放っておくとどうでもいい話が続きそうだったので、優雅に茶を飲む九条礼子――ではなく、執事の丈一郎に問いを投げる。案の定というか、お嬢様は「どうして私に訊かないのですの!?」みたいな顔をしていたが、流しておく。
「あっ、実はですね、例のルガルドの件とかを当主に報告するんで、四十時間くらいお嬢を預かって欲しいんすよね。お嬢がマキナっとけば恩を売れると思って、突入させました。いずれにせよ、お願いはしたかったんすけどね。ついでなんで戻って来るときに河合さんの監視役も連れて来ますよ」
学校に携帯端末置きっぱなしにして来たから取りに戻る、くらいの言い方をする丈一郎である。
「……別に、ダチの頼みなら、ある程度は普通に聞くっすよ。そもそも今回の件がなくても、あんたらには感謝してるし」
「それを言うなら俺の方もっすよ。お嬢のダチになってくれるなんて。感動で涙ちょちょ切れるかと思いました」
主人に対する評価としてはひどいものだったが、当の九条礼子は照れたふうに頬を赤くしてニマニマと笑っているので、怒るところではないらしい。
「まあ、いいんすけど、なんで俺に預けようって思ったんすか? 二人で一緒に九条の当主……親父さんっすか? 一緒に帰ればいいと思うんすけど」
「そりゃあ、俺が知ってる限り――ニキさんの近くが、この世で最も安全な場所っすからね。一旦、預けておきますよ」
にやりと笑う執事に、笑みを返すべきか迷った。
結局トールは曖昧に肩を竦め、雑に嘆息しておく。
「ねえ、ねえ。サキホって呼べばいいのかな? 食べながらでいいけど、とりあえずなにをするつもりなのか訊いてもいい?」
冷蔵庫からコーヒー飲料を取り出してコップに注いでから、ティアがトールの隣に座ってそんなことを言った。意外にというか、コップはふたつ用意されていた。片方だけ中身が空ということもない。
「呼び方は、好きに呼んでいただいて構いません。まずやるべきことは、迷宮課でクラン設立の手続きをすることだと思います。探索者としての収入は、今は早坂さんの個人口座に支払われていると思いますが、クラン用の口座に探索者としての収入をまとめておいた方が処理が楽ですので」
「あー……そういえば車も欲しいんだよな。金あるし、明日は町に出るか。迷宮課って、市役所の迷宮課でいいんすよね?」
「クランって、パーティみたいなもの? その場合、ボクってどういう扱いになるのかな? クラン員になるってこと?」
「あ、えっと、市役所ですね。ティアさんの扱いは……その、聖剣に取り憑いている霊という話でしたので、早坂さんの持ち物扱いになる可能性が高いように思います。異議申し立てをすれば迷宮庁の方で審議をすることになるかと……」
「そうなの? じゃ、別にいいや」
「河合ちゃん、車で来てないでしょ。タクシー使うくらいならウチに泊まってく? ほら、配信で晒し者にしたお詫びも兼ねてさ」
軽いノリで言うシェンナに、河合は震える手でどうにか掬ったカレーを口に放り込み、よく咀嚼してから、頷いた。
「お詫びなんて要りませんけど……泊めていただけるのであれば、助かります」
「お嬢お嬢、魔法鞄に着替えとか入ってますよね? 一人で着替えできるっすか? ちゃんと歯ぁ磨いて、なんなら風呂も借りて、あんまでかい声を出さない。俺ぁ心配っすよ。友達の家にお泊まりなんて、初めてなんすから」
「わ、私としても、友達の家にお泊まりは……緊張しますわね」
いや俺の家に泊まる気かよ、と思ったが、それ以外ないかと思い直す。この執事がわざわざトールに九条礼子を預ける判断をしたのは、例のギルゲイルとかいう魔族を警戒してのことだろう。
アンセムのマネージャーは、おそらくギルゲイルに殺されかけた。
ティアが言うには、ギルゲイルという魔族はなにをするのか判らない。
やれやれと溜息を吐き、トールはなんとなく携帯端末を手に取り、いつの間にかメッセージを受信していたのに気づく。
発信元は知らないものだったが、メッセージは簡潔。
『相馬賢吾だ。佐渡山から連絡先を聞いた。気づいたら連絡をくれ』




