第四十七話
神楽坂千鶴は県道を歩いていた。
ホテルの自室で御堂アイリと一緒に九条礼子の配信を見終えた後、宣言通りにトール自身の配信チャンネルで迷宮探索配信が始まった。そのままトールの配信を見続けて――途中でアイリは昼食を取りに行ったり、あれこれ離席していたが――結局、地下十三階のボスを倒して配信が終了するまで、千鶴は画面の前から動けなかった。
早坂透は……自分たちの前では、あんなふうに楽しそうにしていなかった。
それも当然だ、千鶴たちはただ助けられ、協力を依頼し、共に迷宮を探索はしたけれど、その後の『迷宮暴走』では、やはり助けられてしまった。
金を払った以外で、自分たちはトールになにも与えられていないのだ。その金にしたって揉め事を起こしてから話が進んだようなもので、いい感情を抱かれているわけがない。おそらくだが探索の際の報酬も『迷宮暴走』鎮圧の報酬も、例の五つ首ヒドラ討伐の報酬だって未払いだろう。アクシデントがあったとはいえ、前回怒らせた反省をまるで生かしていないのだから、お笑い種だ。
九条礼子のようには、彼になにかを与えることが、できていない。
剣神に乞い、縋り、利用している……卑しい搾取者。
トールの配信が終わった瞬間には、千鶴は半ば衝動的にホテルを出てしまった。習慣になっているおかげか個人用の魔法鞄は持って来たが、普段着にしている探索装衣のままだと気づいたのは、通行人のぎょっとした視線に気づいてからだった。ほとんど肌着みたいな格好で歩いていたことになる。
――私はなにをやっているのだ。
魔法鞄の中から薄手の外套を取り出して羽織り、裸足だったので替えのコンバットブーツを履いておく。でも、なにかまともな思考ができたわけじゃない。
ふらふらと歩き続け、いつの間にか山沿いの県道を歩いていた。ここは何処だと訝るも、携帯端末を持って来ていない。
魔法鞄の中に入っているのは探索用の装備と非常食などだ。クラン用に使っている大容量の魔法鞄は御堂アイリが所持している。
……まあ、いいか。
投げ遣りな気分で、そのまま県道を歩く。朝の時点ではいい天気だった気もするのに、いつの間にか空は暗い雲に覆われており、そうかと思えば、ぽつぽつと雨が降り出した。なんだか気分の通りだな、と千鶴は濡れるに任せたまま笑ってしまう。
――そんなだからおまえは――。
神楽坂の家で蔑まれたのも、当然だろう。剣の才がなかった。戦いの才がなかった。姉にも、兄にも、妹にも、弟にも敵わなかった。
それが、中学の迷宮探索実習で、全てがひっくり返った。
神楽坂の剣では全く敵わなかったのに、魔力親和性が高すぎて、魔力による身体能力向上が凄すぎて、動作に魔力を乗せた際の威力が莫迦みたいで、あっという間に神楽坂の家の、ほとんど誰にも負けなくなった。
――卑怯者め――。
ああ、確かにその通りだ。半端な剣のまま、国の金で探索者養成学校に入った。仲間ができて、仲間と共に迷宮探索をして、強くなった気でいた。
けれども……結局は、こんなものだ。
家から逃げて『アンセム』の一員として活動するようになって、自分の命は『アンセム』のため、国民のために使うと決めた……つもりだった。
それが、剣神の剣技を見て、あっさり揺らいだ。
剣の極致が、高すぎる高みがあるのだと知って、そんなものはもう知らないと思っていたはずなのに、また登りたくなっている。その剣神には迷惑しかかけていないというのに、勝手に崇めて、憧れて、嫉妬まで。
……ああ、私は本当に卑怯者なのだな。
羨ましい。早坂透を笑わせることができる、九条礼子が。
そんなことを思ってしまう自分が――醜悪すぎて、嫌になる。
いつの間にか雨は本降りに変わって、頭のてっぺんから爪先まで等しくずぶ濡れになっているが、そのことにも気づかないまま、神楽坂千鶴は歩き続けた。
◇◇◇
運が良かったのか悪かったのか、単なる偶然か。
茫然自失として歩き続けていたはずなのに、その歩みはやはり探索者のそれで、気づけばかなりの距離を歩いていた。
山沿いの県道を進み、無意識のまま途中で道を折れ、山側へ歩を進めた結果、いつの間にやら変な場所に出ていた。
足元のアスファルトが散々に捲り上がり、土ごと抉られている場所もある。周囲の木々も、見ればなにか巨大なモノが暴れ回った後みたいに薙ぎ倒されており、建物がひとつ、完膚なきまでに倒壊している。
こつん、とブーツの爪先に当たったのは、建物の中にあったと思しき端末のキーボードの破片。民家ではなく、なにかの事務所……?
「あぁ――ここは、スガイダンジョンなのか」
みたいではなく、本当に巨大なモンスターが暴れ回った後の場所なのだ。
よく見れば千鶴が立っている場所から二十メートルくらい先に、何故か後部座席のドアが開いたままの軽自動車が停まっている。昨日、ホテルからカミオカダンジョンに移動する際に見た、早坂透の自家用車だ。
おそらくは『迷宮暴走』を止めるために、車が壊れるのを厭わず突っ込んだのだろう。彼がどれくらいの金銭を得て生活していたのかなど千鶴には知りようもないが、一般的には自家用車の全損など、笑って済ませられる額ではないはず。
これは絶対に賠償させねばならないな、と千鶴は反射的に思って、そんな己に自嘲してしまう。自分の金でもないくせに、なにが賠償させねば、だ。
「ははは……これでは、まるでストーカーだな、私は」
時間的には、そろそろトールたちがスガイダンジョンから出てきてもおかしくない。低階層になれば階段から階段まで、あっという間に踏破するはずだ。
「……合わせる顔が、ない……なぁ」
泣きそうだった。でも、その泣きそうだという気持ちすら身勝手なのが判って、ひどい自己嫌悪に陥ってしまう。
どうすればいいのだろう?
少なくとも、こんなところで雨に打たれるまま突っ立っている場合ではないことは判るが、じゃあさっさとホテルに戻って恵美たちを待とうという気にならない。
誰か、なにか、道を示して欲しい。
恵美ならなんて言うだろう。アイリなら。紗凪なら。あるいはイルセリアなら。菜々美なら。もしくは……そう、『先生』なら?
脳裏を過る仲間たち。きっと自分は彼女たちを失望させるだろう。
でも、これが神楽坂千鶴なのだ。
必死で取り繕って、国民のために命を使うと言い張っていた女の正体がこれだ。
「――『アンセム』の、神楽坂千鶴ですか……?」
ふと、声がした。
いつの間にやら千鶴はトールが乗り捨てた軽自動車の横まで進んでいて、全てがぐちゃぐちゃになった跡地の先に、スガイダンジョンの入口がぽっかりと空いているのが見える距離になった。
千鶴と、ダンジョン入口、そのちょうど間に。
ダークグレーのスーツの男が、立っていた。
降りしきる雨など知らぬとばかりに高級そうなスーツを濡らし、男にしてはやや長い黒髪をうっとうしそうにオールバックに流しているが、雨に濡れているせいでちらちらと乱れている。精悍な顔立ちだが、なにか違和感があった。
「……私を知っているのか。どちら様だろうか?」
アンセムなどというアイドル探索者クランに所属していると、相手は自分を知っているが自分は相手を知らない、という状況はよくあることだ。
しかしダークグレーのスーツの男は『アンセムのメンバー』と偶然出会って嬉しい、という雰囲気がなかった。むしろどうしてこんなところにいるのだ、という当惑があるような気がする。そしてそれは、千鶴の方こそ持つべき疑問だ。
ここは昨日の夜に『迷宮暴走』が起きた場所だ。
スガイダンジョンの安全が確認されていないから、一般作業者が破壊跡の片付けに入って来ていない。九条礼子はコネクションを利用して調査名目でスガイダンジョンに入ったようだが――では、この男は?
「S市迷宮課の者です。『暴走』後の様子を確認しに来たのですが……」
「身分を示せるものはあるだろうか」
どうしてか男の言動に真実味をまるで感じず、千鶴は先程までの憔悴や忘我などそれこそ忘れて、己の内側に芽生えた警戒心に従い、男に近づいていく。
「いえ、すぐに示せるものは……申し訳ない」
「この雨の中、傘も差さず、一人で『暴走』後の状況を確認? 私に言えた科白ではないが、まさか役人が徒歩で調査に来るわけもあるまい。調査に来たのにカメラを持っていないのは何故だ? そもそも仕事中なのに身分を示せないのはおかしい」
「…………」
二歩、三歩、四歩。
近づくたびに男の表情が歪んでいく。同時に、男から洩れ出す魔力を明確に感じ、千鶴は魔法鞄から刀を取りつけたままのベルトを取り出し、外套の上からがちゃりとバックルを嵌めた。
何度も繰り返した動作だ、目を瞑っていたって装着できる。
「――何者だ、貴様」
「ちっ! 妙に勘のいい小娘だな。一応言っておくが、別に貴様らの敵じゃない。なにか痕跡が残っていないかと思って調べに来たが……なんだってアンセムの探索者がスガイダンジョンの入口に来てるんだ、徒歩で」
丁寧ぶった態度をやめたスーツの男は、雨で乱れた黒髪を手で撫で付け、またオールバックに整え直した。
既に腰の刀に手を伸ばしている千鶴を相手に、恐れる様子がない。
「それは乙女の秘密だ。繰り返すぞ、貴様は何者だ?」
「だったらこっちは企業秘密だ。見逃してやるから踏み込んで来んな、小娘」
「そこまで露骨に怪しいやつを、ああそうですかと見逃すわけにはいかない。そうか、もう少しすれば九条の娘とトール様が戻って来る、か。携帯端末を忘れてしまったのが気がかりだったが、貴様を取り押さえておけば九条の娘……いや、執事の方に各所へ連絡させればいいか。最後通告になるが、所属と目的を話す気はあるか?」
「所属は、悪の秘密結社。目的は、世界平和」
べぇ、と舌を出して笑う男に、千鶴も笑みを返し――踏み込んで、抜刀。
――否、抜刀できない。
瞬時に距離を詰めてきた男が、刀の柄頭を抑えていたからだ。してやったりと笑う男に構わず、千鶴はゆるりと力を抜き、拮抗を解消する。抜刀を阻むために力を入れていた男の手が、千鶴の刀ごと身体を押し込む形に。
旋回して――肩口からの体当たり。
古流剣術にはこのような技術が当然のように存在しており、神楽坂家では落ちこぼれだった千鶴とて、この程度の芸当なら可能だ。
交通事故にでも遭ったかのように吹っ飛んでいく男から視線を切らず、今度こそ腰の刀を抜く。鞘に溜めた魔力を爆発させ、抜刀の速度と威力を高め、副次的に魔力の斬撃を飛ばす技だ。
空中を吹っ飛んでいる最中の男に、魔力の斬撃が襲いかかる。
が、男は吹っ飛ばされながら器用に身体を回転させ、魔力の斬撃を下から叩き上げるようにして逸らした。素手で、だ。
「おっかねぇ女だな。防御できなかったら真っ二つになってたぞ」
とんっ、と軽く着地してぼやくスーツの男。
千鶴は刀の柄を両手で握り、腰を落として切っ先を後方へ流す。
「貴様の魔力防御であれば致命には至らない程度の攻撃だったはずだ。何者かは判らぬが、少なくともB級上位よりも上の探索者か」
「言ったろ、悪の秘密結社に所属してるって。だったら正体は怪人に決まってらぁ」
へらへらと余裕たっぷりに笑う自称『怪人』に、しかし千鶴はわざわざ斬り込んだりしなかった。
逃げるなら飛翔斬撃を放つし、向こうから来るようなら迎え撃つだけ。
半身を無防備にさらしたこの構えは、千鶴にとっては奇襲の予備動作であり、カウンターの戦型だ。
「……なんだ、来ないのか? だが逃がしてくれる気はなさそうだな。じゃあ乗ってやんよ。見せてくれや、最年少A級探索者の力ってやつを」
ゆるりと腕を持ち上げ、オールバックに撫でつけていた黒髪を、わしゃわしゃと掻き乱す。同時に、男から感じる魔力の圧が、明確に上がっていく。
ガスコンロの火力調整をちょっといじっただけ、そんなような気軽さで、B級上位だったのがA級中位……いや、下手をすればA級上位に匹敵する魔力圧に。
――ぞわり、と。
全身の毛穴が痺れるような悪寒。
何故なら男の肌が薄紫色に変わり、つり目気味の瞳が……蒼に染まっていた。
「ばーか」
失望ともとれる、つまらなそうな声が、すぐ傍で。
瞬きをする間もないほど瞬間的な接近。脇構えにして後ろに刀を流していたせいで、迎撃が間に合わない。敵の初動に合わせてこちらが対応せねばカウンターなど取れるわけもないのだ。
「ふっ――!」
瞬間的な判断で刀から手を離し、熊が獲物を引き裂くかのような男の『爪撃』を、威力が乗り切る前に手首を叩いて逸らすことに成功する。ちょうど先程の、抜刀を防がれたのと逆の形……と言ってしまうには、かなり不格好だが。
無論、逸らしただけでは終わらない。相手の力の流動を利用し、足捌きと体捌きを合わせて、合気の要領で男をぶん投げる。腕を掴まなかったのは間違いなく振りほどかれるから――と言いたいところだが、余裕がなくて掴めなかっただけだ。
「おお――っ!?」
頭から地面に叩きつけられる寸前、男は逆の手で地面をぶん殴ることで反作用を無理矢理に生み出し、転倒を回避する。
一歩動いてしまった千鶴は、一歩戻って地面に落ちる寸前の刀をキャッチする。同時にフィギュアスケートの選手みたいに身体を反らし、背中と地面が平行になる角度で男の蹴りを回避した。だが回避動作が大きすぎて、敵にターンを渡してしまう。
ばごんっ、と踵落とし。
回し蹴りを回避したと思ったら上から踵が来た。が、先の『爪』よりもマシだと判断して腹に受ける。どうしようもなく背中から地面に叩きつけられるが、A級探索者くらいの強度になると砂利だろうがコンクリートだろうが体操のマットと同じようなものだ。たぶん、水面に叩きつけられる方がまずい。
背中と地面が接触した瞬間には、千鶴は刀を振っていた。どんな型でもない不細工な振りだが、魔力だけは込めている。男が回避を選ぶのは当然。
一足跳びで十メートルほど距離を離し、薄紫の男が笑った。いや、笑おうとした。その笑みが歪んだのは、何故か。
地面から無数の巨大な棘が隆起して、男を取り囲んだからだ。
ゾバンッ、ゾバンッ、と奇怪な音を立てながら白樺の樹みたいな太さの『石棘』が地面から突き立ち、薄紫の男がそれを回避するが――棘が多すぎるし速すぎる。回避方向を上空へ選んだのが災いし、あっという間に『石棘』に囲まれ、『石の蕾』とでもいうような囲いの中に、閉じ込められた。
そして――背後から強烈な魔力圧。
瞬時に立ち上がり、ほとんど無意識に刀を鞘に収めて魔力を蓄えながら、千鶴はそちらを見る。スガイダンジョンの入口とは反対側。
革ジャンとハンチング帽の男。
ひどく陰気な長い黒髪の女。
知っている人物だった。別に親しい間柄ではないが。
「こんな雨の中、なにをやっている神楽坂千鶴。今頃はノウミダンジョンの探索を始めているものだと思っていたが……スガイダンジョンから洩れた魔物というわけでもなさそうだな。なにと戦っていた?」
「……『狩人』の相馬賢吾殿……それに『天秤』の舞阪理沙……か。二人とも、この町に来ていたのですか」
名を呼ばれた相馬は、ファストフード店のものらしきプラスチックカップを左手に持ち、ストローで中身をずずずと啜りながら、右手の人差し指でハンチング帽のつばをそっと撫でた。
一体なにがどうしてこうなっているのか、千鶴の脳内に無数の疑問符が浮かび上がるも、当然ながらなにひとつとして明瞭な解は得られない。
どうしたものかと巨棘に覆われている薄紫の男へ振り返り――振り返ってしまったおかげで、スガイダンジョンの入口に戻って来た一行に、気づいてしまう。
九条礼子。執事の柏崎丈一郎。
聖剣霊ティア。
早坂透。
「――あっ、魔族だ」
と、ティアが言った。空を見上げて飛行機雲を指差す子供みたいに。




