第四十五話
「……何故、九条の令嬢が、例の掃除屋と配信を……?」
ハンチング帽のつばを指先でなぞりながら言う相馬賢吾だったが、先程までの圧倒的強者感がほんのわずかに崩れたのを、河合咲穂は感じた。
なんというか――たぶん、普通に驚いている。
そりゃあそうだろう、なんだって『迷宮暴走』が起きてそれを鎮圧した翌日に、鎮圧した当人が鎮圧した迷宮に九条財閥の令嬢と一緒に探索配信なんかしているのだ。咲穂にだって意味不明だし、おそらく誰にとっても意味不明だ。
「あのぅ、もの知らずで申し訳ないんだけど、九条のお嬢様ってのは……?」
おずおずと挙手する佐渡山である。
なんで元A級探索者だったくせに九条財閥の令嬢を知らないんだよ、と咲穂はそれこそ驚いてしまうが、それはそれで佐渡山らしいな、とも思った。
彼はどういう探索者だったのだろう?
アンセムのマネージャーの一人である浜松菜々美とは同じ探索者クランで活動していたようだが、もちろん彼らの過去など咲穂は知らない。
「先輩……その話、現役のときに何回もしてるはずですよ。探索者装備のメーカーでナインラインってあるでしょ。あれの大元が九条財閥で、早坂さんと探索配信をしてるのが、そこの御令嬢ですよ」
「へぇ。なんだってそんなお嬢様が、早坂くんと配信を?」
「知るわけないじゃないですか。イルセリア、貴女は今朝まで早坂さんの自宅にいたのですよね? 九条のご令嬢と連絡を取っていたとかは……?」
「いいえ、その素振りはなかったわ」
「シロ」
「うるっさいわね根暗女。他人の発言にいちいち白黒判定するんじゃないわよ。その薄暗い眉間、ぶち抜くわよ」
半ギレでいうイルセリアである。アンセムファンの咲穂としては、生でイルセリアの怒声を聞けたのは嬉しかったが、それはそれとして、かなり本気で怖かった。
というか、さらっとイルセリアが早坂透の家に泊まったようなことを浜松が言っていたが……なんだってあの険悪さでお泊まりする流れになるのだろう。考えてみたが全く判らなかったので、咲穂は考えるのをすぐに止めた。
怒気をぶつけられた根暗女――舞阪理沙は、怯える素振りなどまるで見せず、軽く肩を竦めて携帯端末を見せつけるようにした。
「どうやらスガイダンジョンは変異しているようね。出現するモンスターの種類が刷新されている。そろそろ十三階……うん? 十三階は迷宮構造も変異しているみたい。おそらくボス部屋ね」
「ふむ。確認してみるか」
「配信サイトのトップトレンドになってるから、すぐ判るわよ」
「メグミ、配信つけなさい」
「いいけど、自分の端末で見ればいいじゃない」
「コメントしたくなったらS級探索者のイルセリアのコメントだってバレるでしょ。メグミのアカウントなら問題ないわ」
「コメントしないからね。迷惑になるかも知れないし」
「あっ、河合ちゃん。俺も配信見たい。端末見せてよ」
各々が自分の携帯端末で早坂透の配信をチェックし始める……というか、よくもまあ笹森武を拘束している地下室で呑気に探索配信を視聴するつもりになれるな、と思いつつ、咲穂も自分の携帯端末を操作して動画配信サイトに接続した。
すぐに『掃除記録』チャンネルのライブ配信が見つかる。
〈では、行きますわよ!〉
という九条礼子の声と共に、扉が開かれる。迷宮探索配信ではよく見る、広いだけの空間。おそらくはボス部屋。
咲穂の予想通り、空間の中央へ近づいていけば、配信カメラにもボスの姿が映し出された。まだ『接敵』と判断されていないのか動いていないが――どうやら悪魔型のボスのようだ。配信のコメントではA級中位とのことらしい。
〈――一緒に踊りましょう?〉
とびっきりの微笑と共に早坂透を誘う九条礼子には、アンセム贔屓の咲穂でさえ肯定せざるを得ない美しさがあった。
◇◇◇
「十三階で迷宮構造に変化、ボス部屋でA級中位の悪魔型か。既存の最下層は十六階だったな? 仮に階層が同じだとしても、この魔物の分布を考えれば、ほぼ間違いなくS級ダンジョンに変異している。ノウミダンジョンも怪しいものだな」
相馬が言って、配信が終わり『次のオススメ動画』を表示してくる配信サイトを閉じ、携帯端末を革ジャンの内ポケットに放り込んでから、何故かついでみたいに笹森武の脛を革靴の爪先で蹴った。
「ぐぁっ!」
「おい、煩いぞ。学習が足りないか?」
理不尽極まる言い様に、しかし笹森は抗弁しない。それはまあ、そうだろう。口振りからして元A級の佐渡山浩二よりも強そうな男が明確に害意を向けて来るのだ、笹森議員に許されているのは、被害を最小限に抑えることだけ。
そういう振る舞いは、どうやら『アンセム』のリーダーである斉藤恵美にとっては不快であるようだが、彼女の口から「そういうのはやめろ」みたいな科白は出て来なかった。自分の快不快なんて、今はどうでもいいと思っているのだろう。
「イルセリア、どうしますか? 危険度を考えるとノウミダンジョンの探索はやめておく、というのも考えのひとつではありますが……」
「莫迦ね、ナナミ。ノウミダンジョンがどうなってるかは潜ってみないと判らないけれど、同じような変異が訪れているとすれば、はっきり言って美味しい狩り場よ」
浜松菜々美の慎重な意見も理解できるし、イルセリアの探索者的な意見もまた一定の理はある。運がよければ現在のアンセムにとってちょうどいい魔物を狩れる迷宮、ということになる。
「……何階の時点であっても、ボス部屋の兆候があれば引き返すこと。それが約束できるのであれば、探索を許可します」
「まあいいわ。メグミもそれでいいわね?」
「ん……まあ、そうよね。ちょうどいい迷宮なんて、今の私たちには僥倖かも知れない。A級になって、こんなに無力だと思ったの、初めてだもん」
苦笑を洩らす恵美だが、咲穂が見た限り、彼女の意思はまだ折れていないように見えた。もちろん強がりはいくらかあるのだろうが、それでも彼女はA級クラン『アンセム』のリーダーとして、退かないことを選んだ。
怖いはずだ。恐ろしいに決まっている。ここ数日で何度のアクシデントに出会したというのか。それでも、恐れながら、歩を進めるのを止めない。
だから咲穂は彼女たちが好きなのだ。
配信に映る彼女たちはいつだって自分たちの義務に誠実だった。視聴者たちに笑顔を見せ、一般大衆に希望を見せてくれた。
世界はこんなことになっているけれど――彼女たちみたいな探索者がいる。
だから、みんなは、みんなができる範囲で社会を支えてね。
もちろん直接的にアンセムのメンバーがそんなふうに言ったわけじゃない。つい昨日までの咲穂は、そういう言外の意図は言語化しようとも思わなかった。
今は、ちょっと判る。
私もまた、この世に幾ばくかの『善いこと』を蒔くべきなのだ。
本当に今更の話だけれど。
「掃除屋と九条の令嬢は引き上げると言っていたな。舞阪、俺たちはスガイダンジョンに向かうぞ。入り口で待ち構えていれば掃除屋に会える。佐渡山はどうする?」
「一旦家に帰って風呂入って寝ますよ。それから、着替えて空港に向かいます。アンセムの『先生』と、呼んでおいたS級クランが来るでしょ。一応、お迎えしておきます。市長や知事やら議員やらの相手を『先生』にお任せしますしね」
「そうか。浜松はそこのゴミを引き取ってホテルに軟禁しておくか、ここで監視してろ。自称内閣情報調査室の男か、もしくはその関係者が、ゴミを殺しに来るかも知れん。せいぜい気をつけろ」
「いや、それ、ホテルに戻れないですよ。ええっと……恵美とイルセリア、ごめんだけど、後で差し入れ持って来てくれる? ノウミダンジョンに潜るのは、その後で。訓練だと思って、階層進めるよりなるべく魔物退治優先でね」
「嫌よ面倒くさい。これでも食べてなさい」
ちょっと申し訳なさそうな顔をする浜松菜々美の頼みをイルセリアは無情に断り、身に着けている魔法鞄から缶詰やらペットボトルやらを取り出してぽいぽいと菜々美に投げつけた。
「車は乗って行くわよ。準備ができたらすぐノウミダンジョンに潜る。メグミはアイリに電話して、チヅルと一緒に準備させておきなさい」
「えぇ……車、持ってっちゃうの?」
「トールの見定めが終わったら根暗女にそこのゴミと一緒に回収してもらえばいいじゃない。ダンジョンに潜るわけでもないのだから、それくらい我慢しなさい」
「……運転するの、私なんだけどね。じゃあ菜々美さん、気をつけて」
「恵美たちもね。絶対に無理はしないで」
ということで、イルセリアと恵美が地下室から去って行く。恵美の方は入口付近に立っている咲穂とすれ違うときにぺこりと頭を下げてくれたが、エルフの方からは完全に無視されてしまった。
咲穂としては、すれ違い様に思いっきり息を吸ったのがバレてなければいいな、と思った。さすがにキモすぎる。自覚はあるが我慢できなかった。
「では、俺たちも行くぞ。せいぜい二時間も待てばダンジョンから出てくるだろう。途中でハンバーガーを買って行くとしよう。シェイクも欲しい。クーポンがあったはずだから、舞阪にも奢ってやろう」
ハンチング帽はもう触らず、ジーンズのポケットに手を突っ込んでこちら側へ歩きながら、相馬が言う。そんな強面でかわいいことを言わないで欲しかったが、もちろん咲穂の願いなど叶わなかったし、すれ違う際も普通に無視された。
「それじゃ、後でまた来る。佐渡山も、また会おう」
入口のドアを挟んで反対側に立っていた陰気女が言って、佐渡山はものすごく嫌そうな顔をした。
「……あんたとは会いたくないんですがねぇ」
「クロ。貴方は私とまた会いたいと思っている」
にやり、と陰気な笑みを見せ、舞阪理沙はそれ以上のことはなにも言わず、もちろん咲穂のことは無視し、相馬の後を追って地下室から出て行く。
「……また会いたいんですか?」
「あんなもん、言ったもん勝ちでしょうが。あいつが嘘吐いてても判んないんだから。それより河合ちゃん、早坂くんの連絡先は知ってる?」
「いえ。迷宮支所の端末には連絡先が登録されてましたけど」
「じゃあ端末出して。教えてあげるよ」
優しげな苦笑、という曖昧な表情を浮かべた佐渡山に、不意を打たれたような気持ちになる。痛いところを突かれたというか……咲穂の気持ちの変化を、もしかすると咲穂自身よりも正確に把握していたのかも知れない。
「……お願いします」
余計なことは言わずに携帯端末を取り出し、早坂透の番号を教えてもらう。数字の並び自体は見たことがあるけれど、正確に記憶しているわけではないので助かった。いや、まあ、本来は当人の許可なくこうして連絡先を教えてもらうのはダメなのだけれど、たぶん早坂は怒らないだろう。
怒らないというか……どうでもいいと思われるだけ。
当然だ。それで済ませてくれるのがありがたいと考えるべきだろう。今更、どの面を下げて早坂透と話をすればいいのかなんて判らない。
判らないが――河合咲穂は、この面を下げて歩くしかないのだ。
なんで私は、もっとちゃんと生きていなかったんだろう……そんなふうに思うのは、ちゃんと生きていなかったからだ。
まともに生きている人たちは、そんなことを思ったりしない。
「じゃあ、ちょっと通話してきます」
言って、佐渡山と浜松菜々美と拘束されている笹森議員を残し、咲穂も地下室を出て、階段を上がった。




