66話 激闘のその後
激闘の余韻は、波のようにずっと押し寄せ続ける。
楓も生観戦した日本シリーズの第七戦は、試合後から反響が鳴り止まず、しばらく世間はその話題で持ちきりだったように思う。
近年の日本プロ野球が、ここまで世間の話題の中心になることなど、滅多にない。
それだけあの日本シリーズは見どころだらけで、見る人の心に刻まれる名場面が多かった。
その日本シリーズの中心に居続け、最後を締めたのも陽翔だった。
楓にとっては、陽翔が世間に話題の中心になることはもちろん誇らしく、嬉しいことだけど、少し寂しい気持ちもある。
日本シリーズが終わった直後は数日休めたみたいで、楓とも会ってくれる時間があったが、ここ最近は取材などで忙しそうだ。
しかも6日後に行われる日本代表と台湾代表の親善試合メンバーにも選ばれたから、その調整もある。
シーズン、日本シリーズの疲労を抜けないまま、代表に合流しなくちゃいけない。
大変そうではあるが、陽翔本人は、疲労を感じさせず、とても充実しているように見える。
むしろ去年一年、ずっと二軍で試合に出続け、秋もフェニックスリーグで、冬も台湾ウインターリーグでプレーしながら、ずっと体づくりのトレーニングをしていた時のほうがきついと言って、笑っていた。
◇◇◇◇
ここ数日、日本シリーズの余韻に浸る野球に大きなニュースが何個も走った。
その中でも、ウォーリアーズに関して大きな二つニュースは、スキャンダラスな側面があり、世間に大きな波紋を呼んだ。
日本シリーズの話題が試合終了後も衰えず、むしろ勢いを増していった理由として、その二つのニュースが、世間に大きな反響を生んだこともある。
一つは、楓の父であり、ウォーリアーズの監督だった森田潤二の退任が発表されたことだった。
発表はされたのは、日本シリーズの翌日だった。
表向きは、日本シリーズ敗退の責任をとっての辞任ということだが、セリーグを圧倒的な成績で優勝し、あと一歩で日本一までいった監督が、成績が原因で辞任するはずはない。
もう一つのニュースにて明らかになるが、日本シリーズ前に父の退任は決まっていたらしい。
楓の印象では、ウォーリアーズの主力選手のプレーと、父の采配にどこか齟齬があったように思う。
推測だが、おそらく一部の選手は、父の退任を知っていた、察していたからこそ、自分たちの思うようにプレーしていたのだろう。
もう監督の意向に背いても、何も問題はない。
それぐらい父のチームでの求心力は失われていた。
陽翔との確執が、ウォーリアーズにとってかなり尾を引いていたのは間違いない。
もう一つはかなりのスキャンダルとなり、今もテレビ、ネット、媒体を問わず燃え続けている。
ウォーリアーズのGMことゼネラルマネージャーの向山が、日本シリーズ第六戦前に敵であるはずの陽翔と会話した音声が、週刊誌経由で流出したのだ。
会話の内容は、楓はもちろん、誰もが不快に思うものだった。
なんでも、もう一度ウォーリアーズでプレーしないか、という向山から陽翔への口説きから始まり、森田監督の退任は決まっている、君もあの監督の下ではプレーしたくないだろう、というほとんど向山が喋っている内容だった。
ずっと上から目線で、どこかGMは過去にウォーリアーズが陽翔を放出した件には無関係です、という態度だった。
これにはプロ野球ファンだけでなく、世間を巻き込んだ大炎上となった。
ワイドショーでは繰り返しこの音声が流され、陽翔が干された経緯、ウォーリアーズから放出されたときの話も、再度掘り返されることとなった。
このせいで、父の退任の話も大きくなったし、陽翔の日本シリーズの活躍もさらにクローズアップされることとなった。
中でも一番怒っているのはウォーリアーズファンだった。
向山の解任を求める署名は連日増え、留まることを知らない。
もう向山の解任以外では、この騒動は収まらないように思う。
ウォーリアーズファンの父への怒りも、向山の炎上のおかげで薄まりつつあるが、あの日本シリーズの名試合が、こういった形で汚されるのは残念だ。
冷静になって考えてみると、誰があの音声を流出させたのだろうと楓は思う。
音声だけを聞いていると、その場にいたのは、陽翔と向山だけだ。
陽翔が向山の来訪を想定して、録音態勢を整えていたわけはないし、そもそも陽翔は練習中だったみたいなのでありえない。
そうすると、第三者があの音声を録音し、流出させた可能性がある。
向山について、ウォーリアーズファンからの評価は高くない。
伝統的にウォーリアーズは圧倒的な資金力とその名声により、FAで他球団の有力選手を獲得することでチームの強さを維持してきた。
少なからずそのチーム作りは、強奪球団と呼ばれ、他球団ファンからの顰蹙を買ってきた。
昨今は、国内の有力選手がメジャーに行くようになった。
また福岡シーホークスが国内有数の大企業を親会社に持ったこともありウォーリアーズの資金力によるアドバンテージも少なくなってきた。
また、昔はプロ野球といえばウォーリアーズしかテレビ中継がなかったこともあり、多くの選手にとってウォーリアーズでプレーすることに価値を見出せたが、現代では決してそうではない。
これらの点から、FAによる有力選手乱獲前提のチーム作りは難しくなってきている。
その中でもウォーリアーズが伝統的な強さを維持し、王朝を築けているのは、坂根や阿田などの生え抜き選手の活躍があるからだ。
それでも向山GMは、現代においてもFAによる選手獲得を熱心に行っている。
しかし、大物はメジャー球団やシーホークスとの獲得競争に負けた結果、微妙な実績の選手しか獲得できず、実際、その後の成績も伴っていないことも多い。
その最たる例が、陽翔の人的補償によるカウボーイズ移籍のきっかけとなった、カウボーイズからFAで獲得した宮本秀高だろう。
宮本の成績は振るわず、単年一億円以上での複数年の契約には、まったく見合っていない。
こうした現状から、ウォーリアーズファンからの向山への評価は低い。
今回の騒動も、向山の解任が避けられないということだけは、ファンには歓迎されている側面もある。
楓は、もしかしたらあの音声は、ウォーリアーズ側の誰かの策略によって流出させられたのではと思っている。
陽翔に少しだけあの音声の出所を知っているか聞いてみたら、陽翔は明らかに何かを隠してそうな感じで、「し、知らないよ」と言っていた。
「ただいまー」
日本シリーズ、楓は久しぶりに実家に帰った。
家には誰一人いなくて、愛犬のポージーしか歓迎してくれなかった。
日本シリーズで劇的な敗北を喫し、退任を発表され、今や世間の時の人である父と、その妻である母がどのように過ごしているか心配だった。
何度も母には電話とメッセージを送っていて、元気そうではあるが、やっぱり顔を見ないと安心できない。
日本シリーズから数日たち、楓はようやく実家に帰ってくることができた。
誰もいない家は静まり返っていた。
とりあえず二人が帰ってくるのを待とうと、ソファに寝転ぶと、スマホで動画サイトを開く。
お気に入りの動画群から、陽翔がオープン戦から日本シリーズまで、今年打ったホームランを全部集めた動画を再生する。
投稿されて2日ぐらいだけど、もう100万回再生をされている。
そのうちの100回以上は楓が再生している。
「ここで翔けろ 陽ひの溢れる世界へ。快足飛ばして駆け抜けろ 燃えろ陽翔」
楓は一人で歌う。
ああ、何回見たって良い。
どれも見たことあるホームランだけど、何度見ても味がするし、新しい発見もある。
特に陽翔が本塁打王を確定させ、リーグ優勝を果たしたシーズン最終戦のホームランと、つい最近の日本シリーズ第七戦のホームランは、見ているだけでにやけちゃう。
「あら、帰ってたの?」
「う、うわぁ!」
動画は大音量、頭は画面の中の人間に夢中。
楓は母が帰宅していることに気づかなかった。
大急ぎで動画を止めた。
「お、お帰り……!」
「ど、どうしたの? そんなに慌てて」
「な、何でもない」
五十嵐陽翔は、母にとっては憎き存在なのかもしれない。
彼との騒動のせいで、父は日本中から叩かれている。
そんな母の前で、陽翔の動画を見ている姿を見られるわけにはいかない。
母は「ふーん」と言って、買い物に行ってきたのか、買い物袋の中の食材たちを冷蔵庫にしまい始めた。
「楓は日本シリーズの七戦目、見に行ったんでしょ」
「う、うん。いい試合で見れてよかったけど、残念だったね」
「そうね。やっぱ五十嵐陽翔がねえ」
そういうと、母はなぜか、楓の顔色を伺うかのようにこちらを見てきた。
楓は無表情に務めた。
「楓は第七戦見にいったんでしょう? どちらを応援したの?」
「えっ、それはもちろんウォーリアーズ……」
楓はなぜ、母がそのようなことを聞くのかと思い、ある考えが過った。
「本当に?」
そう言う、母の顔には、ニヤニヤとも形容できるような笑みがあって、楓の疑念は、確信に変わった。
だから、全部隠し切れない、すべて言った方が良いと思った。
「カウボーイズ」
「なんで?」
「陽翔と、五十嵐陽翔と付き合ってるから」
「やっぱり」
「や、やっぱり……!? なんで?」
特にばれるようなことをした覚えはないし、何も悟られないよう、言葉には気をつけてきた。
「母親の勘」
「……なるほど」
「私と話しているときも、野球のニュースも見ているときも、あの人の名前を聞くたびに、目を輝かしていたから」
「……」
楓はなんだか恥ずかしくなった。
「いつから付き合ってるの」
「付き合ったのは最近」
「なんで知り合ったの? どうやって?」
根掘り葉掘り聞いてくる母は、まるで友達のようで、見たことのない母の姿だと思った。
「私がごり押しで会ったの。ごり押しで仲良くなった」
「それはどうして?」
「勘で、そうした方が正解だと思ったから」
「へえ」
「ママは、怒らないの? 陽翔は、パパと、ウォーリアーズの敵みたいなものでしょ?」
母は、楓の言葉を聞くと、ふふ、と笑って、
「そんなわけないでしょ。ただ嬉しくて」
楓が「嬉しい?」と聞き返すと、
「やっぱ、私と似てるなあって。私とパパの馴れ初めもそんな感じで」
「そ、そうなんだ……」
楓にとっては、嬉しいような、恥ずかしいような母の言葉だった。
「でも、彼は今、日本で一番モテるだろうし。それに野球選手と結婚ってなったらねえ」
野球選手である父と結婚し、女優を引退した母の言葉は、
「付き合って全然経ってないから未来のことはわからないけど、私は何かも諦めたくない。日本一の女優になりたい」
「そっか」
そこでガチャリと扉が開いて、誰かが帰ってきた。
母と楓が家にいるなか、もうこの家に帰ってくるのは、一人しかいない。
「おかえりなさい」
「お、おかえり……」
母と楓が順に言うと、父は「ああ」とうなずいた。
◇◇◇◇
「今日は大阪行ってくる」
「さっき帰ってきたばっかなのに……どうして?」
「人と会う約束してるんだ」
「え? 誰に?」
母は食い気味に聞く。
プロ野球の監督にしてはあまり交友関係が広いといえない父が、人に会いに大阪まで?
さすがに怪しすぎると楓は思った。
「大黒監督」
母と楓も、その人物の名を聞いて納得してしまった。
出不精の父でも、大黒監督に呼ばれれば、大阪にだって行く。
お互いに監督として日本シリーズを戦った大黒監督と父は、何を話すというのだろう。
「あ、長い間監督お疲れ様。ゆっくり休んでね」
楓が思い出したかのように言うと、
「解任させられた監督に、それは煽っているのか?」
と返ってきて、めんどくさ、と思った。
「辞任でしょ」
「表向きはな」
「日本シリーズに負けたぐらいで解任なんてありえないよね。やっぱり五十嵐陽翔の件?」
「知らん」
「見る目がなかったから解任された?」
「かもな」
父は背を向けてどこかに行こうとしたが、楓は構わず続けた。
ずっと心の中に籠っていた言葉たちが、勝手にあふれ出る。
「違うでしょ。人の才能を信じる、信じないのは勝手だけど。だからって、人の可能性を閉ざして良いわけない。選手には、パパが――監督が思うような選手にならない権利がある!」
父は何かを言いかけたように見えたが、何も言わなかった。
楓は言う。
「これからどうするの?」
「さあな」
父はこちらを振り返ることなく、自室に向かった。
楓は母とともにリビングに残された。
「もう……」
娘に対し、母は呆れた顔でため息をついた。
「みんなを代表して言った。誰かが言ってあげないとダメじゃない?」
「……まあ、少し私もすっきりしたけど。これで、パパも変わってくれたらいいけどね」
「うん。そうだね」
家族にとっては、父と陽翔のことは、案の定の出来事だった。
だから母も、楓のことを止めなかっただろう。
「彼のことも、パパに言うの?」
「え、それは……」
父と口喧嘩する度胸はあるが、それを言うことはなんだか憚れた。
「早いうちに言った方が良いと思うけどなあ」
「う、うん……」
◇◇◇◇
森田潤二の頭の中では、“見る目がなかった”という娘の言葉が何度も反芻していた。
新幹線で、東京から大阪に向かう。
新大阪駅に降りると、タクシーで近くのホテルに向かい、チェックインを済ませる。
大阪で一泊し、明日朝には東京に帰る。
目的は一つ、かつて森田が選手として彼の下でプレーし、つい先日まで日本シリーズで監督として相対した、大黒監督と会うためだった。
日本シリーズが終わった翌日、森田の携帯に大黒から電話がかかってきた。
久しぶりに話をしよう、と。
しかも場所は、大阪を指定してきた。
平常時の森田であれば、断る誘いであったように思う。
今更、大黒と話すこともない。
しかも大阪である。
わざわざ遠出をしてまで自分に会いに来いなんて、ふざけるな、なんて言って、電話を切っただろうに。
そうしなかったのは、大黒の口から「会って欲しい人がいる」と言われたからだった。
森田が「誰ですか?」と聞いても、大黒は答えなかった。
もうずっと連絡をとっていなかったのに、この日本シリーズが終わったタイミングで、そんなセリフ。
気にならないわけがない。
それに森田自身、今の率直な心模様と、今後の振る舞い方について相談できる相手というのは、野球界では大黒だけな気がした。
しかしなぜお好み焼き屋?
大黒が会食の場所として指定したお店は、お好み焼き屋だった。
ホテルを出て、タクシーでお店に向かうと、大阪の華やかな街の中心にそこはあった。
少しだけ油が染みたような店の軒先に立つと、ソースの匂いが嗅覚をくすぐる。
「いらっしゃいませー!」
店に入ると、若い女店員の元気な声が耳に響く。
偏見が混じっているかもしれないが、大阪のお好み焼き屋のイメージそのものの雰囲気だった。
店には、たくさんのサイン色紙が飾られていて、その大半が野球選手のものであることに気づいた。
「こんばんは」
先に店に着いていた大黒に挨拶をし、森田は対面の席に着く。
周りは騒がしく、とても落ち着いて話をするような雰囲気ではなかった。
「どうして、こんな場所に?」
「まあまあ、まずは、何か頼もう」
ほとんど白髪である大黒は、年齢の割に恰幅が良く、それが逆に健康的な印象も与える。
森田が子供のころの印象だと、現役のころの大黒は筋肉隆々の巨漢バッターで、寡黙な職人。
森田が選手として仕えた大黒、つまり監督を始めたころの大黒は、何を考えているかわからない寡黙な監督。
最近の大黒は、感じの良いおじいちゃんという感じでメディア印象もよいが、昔はどちらかというと、とっつきにくい人間だった。
この前テレビでやっていた日本シリーズの特集では、大黒が選手にも敬語で話す姿がとても好意的にとらえられていたが、昔は当然、選手にため語であるし、語気を強める場面もあったように思う。
年をとって丸くなったのか、それとも監督として経験を重ねた結果、そうした方が良いと思ったのか。
二人ともアルコールは頼まなかった。
森田も大黒も、お好み焼きを一枚だけ頼む。
「娘は、何歳になった?」
「21歳、大学生です」
「おー、やはり演技の道に行くのか?」
「さあ、わからないです」
久しぶりに会ったせいか、世間話に花が咲く。
あまり日本シリーズはおろか、野球の話にも行きつかない。
「久しぶりだな。森田」
大黒との世間話が唐突に終わったのは、店員らしき男が森田たちの下に現れてからだった。
森田は、その男の顔を見て、
「……し、篠原か!? どうしてここに?」
「どうしたって、ここは俺の店だからなあ」
篠原大輔。
森田と同じ年にドラフトで東京ウォーリアーズに入団した男。
現役時代、選手同士の交友関係が狭かった森田だが、最も親しかったのが篠原だった。
最も、篠原が先に現役を退いてからは、なんとなく会うこともなく、自然に疎遠となっていった。
風の噂で飲食店をやっているという話は聞いていたが、大阪でお好み焼き屋をやっているとは知らなかった。
「大黒さん、俺に会わせたい人というのは、篠原のことですか?」
「会わせたいというか、篠原が、三人で会いたいと言ったんだ」
篠原は「まあ、まずは俺の焼いたやつを食ってくれよ」と言って、お好み焼きを三枚、森田の座る対面の席にある鉄板に置いた。
そのあと、なんの遠慮もなく森田の隣に座った。
「お前、店員じゃないのか」
「今日は休みなんだ。ただ、この三枚は自分で焼いた」
篠原は三人分のお好み焼きにソースをつけ始める。
さすがに慣れているのか、手際よく準備をした。
森田はそれを含むと、「うまい」と思わず言った。
「だろ?」
篠原は歯を見せて笑う。
思えば、篠原は何をしても器用で、頭もよかった。
どんな分野でも成功したのだと思う。
ボタンの掛け違いさえ無ければ、野球界でも。
大黒監督は黙々と食べていた。
その年でよくこんなに濃いものを食べられるなと思った。
「日本シリーズ、見ました。めっちゃ感動した」
篠原はそう言うが、大黒は反応しなかったし、もちろん森田も何も言わなかった。
「何よりも、五十嵐くんが良かった」
「五十嵐の話をするために、俺を大阪まで呼び出したのか?」
「ああ」
何も悪びれることなく、篠原はうなずいた。
「俺は、彼のことを、自分の現役時代と重ねて、自分の成れなかった姿を見ているようで、とても応援したくなったんだ。森田も、どうせ彼のことを、俺と重ねたんだろうなあとか思った。そうだろ?」
「馬鹿なことを」
森田は否定したが、篠原の言葉は痛いほどに確信をついていた。
五十嵐のことを見た瞬間に、篠原のことを想起するほどに二人は選手として見ていた。
足が速く、守備もうまい。
器用で、守備固め、代走要因としては十分に一軍の戦力になりうる。
なのに、どことなく打撃のセンスを、少しながら感じられる。
「まあ、そういうことにしといてやるよ」
篠原は言った。
◇◇◇◇
入団してすぐに球団のスターとなった森田と違い、篠原は遅れて一軍に定着した。
守備、走塁要因として一軍の戦力になりつつある中、監督である大黒は、突然、篠原を三番バッターとして起用し始めた。
当然、ファンやメディアからの反発も大きかった。
いきなり名門の三番を担った篠原は結果を出せず、日に日に憔悴していった。
見ていられなくなった森田は大黒へ、篠原をスタメンから外すことを直訴した。
それでも大黒は、篠原のことを信じる、と言って、森田の訴えを退けた。
篠原はその後も結果を出せなかった。
やがて、守備も走塁もスランプに陥った。
篠原は自ら、二軍落ちを訴え、大黒も了承した。
篠原はその後、一軍に上がってくること無かった。
二年後、引退した。
森田は、大黒のせいで篠原は人生を潰されたと思っている。
不相応な期待をかけられ、重圧につぶされた。
大黒が監督でなければ、もっと長くプロ野球生活を続けられただろうと思っている。
◇◇◇◇
「あれは、僕のミスです。篠原には本当に申し訳ないと思っている」
大黒は言うと、森田は反射的に返した。
「だったら、五十嵐もそうなるとは思わなかったんですか?」
「そんなことは思わなかった」
「それはなぜ?」
「過去のことなんて関係なく、僕は彼が最高の選手になると確信していたし、なって欲しいと思ったからです」
「俺が過去に囚われていて、見る目が無い、とでも言いたいんですか?」
「過去に囚われているかどうかは知りませんが、見る目がなかったのは事実じゃないですか」
いつの間にか大黒は敬語になっていて、それがまた丁寧に追い込まれている感じがした。
大黒は、森田が行った五十嵐への行為について、よく思っていないことが分かった。
「……見る目がなかったか。今日、娘にもそう言われた」
森田は、声を絞り出して言ったが、次の言葉は続かなかった。
「なあ森田。お前が俺の現役時代のことをいつまでも記憶残してくれてたことはうれしいが、俺は大黒監督のことは恨んでないよ。俺が、期待に応えられなかっただけだ。それに、プロでうまくいなかったからこそ、こうして違う道に進んで、今、とても楽しいんだ」
「五十嵐くんも、森田のことは恨んでいないでしょう。彼は、ウォーリアーズ時代があったからこそ、今の自分があると思っている」
「ほんと、素晴らしい人ですね。彼は」
大黒の言葉に、篠原が同意する。
森田は、五十嵐が日本シリーズ後のインタビューで言っていたことを思い出す。
「監督は、選手たちの人生の左右することになる。良くも悪くも。僕も君も重大なミスをした。それでも、一番大事なことは、選手の可能性を信じてやること。それができない人は、監督失格です」
森田は唇をかみ、「はい……そうですね」と言った。
篠原は「森田、一つ聞いていいか?」と切り出し、
「五十嵐くんのことをどう思っていたかはわかったが、だからって干すことはないじゃねえか」
「……別にずっと二軍にいさせようとしたわけじゃない。頃合い見て一軍に戻そうと思ったが、奴は、二軍で逆にホームラン狙いのバッティングしかしてないと聞いてな。もう少し二軍かなと思ってたら、上げるタイミングがなくなって、オフに人的補償の話があっったんだ」
「意外と五十嵐くんは、頑固なところがありますからね」
「大物だなあ」
篠原は言った。
森田は店に、篠原、大黒と五十嵐の三人の写真が飾ってあることにようやく気付いた。
それから三人はお好み焼きを食べながら、昔話や近況を話した。
篠原がビールを飲み出したので、森田も一杯だけ飲んだ。
思えば高校を卒業して以降は、ずっと野球が人生のほとんどを占めていた。
特にここ数年は、勝利だけが義務の中で、心を殺していったように思う。
家族以外の人間相手とのかかわりの中で、心が休まったのは数年ぶりだった。
「森田はこれからどうするんだ?」
篠原に聞かれ、森田は、
「さあ、ただずっとプロ野球の世界だけに身を置いていたから、違う世界も見ようかと思う」
食事を終え、ひとしきり話した後、三人は写真を撮り、店を出た。
森田は、大黒と篠原に礼を言い、タクシーを拾った。
翌日、森田が家に帰ると、リビングで娘の楓がソファで寝ていた。
片手に舞台の台本らしきものを持ったまま、テレビでは大画面で野球の動画――
五十嵐陽翔の今シーズンのプレー集を流したままだった。
妻である結子が「おかえりなさい。楽しかった?」と言う。
森田は、「ああ、それなりに」と言った後、楓の持っている台本を指さし、
「やはり、君と同じ道を選ぶんだな」
「どうする? 反対する?」
「そんなわけないだろう」
「今度、朝ドラのオーディションあるんですって」
「そうか」
森田はそう言って、寝室からタオルケットを持ってくると、楓にかけた。
「で、これはなんだ?」
そう言って森田は、テレビの方向を指さす。
五十嵐陽翔の本塁打シーンが、大画面に何回も映る。
「それも、重大な話が楓からあるみたいですよ」
◇◇◇◇
楓が目を覚ますと、いつのまにか父が帰ってきていた。
父は、ただ何をするわけでもなく、テレビで流れている動画――陽翔のプレー集を見ていた。
「う、うわ。お、お帰り……」
陽翔の動画をBGMに舞台のセリフを覚えていたのに、不覚にも寝落ちしていた。
ど、どうしようと、楓は焦る。
手には舞台の台本、テレビには陽翔の姿。
父に隠していることが、二つも露わになってしまった。
「そんなところで寝てると、風邪ひくぞ。オーディション近いんだろう?」
「ん? う、うん……」
女優を目指していることはバレた?
きっと寝ている間に、母が父に言ったのだろう。
「やはり、いい選手だな五十嵐」
父がそう呟いたので、楓は思い切って言った。
「わ、私、五十嵐陽翔と付き合ってる!」
「そうか」
父はただそれだけ言って、リビングを出ていこうとする。
楓は勢いで出てしまった言葉を後悔しつつも、何も言わない父に安堵した。
「あ、あとね!」
楓は父を呼び止めて、ずっと言いたかった言葉を勢いで放つ。
「お兄ちゃんからも、きっともうすぐ良い話があると思うから……そのあと、家族で旅行でも行こうよ。これからは、たくさん時間あるでしょう」
父は「ああ」とだけ言って、部屋を出て行った。
楓はひと仕事終えた感じで、「ふー」と一息ついた。
父に言いたかったことを、昨日、今日で全部言えた。
楓は眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと準備した。
コーヒーができるのを待つ間、いつも見ている野球掲示板のまとめサイトを開く。
ここ数日、父のことやウォーリアーズGMのこと、三浦や森本のメジャー移籍情報、あとは坂根勇気と上菅雅己が二年後のメジャー挑戦を表明したこと、プロ野球に激動のニュースが何個も走った。
さぞかし掲示板も盛り上がっているだろうと思い、サイトを開く。
でも、サイトを開くと、それらの話題に関するまとめはなにもなく、ただ『サイト更新終了のお知らせ』という記事がトップに来ていた。
それによりと、管理人のこれから私生活の方が忙しくなるため、更新を終了するとのことだった。
最後にはこれからもカウボーイズの応援は続けます、という言葉で締められていた。
「ふーん」
楓はページを閉じて、別の野球掲示板のまとめサイトを開いた。
日本シリーズの話が終わり、一旦、完結になります…
ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました!
続きの話など、活動報告に今後について書いていますので、良かったら読んでください。




