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第3章 王の詩人③

 しばらく気持ち良く物語にひたっていたユバルだったが、リュートの音のあいだに耳慣れない物音が混じったのを聞いて、目を開けた。

 それは鳥のはばたきだった。見上げると頭上の枝々に、大小さまざまの鳥が集まりはじめ、木漏れ日のひとつひとつを遮っていた。

 彼らはさえずりもせず、不気味にエステルを見おろしている。ヨアシュとノアは異状を察して表情をこわばらせていたが、エステルは集中したまま、ただ語り続けた。

 樹上はまもなく満席になり、すぐ近くの栗毛馬の頭や肩に、あとから来た鳥たちが数羽止まった。ひとつ星は迷惑そうな顔をしながらも、振り払うようなことはしなかった。

 そして物語は終盤にさしかかる。財宝のきらめき、緑の騎士の驚嘆、小鳥の愛らしさ、そのすべてを余すところなく語りつくし、奏でつくして、エステルはリュートを止めた。余韻を重んじたユバルに比べると、いくぶんさっぱりとした締めくくり方だった。

 エステルはリュートと物語から目を離し、周囲を見渡した。あたりに集った鳥たちが視界に入ると、エステルは目をみはり、嬉しそうにも、泣き出しそうにも見える表情をした。

 だがそのとき、頭上にひときわ大きな羽音を聞いて、エステルははっと顔を上げた。

 一羽の鳥が舞い降りてきていた。大きく広げられた青い翼、腹側だけが真っ白い。姿は鷺に似て首が長く、すらりと鋭い。

 その場の誰も、見たことのない鳥だった。鳥はその細長い嘴の先に、何かをくわえていた。

 青い鳥は大きく弧を描きながら地上に近づく。そして、エステルの真上までやってきたところで、くわえていたものをぽとりと落とした。

 エステルと鳥の目が合った。鳥はしばし射すくめるように詩人を見つめ、それから、いきなり強く羽ばたき、再び天に舞い上がった。

 顔に羽風を受けて、エステルはとっさに右手を上げ、目を閉じた。

 同時にあちこちで風が起こった。他の鳥たちも青い鳥のあとを追うようにして、一斉に飛び立ったのだ。

 騒ぎはわずかな時間で収束した。あれほどの数の鳥が集まっていたのに、彼らはあっけなく飛び去って消えた。

 さかんに首を振る栗毛馬と、かすかに揺れる枝の動きだけが、鳥たちの存在の痕跡だった。それらすら時の流れに沈静していくなか、ユバルのかたわらで、ノアがくしゃみをした。

 ぼんやり辺りを見つめていたユバルは、そこで我に返った。

「……証明されたな。王宮詩人の腕前も、物語の力も」

 ユバルがそう言うと、エステルは笑みの混ざった口調で、そうね、と返した。

「本当に、ほっとした……」

 エステルはそれから、自分の膝の上に残された、青い鳥の落としものを手に取った。

 小さく丸められたそれは、古い羊皮紙だった。くるくると開いてその内容を確認したとき、エステルはぎょっとした顔を見せた。横から覗きこんだヨアシュまで、これは、と声を上げた。

 ユバルは二人に問いかけた。

「なんだったんだ?」

 エステルとヨアシュは顔を見合わせた。ヨアシュが厳しい面持ちで首を横に振り、エステルも頷き返し、これはいけない、と小さく言った。

「ごめんなさい。これは見せられない」

「どうしてだ」

 不満げなユバルに、エステルは真剣な口調でこう言った。

「これは王家にも関わる重大な秘密。宮廷詩人として守らなくてはならないものなの。あなたに返せる借りが今はなくなってしまうけれど、これを隠すことは許してほしい……」

 申し訳なさそうに言いながら、エステルは羊皮紙を丸めなおしてしまった。その手元を見つめていたユバルにちらりと見えたのは、古めかしい書き様で記された「終歌」という文字だけだった。

 それもまた、『失われた物語』の一部に違いなかった。見たくてたまらなかったが、エステルの脇に油断ならない様子で控えるヨアシュを目にすると、諦めざるをえなかった。

 立ち姿だけでヨアシュの持つ力はなんとなくわかる。ただの詩人でしかないユバルが挑んでみたところで、勝てはしないと思った。

「今は、なんだな。いつかは教えてもらえるのか」

「なんとも言えないわ。ごめんなさい」

 心底申し訳なさそうなエステルに、ユバルはため息をついた。

「まあいい。せめて、そっちの写しはもらっていっていいだろう?」

 いまだヨアシュが手にしている紙を指して言うと、エステルは頷いた。

「いいわ。でも、他の人には絶対見せないで」

「大神官にもか」

「そうよ。詩人としてのお願いよ」

 そう答えたエステルの瞳に、かすかに必死の色が浮かんでいた。ユバルはわかった、とだけ言った。

「詩人同士の誓いだ。これは大神官にも見せない」

「あなたには、借りしか作ってないわね」

 エステルは無念そうに目を伏せた。ユバルは苦笑し、ノアの肩をぽんとたたいた。

「だから、言ってるだろ。おれは何もしてない。物語を正しいかたちにしてみせたのは、ノアだ」

「……そうね。でも、これぐらいは伝えさせてもらおうかしら」

 そして、エステルはまっすぐにユバルの目を見すえた。

「貴重な歌や物語を知りたいなら、各地の聖堂や神殿を巡ってみるといいわ。この国の歴史を調べている人たちによれば、吟遊詩人の語るものは、昔は口伝でしか残されなかったらしい。それを記録しはじめたのは、聖職者たちなの」

「だから、大神官は膨大な文献を蔵していたわけか」

 ユバルがそう返すと、エステルはそうよと言った。

「西の大神殿は規模が大きいぶん、遺されたものの数も多いでしょうね。だけど各地の小さな聖地だって、わずかなものでも質が落ちるわけじゃない……」

「ノア、これからのことが決まったぞ」

 エステルの言葉を最後まで聞かず、ユバルはノアに声をかけた。

「聖地巡りだ。あちこちで礼拝に参加するのも悪くないな」

「だけどユバルは、神様なんて信じてないでしょ?」

 ノアがそう言うと、ユバルは立ち上がりながら笑った。

「よくわかったな」

「ねえ、待って。もうひとつだけ言わせて」

 エステルが腰を浮かせ、ユバルを呼び止めた。

「神様は信じなくてもいい。蛇に気をつけて」

「……蛇?」

 唐突な話に眉をひそめると、エステルは呪文をとなえるように、語った。

「神話の蛇、大地の蛇たちが、パラバトール各地でとぐろを解きつつある。もしも出会ってしまったら、鎮める手立ては、歌よ」

 ユバルとノアは顔を見合わせた。歌い人の里で起きたできごとを思い浮かべているのを、互いに感じとった。

 だが、よけいなことは話さないで、ユバルはこう言った。

「もしも蛇に出会ってしまったら、やっつけるにしろ逃げるにしろ、まじない歌が必要というわけだな」

「そういうことよ」

「蛇を鎮めるのに、決まった歌はあるのか?」

 歌い人の里で知った鎮めの歌が他の蛇にも通用するのか、それを確認したかった。だがエステルは、ないのよ、と申し訳なさそうに答えた。

「それは土地ごとに違う。運がよければ、その近隣に暮らす人々が、そういう歌を伝えているかもしれない。そうでなければ、その土地にあった歌を即興で作るしかない……」

「たよりない情報だな。ひとつ星に乗って、とっとと逃げたほうが確実なんじゃないか」

「あなたほどの吟遊詩人なら、大丈夫よ。蛇を鎮めるには歌。それだけ覚えていれば、きっとなんとかなる。あなたなら……あなたたちなら」

 言い直しながら、エステルはノアのほうにも目を向けた。ノアはというと、くすぐったくなって、ただ照れ笑いだけを返した。

 再び歩きだす準備を整えて、ユバルとノアは、王都からやってきた二人組と向き合った。

 エステルとヨアシュは、いったん王宮へ戻るという。

「わたしも、迷信やおとぎ話を洗いなおしてみたいと思うの。これはあなたがくれたきっかけよ、ユバル」

「聖地云々の話や蛇の話は、その対価か」

「そうよ。同等の情報を、ね」

 エステルはそこでちょっと微笑んで、それからユバルの隣、ノアに目を向けた。

「ほんとうは、あなたに……できれば王都へ来てもらいたいわ。しかるべき教育を受けてみてほしいと思う」

 どうかしら、といった様子のエステルに、ノアはつよい笑みを返した。

「行かないよ。わたしは、ユバルについていきたい。勉強も好きだけど、それよりも今は世界が見たい。どうすれば自分で生きていけるか、自分の足で歩いて知りたいの」

 それを聞いたユバルが少し驚いたような顔をした。その正面で、エステルはしょうがないわね、と笑い、ヨアシュはもったいない、と呟いた。

「ユバルについていきたいだろうとは思ったけど、ね」

 そんな言葉を残して、エステルはついに背を向けた。ヨアシュがあとに続く。

 立ち去りかけたエステルだったが、ふいに足を止め、最後に一度だけ、ユバルのほうを向いた。

「卑怯な仕打ちをしてごめんなさい。いつかきっと、あなたとまた歌いたいわ。ちゃんと舞台を整えてね」


 エステルとヨアシュの姿を遠くまで見送ってから、ユバルはノアに声をかけた。

「おまえ、あんなこと考えてたのか」

「だって、いつまでもユバルにおんぶに抱っこのままじゃいられないでしょう。せっかく森を出たんだもの、わたしはもう、歌えない役に立たない歌い人じゃない。自分で生きられる力を身につけないと」

ユバルは思わず何かを言いかけたが、やめた。代わりに微笑んだ。

「まあ、おまえの人生だ。よくよく考えればいいさ」

 そしてまた、ユバルは歩きだす。その一歩あとを、少女と馬がいつものように追った。

 東での歩き方をやっと定めることができた。世話になった拠点の町にも、しばらく来ることはないだろう。

 滞りかけていた流れが、静かに動き出したのだ。

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