87.一番と特別
今日の朝ご飯は大好物のフレンチトーストだった。
卵液はもちろん中までしみしみで口の中ですぐに溶けてしまいそうなほどにふわふわだ。添えられているイチゴのジャムは甘酸っぱくて美味しい。安定の魔王城クオリティーだ。
いつもなら朝の幸せと噛み締めながら食べるのだが、今日はチェルさんが言っていた大事な話が気になり、朝ご飯どころではない。
隣に座っているチェルさんも最近では滅多に見ることがない険しい表情をしていて、更に空気を重くしていた。
私達の間に流れている空気が重いのはあからさまのようで、他の魔物さん達もいつも以上に私達を避けている。
食堂にいるのが少し居心地が悪くて気まずい。早く朝ごはんを早く終わらせるようにフレンチトーストをいつもよりも大きめに切り、飲み込むように食べる。いつもならば贅沢な食べ方だが今日に限ってはあまり嬉しくは感じなかった。
駈け足で食べたからか、気が重い朝ごはんはすぐに終わり、食器を返し部屋に戻る。
その間もずっとチェルさんは苦い顔をしている。チェルさんは最初の頃のように無口で何も言おうとしない。私から何か言った方が良いのかもしれないが、良い言葉が浮かばなかった。
とりあえず早く部屋に帰ろう。余計な事は何も考えないように無心で歩いていたら、気付いたら部屋に着いていた。
いつものようにチェルさんが扉を開ける。小さくお礼を伝えてそのまま部屋に入るとチェルさんも続いて中に入った。
扉が閉まるとチェルさんの様子を窺うようにそっと見上げる。私の視線に気付いたチェルさんは小さく瞬きをし、ゆっくりと口を開いた。
「お前がここに来た理由を話す」
チェルさんの言葉に思考が一瞬停止した。その言葉は予想していなかった。
私がここに来た理由。どうしてチェルさんは知っているんだ?
「チェルさんが? どうして」
知っているのに私に教えてくれなかったんですか? その言葉を口の中に無理やり飲み込んだ。
以前、私がこの城に来た理由について話した事がある。その時のチェルさんは理由を知らないと言っていた。そして魔王様からその理由を聞いたら私に教えてくれると言ってくれた。なのに。なんで?
「魔王から口止めをされていた」
口止め? どうして? チェルさんは魔王様のことを信じられないと言っていた。そして私はチェルさんの恋人だ。なのになんで魔王様なんだ?
このまま考えているとチェルさんの気持ちまで疑いそうになってしまう。それはダメだ。ゆっくりと落ち着かせるように息を吐いた。
「そう、でしたか」
色々と出てきそうになる言葉を抑えながら、相づちを打つ。
それから再び考える。チェルさんがなぜ魔王様の言葉を守ったのか。ん? 当たり前じゃないか。ここは魔王城。魔王様の命令が一番だ。
そうだ。チェルさんは当たり前のことをしている。恋人と仕事だったら、仕事のが大事だ。モヤモヤするがそれは私の気持ちの問題だ。
「嫌な気持ちにさせてしまったな。すまない。どうすれば」
仕事は大事と言い聞かせるように考えていると、チェルさんの声が聞こえた。そのままチェルさんの方向を見ると困惑した表情で私を見つめていた。
仕事だし、チェルさんが悪い訳ではない。ただ私もどうすれば良いかわからない。
「チェルさんは……悪く、ないです。魔王様の言うことが一番ですし。そんなことわかっています」
「なら、なぜ。そんな表情をしているんだ?」
なぜ。なぜ? ゆっくりと考える。
チェルさんが私よりも魔王様を優先したのが嫌だった。そうだ。ただのヤキモチだ。
「言いたくないのか?」
チェルさんが私に尋ねる。そんな不安な表情で見られると胸が痛くなる。言わないと。チェルさんの目をしっかりと見てから無理やり口を開くように言った。
「ただの、ヤキモチです」
「餅?」
チェルさんが焼いたお餅を想像しているのが伝わった。ベタだなんて思っている場合ではない。ヤキモチの意味を考えながら話す。
「嫉妬のことをヤキモチって言うんです。チェルさんの一番になりたいって、私がワガママを言っていただけです」
言っていて凄く恥ずかしい。そうだ。これは私のワガママだ。チェルさんは魔王様の命令を守っただけ、居心地が悪くなりそっとチェルさんから視線を外そうとしたらチェルさんが私の名前を呼んだ。
「エル。一番とは何の一番だ?」
「一番に、私を愛してくれるって」
「一番に? 一番も何も愛しているのはエルだけだ」
「ふぇ……」
私はちょろいのかもしれない。チェルさんのその言葉で心の中にあったモヤモヤしたものが少し晴れた気がした。
「お前だけだ。一匹しかいないのに順位などつけられるわけがないだろう。それよりもお前は一番と言ったが、俺が二番目に愛している魔物がいるとでも思っていたのか?」
チェルさんが私に顔を近づける。なんか浮気をして問いつめられているみたいだ。知らない間に立場が逆になってしまったようだ。
「ち、違います!」
「そうか。それなら良いのだが。ならなぜ一番と……いや、そうか。魔王か。お前に話すと言っていたな。魔王の口車にのってしまった」
チェルさんが苦い顔をした。どうやらチェルさんの頭から私に話す事が抜けてしまったようだ。魔王様の口車。もしかしたら、いつものように魔王様から一本とられてしまったのかもしれない。
「口車、ですか?」
「蛇の姿だとお前の役に立てないと考えた。悪かった」
「役に?」
「いつ蛇になるかわからない不安定な魔物は足手まといだ。エルを失望させてしまう。だから魔王から俺が二週間。人の姿を保てるようになるまで待った方が良いと言われた」
チェルさんは意外と気にすることが多い。豪快に見えてとても繊細だ。
足手まとい。失望。勇者との戦いのことを気にしていることは直ぐにわかった。
「失望しないです! 私はチェルさんに守って欲しいわけではないですからね」
「エル?」
「確かに私はチェルさんがいないと死んでしまうくらいに弱いです。それでも私だって出来ることをしたいです」
チェルさんみたいに何でも出来るわけではないが、だからと言ってチェルさんによっかかってばかりは嫌だ。そもそも勇者と対立するのは私が原因で、更に足手まといだ。普通に考えると見捨てられるのは私だ。
「そうだが、蛇の姿だと勇者の足止めは」
「来る前に逃げれば良いんです」
「だが蛇の俺はお前を運べない」
「私が運びます。隠れるのに良い洞窟や街を探します!」
少しすっきりした。もしかしたらヤキモチではなくて、チェルさんが一人で決めたのが寂しかったのかもしれない。
結論が出るとすっきりする。チェルさんには八つ当たりのように言ってしまって悪い事をした。ちゃんと謝ろう。そのままチェルさんに伝えようとするが、チェルさんは何か考える素振りをしていた。
しばらく見ていると私を向けてふわりと笑った。
「そうだな。魔王の許可を取る必要はなかった。今から話す」
チェルさん。それはまずい。確かに私は話して欲しいと言ったが、それでも魔王様から止められていることを勝手に聞いて良いのか考えてしまう。
「チェルさん。待って下さい」
「なんだ? 知ったほうが良い」
「そうですが。あと少しですし、待ちましょう」
私が言う台詞ではないことくらいわかっている。先程と矛盾しているせいか、チェルさんが困っているようで怪訝な表情をしていた。
「良いのか?」
「そうですが、ここは魔王様のお城なんですよ。魔王様との約束も大事です。私のはただのヤキモチです。寂しくて、その」
「寂しい?」
チェルさんに謝ろうと思ったら私の言葉を遮るように言うと、そのまま私を抱きしめた。
「チェルさん?」
「そうかやきもちか。それは悪かった。俺が愛しているのはエリーゼだけだ。他はいない」
そう言うとチェルさんの顔が私の方に近づくと私の首元にキスをした。
それはまるで私だけを愛していると伝えてくれているようで、先程までモヤモヤしていた私の心の中がほんのりと温かくなった気がした。




