72.チェルの気持ち
”姫は殺させない”チェルの言葉に魔王は安心するように息を吐いた。
ひとまずはチェルの引き留めに成功したらしい。チェルが愛を自覚した。後はエリーゼに任せよう。魔王がチェルへ視線を送りながら考える。
感情など知らずに生きてきた男だ。姫の前でその気持ちを隠しきることは出来ないだろう。拗れているように見えているが、意外とあっさり進むかもしれない。
じっと自分の方向へ頭を向けるチェルを見ながら魔王は口元を緩めた。
「と言う事は、この城に居てくれるのかな?」
『ああ。出ていくのは辞める。どうせエリーゼと離れると消える命だ。あいつの為になるのなら、好きに使え』
「助かるよ。大事に使わせて貰う。チェルも何か困り事があったら」
『何か掴んだら俺に言え』
魔王が言い終える前にチェルが伝えた。蛇の姿をしているせいか表情は読み取れないが、勇者を必ず殺すと言う意志が伝わってくるようだった。
「ああ。だがエリーゼへは言わないでくれ」
『何故だ』
「たとえ関わりがなくとも、父親が勇者に殺されるのは気分が良い物ではないからね。それに万が一、私の盾に」
『あいつは盾にならない』
魔王の言葉の途中にチェルが伝えた。
魔王はもちろん姫には盾になって欲しくないと思っているが、ここまでチェルにはっきりと言われるのは快くなかった。魔王は複雑な表情でチェルを見つめた。
「はっきり言うね」
『言うまでもないことだ。あいつは何もせずに盾となる人間ではない。勇者を退けないか考える。そのための情報だ』
魔王がチェルの言葉にはっとした。チェルは盾にならないと伝えたかった訳ではなかった。勇者を倒すと伝えようとしていた。
チェルの言葉で魔王がキングタートルが来襲したときのことを考える。姫は戦いになれている訳ではなかったが、彼女なりに向き合おうとしていた。
魔王城に囚われたひ弱な姫。魔王の頭に凝り固まった姫のイメージが思い切り壊されたようだった。彼女は姫だがゲームの姫ではない。魔王は考えながら小さく笑った。
「確かに君の言う通りだね。君のおかげで大切な事に気付けたよ。君の体調が落ち着いてから姫へはきちんと伝える。君が本調子になってからの方が計画も立てやすいからね。それまでに姫の知らないことをまとめておくよ」
『わかった。この姿だと思うように動けないからな』
「戦いは長いんだ。今から無理をされると困る。他にはないかい?」
『子供が出来ないようにしたい』
「構わないが、君の体に傷をつける事になる。もう少し考えてくれないか? 春までまだ時間はあるだろう」
魔王がチェルに確認した。蛇は春から夏にかけて子孫を残すため、繁殖能力が強くなる。いくらチェルが蛇だからといって、ペットのように去勢をするのは良くない。魔王が苦い顔をしながらチェルへ伝えた。
『何度考えても同じ答えだ。姫は俺との子は望んでいない。だが俺は姫と一緒にいたい。姫が殺されると考えると、それだけで体が張り裂けそうだ』
魔王の頭に直接伝わるせいか言葉は淡々としているが、魔王にはその言葉がとても切なげなものに聞こえた。
姫が勇者に殺される。それはチェルの心を浸食するように刻まれたようだった。
「わかったよ。春になる前に施術する。途中で蛇や人間に変わるかもしれない状態で処置するのは厳しいからね。もう少し体調が落ち着いてからだ。それでも構わないか」
『わかった。構わない。しないよりはましだ』
「決まりだね。気が変わったらいつでも言ってくれ」
『変わることはない。このままだと姫の部屋に住み着きそうだ』
やましいことがあるせいか、チェルがそっと魔王から頭をそらした。
「今更じゃないか? もう、すみついているようなものだろう。ここ数日、姫の部屋を訪ねると必ず君がいる」
『いちいち余計な事を言うな』
「自覚はあるみたいだね。ならいっそこのまま姫の部屋に住んでしまったらどうだ」
魔王がチェルをからかうようにケラケラと笑いながら口を開いた。魔王の言葉にチェルが鋭い視線を送った。
『そんな笑いながら言うことではない』
「姫も言っていたよ。チェルの面倒を見るって」
『あいつは優しいからな。その優しさは享受し続けて良い物では』
「あるよ。チェルは勝手に彼女が無理をしていると決めつけていないか?」
チェルが言い終える前に魔王は言った。チェルが言葉に詰まる。そんなチェルの様子など気にせずに魔王が言葉を続けた。
「蛇の君を世話している彼女の姿は偽りだと思うのかい?」
『思わない』
「なら気味悪がられているなど言わないであげてくれ。姫が可哀想だ」
『それでも気が引ける』
姫の優しさは偽りだと思わないが、姫は不快と感じているかもしれない。チェルの頭の中には相反するふたつの事が占めてしまい答えが浮かばなかった。
「もし気になるのならチェルも姫に優しくすれば良い」
『優しく、無理だな。考えたこともない』
チェルが言い切る。チェルは今まで自分以外のことを考えることはなかった。だが姫と接する中で僅かだが他者への感情を理解していった。
それでもまだ曖昧な部分の方が多く、自分がどのようにすれば良いかなど全くわからなかった。
「簡単だよ。姫は君が寒いと言うときに暖めるのだろう。同じだ。姫が困っていたら助ければいい。姫が行きたいと言う所に連れていって、姫が欲しいと言う者があれば贈れば良い」
「欲しいもの?」
「囚われの身だからと彼女は遠慮しているだろう」
『確かにあいつからは聞いたことないな。ラーメンしか思い浮かばん』
チェルの言葉に魔王がため息をつくように小さく息を吐く。この蛇にデリカシーなんて言葉は伝わらない。恋人のように振る舞われるのも快くないが、もう少し女性として扱って欲しいと魔王は感じる。
「女の子だよ。全く。君はもう少し人間の暮らしに興味を持った方が良い。あのくらいの年頃の女子は服やアクセサリーと言った宝石に興味を持つことが多い」
『あいつは宝石は持っていても使いどころがないと言っていた。我が儘を言えと言ったらラーメンが食いたいと言っていた』
その言葉に魔王が目を丸くする。チェルなりに姫のことを気遣っている。
確かに見た目を誉めない蛇相手なら、宝石も服も使いどころはない。それならばチェルと一緒に食事をする方が良いのだろう。その気持ちに気付いてあげれば良いのに、恋心に振り回されている筈なのに、鈍感な蛇を見ながら魔王は目を細めた。
「チェルのが詳しいじゃないか。ラーメンのようにエリーゼに聞いたらどうだい?」
『そうか』
チェルが考える。姫の気持ちは姫にしかわからない。結局の所、姫に確認するしかないか。
「なら問題ないね。姫の部屋に帰ろうか」
『俺の部屋で良い。それにここまで一匹で来た。帰りも問題ない』
「逃げようとしていただろう。姫の部屋まで見送るよ」
『俺の部屋に』
「意識がなくなったら姫の部屋に戻るんだろう」
その言葉にチェルが黙る。少しの間、沈黙があったがすぐにチェルがわかったと魔王に伝えた。
『姫には愛してるなど伝えるなよ』
「それは私が伝えるものじゃない。君が伝えるんだよ」
魔王がチェルに声をかけるとゆっくりと立ち上がり、扉の方向へと歩いて行く。
『そんな事を伝えられたら姫が困る』
チェルは苦い顔で伝えると魔王の後に付いてゆっくりと歩いて行く。
姫への接し方に迷っているのかその動きはあまりスムーズなものとは言えなかった。




