57.不意打ちのキス
チェルさんは私の膝の上に頭をのせて休んでいた。
震えている様子はないが、寒冷状態のままだ。少しでも温かくなるかもしれないし、毛布を掛けた方が良い。チェルさんの頭を持ち上げゆっくりと立ち上がる。そしてソファーの上に頭を優しく置く。
そのまま様子を見るが、チェルさんが動く気配はない。ヘビのチェルさんもソファーが好きなようだ。良かった。
足音をさせないようにゆっくりとベッドに向かい毛布を取る。それからチェルさんを驚かせないように優しく毛布をかけた。
チェルさんの隣に座り様子を見る。チェルさんはすぐに体を動かし、私の膝の上に頭をのせた。どうやら私の膝を丁度良い枕とでも思っているようだ。
膝枕はチェルさんにしかしませんからね。少し拗ねた表情でチェルさんへ伝えるように呟くと、毛布を温めるように少しだけ手を入れる。
私の体温で毛布の中が段々と温かくなってくる。するとチェルさんの表情が少し穏やかになった気がした。
そのままチェルさんを温めていると扉を叩く音がした。魔王様かな。夕飯を持ってきてくれると言っていたし。
チェルさんを驚かせないように毛布から手を取り出し、ゆっくりチェルさんの頭を持ち上げ、立ち上がる。
「すぐに戻ってきますね」
聞こえないかもしれないが、チェルさんに声をかけてから扉の方へ向かう。ドアを開けようとした瞬間、ドサッと部屋の奥から何かが落ちる音がした。
「魔王様。すみません。ちょっと待っていて下さい」
チェルさんかもしれない。扉の外へ声をかけ、急いでソファーに戻ろうとしたら、床を這うチェルさんが視界に入った。そのまましゃがむとチェルさんは私の胸の中に入る。
「怪我はしていないですか?」
チェルさんは腕の中でくったりとしている。声をかけるが無反応だ。痣や傷はないだろうかチェルさんの体を見ていると後ろから声が聞こえた。
「心配しなくても大丈夫だよ。その蛇は頑丈だ。姫が外に出ようとしたから急いで追いかけて来たんだろう」
魔王様の声だった。振り向くとカートを持った魔王様。いつの間にかドアを開き、部屋に入られていたようだ。
「ごめんね。夕飯を置いていくだけだから、直ぐに出て行くよ」
魔王様が困ったような表情をしていた。部屋に入ってしまって申し訳ない。そう言いたそうだった。
「いえ、魔王様。夜ご飯、ありがとうございます」
「気にしないでくれ。チェルを刺激してしまうから私はそろそろ部屋から出るよ。食べ終わったらカートを部屋の外に置いておいてね」
魔王様が私に背を向け、扉の方へ向かう。カートを見るとどんぶりが一つ。そう言えばチェルさんのご飯はどうすれば良いのだろう。
「魔王様」
扉のノブに手をかけた魔王様へ声をかける。私の声が聞こえたみたいで魔王様は手を止め振り向く。
「姫。どうしたんだい?」
「あの、チェルさんの夜ご飯はどうすれば?」
意識があるかも微妙な所だ。ただ食べられるなら食べた方が良い魔王様を見ていると少し困った表情をし、口を開いた。
「どうだろうな? 蛇のチェルはご飯を食べないからね。食べそうだったらあげても良いが、無理して食べさせる必要はないよ」
「ご飯を食べない?」
「うん。以前もこの姿になったことがあるんだ。その時は一週間くらいだったかな? 何も口にしてくれなくてね。後でチェルに聞いたら食べないと言っていたから問題ないみたいんだが、見ているこっちは気が気でないよ」
一週間食べない。聞いているだけで不安になる。チェルさんが大丈夫と言うなら、そうなのかもしれないが、心配だ。
「……はい」
「他に聞きたいことはあるかい? と言っても私は蛇についてはあまり詳しくなくてね。君の期待に応えられないかもしれないが」
「いえ。そんなことはないです」
魔王様の言葉に考える。ご飯は食べない。他はーー
「えーっと。お風呂は」
頭の中から絞り出されたのはそれだった。ヘビと暮らしたことがないからわからないが、病気にならないように動物をお風呂に入れるなんて聞いた事がある。
「弱っているから止めた方が良いよ。元々洞穴に住んでいた男だ。少しくらい風呂に入らなくても問題ないよ」
「はい」
「他にはなさそうだね。チェルのことを頼んだよ」
じゃあね。そう言いながら魔王様は再び扉の方へと向かい部屋から出た。
扉が閉まったのを確認するとチェルさんを落とさないように抱き上げ、立ち上がる。そのままカートに向かうと右手で持ち手を掴む。
そのままカートのを机の近くに持っていくとカートの中に入っているラーメンを取り、机の上に置いた。
ソファーへ座り、チェルさんを見る。チェルさんはすぐに私から離れ、先程と同じように私の膝に頭を置いた。
「いただきます」
箸を持ちチェルさんにスープをかけないよう食べる。視界に入るチェルさんが気になる。
「チェルさん。あーん」
チャーシューを一枚取り、チェルさんへ見せるが食べる気配はない。止めておこう。
そのままラーメンを食べる。ラーメンは美味しいが、いつもよりも味気ない。理由がわかる。チェルさんの調子が悪いからだ。
「早く一緒にご飯を食べれると良いですね」
チェルさんに声をかけるが無反応だった。一人で食べるのは寂しい。少し前まで一人だったのに。いつの間にかチェルさんと一緒に食べるのが当たり前になっていた。
ラーメンを食べ終わり、ごちそうさまでしたと器に向かって言うと食器をカートへ戻す。
「チェルさん。外に出ます」
またソファーから落ちたら大変だ。ゆっくりと手を差し伸べるとチェルさんが私の腕に絡みつくように近づく。
そのままゆっくりと胸の方に引き寄せ抱き締めるとカートを部屋の外に移動する。
再びソファーに戻るとチェルさんは毛布の中に移動し私の膝に頭をのせた。
***
ご飯を食べ終え、ゆっくりとした時間が過ぎていった。それでも時間はいつも通り流れる。気付いたら時計は九時を指していた。
そろそろ寝る時間だ。その前にお風呂はどうしよう。
一日くらいと思ったが、チェルさんと一緒にいるのでお風呂に入りたい。汗臭いなんて思われたら嫌だし。
チェルさんの様子も落ち着いている。無理そうだと思ったら止めよう。チェルさんを膝の上からソファーの上に移動し、お風呂場へ向かう。チラチラとチェルさんの様子を見るが、ソファーから動く気配はない。大丈夫そうだ。
汗を流す程度に簡単にお風呂に入ると、寝間着へ着替える。
次は就寝だ。チェルさんをどうしよう。寝る場所はソファーよりベッドの方が良さそうだ。チェルさんを持ち上げベッドの上に置こうとするが、私の腕から離れない。ソファーが良いのかな? そのままソファーに置くと毛布の中に入った。
このままにしよう。私はクローゼットから毛皮を取り出す。暖を取るために持ってきた毛皮。まさかこんな場面で使うとは思わなかった。毛布に比べると劣るがふわふわで暖かい。
チェルさんはソファーの上で休んでいる。毛布はかかっているし問題ない。ベッドに向かい毛皮をかける。
「おやすみなさい」
チェルさんの方向へ声をかけると、突然目の前の方向から何かが落ちる音がした。きっとチェルさんだ。急いでソファーに向かうとチェルさんが私の腕の中にはいる。
ソファーへ戻そうとするがチェルさんは私の腕の中から動く気配はなかった。
どうしよう。チェルさんは私の好きな男の人だ。ヘビの姿であろうと一緒のベッドで就寝は良くない。どうしよう、焦る気持ちで頭がいっぱいになりそうになる。その気持ちをを整理するようにまずは深呼吸だ。大きく深呼吸して、再び腕の中にいるチェルさんを見る。
チェルさんは私の腕から離れる様子はなかった。寒冷状態だし。寒いんだろうな。出来るなら温めた方が良い。だけど男の人と一緒のベッドは過ちは……起きないな。
そうだ。私はチェルさんに対して厭らしいことをしようとは考えていない。
チェルさんの湯たんぽ代わりになるだけだ。頭の中でそう言い聞かせると毛皮をクローゼットへ戻し。ソファーにかけていた毛布を回収する。
そのままチェルさんと一緒にベッドへ入る。ベッドに横になるとチェルさんは私の腕から出て近くでとぐろを巻く。頭だけ毛布から出した。
可愛い。思わず頭に触れるとチェルさんが私の首の方へと首を伸ばす。そして私の首を口で触れた。
「き、ききき」
びっくりしてチェルさんを見ると、チェルさんは先程よりも気持ち良さそうにしている。いつもの飄々とした様子にも見える。
むっ。なんか私だけドキドキしているみたいだ。ちょっと悔しい。
「……そう言うのはだめです。私はあなたが好きなんですよ」
チェルさんに伝わらないのは知っているが、言わずにいられなかった。
そして仕返しというのはおかしいが、私もチェルさんの頬にキスをする。どんな姿でもチェルさんが好き。チェルさんがヘビの姿になって改めて思った。




