34.冒険のはじまり
あっという間にチェルさんと外出する日になった。チェルさんは少し大きめな鞄を持ち部屋に来られた。
そしてこの部屋に置いてあるコップと薬草を鞄に入れる。
「昼飯。コップ。敷物に薬草と毒消し草はある。お前は何か持っていきたい物はないか」
「ないです」
「そうか」
チェルさんは私の返事を聞くと鞄を持った。準備万端だ。後はチェルさんの手を握るだけだが、外に出る機会はほとんどない。それに外に出たら私の冒険は始まる。そのせいか緊張して心臓がバクバクする。
心臓を落ち着かせるように息を吐くとそのままチェルさんに近づく。手を握ろうとしたらチェルさんが姫と私を呼んだ。
何だろう? チェルさんを見上げて言葉を待つが、チェルさんは何も言わない。
「姫。目の色を変えて良いか?」
少し待っているとチェルさんが躊躇い気味に話した。目の色を変える? カラコンだろうか。ラーメンやシュークリームがある世界だ。カラコンもあるかもしれない。
「目の色を?」
「ああ。見え方を変える。幻覚のようなものだ。黒目は目立つからな。用心に越したことはない。嫌なら無理強いはしない」
カラコンはなさそうだがそれ以上に凄い術だ。どうやらチェルさんは幻術もかけられるようだ。確かに私の黒目は人に忌み嫌われている。人間は来ない場所だが、万が一ということもある。
「いえ。助かります。お願いします」
「わかった。顔を上げてくれ」
そのまま顔を上げると自然とチェルさんと見つめ合う形になる。真剣な表情で私を見るチェルさんにドキドキしそうになるが、目の色を変えるのは大事なことだ言い聞かせてじっとチェルさんが終わるのを待つ。すぐにチェルさんが終わったと言いながら私から視線をドアの方へ移動する。
思った以上にあっという間だった。それに自分には何の変化も感じられない。本当に変わったのだろうか?
「どうした?」
「変わった自覚がなく」
ぼんやりと考えているとチェルさんの声が聞こえた。声の方向を見たらチェルさんと目が合った。
「見え方を変えただけだからな。お前には何もしていない」
見え方が変わっただけ。私の体に何の変化も感じられないのは当たり前だが、自覚がなかったこともあり、本当に目の色が変わったのかあまり信じられない。
もちろんチェルさんを疑っているわけではない。
「気になるなら鏡でも見てきたらどうだ。目がオレンジに見える」
「はい」
チェルさんに促されて、そのまま洗面台の元へ向かう。洗面台にある鏡を見ると私の目はオレンジになっていた。瞳孔は黒いままで、チェルさんの目みたいに艶やかでとても綺麗だった。
「綺麗ですね」
チェルさんが鏡に映ったので。振り返ってチェルさんに話しかける。チェルさんが私を見る目が私の目の色と重なり。嬉しさと恥ずかしさが混ざったみたいに胸が痛くなった。
「そうか? いつもの黒目のが綺麗だろう」
魔物さんにとって黒目は特別なものだし当たり前だが、チェルさんの言葉はいつもストレートなのでドキドキしてしまう。意識しないようにしないと。
「オレンジも綺麗で素敵です」
そう言いながらチェルさんの元へ向かいチェルさんの手を握った。チェルさんは手を握らない。見上げると私から視線を外した。
「チェルさん?」
「同……。いや。それよりもそろそろ出掛けるか。外は危ないから不用意に離れるなよ」
「はい。離れません」
チェルさんが手を握る。何かを言いかけたのが気にかかるが、聞いて欲しくないのか私から目を反らしている。
私も聞かれたくないことはあるし、反応しないようにしよう。それでも気になってしまい、チェルさんと握っている手が自然と強くなってしまった。
「わかっているなら良い」
ゆっくりと手を緩めようとするとチェルさんは私から視線を外したままふわりと笑った。滅多に見られないその表情は胸が温かくなる。不意打ちの表情に私の手は一瞬固まり、手を緩めるタイミングを逃してしまった。
チェルさんは私の握る強さを気にせずにそのまま扉へと向かった。私も手を緩めることはせず、チェルさんについて行くように扉へと向かった。
部屋の扉を開け、玄関へと続く道を歩いて行くとすぐに玄関へと着いた。ここに来て以来のエントランスだ。相変わらずホテルのロビーみたいで綺麗だった。
最初に来た時は時間が時間だけに誰も居なかったが、今日はお休みの日だからか魔物さんがちらほらといた。
エントランスにある豪華な扉を開けると私の視界にたくさんの木々が入った。森だ。
いつも窓の外から見ていたので、ここが森の中だとは知っていたが、改めて見ると不思議な光景だった。近くになんの建物がない。森の中にポツンと魔王城が建っている。
扉の外に出て魔王城を見る。ドアはとても豪華だが、見上げるとビルのような作りをしていた。よくあるゲームの城からはかけ離れている。魔王城は不思議だ。
「チェル。姫様に怪我をさせないようにしてくれよ」
魔王城を見ていると男の人の声が聞こえた。
急いで声の方向を見ると扉の前に立っている男の魔物さんと目が合う。
灰色の瞳に灰色の短髪。体格もチェルさんよりがっしりしている。人の形をしているが、ワイルドな男の魔物さんだった。
「当たり前だ。ヴク。どうしたんだ? お前が扉の前に立っているのは珍しいな」
「魔王様から姫様が外出されると伺ったからな。チェル。魔王様から許可を貰っていたようだが、あまり姫様を危険な場所に連れ回すなよ」
「当たり前だ。姫が怪我するだろう」
ヴク様。聞いたことがある。最後の四天王だ。私が外出するから? 逃げると警戒されているのかな。それだったら、そもそも許可を出さないはずだ。何かわかるかもしれない。二人が話している様子を見ているとヴク様が私の方向を見る。
私が視界に入ると私の元に来て跪く。突然の行動に驚く。
「姫様。我が名はヴクと申します。ヴクとお呼び下さい」
私を見上げるとヴクさんが言った。騎士のようだ。
私は姫だが、姫らしい扱いを受けたことがない。思わず空いている片方の手でチェルさんの左腕を掴んだ。
「えーっと、その、ヴクさん。よろしくお願いいたします」
姫らしく出来なくて申し訳ない。そのまま恐る恐るヴクさんに伝えるとヴクさんは気にせず。私の言葉に「はい」と柔らかく微笑み、立ち上がった。
「姫様。チェルが同行するとは言え、知性のない魔物は危険ですのでお気をつけください」
「ありがとう、ございます」
知性のない魔物。チェルさん達とは違う魔物達のことか。そう言えばチェルさんが以前、ここにいるのは魔王様の考えに沿った者と言っていた。
魔王様だから魔物さん達を率いているわけではなさそうだ。
「ヴク。お前は気にする必要がない。姫。行くぞ。こんな所で油を売る必要はない」
チェルさんが私が掴んでいる手を優しく引っ張る。チェルさんの左腕を未だに掴んでいたことに気付き、急いで離した。
「姫。先程のように掴んでいてくれ」
再びチェルさんの腕を掴む。チェルさんの腕を抱きしめているみたいになり、いつもよりチェルさんとの距離も近い。そっとチェルさんの様子を窺うように見上げるとチェルさんはいつものように感情がわかりにくい表情で私を見ていた。
「森に入る。ヴク。ついてくるなよ」
「チェルさん! えーっと、ヴクさん。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
チェルさんはヴクさんを気にせず黙々と歩き始めた。急いでヴクさんの方を向いて一礼し、チェルさんについて行く。
チェルさんらしいけど、もう少しまろやかに言えば良いのに。ヴクさんはどう思っているかな。ヴクさんの様子を窺うようにそっと後ろを見る。私の視線に気付いたヴクさんが頭を下げた。私も軽く会釈をして前を見る。
チェルさんは無反応だし何となく気まずい。私はそのまま前だけを見て、チェルさんと一緒にお城から離れた。
ヴクさんが見えなくなるくらいの距離を歩くとチェルさんが口を開く。
「ヴクは魔王への忠誠心が強い。魔王から俺達の様子を見るようにでも言われているんだろう。気をつけろよ」
「はい」
「どうした?」
「行く場所、決まっているんですか?」
それが普通だとは突っ込むのは止めておこう。チェルさんが魔王様に対して少しぞんざいに扱っているのは今更だ。触れる必要はない。
それよりも今は採取だ。チェルさんは行く場所が決まっているようにまっすぐと歩いている。
「近くに湖がある。水辺のが薬草の類いは生えていそうだ」
「みずうみ?」
その言葉を聞いた瞬間、ノイズが走るように頭の中から雑音がしたようだった。ノイズはすぐに落ち着き、その代わりに私の頭の中に地図が広がった。
このエリアのマップだ。そうだ私はこのエリアを知っている。
ここは隠世の森。由来などはわからないが、前世のマップの右下にはそう書かれていた。
隠世の森……凶悪な魔物が出現する森。入ったら最後、二度と戻って来れないことからそう呼ばれている。




