16.姫の油断
幽閉生活をしてそろそろ四カ月。少しずつ変わっているが、平穏な日常を過ごしていた。
チェルさんと一緒にご飯を食べて、それ以外の時間は掃除をしたり、本を読んだりとのんびりと過ごしている。
特にチェルさんから本を借りるようになってからは一日が早い気がする。そっと時計を見ると十五時。さっきご飯を食べ終わったばかりだと思っていたのにもうこんな時間か。
きりの良いところだし少しだけ休もう。チェルさんから借りた栞を挟み本を机の上に置いてから紅茶を飲む。
淹れてから長い間そのままにしていたせいか冷めているが、心に染み渡るような優しい味はいつもと変わらなかった。
「んー」
カップを机の上におくと、小さくのびをして空を見上げる。とても綺麗な青空だ。
日差しも心地良い。そのままソファーに横になると瞼が重くなる。心地よさに身を委ねながらゆっくりと瞼を閉じる。
今日も素敵な日常だな。そのまま意識が沈むように私は眠りについた。
***
「姫、そろそろ起きないとまずい」
声が聞こえた。とても大好きな声だ。そう思った。
声の元に向かいたいと思ったが、それ以上にふわふわの毛布が気持ち良い。まだ寝ていたい。
「……あと……ごふ……ん」
「わかった。五分だな」
そう言うと声が聞こえなくなった。なんだったんだろう? それよりも毛布が気持ちいい。毛布を更に強く抱きしめた。
「五分経った。姫。起きないのか? 飯を食い損ねるぞ」
しばらくしてから再び声が聞こえた。あれ、この声はチェルさん? 飯? お昼ご飯ならさっき食べたはずだ。あれ? 私は夜ご飯に何を食べたっけ?
未だに頭の中はふわふわしているが、ゆっくりと目を開ける。するとチェルさんと目があった。
「チェ、チェルさん!」
え? どうして? 目の前にチェルさんがいるんだろう?
「そろそろ食堂に行かないと飯を食い損ねる」
状況を読み取れない私に説明するようにチェルさんが言う。そのまま時計に視線を移動すると二十時三十五分を示していた。
そうだ。私は本を読んで、そのまま天気が良かったのでお昼寝をして……。寝過ぎてしまったみたいだ。ヤバい。急いでベッドから出る。
「チェルさん。すみません」
「気にするな」
「気にします。起こしてほしかったです」
「あんなに気持ち良さそうに寝ているのを見たら起こすのは気が引ける。お前の部屋に俺の本がたくさんある。時間は潰せる。問題はない。それよりも飯に行くぞ」
そうだ。確かチェルさんが食い損ねると言っていた。まずは急いで食堂に行かないと。チェルさんの手を握る。
「チェルさん。走った方が」
食堂がいつまでやっているかわからない。急ぐと言うことは二十一時くらいだろう。後三十分もない。チェルさんはそんな私と正反対にいつものペースで本を棚にしまう。私が手を握っていることに気付いていないのだろうか。
「二十一時半まではカウンターは開いている。走る必要はない」
「ですが」
「走ると転ぶ。いつも通りで良い」
チェルさんがいつものペースで言うが、時間が時間だけに焦ってしまう。転ばないように気をつけながらも、いつもよりも少し早足で食堂へ向かった。
食堂につくと、ユンさんが私達の元にかけよる。不安げな表情なのが心に刺さりそうだ。
「エルちゃん。今日は遅かったわね。具合でも」
「ちょうど読みたい本があった。それだけだ」
「……チェルくん。エルちゃん。本を読むのは楽しいかもしれないけど、ご飯を抜いちゃだめよ」
チェルさんの言葉にユンさんが少し苦い顔をする。
「はい。ユンさん。ごめんなさい」
「次は気をつけるのよ。こんな時間だし、今日は残っている時間で消化に良いもの作るわね」
「ユン。ラーメンで」
「ダメ」
チェルさんの言葉の途中でユンさんが言い切った。今日のユンさんは少し怖い。ユンさんの言われた通りにするのが良さそうだ。
「作り終わったら持って行くから、ちゃんと待っているのよ」
「はい。もちろんです」
チェルさんは言葉を遮られて不機嫌になっている。何も言わないので、代わりに返事をする。
それからいつもの席が空いているか確認する。こんな時間のせいか食堂はまばらで、いつもの定位置も空いていた。
「チェルさん、座って待っていましょう」
そう言いながらチェルさんの手を引いた。
席に向かうとそのままチェルさんと一緒に座る。ご飯はまだだけど、目が覚めてから慌ただしかったのが、ようやく落ち着いた気がした。
「チェルさん。ごめんなさい」
チェルさんに迷惑をかけてしまった。落ち着いてきて真っ先に浮かんだのはその言葉だった。
「だから気にしないといっているだろう」
「私が気にしています。次は起こして下さいね」
「気が向いたらな」
「気が向かなくても起こして下さい。ご飯が遅くなってしまうのは良くないです」
「俺は別に魔物が少ない時間だったら問題ない」
チェルさんは気にしないと思うが、自分のせいだって考えると気にしてしまう。それに――
「私が問題あるんです。寝ている姿は恥ずかしいです」
よだれは垂らしていないだろうか。間の抜けたような顔はしていなかっただろうか。そんなことも気になってしまう。
「安心しろ。襲うことなどしない」
チェルさんが淡々と言った。襲う。襲撃的なことだろう。
チェルさんは私の寝顔など気にしないようだが、私としては大問題だ。寝顔を見られた。もう。ソファーでは寝な。いや、あれ? 私は起きたらベッドにいた。
「なんだ」
「そう言えば、私はベッドに」
「風邪を引くだろう」
「えっ、あっ」
チェルさんが運んだ。それは予想外で一気に体に熱が帯びる。頭の中の整理がつかない。情報が多すぎて頭の中がパンクしてしまいそうだ。まわらない頭を無理やり整理して、言葉を出す。
まずは重くはなかったか? だ。
「姫?」
「しょ、その、重くなかったですか?」
「人の重さだろう? 運べる重さだった」
運べる。これ以上混乱するとは思わなかった。新しく入ってきた言葉が頭の中で暴れる。
「そうですか……」
「不満でもあるのか」
「いえ。重いものを運ばせてしまって」
「運べれば問題ない。それに重いということは健康的と言うことだろう。飯をちゃんと食っていることだ」
それは遠回しに重いと言われているようだった。いや、もしかしたら誉められているかもしれない。チェルさんの好みのタイプなんて全然わからないし、何を言えばわからなくなる。
「もうお昼寝をしないようにします」
私の頭が無理やり昼寝が原因だと答えを出した。そうだ。もう、この話を終わらせよう。頭の中に詰まっている情報を空にするように言った。
「わかった。起こす。これなら良いか?」
「えっ?」
「以前、熱を出しただろう。無理をして体調を崩すのも良くない」
「無理はしません。迷惑をかけたくないですし」
「迷惑だなんて思っていない。ただお前が俺の見えない所で無理して体調を崩される方が気分が悪い」
チェルさんがそう気にかけてくれるので私はだんだんとこの城に溶け込んでいる。囚われの身の筈なのに油断している。昼寝なんて最初来た頃は考えられなかったな。
「チェルさんがいないと死んでしまいそうです」
「だから俺が監視している」
私とチェルさんの考えていることは違う。わかっているがその言葉に振り回されてしまう自分がいる。
私はチェルさんがいる世界じゃないと生きられそうもない。そう思いながら与えられる夕飯を待つ。私を捕らえた目的はなんだろう。
好待遇を考えながらチェルさんをちらっと見た。




