15.歴史書と娯楽小説
話を終えるとチェルさんがティーポットを持つ。そして私に向けて口を開いた。
「飲み物が冷めているな。温め直すか?」
「いえ、チェルさんは」
「俺はこのくらいの温度が好きだ。飲みやすい。そうだ姫。シュークリームと飲み物に毒は入っていないか?」
チェルさんが机にシュークリームと紅茶を置くと私に声をかけた。
毒が入っている? チェルさんがそう聞くのは珍しかった。いや、初めてだ。どうしたんだろう。チェルさんを見る。
「魔王様がくれたんですよ」
「ああ、だからだ。この状況になるのも計算のうちだろ」
「この状況?」
「あいつはこのシュークリームを俺に食わせようとしている」
そんな風に言われると一気に不安になる。急いでシュークリームと紅茶をじっと見た。
何も入っていない。良かった。当たり前かもしれないが、小さく息を吐くとチェルさんを見る。
「入っていないです」
「そうか。わかった」
そう言うとチェルさんはお皿からシュークリームを取り食べた。口に入れると怪訝な表情をし、そのまま私を見た。
「この食い物は甘いな。食べたことがない味だ。本当に変なものは入っていないだろうな?」
どうやらチェルさんは今までお菓子を口にしたことがなかったようで、人工的な甘さに慣れていないようだ。チェルさん。警戒のしすぎですよ。
「入っていませんよ。私も頂きますね」
「待て、まだこの甘みの原因は」
私がシュークリームを掴もうとするのをチェルさんが引き留めようとするが、気にせずにそのままシュークリームを掴み食べる。
うん。美味しい。いつも食べている優しい甘さだった。
「シュークリームは元々甘くて美味しいんです。うん。美味しいです」
「……変なものが入っていたらどうするんだ」
シュークリームを食べたのがお気に召さなかったのか、チェルさんは不機嫌な表情をする。いつもの味なのに。
「チェルさんがそんな事言うから、魔王様のことを警戒するんです」
未だに私の様子を見るチェルさんにそう伝えるとチェルさんが私をじっと見る。真剣な表情で思わず私は視線を話せなかった。
「お前がここにいるのは魔王の目的があってだからな。俺以外の魔物は警戒していた方が良い」
「わかっています。チェルさんだけですよ」
チェルさんが表情を変えずに淡々と言った。自分だけは味方だと言えるのがずるい。私はチェルさんの目を見ながら言えなくて、そっと視線を外すと呟くように言った。
***
好きな方と二人。最初は恋心でドキドキしていたが、だんだんとドキドキの種類が変わってきた。
ここ十分近く無言だ。正直チェルさんと何を話して良いかわからない。
凄く気まずい。大好きなチェルさんと一緒なのに、紅茶を意味もなく飲んでいる気がする。
「……姫は本を読むのか?」
「はい!」
紅茶に映る自分を見ていたら、チェルさんが言った。何も前触れなく出てきた言葉に一瞬驚くが、直ぐに返事をした。
返事をしないと。張り切ってしまっていたからか、全力で答えてしまった。恥ずかしくてそっとチェルさんから視線を外した。
「そうか。俺に話を合わせただけではなかったのか」
チェルさんは私の様子など気にせずに淡々と言った。
「はいもちろんです」
「なら。俺の持っている本を読むか? 暇つぶしになるだろう」
チェルさんの言葉をきっちり理解するのに時間がかかった。
私がぼんやりしていたからか何も言わない私に対してチェルさんが姫と呼ぶ。そうだ。チェルさんの本だ。チェルさんの方へ視界を移し口を開いた。
「チェルさんの本をですか?」
「ああ。歴史書しかない。大人向けだが何もないよりはマシだろう。文字は読めなかったら言ってくれ。考える」
大人向け。その言葉を聞くと自分が汚れた人間のように感じる。
「はい」
「娯楽小説と呼ばれている物はない。読んでみたが意味がわからなかった。歴史書はわかる。それに知識がないと生き残れないからな。知っておくと後々便利だ」
ばっさりと切るようだった。確かにチェルさんが恋愛小説なんかを読んでいるのはイメージがつかないが、そこまではっきり言うのは不思議だった。いや、チェルさんだから普通かもしれないけど……。
「俺は人と考えが違うからな。人の感情がわからない。理解するつもりもさらさらない。だから読む気にならない」
ユンさんの鈍感という言葉が頭に浮かんだ。感情がわからない。
チェルさんは自分が基準にある。面倒かどうか。不快かどうか。先ほどの自分が不快だから私側につく。その言葉がとてもしっくりと来た。
「知識がないと生きれませんからね」
ゆっくりと息を吐き、頷きながら言った。
私はチェルさんに人間の感情など知らずにこのままでいて欲しいと思ってしまった。チェルさんが人の考えを知ったら私の事はどう思うだろう。私の気持ちはどう思うだろう。それを考えるのが怖く感じた。
ずるいことなんてのはわかっている。だが私はチェルさんとこのままの関係でいたい。人間が魔物さんと結ばれるなんてことはないだろうし。
「そうだな。明日、適当に何冊か見繕ってくる」
チェルさんは私の言葉の意図に気付かず肯定した。罪悪感からか胸が僅かに痛くなった気がするが、気にしないように話を続ける。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら考える。チェルさんの本だ。チェルさんの好きな物を知ることが出来る。そう考えると先程までの罪悪感が沈んで恋心が出てくる。
「……姫。本当に欲しいものはなかったんだな」
チェルさんがそう言いながら視線を外した。本と伝えたことかな。気にかけてくれたんだ。チェルさんはやっぱり優しいな。
「はい」
「宝石などは?」
「持っていても使うことはないですし」
囚われの身だ。そりゃチェルさんに可愛いと思われたいが、きっと宝石でチェルさんはなびかない。それくらいはわかる。
「金や貨幣は?」
「食堂のご飯はお金がなくても食べられますし」
「そうだな」
チェルさんが顔を顰める。何かを考えているようだった。
「チェルさん?」
「……安全な飯に綺麗な住まいがあれば良いわけではないな」
「そうですか? ここはとても好待遇で」
「俺だったら逃げ出す環境だ。何もなく、欲しいものを知ることが出来ない」
チェルさんが言い切った。その言葉は意外だった。
「逃げませんよ」
「だからだ。お前は少しはわがままを言った方が良い」
チェルさんが低い声で言った。気にかけてくれてはいるが本当に欲しいものはない。いや、あるがもう手に入っていると言う方が正解だ。私の隣にチェルさんがいる。それだけで充分だ。だがそんな事は言えない。
「三食ラーメンとか、ですかね」
「お前がそう思っているなら善処する」
誤魔化そうとしたのを気付かれたようだ。チェルさんは感情がわからないなんて言っていたがそう言った所にはすぐに気付く。
だがそれが恋心と言う事に気付くことはないんだろうな。
「……突然言われてもすぐに出てきませんよ」
「そうだな。出てきたらいつでも言ってくれ」
「チェルさんが困るものかもしれませんよ」
「人の求めるものなど、限られているだろう」
人。その言葉を聞いて、私はそっと出てきた恋心をしまった。
「やっぱり今日の夕食はラーメンが良いです」
「わかった。体を壊すなよ」
私はチェルさんと一緒にいれれば充分です。その気持ちを隠しながら「はい」と頷いた。




