13.一触即発
チェルさんの返事に魔王様が苦い顔をした。
まだ話は続きそうだ。
面倒事が嫌いだとチェルさんはよく言っているが、チェルさんも結構面倒事に突っ込んでいる気がする。
「チェルには聞いてないよ」
「姫の代わりに言っても問題はないだろう」
「チェルさん。私は囚われの身です」
振り返りチェルさんを見る。
チェルさんはもう少し私の立場を理解して欲しい。チェルさんのことは好きだし、いつもなら力になりたいと思っているが、チェルさんとの未来がかかっている以上、今回に限っては協力が出来ない。
「ああ。知っている」
「今後の幽閉生活がかかっているんですよ、我が儘はだめです」
「欲しいか聞いているのは魔王だ。そんなことを言わないだろ」
チェルさんが魔王様に同意を求めるように言った。
確かにわざわざ聞かないと思う。だけど私にはチェルさんの監視という最高の環境を用意して貰っている。これ以上望むのは良くない。
「チェルの言う通りだよ。君がこの城から逃げない限りは多少の我が儘は気にしないよ」
「こいつは逃げるつもりは全くない。問題ないな」
「問題ないよ。だが私は姫に言っている。チェルには言っていないよ」
「ああ。俺も姫と話をしている。姫。と言うことだ。何もないのか。言わないと本になるぞ」
「特に欲しいものがなくて」
チェルさんは強引だ。だが私の選択は決まっている。特になしだ。望みすぎてチェルさんを失ってしまうのが怖い。
「魔王が遠慮するなと言っているだろう」
「そうですが」
「お前。ずっと部屋の中にいて暇じゃないのか?」
「全然そんな事ないです。ほら、外の景色を見ていたら気分転換になりますし」
私の言葉にチェルさんの眉間に皺が寄った。確かに暇な時もあるけど、魔王様に用意して貰うのは気が引ける。
「……仕方ない。チェル。姫が読むなら構わないよ」
「もちろんだ。姫、本で良いな?」
魔王様がチェルさんに折れ、特になしと言う選択肢が消えてしまった。欲しいものが全く思い浮かばない。ならこのまま本にしてもらうのが良いかもしれない。チェルさんはどうやら本が好きなようだし、
「はい。大好きです。チェルさんが選ぶ本を読みたいです」
「お前が読むんだぞ」
「はい。大丈夫ですよ」
チェルさんの好きな本を知れるのは嬉しい。好きな人の事は知りたいものだ。もちろんと大きく頷くとチェルさんの表情が険しくなる。
「どんなのでも良いのか?」
「はい。大人向けの本でも大丈夫です!」
ねっとりした官能小説が来ても大丈夫。十七才の私が読んで良いか置いておいて、チェルさんのためなら読める。むしろ……いや、これ以上はやめておこう。一応私は姫だ。
「大人向け? ああ。読み辛いってことか」
チェルさんが少しの間の後に言った。チェルさんの言葉に自分が恥ずかしくなる。さすがにえっちな本だったとは言えないし。よし。合わせよう。
「はい。どんとこいです」
「わかった。読むのが苦痛になった時はすぐに言ってくれ。俺が欲しいのは……そうだな。ロンディネの歴史書で良いな」
「ロンディネ?」
それは私の実家だった。どうしてチェルさんがロンディネの本を欲しいのだろう。じっと見るとチェルさんが視線をわずかに反らした。
「ただの暇つぶしだ。金はあるが伝がない。買いに行くにも遠いだろ。魔王ならロンディネへもすぐに行けるからな」
「全く。私に買い物を頼むなんて、君くらいだよ」
魔王様を小間使い。やっぱりチェルさんと魔王様の関係は謎だ。
魔王様も見た所、怒っている様子が感じられないが、正直内心どう思っているんだろうな。表情からはわからない。
「なんだ。お前が勝手に買いに行くんだろう。それよりも姫。お前も希望があるなら、今すぐ言ってくれ。お前の国の言葉で書かれているだろうし中身はともかく読みやすいだろう」
「はい。えーっと、チェルさんの好きな本で」
チェルさんの言葉で一つの考えが頭に浮かんだ。もしかしたらチェルさんは私のために言ってくれたのかもしれない。私が特になしって言ったから。
もしそうだったら気を遣わせてしまった。嬉しさと申し訳なさが生まれた。
せめてチェルさんの好きな本にして貰おう。
「魔王。姫の欲しいものだ。わかったな」
「それなら仕方ないな。チェル。本のタイトルは」
「任せる。お前の気に入らない本は売り切れているだろうしな」
「わかったよ。ものは言いようだな」
「なんだ?」
魔王様もチェルさんに話を合わせているみたいだ。
囚われの姫にそんな優しくしないで欲しい。自分の立場を忘れてしまいそうになる。それにチェルさんのことをもっと好きになってしまいそうだ。
「チェルの思い通りなんだろうね。賢いな。さすがは」
その瞬間、思い切り後ろに引っ張られた。その後に滝が流れるような音が聞こえる。突然の衝撃に思わず目と耳をふさぐ。
「調整はできる」
チェルさんの声がなぜか私の背から聞こえる。チェルさんが近くにいるなら、大丈夫だ。
妙な安心感が生まれそっと目を開く。目の前に滝が流れていた。
滝。……何が起こったの? わからない。いつの間にか私の後ろにいるチェルさんをそっと見る。
とても機嫌が悪そうだった。
だからすぐにわかる。これは多分チェルさんの力だ。
「チェル。いつからこんなに喧嘩早くなったんだい?」
その言葉とともに目の前の滝が突然と消えた。
チェルさんが小さく舌打ちしたので、きっと魔王様の力だと思う。間に姫を挟んでいますよ。なんて言える雰囲気ではない。
「そんなつもりはない。ただ余計なことを口走る前にその喉を潰そうと思っただけだ」
「全く。姫が怖がるだろう」
「姫が? ああ。確かに真ん中は危ないな。後ろにいろ。壁くらいにならなれる」
「は、はい」
チェルさんの手が私から離れたので、そのままチェルさんの後ろにいく。……これもまずい。必然的に魔王様と対立している形になる。
魔王様は怒っていないだろうか。チェルさんの背から魔王様の様子をそっとうかがう。魔王様は私と視線が合うと柔らかく笑った。こんな状況で笑っているのは逆に怖い。
「姫。怖がらせてしまったみたいだね。安心してくれ。もう言わないよ。チェルを相手にしたくないし」
言わない? そう言えばあの滝は魔王様が何かを言おうとした瞬間だった。
「喉を潰されたいのか?」
「そうだね。これ以上口走る前にこの場から離れた方が良さそうだ。用事は済んだこと事だし、私はそろそろ戻るとしようか」
「そうか。なら俺の仕事をしに行くぞ」
チェルさん本当に魔王様に自分の仕事させるつもりなんだ。さすがと言うべきなのか迷う。
「ああ。私の出来る範囲でやっておくよ。ディーネ達にも事情を話しておくよ」
「やっておく?」
「私なりに反省しているからね。チェルも休んでいてくれ。ほら、シュークリームは二つ用意してある」
そのまま押しつけるようにチェルさんにワゴンを渡すと魔王様が私達に背を向けてどこかに向かう。
ワゴンは残っているが無事に終わったようだ。少し安心する。
「ワゴンを中にいれる。部屋の扉を開けてくれ」
魔王様が見えなくなった辺りに、チェルさんの声が聞こえた。
その言葉に急いで部屋の扉を開けるとチェルさんがカートを引き、そのまま部屋の中に入った。