11.最弱四天王(自称)の報告
視点が変わります。
チェルの生活は魔王城に姫をやってきてから急変した。
今までのチェルは九時から十七時まで魔王から依頼された仕事をし、決まった時間にご飯を食べ、酒を軽く飲んでから寝る。まるでロボットかのように決められたような生活だった。
それでも彼にとっては何事も起きない平穏な日常はこれ以上ないものだった。
そんな彼の生活は前触れもなく突然変わった。
『姫のことを君に頼んで良いか?』
魔王からのその一言がきっかけだった。それからチェルの日課に姫の食事の給仕と彼女の生存確認が加わり、また少しすると今度は姫と一緒に食事を取る日常が追加された。
そして気付いたらチェルの世界には姫が入り込んでいた。
それはこの城も同じで、彼女はだんだんと城に溶け込んでいった。チェルが見張っていることもあるが、食堂で食事をしている姫に声をかける魔物はいない。そしてチェルの周りで姫のことを話す魔物も減ってきた。
人の姫が城にいる割にここは落ち着いている。チェルにとってそれはとても気味の悪いことだった。
気味の悪さを解消しようとチェルが魔王に聞こうとするが、その都度かわされ、結局チェルが魔王から理由を聞けることはなかった。
それでもチェルは姫がここにいるのはロンディネよりもこの城が安全だからと言うことには薄々勘づいている。
人の輪から外れた魔物の様な目を持つ姫。面倒な存在だと感じ取ってはいるが、いつものように簡単に切り離せなかった。
だからチェルは今日もその事には触れずに姫を食堂に連れて行き、部屋に送り届ける。そして自室へと向かうとチェルの部屋の前で魔王が立っていた。
「どうした?」
チェルが怪訝な顔をしながら魔王へ声をかけた。
「姫の様子が気になってね。ユンから熱が出たと聞いたが、調子はどうだい?」
「ユンに聞いたのならすぐに落ち着いたのは知っているだろう。なんだ? 監視が出来ていないと文句でも言いに来たのか?」
そのままチェルが睨みながら言うと魔王はチェルを窘めるように優しい表情をする。そしてゆっくりと口を開いた。
「そんな事はない。姫も食堂で楽しそうにしているんだろう。助かっているよ」
「ならなんだ? そもそも姫の調子が気になるのなら直接見れば良い。食堂で飯を食っているだろう」
チェルの中では姫がこの城に来て一カ月半くらいの時が流れていた。その間、魔王は姫にあうことはなかった。
チェルに週に一度現状を聞いて終わり。それはチェルにとって、とても不可解なものだった。
魔王は盾代わりになる。頭も切れる。チェルに取って有用な存在だ。だがその聡明が部分がチェルにとって悪い方向に行くととても腹立たしく感じる。目的がわからないもの以上に苛立つものはなかった。
「チェルから見た姫の様子を聞きたいんだ。姫はチェルに懐いているみたいだからね」
「気のせいだろう。あいつは誰が来ても同じ応対をする」
あの姫は自分の立場を嫌という程にわかっている。チェルが頭の中に姫を浮かべながら言った。
「そうか。だがチェルにしか気付かないこともあるだろう」
「俺にしか? 飯を食うようになったとかか?」
「前も残さず食べていただろう? ユンから聞いている」
ユンに聞いているのにいちいち俺に聞くのか。大方姫がロンディネでどう扱われていたか知りたいのだろう。そう思っているからか詮索してこようとする魔王の態度にチェルの眉間に皺が出来た。
「なら俺が言うことはない。そもそもあいつを連れて来たのはお前だろう。……お前はあいつと関わりを持とうとしないが、あいつの事をどう思っているんだ?」
「そうだね。可愛い娘だね。おまけを渡したくなるくらいに」
「見ていたのか」
魔王にシュークリームを買っている所を見られた。
チェルが妙な居心地の悪さを感じたのか、苦虫を噛み潰したような表情で魔王を見る。
「見てはいないよ。ユンが苺をプレゼントしたら、姫が凄く喜んでいたと嬉しそうに話していてね」
「それか」
その言葉にチェルの頭にユンが姫に果物を渡している姿が思い浮かぶ。
そして魔王がおまけと言っていたのはユンの事だと気付く。魔王はユンとも姫について話している。それならば、まず出てくるのは果物のことだ。それなのにチェルの頭に浮かんだのはシュークリームを食べている姫の表情だった。
「それ?」
「果物の話だろう」
これ以上聞くな。チェルがそんな気持ちを込め魔王を睨み付けた。
その様子でチェルと姫の間に何かあったことに魔王が気づく。
だがそれはチェルの中で整理がついていないように感じ、魔王はこれ以上指摘しないが良さそうだと感じ、口を開いた。
「そうだったな。姫がこの城の物を喜んでくれて嬉しいよ」
「そんなに姫が気にかかるなら、お前が面倒を見れば良かっただろう」
魔王の何を考えているかわからない態度にチェルの眉間の皺が更に増える。
「それが」
「それ?」
「いや。気にしないでくれ。私はどうしても若い娘と接するのが苦手なんだ。もし君が姫の監視が嫌ならラビアに」
「嫌だとは言っていない」
チェルが魔王の言葉を否定するように言った。ここで魔王の言葉を肯定すれば面倒事は切り離せることは知っていた。だがそれは彼女との日常が消えることを意味する。
仕事が減るはずだが、なぜか不快な気分になる。だからかチェルの眉間の皺がまた増えた。
「それならば良かった。なら引き続きチェルに頼めないかい。姫もチェルに懐いているみたいだからね」
「別に構わないが。それよりもあいつが俺に懐いている? 俺は魔物だぞ」
チェルが怪訝な表情をした。あの姫は自分の立場を理解している。だから別に懐いているわけではない。そう思いながら魔王を見る。
「あんなに嬉しそうにチェルとラーメンを食べていただろう」
「それはラーメンが好きなだけだ」
チェルは魔王を睨んだ。勝手に俺たちの事を見るな。その視線にはそんな気持ちが込められているようだった。
「そうかな。君が羨ましいと感じたよ。私も一緒に食べたいと思ったが、姫がチェルと楽しそうに過ごしているのを邪魔するわけにはいかないからね」
魔王が苦く笑いながら言った。姫との接し方がわからないと言っている割に飯を食っている途中に無理やり来そうだ。そんな事になったら姫は戸惑うだろう。
「あいつはシュークリームが好きだ」
ならまだ姫の好物で気を紛らわせた方が良い。
シュークリームを食べる姫の様子を思い浮かべながらチェルが言った。
姫はシュークリームを好きらしい。自分の気まぐれの行動から知った彼女の好物を思い出す。
姫はシュークリームをとても喜んでいた。毒が入っているなんて警戒をする素振りは見せなかった。その上食べるとなくなる。そんなことまで言っていた。
だからかただの気まぐれだった筈なのに、未だにチェルの頭の隅にシュークリームは居着いている。
「?」
「シュークリームを渡せばお前でも話を聞いてくれるだろう。俺は食っている邪魔をされたくない。食っていない時にしろ」
飯を食い終わったら少し様子を見せるくらいした方が良い。魔王が突然話しかけたら、姫は躊躇するだろう。
あの姫には笑っている方が良い。
『可愛いからおまけだ』
あの時の行動を考える。シュークリームなら魔王からでもきっと喜ぶ。その筈だが、シュークリームを姫に送る魔王はチェルにとってあまり気持ちの良いものではなかった。