十二話
――やってみなきゃ、結果なんて分からない……か。
イマはサンに言われた言葉を幾度も胸中で繰り返していた。
サンは若い娘の中では随一の気の強さで、辛辣な言葉を口にすることも多い。それでも反感を買わないのは彼女が人一倍努力家で、皆がそれをよく知っているからだった。
きつい畑仕事も、手際よくこなしていくし、苦手な裁縫だってハリカを手本に克服した。
歌もそうだ。畑仕事の合間を縫っては、歌巧者の年輩の女に根気よく教えを乞い、時には、喉が枯れるまで歌う。妹が喉を潰してしまわないかとハリカがよく気を揉んでいた。
サンはイマの母であるマティの元にも度々訪れていた。
昔は、その度にイマも歌の練習に付き合わされたものだ。
「祭りの歌は特別だよ。それは素晴らしい体験が出来る。二人にも是非味わってもらいたいわ」
そう言ってマティは嬉しそうに歌を教えていた。
それにサンには天性の才もあった。歌選びに出られる歳になる前から、彼女の歌は同年代の少女の中では群を抜いていた。
目まぐるしく速さが変わる歌も、微妙な高低差が入り乱れる歌も、サンが歌えばとても易しいものに聞こえる。それだけ彼女の歌が巧みだからだ。
イマは苦も無く旋律を奏でるサンの声が羨ましくて、音を捉えられない自分の声が歯がゆくてたまらなかった。
歌選びに出ればイマには万に一つの勝ち目もない。それでもイマは、諦めようとは思わなかった。あの日、タルウィの街に行くまでは……
サンの叱責は腹立ちよりも、懐かしさが先に立つ。イマにも、「やってみなければ分からない」と思っていた時期があったのだ。
――そう言えば、うんと小さな頃。アシュと約束する前は、お母さんに憧れていたんだっけ。
イマの母、マティはイユーニの祭りで幾度も歌い手を務めた歌の名手だ。
祭りの日、歌い手の衣装に身を包み、化粧をした母は、普段とは別人のようだった。
一番古い祭りの日の記憶は、どこか近寄りがたい雰囲気を纏う母に戸惑い、わけもわからず「嫌だ嫌だ」と駄々をこねている幼い自分だ。
けれど次の年には、戸惑いは憧れに代わっていた。その日の母はとびっきり美しく素敵だと一年かけて分かったのか、それとも次の日にはいつもの母に戻るのだと分かって安心したのか……今となっては分からない。
母のようになりたいと歌の練習に励んでいた日々。思うように歌えなくて、拗ねては練習をさぼりアシュに窘められていた毎日。そしてアシュへの恋心を自覚した頃。
――なんだか、懐かしいな。
子犬のように跳ね回るアムルの手を引いて、マティと一緒に田に向かう時には思い出したこともなかった古い記憶が、次々と浮かんでは消えていく。
中でも一際鮮明に思い出されたのは、幼い頃の祭りだった。
三日ある祭りは、一日一日違った意味を持つ。
一日目は、田植えの労を労う日だ。
土を耕し、畔を整え、水を引いて、苗を植える……一月に渡るこれらの作業を無事に終えたことを喜ぶ。
昼の間に御馳走をこしらえ、夕刻になると、雨があがるのを待って、皆で宴を開いた。
二日目は、祖先の霊を迎え、感謝を捧げる日。
この日も御馳走をつくるが、まずは、祖先の霊に捧げてから、それぞれの家で頂くことになる。
そして三日目。この日、里の者は皆、夜までなるべく家に篭って過ごす。
夜になると、歌い手に選ばれた者は男達が担ぐ神輿にのって山を登った。山頂に着くと、男達が去ってから、歌い手は神輿から降りて、マナフの里を守る神々に捧げる歌を歌うのだ。
山を登り始めてからは、誰も歌い手の姿を見てはならない。声をかけてもならない。
里の人間は、広場に集まり、山々に響く歌声を粛然と聞いて朝を待った。
目を閉じて歌に聞き入る父アムタートの傍らで、イマは、まるで空から降ってくるような母の歌を、息を詰めて聞いていた。一音も聞き漏らさぬように、静かに、静かに。今にも落ちてきそうな満天の星空の下で――
美しい歌声への憧憬と、母の不在に微かな不安を抱いて過ごした祭りの夜。
鮮やかに蘇る幼い頃の気持ちに、イマは何故だか胸が痛くなってそっと手を当てた。
憧れは今でもある。けれど、長い間アシュとの約束を叶えることを目標に頑張っていたイマには、憧れだけを動機に、再び歌選びに出るのは難しかった。