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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第二十七話 三州の前の北

天文十五年(1546年)正月


 冬の薩摩は、空が高い。


 乾いた朝の光が庭へ落ち、白く冷えた空気の中で、島津の評定座敷だけが静かな熱を持っていた。


 上座には島津忠良。

 その脇に島津貴久。

 列するのは伊集院忠朗、樺山善久、平田昌宗。


 火鉢の火が赤く揺れる。


 忠良が阿蘇から戻ってまだ日が浅い。

 その報をもって、いま島津が北をどう扱うかを定める場だった。


 最初に貴久が口を開いた。


「阿蘇は、どう見る」


 問いは短い。

 だが、この場に必要なのは飾りではない。


 忠良が答えた。


「育つ家だ」


 その一言で、座の空気が締まる。


「田を増やし、市を立て、鍛冶へ手を伸ばし、山を見ている。今あるものを守るだけではなく、先を作ろうとしておる」


 忠朗がそれを受けた。


「しかも、別々に動いてはおりませぬ。田と市と鍛冶が一つの筋でつながっております」


 樺山が言う。


「それだけなら、まだよい」


 武辺者らしい物言いだった。


「問題は、その筋が今後どこまで太るかですな」


「うむ」


 忠良が頷く。


「いまの阿蘇は、まだ大国ではない。だが、伸び方が素直だ」


 平田昌宗がそこで静かに問うた。


「北で先に潰すべき相手、とはお考えにならぬか」


 忠良は、すぐには答えなかった。


 阿蘇で見たものを、一つずつ腹の中で置き直しているようだった。


 門前の市。

 戦後に寄る人。

 整い始めた鍛冶場。

 そして若君。


「潰せぬとは申さぬ」


 忠良はようやく言った。


「だが、噛んで得るものと、削られるものを比べれば、いまは利が薄い」


 忠朗が続ける。


「阿蘇は勝ったあとに人を吸っております。ああいう家は、落とせば終わりではございませぬ。抑えるにも手が要る」


 樺山が腕を組んだまま、低く言った。


「兵を出して勝つだけならできましょう。だが、国を減らさず勝てるとは限らぬ」


 平田も頷く。


「いま北で兵と銭を使えば、東が鈍ります」


 そこだ、と貴久は思ったのだろう。


 火鉢の炭を見ながら、静かに言う。


「われらの本筋は何だ」


 誰も口を急がない。


 忠良が答えた。


「三州を一つにすることよ」


 薩摩。

 大隅。

 日向。


 その三つを押さえ、ただ取るだけでなく、一つの国として動かす。

 それが島津の悲願だった。


 貴久が続ける。


「内の乱れはおおむね片づいた。だが、三州統一はまだ遠い」


 その言葉に、座の全員が同じ景色を見た。


 東には肝付。

 その先には伊東。

 北西にもなお在地の力が残る。

 島津はようやく、包囲をほどく前段まで来たところだ。


「いま北で削られるな」


 貴久の言葉は短いが、結論の芯になっていた。


 樺山がはっきりと言う。


「ならば、兵の重みは東に置くべきです」


「うむ」と平田。


「肝付を見、ついでその先を測るべきかと」


 忠良も異論はない顔だった。


「阿蘇に兵を向けるのは、三州の形が見えてからでも遅くはない」


 忠朗がそこで口を挟む。


「しかも阿蘇は、いまのところこちらへ敵意を見せておりませぬ。むしろ、先に糸を通す利を知っております」


 貴久が視線を上げた。


「結ぶに値するか」


「値する」


 今度は忠良がすぐ答えた。


「若君も、惟豊も、宗運も、それぞれに役を持っておる。あの三つが揃っているのは軽くない」


 樺山が少しだけ笑う。


「若君まで数に入れますか」


「入れる」


 忠良の声は静かだった。


「幼いが、幼いで済ませぬ方がよい」


 座が少し黙る。


 若君のことは、もう「妙な童」で片づけられる段ではない。

 それは前提になっていた。


「では」


 平田昌宗が言う。


「いまは敵にせず、縁を保つのが得」


「その通りだ」


 忠良が答える。


「いま叩けば、勝っても疲れる。その疲れは東を鈍らせる」


 貴久がそこでまとめに入った。


「阿蘇とは友和。使いを絶やすな。商いも言葉も通せ。だが、重すぎる約まではまだ要らぬ」


「承知」


 忠朗が頭を下げる。


 それで大枠は決まった。


 北とは結ぶ。

 だが主戦場は東。

 いまは三州制覇の道を細らせないことが先だ。


 樺山が少しだけ声を落とした。


「若君のこと、どう扱います」


 忠良は火鉢の火を見たまま言う。


「目を離すな。だが近づきすぎるな」


「難しいことを申される」


「難しい相手だからよ」


 忠朗はそこで、阿蘇でのやりとりを思い返した。


 鉄砲を渡した時の目。

 短い教えの話。

 家の骨を見ようとするあの感じ。


「いずれ、姫を約してもよいと考えている」


 その言葉は忠朗ではなく、忠良の口から出た。


 樺山も平田も、今度は表情を変えた。


 貴久は黙ったまま、少しだけ目を細める。


「今すぐではない」


 忠良は続ける。


「だが、先に縁を置いて損はない。あれが本当に育つなら、北へ一本太い糸ができる」


 平田昌宗が慎重に言う。


「縁談含み、にございますな」


「うむ」


 忠良は頷いた。


「表へはまだ出すな。内で持て」


 貴久は、そこでようやく口を開いた。


「よかろう」


 それだけで十分だった。


 婚姻そのものではない。

 だが、将来の縁組を見据えるだけの値が阿蘇にあると、島津の中で認められたことになる。


 樺山が言う。


「鉄砲一挺は、渡して正解でしたな」


 忠朗が応じた。


「兵を強くするためではなく、理を見るために欲する、と申しておりました」


「本当にそうかはわからぬがな・・・」


 貴久が最後に言った。


「では決める」


 座が静まる。


「阿蘇とは友和。使者と品を絶やさず、敵意なきことを保つ。

 兵の重みは肝付へ向ける。

 北で無駄に血を流すな。

 縁談の種は、まだ内にとどめる」


「はっ」


 皆が頭を下げた。


 評定は、それで終わりではなかった。

 だが、いちばん大事な骨はそこで定まった。


 阿蘇は、いま叩く相手ではない。

 むしろ結ぶ価値のある北の結び目だ。

 島津はそこへ無理に刃を向けず、東へ歩を進める。


 火鉢の炭が、小さく音を立てた。


 冬の空は高い。

 その空の下で、島津は南から東へ、そしていずれ北へ伸びる道を静かに選び取っていた。

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同作者の別連載
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