南より来たる者②
天文十八年(一五四九年)九月。
肥後、阿蘇館。
座敷が、しんと静まり返った。
「若君!」
「惟種!」
宗運と惟豊の声が、ほとんど同時に響いた。
貴久は、何が起きたのか分からぬように惟種を見つめている。
惟豊は慌てて頭を下げた。
「貴久殿! 息子がとんだ非礼を申しました。どうか、お許しくだされ!」
宗運も続いて頭を下げる。
「申し訳ございませぬ。若君、いくら何でも今のお言葉は……!」
しかし、当の惟種には二人の声がほとんど耳に入っていなかった。
(……やっべ)
初対面の義父へ、よりにもよって「ぶっ殺すぞ貴様」である。
前世でも、こんな挨拶をする者はそうそういない。しかも相手は戦国大名だ。
(……いや、待て。落ち着け。やっちまったもんは仕方ない。何とか取り繕おう)
惟種は必死に頭を働かせた。
「……ああ、いや! 違うのだ!」
惟豊と宗運が同時に惟種を見る。
「何が違うのだ、惟種!」
「若君! まずは非礼をお詫びなされ!」
「いや、もちろん非礼は詫びる! だが、今のは少々言葉が足りなかったのだ!」
惟種は貴久へ向き直った。
「貴久殿! わしが申したかったのは、ずっと待つぞ、わしは! ということにございます!」
「……は?」
「そう! 加世との婚儀を、いつまでも待つという意味にございます! 貴久殿にお認めいただけるまで、わしはいくらでも待ちますぞ!」
惟種は実に堂々と言い切った。
惟豊は額に手を当てた。
(……いや、無理だろう)
宗運も、何とも言えない顔で惟種を見ている。
(……どう聞いても、そのような言葉ではございませなんだが)
「……惟種殿」
「はい!」
「先ほどは、わしを殺すと申さなかったか?」
「……いや、その」
惟種は言葉を詰まらせた。
どうやら誤魔化しきれないらしい。
ならば、もう正直に謝るしかない。
「……申し訳ございませぬ。先ほどの言葉は、確かに行き過ぎました」
惟種は改めて深く頭を下げた。
「貴久殿に対し、大変な非礼を働きました。お詫び申し上げます」
惟豊と宗運が、わずかに安堵する。
ようやくまともに謝った。
「……ですが!」
「……惟種?」
惟豊が、嫌な予感のする声を出した。
惟種は勢いよく顔を上げた。
「仕方がないではないか! 惚れてしもうたもんは!」
「若君……」
「わしは加世が好きなのだ! それも、少しやそっとの話ではないぞ! 加世と婚儀を上げるためなら、何年でも待つつもりでおる!」
惟種は貴久をまっすぐに見た。
「もはや島津云々ではないのだ! わしが惚れたのは、島津の姫だからではない! 加世だからなのだ!」
その声に、先ほどまでの取り繕うような調子はなかった。
「ほかの娘に替えるなど、冗談ではない! 加世は帰さんぞ!!」
宗運は思わず目を閉じた。
惟豊も深いため息をつく。
しかし、貴久は怒っていなかった。
ただ、しばらく惟種を見つめていた。
ようやく分かったのだ。
この少年は加世との婚姻に不満があるのではない。
むしろ、加世でなければ嫌なのだ。
島津との縁を守るために別の娘を、と考えていた自分とは、そもそもの前提が違っていた。
「……くっ、はっはっは!」
突然、貴久が腹の底から笑い始めた。
惟豊が顔を上げ、宗運も何事かと貴久を見る。
「はっはっは! これは、これは!」
惟種は少し戸惑った。
「……貴久殿?」
「いや、失礼! まさか、これほどまでとは思わなんだ!」
貴久は笑いをこらえながら惟種を見る。
「阿蘇の鬼童と聞いておったが、なるほど! 噂に違わぬ御仁よ!」
「……褒められているのでしょうか?」
「無論だ! これほど愉快な話があるか!」
貴久はまた笑った。
やがて少し落ち着くと、惟種へ向き直る。
「しかし、惟種殿」
「はい」
「この戦国の世に、色恋沙汰が通ると思いか!」
その声には、からかうような響きがあった。
武家の婚姻は家と家を結ぶものだ。家のためであれば、望まぬ縁を結ぶこともある。
だが、惟種は少しも怯まなかった。
「通る! 通らないではない!」
胸を張る。
「通すのだ!!」
貴久が目を見開いた。
「……ほう?」
「わしが加世と婚儀を上げたいのだ! ならば、そのためにできることは何でもする! 誰が何と言おうと、わしの気持ちは変わらぬ!」
貴久は笑みを浮かべたまま惟種を見ていた。
普通の九つなら、こんな大言は笑って聞き流しただろう。
だが、この四年で阿蘇をここまで押し上げた少年が言うのなら、不思議と冗談には聞こえない。
「はっはっは! なるほど! わしは余計な心配をしておったようだな」
「余計な心配?」
「うむ。加世とそなたの仲が思わしくないのであれば、島津として何か手を打たねばならぬと思っておった」
貴久は、そこで少しだけ表情を改めた。
「だが、今の言葉を聞けば、そんな必要はなさそうだ。加世をそこまで好いてくれておるとは、思いもよらなんだ」
惟種は満足そうにうなずいた。
「うむ! もちろんである!」
「阿蘇家と島津家は、末永く栄えそうだな!」
「当然よ! わしは身内には優しいぞ!」
惟種は上機嫌になった。
そして、何でもないことのように言った。
「そろそろ次の金山でも掘るか、義父上?」
貴久の動きが止まった。
「……次の金山?」
「うむ。以前教えたところは、もう掘り進めておろう? ならば、そろそろ次でもよいかと思ってな」
惟種にとっては、ごく普通の話だった。
しかし、貴久にとっては違う。
以前、惟種は島津領内で砂金の採れる川だけでなく、金山そのものの場所まで教えている。
そして、その情報が確かなものであることを、貴久はすでに知っていた。
だからこそ、「次」という言葉の異常さが分かる。
「……惟種殿」
「何だ?」
「そなた、まだほかにも金山の場所を知っておるのか?」
「うむ。まあ、いくつかな」
惟種はあっさりとうなずいた。
貴久はしばらく絶句していた。
やがて肩が震え始める。
「……はっはっは! これはたまらぬ! まったく、そなたという若君は!」
惟種は不思議そうに貴久を見た。
「む? そんなにおかしいか?」
「おかしいに決まっておろう! 金山だぞ、金山! それを、次でも掘るかと申すか!」
「いや、場所が分かっておるのだから、掘ればよいではないか」
「はっはっは! そういう話ではないわ!」
貴久は笑いながら膝を打った。
惟種にとっては、金山の場所を知っていることすら大した話ではないらしい。
「いや、これは一本取られた! こんなに笑ったのは、いつ以来であろうな!」
惟種も得意そうに笑った。
「うむ! わしと身内になれば、よいことがたくさんあるぞ!」
「はっはっは! なるほど! これは、ますます加世を嫁がせねばならぬな!」
貴久は、ようやく父の日新斎がこの若君を気に入っている理由が分かった気がした。
話していると、こちらの常識が次々と崩されるのである。
やがて、貴久はまだ笑みの残る顔で惟種を見た。
「しかし、惟種殿」
「何だ?」
「一つ、改めて聞いておきたい」
声が少しだけ真面目になった。
「加世を、そなたに任せてもよろしいか?」
惟種は一瞬だけ目を見開いた。
今度の問いは、島津家の当主としてのものではなかった。
惟種はすぐに笑顔を浮かべる。
「うむ! もちろんである!」
そして、自信満々に胸を張った。
「大和に乗ったつもりでいていただいて構わない!」
「……大和?」
貴久が首を傾げた。
「大和とは……?」
惟種は、はっとした。
(……あ、しまった)
もちろん、この時代に戦艦大和など存在しない。
「大和の国の船、ということか?」
「いや、その……」
惟種は困ったように宗運を見た。
宗運は、すでに嫌な予感のする顔をしている。
惟豊も深く息を吐いた。
そこで、ふと思い出した。
そもそも貴久は、加世の話をするためだけに阿蘇まで来たわけではないはずである。
「……ところで、貴久殿」
「む? 何でござろう」
惟豊は、少し呆れたように二人を見渡した。
「ほかにも、ご用件があったのではございませんか?」




