↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
132/289

第百三十一話 淡路の煙

 村上には払った。


 払った以上、村上の水先は確かに仕事をした。

 潮を読み、浅瀬を避け、島影の危うい筋を外し、阿蘇の船団を東へ通した。


 だが、惟種は忘れていない。


 海にも主がいる。

 海にも法がある。


 ならば、阿蘇もまた、その法を知らねばならない。

 そしていつか、阿蘇の法も海へ通さねばならない。


 親英は船首近くに立ち、潮を見ていた。


「若君」


「何だ」


「ここまでは村上の海にございました」


「そうだな」


「されど、これより先、淡路へ近づきます」


 親英の声が低くなる。


「三好の目があるでしょう」


 惟種は頷いた。


「分かっている」


 公方様を送る船団。

 阿蘇の新式大船。

 常備兵五百。

 九州探題となった阿蘇の旗。


 三好がこれを見逃すはずがない。


 だが、惟種は三好を討ちに来たのではない。

 あくまで、公方様を送り届けるために来たのだ。


 それでも、向こうが手を出すならば話は別である。


     ◇


 淡路沖へ差しかかった時、海の様子が変わった。


 島影から、複数の船が出てきた。


 先ほどの村上とは違う。


 船の動きに、警固料を求めるような落ち着きはなかった。

 こちらを測り、押し、進路を塞ぐように広がっていく。


 親英が目を細めた。


「安宅の船か」


 戸次鑑連が、静かに甲板へ出た。


「三好方ですな」


 種茂は帳面を抱えたまま、海を見た。


「また、読みづらい場でございますな……」


 惟種は、船影を見た。


 淡路水軍。


 三好の手足の一つである。


 やがて、小船が近づき、使者が声を張った。


「その船団、止まられよ!」


 親英が応じる。


「こちらは公方様の御座船である。阿蘇が警固し、近江へお送りする途上だ。進路を開け」


「阿蘇兵五百を乗せておると聞く。上洛の兵ではあるまいな」


 惟種が前へ出た。


「これは公方様の御身を守る警固兵だ。三好を討つ兵ではない」


「ならば、三好修理大夫殿へ先に話を通すべきであろう」


「公方様が御帰還なさるのに、なぜ三好へ許しを請う」


 相手の船がざわついた。


 その言葉は、あまりに正論だった。


 だが、畿内では正論だけで道は通らない。

 力を持つ者が道を塞げば、名ある者でも止められる。


 それが今の京であり、畿内だった。


 使者は声を荒げた。


「この海は三好方が押さえておる。無断で兵を運ぶなら、見過ごせぬ!」


 惟種の目が冷える。


「公方様の御座船を、三好方の名で止めるか」


「兵を運ぶ船を止めるまで!」


 その時だった。


 淡路方の小船が、御座船の前へ回り込もうとした。

 さらに別の船が、阿蘇の中型船へ近づき、鉤縄を投げる。


 親英が叫んだ。


「縄を切れ!」


 阿蘇兵が鉤縄を斬る。


 次の瞬間、淡路方の船から矢が飛んだ。


 一本、二本。


 阿蘇の船側へ突き立つ。


 甲板の空気が、一瞬で変わった。


 惟種は、低く言った。


「今の矢は、どこへ向けた」


 誰も答えない。


「公方様の御座船の前で、阿蘇の船へ矢を射たな」


 親英が歯を食いしばる。


「若君」


「親英」


「はっ」


「反撃せよ」


 惟種の声は静かだった。


「ただし、公方様の御座船を離すな。民船があれば避けろ。沈めるのは、矢を射た船と、道を塞ぐ船だけだ」


「承知!」


     ◇


 阿蘇の新式大船が、淡路沖で牙を見せた。


 高い舷側から、鉄砲衆が並ぶ。

 合図の旗が振られた。

 太鼓が一つ鳴る。


 斉射。


 乾いた音が海へ広がった。


 淡路方の先頭の小船で、兵が倒れる。

 続く斉射で、鉤縄を構えていた船が舵を失い、横を向いた。


 阿蘇の大船は、瀬戸内の狭い島影では重すぎる。

 村上の海では、その重さが隙にもなった。


 だが、ここは淡路沖である。


 島影はあるが、海は開けている。

 風を受ける余地がある。

 逃げるにせよ、押すにせよ、大船が力を使える幅がある。


 この海なら、最悪逃げ切れる。

 包まれる前に風を拾い、火力で近づく船を払えば、御座船を逃がす道は作れる。


 そして、逃げるだけでなく戦うなら、なおさらだった。


 波を受けても崩れない。

 高い船腹が小船の接近を拒む。

 火器を高所から撃ち下ろせる。

 船足も、風を得れば速い。


 親英は、その動きを見て目を見開いた。


「この海なら……」


 言葉が漏れる。


「この海なら、勝てる」


 淡路方の船は、包もうとした。

 だが、阿蘇の中型船と小船がそれを遮り、大船の火力が次々に相手の足を止める。


 戸次鑑連は、甲板で槍兵を抑えていた。


「焦るな。乗り込ませるな。こちらから飛び移る必要はない」


 阿蘇兵は動じなかった。


 船上で足元が揺れても、隊列を崩さない。

 鉄砲を撃ち、弓を放ち、近づいた船には槍を揃える。


 種茂は、顔色を悪くしながらも帳面を離さなかった。


「火薬、次の箱を」


「はっ」


「水桶を近くに。火の粉を出すな。御座船側へ煙を流すな」


 海では、帳面の通りには進まない。


 だからこそ、数えねばならない。


 火薬。

 水。

 矢。

 負傷者。

 煙の向き。

 御座船との距離。


 宗運の代理として来た以上、海が読めぬでは済まされない。


     ◇


 義藤は、船内で戦の音を聞いていた。


 鉄砲の音。

 兵の声。

 板を叩く波。

 遠くで上がる悲鳴。


 近臣が青ざめる。


「公方様、奥へ」


 義藤は頷いたが、目は鋭かった。


 阿蘇は上洛を断った。

 幕府を府内へ置くことも断った。


 だが、御座船へ矢が向けられた瞬間、迷わず戦った。


 京では、将軍の名を使う者は多い。

 だが、その名を守るために怒る者は少ない。


 義藤は、静かに目を閉じた。


     ◇


 戦は長く続かなかった。


 淡路方は、阿蘇の大船の火力と統制を見誤っていた。


 公方を乗せた船団なら、強く出れば止まると思ったのだろう。

 あるいは、阿蘇兵五百を脅し、三好へ通す筋を作るつもりだったのかもしれない。


 だが、矢を射た。


 それで終わった。


 阿蘇は、売られた喧嘩を買った。


 淡路方の船数隻が燃え、数隻が拿捕された。

 残りは島影へ逃げ戻った。


 親英が惟種のもとへ来た。


「若君。追いますか」


「追う」


 惟種は即答した。


「ただし、民家には火をかけるな。田畑を踏むな。漁師の船に手を出すな」


「では」


「焼くのは、水軍の船溜まり、番所、兵糧蔵、船具蔵、桟橋だ」


 惟種の声は冷たい。


「公方様へ矢を向けた代を払わせる」


 戸次鑑連が頷いた。


「筋は通っております」


 惟種は、淡路の方を見た。


「村上の時は払った」


 親英も種茂も、その言葉の意味を察した。


「だが、今回は向こうが矢を射た」


 惟種は続けた。


「ならば、遠慮はいらぬ」


     ◇


 阿蘇の船団は、淡路方の前線船溜まりへ向かった。


 大船は沖に残り、火器で港口を抑える。

 中型船と小船が近づき、阿蘇兵が桟橋へ降りた。


 動きは早かった。


 船溜まりにあった軍船の帆を切り、舵を壊し、使える船は曳き出す。

 船具蔵の縄、帆、櫂、矢束を押さえる。

 兵糧蔵のうち、軍用のものだけを焼く。

 番所の柵を倒し、桟橋の要を壊す。


 民家には火をかけない。

 泣き叫ぶ民には触れない。

 逃げる漁師の小舟も追わない。


 惟種は何度も命じた。


「民を焼くな。民を斬るな。阿蘇は盗みに来たのではない」


 阿蘇兵は従った。


 それがかえって、淡路の者たちには恐ろしかった。


 乱暴者が来たのではない。

 怒った者が、怒るべき場所だけを焼いている。


 ただの略奪よりも冷たかった。


 船溜まりから黒い煙が上がった。


 この前線拠点から、しばらく船は出せない。

 桟橋は壊され、船具蔵も焼けた。

 淡路方の足は、少なくとも当面止まる。


 親英は、その煙を見ながら言った。


「足を止めましたな」


「止めたのは水軍の足だけだ」


 惟種は言った。


「民の腹までは殺していない」


 種茂は、その言葉を帳面に記すように心に刻んだ。


 これが阿蘇のやり方なのだ。


 怒っても、焼く場所を選ぶ。

 討つが、奪わない。

 壊すが、民を飢えさせるところまでは踏み込まない。


 陸でも海でも、それは変えない。


     ◇


 淡路の煙は、三好の目にも入った。


 淡路方の船が敗れた。

 公方御座船へ矢を向けた。

 阿蘇の新式船に蹴散らされた。

 前線船溜まりを使えなくされた。


 その報せは、急ぎ三好方へ走った。


 阿蘇は上洛軍ではない。

 だが、海路で淡路を叩ける。

 しかも公方を背にしている。


 これ以上手を出せば、三好が公方へ無礼を働いたことになる。

 さらに、九州探題となった阿蘇に喧嘩を売ることになる。


 淡路の船溜まりからは、まだ煙が上がっていた。


 阿蘇の船団は、再び公方御座船を中心に隊列を整える。


 惟種は甲板に立ち、黒い煙を見ていた。


 村上には払った。

 淡路には払わせた。


 海には海の法がある。

 ならば、阿蘇の法もまた、この海に刻まねばならない。


 その時、見張りの兵が声を上げた。


「若君!」


「何だ」


「三好より使者!」


 甲板の空気が変わる。


 兵が続けた。


「三好修理大夫が家臣、松永久秀と名乗っております!」


 惟種は、ゆっくりと振り返った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
爆弾上見参、まだ若い主命忠犬時代の松永かなまあ中身はマジでヤバい人だが
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。