↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
130/301

第百十九話 色のついた火種

 天文十八年(一五四九年)八月。


 豊後、府内館。


「……加世に会いたい」


 政所で帳面を眺めていた惟種は、誰に聞かせるでもなく呟いた。


 大友家との戦は終わり、府内の統治も少しずつ落ち着いてきた。阿蘇から送り込まれた文官たちも働き、町の復興は順調に進んでいる。


 だからといって、肥後へ帰れるわけではない。港の修復も、商人への対応も、旧大友家臣団の再編もまだ残っている。


 それは分かっているのだが。


「……イチャイチャしたい」


 惟種は深くため息をついた。


「いつまで府内くんだりにおらにゃならんのだ……」


 阿蘇へ戻れば、加世に会える。一緒に話すだけでも、帳面ばかり眺めているより遥かに楽しい。


 とはいえ、以前に比べれば余裕ができたのも確かだった。


 有馬や大村との戦はまだ続いているが、阿蘇にとって目下最大の脅威だった大友家は、もはや敵ではない。


(……正直、ここまで早く大友が降るとは思っていなかったな)


 これまで惟種は、戦と統治に追われ続けてきた。作りたいものがなかったわけではない。未来の知識から思いつくものはいくらでもあったが、軍備や領地の統治を優先しなければならず、急ぎでないものは後回しにしてきたのである。


(……これからは、少しくらい好きなことをしてもよいだろう)


 もちろん、遊んで暮らせるわけではない。それでも、戦へ向けていた人や銭の一部を、これからは民の暮らしを良くするために回せる。


「……さて、何から始めようか」


 便利な道具でもいいし、新しい食べ物を作るのも面白そうだ。子供たちが楽しく学べるものも増やしたい。


 考え始めれば、やりたいことはいくらでも浮かんでくる。


 だが、最初に思い浮かんだのは、国のための大がかりなものではなかった。


「……せめて、加世に土産の一つくらい送りたいものだが」


 着物や飾り物でもよいが、どうせなら加世自身が楽しめるものを贈りたい。


「絵……とか?」


 墨だけでは寂しいし、小さな子供には筆も扱いづらい。


 そこで、以前阿蘇で試作させていたものを思い出した。


「……そうだ!」


 蝋と顔料を混ぜ、赤や青、黄、緑などの色をつけて棒状に固めたもの。


(……クレヨンだ!)


 思いついた時に試しで作らせたものの、忙しさに紛れて放置していた。幸い、試作品の一部は府内へ持ってきている。


 加世に渡せば、きっと喜ぶだろう。どんな絵を描くのか想像するだけでも楽しかった。


「……万満丸に使わせてみるか」


 加世と歳も近い。子供の手でも使いやすいか試すにはちょうどよかった。


 惟種は近くにいた新吉郎を呼び、万満丸と一緒に試し書きをしてみるよう言いつけた。


     ◇


 昼過ぎ。


 府内館の縁側では、万満丸が薄く削った板へ絵を描いていた。そばには新吉郎が座り、時折その手元を覗き込んでいる。


「そこは、もう少し下でございます」


「ここか」


「はい。港はこちらでございます。旗は、もっと館に近く」


「旗は二つあった」


「はい。大友の旗と、阿蘇の旗でございます」


 万満丸はうなずき、手にした棒を握り直した。


 筆でも墨でもない。指ほどの長さをした、色のついた蝋の棒だった。


 板の上には、青い海と黒い焼け跡、黄色い米俵、赤い火、緑の田、そして二つの旗が描かれている。


「これは、米」


「はい」


「これは、海」


「よく描けております」


 その時、廊を歩いてきた宗運が足を止めた。


 最初は子供の遊びだと思ったのだろう。しかし、板の上の絵を見た途端、目つきが変わった。


 決して正確な絵ではない。道は曲がり、館は妙に大きく、港の形もおかしい。


 それでも、文字を読まなくても、色によって何が描かれているのか見分けることができる。


 宗運はしばらく板を見つめたあと、新吉郎へ声をかけた。


「新吉郎」


「は、はい」


「それは何だ」


「あ、これは若君が……」


「若君が?」


 宗運の声が、妙に静かになった。


 新吉郎は本能的に、まずいと思った。


「その、今日見たものを描かせろと仰せになりまして……。色を塗れる蝋の棒を作ったから、試しに使ってみろと……」


 宗運は万満丸から赤い棒を借りた。


 軽く、墨を磨る必要もない。小さな子供でも握ることができ、そのまま板へ色をつけられる。


 宗運は何度か棒と板を見比べた。


 なるほど、これは便利だ。


 文字を読めぬ者でも、色と形なら理解できる。危険な場所を赤で示し、水路を青で引けば、地図や普請の指図も分かりやすくなるだろう。


 軍議にも使える。


 だが、便利なのはこちらだけとは限らない。


 宗運は赤い棒を見つめたまま、しばらく考え込んだ。


「……若君は、いずこに」


「奥の政所に……」


「分かった」


 声を荒らげることもなく、宗運は赤い棒を手に静かに歩き出した。


 その背中を見て、新吉郎はかえって不安になった。


 万満丸が、そっと袖を引く。


「新吉郎」


「はい」


「宗運殿は、怒っておるのか」


 新吉郎は遠ざかる背中を見た。


「……たぶん、かなり」


     ◇


 惟種は政所で帳面を眺めていた。


 そろそろ一息つこうかと思ったところで障子が開き、宗運が入ってくる。


「若君。これは何ですか」


 差し出された赤い蝋の棒を見て、惟種は軽くうなずいた。


「色を塗れる蝋の棒だが……見て分からんか?」


 あまりに気のない返答に、宗運のこめかみがぴくりと動いた。


「……いつ作ったのです」


「少し前だ。阿蘇でな! 蝋と顔料を扱える者が、たまたまそなたの手の者におったから、少し借りたぞ!」


 惟種は悪びれもせずに答えた。


 宗運は絶句した。


 そして、にこりとも笑わずに口を開いた。


「わたくしの手の者を使って、わたくしに黙って作らせたのですか」


「いや、黙ってというか……」


「若君」


「はい」


「答えなされ」


「……まあ、黙って作らせたといえば、そうなるな」


 宗運が深く息を吸った。


「何のために」


 惟種は少し黙り、やがて視線を逸らしたまま答えた。


「……加世に」


「はい?」


「加世にやろうと思ってな……ぽっ」


 惟種は、わざとらしく頬を染めてみせた。


 宗運が一瞬、言葉を失った。


「絵を描けたら喜ぶだろう。墨だけでは寂しいし、筆は小さい子には難しい。これなら握るだけで描けるのだ」


「……『ぽっ』ではありませぬが、それで?」


「驚かせようと思ったのだ。惚れた女のためさ……」


「いちいち格好つけなくてよろしい。それで、わたくしに黙って?」


「そなたに言えば、加世にばれる可能性もあるし、大げさにするであろう」


「当たり前です。これは大げさに扱うべきものにございます」


 惟種が眉を寄せた。


「そうか? 子供の絵道具だぞ?」


「違います」


「いや、絵の道具だろう。そりゃ朝廷や幕府に献上すれば、珍しがって喜ぶかもしれんが……」


「絵にも使える道具にございます」


 宗運は赤い棒を畳へ置いた。


「文字を読めぬ者にも、色と形ならば伝えられます。危険な場所を赤で示し、水路を青で引く。それだけでも地図や普請の指図は、今より遥かに分かりやすくなりましょう。軍議にも使えます」


「……なるほど! さすが宗運だ! じゃ!」


 惟種は感心した勢いのまま立ち上がり、宗運の脇をすり抜けようとした。


 これから説教が始まりそうな気配を察したのである。


「お待ちくだされ。『じゃ』ではありませぬ!」


 宗運は、すかさず呼び止めた。


「それに、感心している場合ではございませぬ。便利ということは、敵の手に渡っても同じように便利だということでございます」


 惟種は観念して座り直した。


「城の見取りや兵の配置、道筋なども、色を分ければ分かりやすく示せましょう。文字を知らぬ兵にも命を伝えやすくなりますが、それは敵も同じです」


 惟種は改めて赤い棒を見た。


 加世に絵を描いてもらえれば、それでよかった。


 だが、言われてみれば確かに使い道は多い。宗運がここまで気にするのも分からなくはなかった。


「……悪かった。そこまでは考えておらなんだ」


「それが困るのです」


「……はい」


 惟種は、素直に説教を受けることにした。


     ◇


「何本作りました」


「試しを含めて、三十ほど」


「……多いですなぁ」


「多いか?」


「はい。関わった者すべてに口止めをするとなると、厄介ですぞ」


「惚れた女に喜んでもらおうと思ってな……」


「若君。いちいち格好つけなくてよろしいと申したではありませぬか。それに、加世様への贈り物と国を動かす道具を、同じ箱に入れないでください」


「……はい」


 その後も宗運は、使った材料や作らせた職人、誰がこの棒を見たのかを一つずつ確認していった。


 幸い、まだ知る者は多くない。


「まず製法は阿蘇の内に留めます。政所や軍議、学び処などで試し、本当に何へ使えるのかを見極めましょう。蝋と顔料で作れる以上、長く隠し通すことは難しいでしょうから、民へ広めるかはその後で決めればよろしいかと」


「うむ。それなら異存はない」


「絵の道具として使えるのであれば、子供の学びにも役立つでしょう。職人が下絵を描くにも便利かもしれませぬ」


「加世も喜ぶな」


「若君」


「……すまぬ。続けてくれ」


 宗運が一度、深く息を吐いた。


「いずれ売ることも考えてよいでしょう。ただし、使い方も危険も分からぬうちから、むやみに広めるのはおやめください」


「分かった」


 宗運は試し書きの板を惟種の前へ置き、赤で丸を描いて、その横へ青い線を引いた。


「こうして色を分ければ、文字を読めぬ者にも意味を伝えられます。しかし、敵も同じことができるのです。便利なものほど、こちらだけが得をするとは限りませぬ」


 惟種は板と赤い棒を見比べ、素直にうなずいた。


「……肝に銘じよう」


 宗運はそこで惟種を見た。


「では今後、若君がこのようなものを作ろうとなさる時には、どうされるのですか?」


「分かった。まず宗運に相談する」


(これ以上がみがみ言われたくないからな)


 惟種がそんなことを考えていると、宗運が何かを察したように、ぎろりと睨んできた。


「……何だ?」


「いえ。きちんとお分かりいただけたのであれば結構にございます」


「うむ。もちろんだとも」


 惟種は何食わぬ顔で答えた。


 宗運はしばらくその顔を見ていたが、それ以上は追及しなかった。


「それと、加世への土産も相談した方がよいのか?」


「特にです」


「なぜだ」


「若君が加世様へ何か贈ろうとなさる時ほど、とんでもないものが混じる気がいたします」


 惟種は反論しようとしたが、今回に限っては何も言えなかった。


 その後も、材料の安全性や保管方法、作った職人の扱いなどについてしばらく念を押され、ようやく宗運の話は終わった。


     ◇


 宗運が去ったあと、惟種は畳に残された色蝋の棒を眺めていた。


 赤、青、黄、黒、白、緑。


 加世なら何を描くだろう。花かもしれないし、阿蘇の山かもしれない。母の着物や、自分の顔を妙な色で描くかもしれない。


 そう考えて作らせた。


 ただ、それだけだった。


(……まさか、クレヨン一つでここまで叱られるとはなぁ)


 惟種は深くため息をついた。


 とはいえ、宗運の言うことにも納得はできる。使い道を考え始めれば、確かに面白い道具だった。


 学び処で使うのもよいし、工事の指図にも使える。絵が描きやすくなるのであれば、ほかにも試してみたいことがある。


(……なるほど。ならば次はもう少し……)


 そこまで考えて、惟種は慌てて首を振った。


(……いや、まず宗運に相談せねばな)


 先ほど散々叱られたばかりである。


「若君」


 障子の外から遠慮がちな声がした。


「……新吉郎か」


「はい」


「入れ」


 新吉郎がそっと入ってきた。


 手には、万満丸が描いた板を持っている。


 青い海に黒い焼け跡、黄色い米俵、赤い火、緑の田、そして二つの旗。線は曲がり、旗は大きすぎ、米俵はほとんど丸だった。


「万満丸が描いたのか」


「はい」


「楽しそうだったか?」


「とても」


 惟種は少し息を吐いた。


「そうか」


 新吉郎は惟種の顔を見て、少し迷ったあとに口を開いた。


「加世様も、きっと喜ばれますよ」


「そう思うか?」


「はい。万満丸様もあれほど楽しそうでしたから、加世様もきっと気に入られると思います」


 惟種の表情が少し緩んだ。


「そう……だな」


 新吉郎はそこで一度黙り、遠慮がちに続けた。


「ただ、宗運様には先に言った方がよかったと思います」


 惟種は、じとりと新吉郎を見る。


「お前まで言うか」


「すみません。でも、今日の宗運様は本当に怖かったので……」


「わしも怖かった」


 新吉郎は笑いそうになり、慌てて口を押さえた。


 惟種は万満丸の絵をもう一度見た。


「これは残しておけ。あとで宗運にも見せよう」


「また怒られませぬか?」


「今度は怒られぬ。……ようにする」


 新吉郎は、何も言わなかった。


     ◇


 その夜。


 色蝋の棒は小箱へ収められ、製作に関わった職人や製法についても、宗運の管理下へ置かれることになった。


 ただ、その中から淡い赤を一本だけ、惟種は別に包んだ。


 加世へ贈るためである。


 宗運はそれを見つけ、しばらく黙っていた。


「一本だけにございますぞ」


「けち臭い爺だな」


「……若君」


「分かっておる。一つだけだろう」


「使う場所も、見る者も限ってください。加世様が喜ばれたからといって、すぐ次を増やさぬように」


「…………」


 宗運が目を細めた。


「今の間は何です?」


「何でもない」


 宗運は深いため息をついた。


 そして、ふと嫌なことに気づく。


 これまで若君が新しいものを作らなかったのではない。戦と政に追われ、作る暇がなかっただけなのではないか。


 田の改良も、鉄砲も、大筒も、船も、医療も、教育も、思えばこの少年は昔から次々と新しいものを持ち出してきた。


 しかも、そのどれもが阿蘇に大きな変化をもたらし、実現するたびに宗運を忙しくさせてきたのである。


 そして今、目下最大の敵だった大友家はもう敵ではない。


 以前よりも、若君が好きなことへ取り組む余裕は増えているはずだった。


 宗運は傍らの惟種を見た。


 当の本人は、加世へ贈る赤い棒を包みながら、実に楽しそうな顔をしている。


 今も何か新しいことを考えているのではないか。


 そう思った途端、宗運の胸に嫌な予感が広がった。


「……何やら、嫌な予感がいたしますな」


「む? 何がだ?」


「いえ。何でもございませぬ」


 宗運はもう一度ため息をついた。


 大友との戦が終われば、少しは仕事も減ると思っていた。


 しかし、どうやらそう簡単にはいかないらしい。


 少し離れた廊では、新吉郎が万満丸の描いた絵を抱えて二人のやり取りを眺めていた。


「若君のそばって、本当に退屈しないな」


 少し考え、さらに声を落とした。


「……怒られる時は、そばにいない方がいいけど」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
忍者の五色米を思い出したなー、目で入る情報を板に絵として書き写すのも才能なんだろうけど一見で理解出来るってのは大きいよね、色で情報を分けるとか素晴らしい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。