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石の剣の王3 集結  作者: 水崎芳
第二章 波乱の予感
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第二章 波乱の予感

第二章 波乱の予感 をお届けします。

最後まで読んで頂けますと幸いです。

    第二章 波乱の予感


「…………貴方は誰?」

 真っ白なマントルピースの前に佇む黒衣の男の顔を真っすぐに見据え、マリエルはそう尋ねた。

 エイデンはひとかけらの感情も浮かばぬ白い顔で、彼女の強い視線を真っ向から………そして冷やかに受け止めた。

「おかしな事を言う。私の名は知っているはずだが?」

「それは本当に貴方の名前なのですか?」

「もちろん」

 「何を馬鹿げた質問(こと)を」と言わんばかりの、氷のように冷たい口調だった。

 しかし、マリエルは引き下がらなかった。

「では、何故カナンは貴方を『陛下』と呼んだのですか? この三世界で『陛下』と呼ばれるのは王だけです。〈地の民〉の聖王、〈天の民〉の翼の王、そして〈海の民〉の九人の魔王」

「聞き間違いだ」

 エイデンは切るように言い捨てた。

「あの状況で、カナンの言った言葉を正確に聞き取れたとは思えない」

「いいえ。わたくしには確かにそう聞こえました」

「どう聞こえようと関係ない。いらぬ詮索だ。お前たち予言者はどうしてこう腹立たしい真似をするのか」

 苛立ちの混じる口調だった。

 怒っているようにも見えた。

 こんなエイデンを見るのは、マリエルは初めてだった。

「そもそも、ディアドラ系譜(ここ)図書館まで勝手について来たのはそちらだ。私は同行して欲しいなどとはひと言も言っていない。私を信用出来ぬというのであれば、即刻ガラハイドへ帰るがいい。その方がクレメンツ公も喜ぶ。第一、貴女はきちんと彼の気持ちに対し返答したのか? いつまで彼を待たせるつもりだ?」

「! それは………」

 いきなり痛いところを突かれ、マリエルはぐっと言葉に詰まった。

 明らかに話をすり替えている。エイデンらしからぬ卑怯な切り返し方だ。それだけ触れられたくない話題という事か。

「……………今は、わたくしの事は関係ありません」

「私の事もそうだ。貴女には全く関係ない」

「確かにそうかもしれません。ですが、ではカナンは?」

 エイデンの表情がわずかに揺れた。

「貴方の言う通り、わたくしは勝手について来ました。でも、カナンは違う。彼は、貴方にとってワクトーから託された大事な存在のはず。彼が『約束の予言』に関わる者の一人だという事を除いても。カナンも貴方を信頼しています。だから、一緒にガラハイド国を発ち、ここへ来た。彼自身にはディアドラ系譜図書館に来る理由など何もなかったというのに。貴方が行くと言ったから、彼はここに来たのです。貴方と共に。それなのに、貴方は自身の事を何ひとつ語らない。ずっとこのまま、カナンにも全てを秘したままで良いと、本当にそう思っているのですか? それで通用すると? カナンはそれほど愚かではありませんわよ」

 エイデンはマリエルを睨みつけたが、いつもの迫力はなかった。

「……………ガラハイド国攻防戦での事は、カナンはほとんど覚えていない。自分が何をしたのか」

 何と言ったのかも。

「覚えていないから、言わなくても良いと?」

 エイデンは黙り込んだ。

 まるで予言を告げるかのように、マリエルは言った。

「もし………カナンと『約束の予言』のどちらか一方を選ばなければならなくなったとしたら、貴方はどちらを選ぶのですか? ………どちらを捨てるのですか?」

 エイデンは即答しなかった。出来なかったというべきか。冷たく重い湿った雪が降り積もるように、二人の間に沈黙が下りる。室内の空気までもが息苦しく密度を増したかのようだった。

 沈黙は永遠に続くかと思われた。

「…………私は………」

 ようやくエイデンが口を開いたまさにその時、唐突に扉がノックされた。

 マリエルは驚いて肩を揺らした。

 入って来たのはスヴェアだった。オスティナル・カドガのシルへの使いを手配し、戻って来たのだ。

 室内に一歩足を踏み入れた瞬間、エイデンとマリエルの間に漂う奇妙な空気に目ざとく気付いたスヴェアは、訝しげに眉をひそめた。

「レディ・マリエル? どうかなさいましたか?」

 マリエルは曖昧に微笑んだ。

「いえ………何でもありません」

 そっとマントルピースの方を見やると、エイデンはすでに彼女から視線を外し、いつも通り静かに佇んでいた。

 答えなくて済んだ事にほっとしているように、マリエルには思えた。

 自身について全く語ろうとしないこの謎多き黒衣の男が一体「誰」なのか、永遠にわからないままなのかもしれない。

 スヴェアに少し遅れて戻って来たカナンと、旅支度を整えてやって来たラーキンを迎えながら、マリエルはそう思った。

 「約束の予言」が果たされ、彼の旅が終わりを迎えたら、エイデンはただ静かにマリエルの前から姿を消すのだろう。

 夜明けと共に去る蒼黒(そうこく)の夜のように。

 カナンの前からも、いつかそうやって姿を消してしまうのだろうか?

 自身について沈黙を保ったまま。

 それとも………いつか、全てを語ってくれる日が来るのだろうか?

 いつか。

         *

 エイデンとマリエルがこの件について話す事は、二度となかった。

         *

 シルと共にディアドラ系譜図書館を出立したカナンら一行は、王都へ向けて順調に旅を続けた。

 怪我人だという事で、シルに同行していた彼女の主治医の馬車に同乗する事になったカナンにとっては、今までの馬の背に揺られる旅に比べると格段に快適な旅となった。

 もちろん、最初カナンは「とんでもない」と固辞したのだが、彼の体調を心配するエイデンたちによって半ば強引に馬車に乗せられてしまったのだ。

 昼間は時折馬に休息を取らせながら、旅人が行き交う石畳で舗装された広い街道を軽快に進み、夜は貴族が利用する清潔で上品な宿に宿泊する。陽の匂いのする真っ白なシーツや、ガチョウの羽毛を詰めたふかふかの枕のなんと心地好いことか。野宿ばかりだったこれまでの旅がまるで嘘のようだ。旅人を狙う夜盗や獲物を求めて徘徊する恐ろしい獣の襲撃に備える必要もなく、カナンはナタリア公妃に痛めつけられた体をゆっくりと休める事が出来た。おかげでいつもより回復するのが早く感じられたくらいだ。顔の痣も完全に消えた。

 すっかり元気になったカナンに、誰よりもエイデンが一番安堵している様子だった。

 そうして、ディアドラ系譜図書館を出立して十一日目の夕刻、一行は無事に王都に到着した。

         *

 〈地の民〉の中心の地、〈大地の心臓〉と呼ばれる並ぶものなき輝ける聖王の都・王都は、カナンの想像をはるかに超えた巨大都市だった。

 血の色をした夕映えにうっすらと星が瞬き始めた空の下、地平の彼方に黒々と横たわるその姿が現われた時は、最初カナンは山々の稜線かと思ったほどだ。

 王都をぐるりと取り囲む高い囲壁(いへき)にある五つの門は身分によって通る門が定められており、カナンら一行は見上げるように巨大な二体の騎馬像が両側にそびえ立つ貴族専用の荘厳な門をくぐった。

 微妙に色の異なる二種類のサイズの石を奇跡のような正確さと美しさで敷きつめた大通りは、馬車六輌が並んで走れるほど幅広かった。その両側には広大な敷地を持つ瀟洒な貴族の(やしき)がどこまでも続いており、おそらく庭に植えられているのだろう、夕風に乗って爽やかなジャスミンの花の香りが漂ってくる。

 大通りから少し離れると、今度は高い地位にある役人や騎士、貴族に劣らぬほどの財を成した裕福な商人の贅を尽くした邸が建ち並んでいる。通りを行き交う人々も煌びやかに着飾り、華やかだ。

 もちろん、王都の住人全てが恵まれた裕福な暮らしをしているわけではない。平民や流民など貧しい人々が住む区域は王都のへりに位置し、中心から遠くなればなるほど建物は小さく、粗末になっていく。道も狭く、薄汚れていて、ごちゃごちゃと無秩序だ。

 そして、その貴賤様々な人々が暮らす王都を見下ろす小高い丘の上に、堅牢な城壁に囲まれて、〈地の民〉唯一の王たる聖王の居城・水晶王宮がそびえ立っている。

 「水晶」王宮と呼ばれてはいるが、地の水晶で造られているわけではなく、黄金と翡翠で飾り立てられた美しい白亜の宮殿だ。広大な敷地内にはいくつもの庭園や離宮、輝く湖や噴水を据えた池、せせらぎを奏でる小川、キジや鹿が放たれた王族専用の狩猟用の森まである。夕陽を浴びて燦然と輝く王宮の姿は圧巻で、天を貫くいくつもの尖塔が白銀の石の剣のよう。その様は、この世のものとは思えぬほど神々しく、煌びやかであると同時に見る者を畏怖させる威厳と風格に満ち、〈双子王〉の時代より六千年続く聖王シーグリエン家の威容と栄光を表わしている。

 こんな巨大な街がこの世に存在するなんて。

 騎馬や馬車や人々が行き交う賑やかな通りを馬車の窓から眺めながら、カナンはただただ感嘆していた。

 辺境の地ギズサ山脈の寒村から遠く離れ、こんなとてつもない巨大都市へ来る事になろうとは。

 果たして、ここが自分にとって終着の地になるのだろうか?

 それとも、ここも旅の途中の通過点に過ぎないのだろうか?

         *

 王都に入ったカナンら一行は、当初はそこですぐにシルとは別れ、そのままガラハイド国の領主邸(りょうしゅてい)へ向かう予定だった。

 ところが、シルが突然、

「お別れする前に、最後にわたくしの邸で夕食をご一緒頂きたいのですが」

 と言い出したのだ。

 しかも、今回はマリエルとエイデンだけではなく、カナンやラーキンも一緒にという。

 カナンは……マリエルですら……唐突な申し出に困惑したが、

「皆様がおいでになると、邸にはすでに知らせを送って準備させておりますので」

 とまで言われては無下に断る事も出来ず、一行は仕方なくそのままシルの邸へと向かう事となった。

 けっこう強引な人だな。

 にこやかに微笑む隻眼の貴婦人を眺めながら、カナンはそう思った。

 世継ぎの王女の教育係という要職に就いているだけあって、シルの邸はなかなか立派な邸だった。

 正面玄関の前にずらりと並んだ邸の使用人たちに出迎えられた後……その事にもカナンは度肝を抜かれたが……一行は来客用の小広間に通された。客人はまずそこに通すのが貴族のしきたりらしい。

 小広間は金華石(アルドゥニ)と淡雪色の大理石がふんだんに使われ、大きなシャンデリアが室内を真昼のように明るく燦然と照らしていた。まるで森の中にいるような、上品で爽やかな香りの香が焚かれている。一方の壁面に、当時のパサネスティ家当主が参戦したエギンテの反乱の様子を描いた大きな絵が掛けられ、天井近くの丸い飾り窓にはパサネスティ家の紋章である両翼を広げたルリカケスと矢車草が色硝子で描かれている。

 調度類には惜しげもなく黄金や宝玉が使われており、中綿を詰めた立派な長椅子を勧められたカナンは座るのを躊躇してしまった。侍女に恭しくお茶を差し出される事も、どうにも慣れる事が出来ない。「自分で淹れます」と言ってしまいたくなる。

 (ふち)と持ち手に金を施した華奢なティーカップを恐る恐る口に運んだカナンは、ひと口飲んだだけで、浅い吐息と共にティーカップをソーサーに戻した。

 こんな贅の限りを尽くした貴族の邸で、高価な陶器のティーカップで上品な香りのするお茶を飲んでいるなんて。シエル村を出た七ヶ月前には想像もしなかった事だ。

「どうしました?」

 彼の隣に腰かけていたラーキンが尋ねてきた。

「疲れたのですか?」

 カナンは頭を横に振った。

「ううん。そうじゃなくて………立派なお邸すぎて、何だか、僕、場違いだなって」

 ラーキンは微笑んだ。

「それは私も同じです。仕事柄、貴族の方々にはほぼ毎日お会いしますが、彼らの邸を訪ねる事などありませんから」

「それじゃあ、ラーキンも王都は初めて?」

「ええ。ですが、王都(ここ)には(キリ)の兄がいます。水晶騎士団第十六師団の騎士をしています」

 ラーキンは、相変わらず長椅子には座らず立ったままのエイデンに向かって言った。

「エイデン、もしよろしければ、時間をみて義兄の家を訪ねたいのですが」

「もちろん構わない」

 頷いたエイデンは、マリエルに視線を移して続けた。

「貴女も、もし会いたい者がいるのなら行ってくるといい。王都(ここ)で生まれ育ったのならば、久々に会いたい家族や友人知人がいるのではないか?」

 マリエルは淡く微笑んだ。

「いえ。両親は幼い頃に亡くしましたし、特段会いたいと思う者はいません。お気遣いありがとうございます、エイデン」

 扉がノックされ、いつもように忠実なる筆頭侍従ダドトワに付き添われて、杖をつきながらシルが入って来た。外套は脱ぎ、旅装束から普段のドレス姿に着替えている。彼女の家の紋章の意匠であるルリカケスのような、黒と紫の上品なドレスだ。銀と瑠璃(ラピスラズリ)を連ねた長い首飾りがよく似合っている。

 しかし、身を飾る美しい装いとは裏腹に、シルは何故か厳しい表情をしていた。切れ長の隻眼に怒りにも似た不穏な光がちらついている。

 一体どうしたのだろう?

 カナンは内心で首をかしげた。

 シルは厳しい表情を誤魔化すように口元に笑みを浮かべた。

「お待たせして申し訳ありません」

「いえ。とんでもございませんわ。それよりも、レディ・シル、お顔の色が優れないようですが、何かありまして?」

 遠慮がちに問うたマリエルに、シルは曖昧な仕草で頭を横に振った。

「わたくしが留守をしている間にいろいろあったようで、先ほどまでその報告を受けておりました。特に今夜………」

「失礼致します」

 別の侍従が入って来た。まだ顔立ちに幼さが残る、侍従になったばかりといった感じの年若い侍従だった。ひょっとしたらまだ二十才にもなっていないのかもしれない。

 彼は扉のすぐ側に留まったまま、畏まった仕草で深々と頭を下げた。

「レディ・シル、カノッサ様がお見えでございます」

「カノッサが?」

 シルは驚いたように聞き返した。

「今夜の事で忙しいでしょうに。すぐにここへ通しなさい」

「畏まりました」

 もう一度深く頭を下げ、若い侍従は退室した。

 ほどなくして、先ほどの若い侍従に案内されて一人の男が姿を現わした。

 年令は四十代後半か………もしくは五十才を超えているかもしれない。短く整えた口髭を生やし、髪をきちんと撫でつけている。やや浅黒い肌に、珍しい白金(プラチナ)色の髪と藍玉(アクアマリン)のような水色の瞳が印象深い。胸元に黄金色の太陽を刺繍した純白の騎士の制服を品良くかっちりと着こなしている。腰に吊るした長剣にも制服と同じ太陽の意匠が金で象嵌されており、その周囲には「忠誠と献身」「勝利と栄光」という文言が刻まれていた。所作は機敏で無駄がなく、生真面目そうな男だ。背丈はシルとほとんど変わらない。

 尤も、シルは女性にしてはかなり長身だが。

 シルは親しみのこもった表情で男を示した。

「紹介します。彼はカノッサ=アクエレム=トロイ卿。わたくしの息子で、水晶騎士団第二師団の師団長を務めております」

 カナンは眉をひそめた。

 ()()

 どう見てもシルよりずっと年上なのに?

「ご子息? ですか?」

 カナンの疑念を代弁するかのように、マリエルが困惑げに聞き返す。

 シルは軽やかに笑った。

「カノッサは亡き夫と前妻との間に生まれた娘の夫ですの。ですから、正確には義理の息子ですわね。わたくしは、パサネスティ家に後妻として嫁いで参ったのです。………カノッサ、こちらはガラハイド国の高名な予言者レディ・マリエル=サンデバルト様と、わたくしの命の恩人エイデン=イグリット殿、それにお連れの方々です」

 シルの言葉に、部屋に入った瞬間からずっとマリエルを見つめていたトロイが、はっと我に返ったように何度かまばたきした。

「………失礼致しました。あまりにお美しくていらっしゃるので、つい言葉を失ってしまいました」

 シルがクスクスと笑った。

「まあ、カノッサ、仕事人間のそなたでもレディ・マリエルのお美しさの前では心奪われてしまうのですね」

「よけいな事を言わないで下さい、義母上(ははうえ)

「あら、失礼」

 トロイはマリエルに歩み寄ると、紳士らしい上品な笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。

「初めまして、レディ・マリエル。貴女のご高名は伺っております。お目にかかれて光栄です」

「こちらこそ光栄です、トロイ卿」

 優雅に微笑み返したマリエルの横顔に、何故かカナンは違和感を覚えた。

 彼女が動揺しているように感じたのだ。

 どうしてそう感じたのかはわからない。ただそう感じたのだ。

 エイデンも何を考えているのかわかりにくいが、予言者という特殊な能力の持ち主だからか、実はマリエルもなかなか表情を読みにくいところがある。

 だが、共に旅をしてきたおかげで、カナンにも少しはわかるようになっていた。

 今のように。

 シルはトロイに向かって尋ねた。

「今夜のレディ・プルーデンスの宴の警備の準備で忙しいのではありませんか? 一体どうしたのです?」

「その宴の件で、義母上がお怒りなのではないかと心配になりまして伺いました。警備の準備の方はほぼ整っておりますし、正装に着替える為いったん邸に戻る途中で寄ったのです」

 シルは苦々しげに何度か頭を横に振った。

「よくわかっていること。ええ、怒っておりますとも。まさか、レクサ様がレディ・プルーデンスの招待をお受けになるとは。しかも、あと数時間で宴は始まってしまう。今からではレクサ様を説得する事も出来ません。全く、もう一日早く帰都していれば………」

「王都中の貴族に招待状が送られたそうなので、義母上のところにも招待状が届いているはずですが?」

「そのような招待状(もの)、先ほど破って捨てました」

「義母上………」

 吐き捨てるように答えたシルに、トロイはやれやれといったふうに溜め息をついた。

 シルは忌々しくて堪らないといったふうな口調で言った。

「第一、わたくしまでもが宴に出席しては、わたくしもレクサ様のご臨席に賛成したように映ってしまいます。そんな事は許されません」

 どうやら、シルはそのレディ・プルーデンスなる人物が気に食わないらしい。

 そして、レクサ王女が彼女の招待を受けた事も。

 シルとトロイのやり取りを眺めながら、カナンはそう思った。

 入って来た時の厳しい表情はそのせいか。

 カナンはそっと傍らのラーキンに尋ねた。

「レディ・プルーデンスって?」

「レディ・プルーデンス=スファワン。平民出身ではありますが、聖王陛下の寵愛を一身に受ける妾妃(アドアディナ)です。〈黒蘭の君〉と呼ばれる妖艶な美女だとか」

 聞き慣れない言葉に、カナンは首をかしげた。

妾妃(アドアディナ)って何?」

「『妾妃(アドアディナ)』とは、聖王陛下の最高位の愛妾に与えられる称号です。女性の場合は『妾妃(アドアディナ)』、男性の場合は『妾殿(ダンバー)』といいます。普通、聖王陛下の愛妾と言えど王宮の公式行事には出られないのですが、妾妃(アドアディナ)妾殿(ダンバー)には許されます。昔、とある聖王陛下が、お気に入りの愛妾を常に側に置いておきたいが為に新たに作った称号です。妾妃(アドアディナ)妾殿(ダンバー)も、最初にその称号を下賜された愛妾の名前からきています」

「ほんとに?」

 カナンは呆れて聞き返した。

 民の規範となるべき〈地の民〉唯一の王ともあろう者が、動機が下世話すぎる。

 ましてや、その愛人の名前をそのまま称号にしてしまうなんて。

「聖王陛下の愛妾ともなれば、王宮でかなりの影響力を持てますが、妾妃(アドアディナ)妾殿(ダンバー)の称号を下賜された愛妾は別格です。レディ・プルーデンスも、ウィーアード陛下のご寵愛を独占し、王宮で絶大な権力を誇っていると聞いています。彼女の事を『無冠の王妃』と呼ぶ者もいる。大勢の取り巻きを引き連れ、まるで王宮の女主人のごとく振舞っていると。………そんなふうなので、一部の貴族や民からはあまり好かれてはいませんね」

 カナンは眉をひそめた。

「王宮の女主人? でも、それじゃあ王妃様は?」

 自分が住む王宮で夫の愛人に大きな顔をされては、正妻である王妃はさぞかし不愉快なのではなかろうか。

「ああ、カナンはご存知なかったんですね。ウィーアード陛下の王妃カサンタル様は、レクサ王女とウィメス王子がまだ幼い頃に亡くなられています。以来、王妃の座はずっと空席のままです」

「聖王陛下は再婚されなかったんだ。陛下は、亡くなった王妃様をとても愛しておられたんだね」

 プルーデンス=スファワンが現れるまでは。

 素直すぎるカナンの言葉に、ラーキンは困ったような複雑な表情をした。

「さあ、どうでしょう。夫婦仲はあまり良くなかったと聞いていますが。王妃の存命中から、陛下は何人も愛妾をお持ちでしたし」

「そうなの?」

「はい。ですが、今の陛下には〈黒蘭の君〉以外の愛妾はいません。彼女が現れた後、他の愛妾たちは皆王宮から追放されてしまったので」

 それだけその〈黒蘭の君〉とやらに夢中という事なのだろう。

 それほどウィーアードの心を鷲掴みにした〈黒蘭の君〉とは、一体どんな魅力の持ち主なのか。

 見てみたいような、見たくないような………

 カナンは怖いもの見たさに近い心境を覚えた。

「カサンタル王妃と言えば………」

 ラーキンがふと思い出したように続けた。

「王妃の生家オルトー家は、王領……聖王家の直轄領のひとつの管理を代々任されている准貴族(ピノチェ)の名家なのですが、娘には必ず『カサンタル』と名付けるのです。ふたつ名を代々同じにする貴族は複数ありますが、まこと名(ファーストネームの事)を同じ名にするのは珍しい。しかも、オルトー家にはもともとそういった慣習はありませんでした」

 カナンは首をかしげた。

「何でまたそんな事に?」

「何代か前の当主の遺言だそうです。おかげで、オルトー家の家系図は『カサンタル』だらけです。母娘姉妹全員が同じ名なので」

「それって………名前を呼ばれても、誰が呼ばれたのかわからないんじゃあ………」

「全くです。それだけではなく、娘と同様、息子にも必ず同じ名を付けるのです。こちらも同じ当主の遺言によって」

 カナンは呆れ顔で言った。

「………一体何考えてたんだろう? その当主」

「少し変わり者だったのかもしれませんね」

 小声でこそこそと話しているカナンとラーキンをよそに、トロイは不機嫌な義理の母を宥めようと努めていた。

「今夜の宴には陛下もご臨席されると聞いています。『聖王陛下の御心を慰め申し上げる宴』ですので。きっとレクサ様は、陛下にお会いする為にご出席を決意なさったのだと思いますよ。陛下はずっとサシャ離宮にこもりきりで、ワーテワン宰相はおろかレクサ様ですらなかなかお会い出来ない有様なのですから。先日のアンダーレイ家の処刑で久々にお姿を………」

「アンダーレイ家の処刑?」

 割って入るように尋ねたマリエルに、シルは驚いたような表情で彼女を見やった。

「え……ええ。わたくしも先ほど聞いたところです。かの七賢者の一人・聖女ロザリンドの生家であるアンダーレイ家が、陛下に対する反逆の罪に問われ一族全員処刑されたそうです」

「!!」

 一同は息を飲んだ。エイデンすらも。

 ラーキンが震える声で聞き返した。

「アンダーレイ家が………全員?」

 シルは重々しく頷いた。

「アンダーレイの血を引く者は一人残らず処刑せよとの、聖王陛下の王命で。他家へ嫁いでいた娘や孫、三才になったばかりの幼い孫に至るまで、衆人環視のもと(ことごと)く首を刎ねられたとか」

 シルの言葉を継ぐように、トロイが苦い口調で続けた。

「確かに、アンダーレイの横暴ぶりは目に余るものがありましたが………しかし、聖王陛下も思い切った決断をなさったものです。今回の処刑は、王宮の廷臣たちにも全くの寝耳に水でした。もしかしたら、陛下は横槍を嫌われたのかもしれません。アンダーレイの影響力は王宮のかなり上の部分にまで及んでおりましたので。ビスズの援助で出世した貴族や役人も数多い。彼らは今、陛下のお怒りの矛先が自分たちにまで向けられるのではないかと、戦々恐々としております。王宮全体が不穏な空気に包まれている状況です」

 カナンは茫然とした。

 つまり、もはやラーキンは、聖女ロザリンドの唯一の末裔となってしまったという事になる。

 もし、ラーキンがロザリンドの孫だという事を聖王に知られたら………

 何という最悪のタイミングで王都に来てしまったのだ、自分たちは。

 息を飲み、言葉をなくす客人たちの様子を、自分が語った血生臭い話のせいだと解釈したシルは、すまなそうに眉根を曇らせた。

「食事の前に不快な話をお聞かせしてしまいました。申し訳ありません」

「いえ………」

 マリエルは弱々しく微笑んだ。

 トロイが言った。

「それでは、私はこれにて失礼します。王宮に戻らねばなりませんので」

 丁寧に頭を下げて退室したトロイを見送った後、カナンはラーキンの青ざめた横顔をそっと見やった。

 絶対に、ラーキンの素性を知られてはならない。

 聖王家に仕えるシルやトロイには特に。

         *

 シルが供した夕食は、ディアドラ系譜図書館でマリエルとエイデンが招待された時と同様………いや、それ以上に豪華で美味だった。

 だが、ラーキンが置かれてしまった状況を考えると、カナンはとてもゆっくり味わう気分にはなれなかった。おそらくマリエルたちもそうだったに違いない。

 とてつもなく長く感じられた夕食がようやく終わると、カナンたちはガラハイド国領主邸へ向かう馬車の準備が整うまで最初に通された来客用の小広間に戻った。

 パサネスティ家の侍女も客人にお茶を出した後退室し、小広間にはカナンたちしかいない。

「ずいぶんと時間のかかること」

 ほとんど飲み終えた空のカップをテーブルに戻し、マリエルは扉の方を見やった。

「サザー、あとどれくらいで馬車の準備が出来るのか、様子を見てきて下さいますか?」

「御意」

「その前に、私たちに話す事があるのではないか? レディ・マリエル」

 静かに放たれたエイデンの言葉に、全員の視線がマリエルに集中した。

 エイデンは続けた。

「ディアドラ系譜図書館を出立し、王都に近付くにつれ、貴女は様子がおかしかった。最初は、久方ぶりに故郷に帰るからだろうと思っていたが。先ほどもそうだ。初対面を装っていたが、貴女はトロイ卿を知っているのではないか?」

 マリエルは忌々しげに黒衣の男を睨みつけた。

「貴方は本当に何でもよく見ていること」

 エイデンはカナンたちを示した。

「気付いたのは私だけではない」

 エイデンの言う通りだった。先ほどカナンが違和感を覚えたように、カナンやエイデンやラーキンとは比べ物にならないくらい長くマリエルの側近くにいるスヴェアもまた、マリエルの様子がおかしい事にちゃんと気付いていた。単に口にしなかっただけだ。

 慎重に言葉を選びながら、スヴェアは言った。

「もし、どうしても話したくないとの事でしたら、無理強いは致しませんが………出来ればお聞かせ下さいませんか? アンダーレイの件もありますし、今王都は不穏です。我々全員や、何よりレディご自身の安全の為にも、可能な限り正確に状況を把握しておきたいのです」

「…………ええ。そうですわね」

 「仕方ない」というふうに、マリエルは溜め息をついた。

「トロイ卿の方は気付かなかったようですけれど………確かに、わたくしは彼を知っています」

「どういった経緯(いきさつ)で?」

「それは…………」

 マリエルは躊躇うように表情を曇らせた。落ち着かなげに両手の指を絡ませ、ほどき、足元に視線を彷徨わせる。

 その様子から、よほどの事情なのだろうと想像したカナンだったが、マリエルの返答はそのはるか上を跳び越えていた。

「実はその………すっぽかしたのです」

「? 何を?」

「彼との結婚を。式の当日に」

「…………は?」

 カナンは思わず聞き返していた。

「……って、あのトロイ卿との結婚を、という意味ですか?」

 しかも式の当日に?

「それ以外に聞こえまして? ええ、そうですわ!」

 そんな開き直られても………

 唇を尖らせプイと横を向いたマリエルに、室内にいた全員がほぼ同時にそう思った。

 困惑も露わにスヴェアが言った。

「ですが、レディ、いくら何でもそんな事をされれば、トロイ卿の方も貴女の事を覚えているのでは………」

「もうかなり前の事ですし、お互い直接会った事はありませんでしたもの。互いに肖像画を送り合っただけで。それに、ああいう(たぐい)の肖像画というのは、多かれ少なかれ実物より見目好く描かれているものでしょう?」

「それにしたって………」

 第一、マリエルほどの美貌であれば、わざわざ肖像画を()()必要などないのではないか?

「それに、当時わたくしの姓はサンデバルトではなく、両親の死後わたくしを引き取った叔母夫婦の姓を名乗っていましたから。王都を出た後にサンデバルトに戻したのです」

 辛い記憶を無理やり思い起こすかのように、マリエルは膝の上でぎゅっと両の手を握り締めた。

「……………叔母夫婦がわたくしを引き取ったのは、幼くして両親を失くしてしまったわたくしを哀れに思ったからではありませんでした。わたくしを利用する為だったのです」

 マリエルの叔母夫婦は、アンダーレイ家には遠く及ばぬもののそれなりに裕福な商人だった。

 叔母は、王都の片隅でひっそりと木工細工で生計を立てる男と結婚した姉をひどく馬鹿にしていた。何故、わざわざ貧乏人と結婚したのか、と。

 荷崩れを起こした荷馬車の積み荷の下敷きになり、亡くなった姉夫婦の葬式で初めて会った幼い姪を見て、叔母夫婦はこうほくそ笑んだ。

「これは可愛らしい娘じゃないか。この子は使()()()ぞ」

 そう言ってその日のうちにマリエルを引き取った叔母夫婦は、何人もの家庭教師を雇い、まるで貴族の子女のようにマリエルに徹底的に礼儀作法や教養を叩き込んだ。正貴族(サストン)の邸に仕えた経験がある侍女に事細やかに身の回りの世話をさせ、朝起きてから夜ベッドに入るまで言葉遣いや立ち居振る舞いを厳しくしつけさせた。

 だが、それは孤児になってしまったマリエルの将来を思いやっての事などではなかった。

 彼らは第二のアンダーレイになる事を狙っていたのだ。

 かつてビスズ=アンダーレイが、王宮の要職にありながら浪費癖のせいで経済的に困窮していたとある准貴族(ピノチェ)に莫大な持参金をちらつかせて自身の娘をまんまと嫁がせ、貴族に劣らぬ権力を手中にしていったように、マリエルを貴族に嫁がせてそれを足掛かりにもっと富と権力を手に入れようとしたのだ。

 叔母夫婦のように、ビスズを「良い手本」として同じような事を目論む裕福な商人は多かった。

 自分たちも負けられないと、叔母夫婦は思ったのだろう。

「これだけ金をかけて育ててやったのだ、我が家の役に立ってもらうのは当然だ。その為にお前を引き取ったのだからな」

 それが叔母夫婦の口癖だった。

 まだ結婚するにはいささか早すぎる年令だったマリエルに、ふた回り以上も年の離れたトロイとの結婚を命じた時も、彼らはこう言い放った。

「お前は、ただ私たちの言う通りにすればいいのだ。そうすればお前は貴族の邸で何不自由なく贅沢に暮らせる。貧しい木工職人の娘だったお前が卿夫人になれるのだ。お前のその美貌ならば王宮への出入りも許されて、うまくすれば聖王陛下のお目に留まり陛下の愛妾となる事も夢ではない。そうなればお前の夫も思うまま出世が叶い、良い妻を娶ったものだとさぞかし喜ぶ事だろう。こんな恵まれた人生があるか? お前は私たちに感謝すべきなのだ」

 しかし、マリエルは従わなかった。育ててくれた恩は確かにあるが、身勝手で強欲な叔母夫婦の駒にされるなどごめんだった。

 ましてや、一度も会った事もない、父親のような年令の男と結婚するなんて。

 自分の人生は自分で決めたかった。

「………それで、式の当日、式の始まる三時間前に式場を逃げ出したのです」

「三時間前!?」

 カナンが素っ頓狂な声を上げる。

 式の当日、しかも三時間前だなんて。

 カナンは、つい先ほど会ったばかりの礼儀正しく生真面目そうな准貴族(ピノチェ)の顔を思い浮かべた。

「…………トロイ卿も気の毒に………」

 思わず呟いたカナンに、マリエルはムキになって言い返した。

「なかなか抜け出せなくて、結果的に三時間前になってしまったのです。わざとではありませんわ」

 まさか、こんな所で因縁の相手に巡り会おうとは。

 シルにトロイを紹介され、彼が何者であるか悟った瞬間、マリエルは驚きのあまり声を上げるところだった。自制心をフル稼働させて何とか平静を装ったのだ。

 カナンたちには見破られてしまったが。

 マリエルは苦い溜め息をついた。

「もし、レディ・シルがトロイ卿の義理の母君だと知っていたら、彼女の招待など絶対に受けませんでしたわ。自らについては予言出来ない予言者の(ことわり)を、今日ほど恨めしく思った事はありません」

 そうだろうなぁ。

 カナンはしみじみとそう思った。

 スヴェアが惚れ惚れしたように言った。

「さすがです、レディ・マリエル。結婚式の当日に逃げ出すなんざ、なかなか出来ない芸当ですよ。俺にはとてもそんな度胸はありません」

 カナンはぼそっと呟いた。

「…………そこ、褒めるところじゃないと思うんだけど」

 ラーキンが言った。

「とにかく、結婚式の当日に花嫁に出奔されたのです。トロイ卿としては恥をかかされたわけですし、このまま彼がレディ・マリエルの事に気付かないでいてくれるよう祈るばかりです」

「そうだな」

 エイデンも頷く。

「トロイ卿もレディ・シルと同様、王宮の要職に就いている。敵に回すのは得策でない。彼らとはこれ以上関わらぬ方がよかろう」

「もちろんですわ。心臓に悪くて仕方ありませんもの。彼の顔を見ると気も咎めますし」

 苦い口調でそうマリエルが言った時。

 ドオォ…ン! と、まるで巨大な炎が一気に噴き上がったような大きな音が響き渡った。

 音は鎧戸を閉めた窓の外から聞こえた。

「!? 何だ!?」

 スヴェアが素早く窓に近付き、鎧戸を開け放つ。

 遠くで赤々と燃え盛る炎が見えた。

 満天の星空を焦がさんばかりの勢いで、王宮がそびえ立つ小高い丘の下………裾野の一角が燃えていた。


最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

マリエルの過去の一端が明らかになりました。

スヴェアのマリエル強火担ぶり炸裂です(笑)

参考までに申し上げますと、マリエルがトロイとの結婚式から逃亡した時の年令は11才です。

叔母夫婦、人でなしですね。

何故トロイが娘のような年令の年端もゆかぬ商人の娘と結婚するなどという、そのような不名誉な事をする羽目になってしまったかについては、後々明かされます。

それでは、次回も読んで頂けますと嬉しいです。

ではまた。

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