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魔王の嫁でございます ~僅か8歳で魔王の後宮に入内した元王女ブリジア妃の数奇な人生~  作者: 西玉
第4章 地下後宮の慶事

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77 地獄行き

 魔王が辞すると言うので、ブリジアが見送りに同行する。

 魔王は封眠殿の正殿を出たところで、語りかけた。


「母上はどうだ? ブリジアは、母上を恐れているのではないかと思ったが」

「はい。でも、皇后デジィ様も、最初はとても怖かったです。ミスティ様は、前後の見境がつかない時でも、デジィ様ほど恐ろしくはないでしょう?」


「単純に強さだけで比較するなら、その解釈は間違いだな。皇后と皇太后では、戦いの方法が全く違う。本気でぶつかれば、どちらが勝つか、朕ですら予測できない。最も、皇太后はこの一万年のうち、六千年は寝て過ごしたのだ。その間、デジィは力をつけているがな」


 魔族の感覚は、人族には計り知れないと言われる。

 ブリジアは、魔王と話すほど、それを思い知る。


「力をお持ちなだけで恐れていては、陛下の後宮には入られません。妃たちは、この世界で一番強い方に嫁いできているのですから」


 魔王は苦笑し、ブリジアを振り返った。

 かがみ込み、視線を合わせた。

 最上位にいる存在の振る舞いとして、本来はあり得ないことだと、ブリジアは王族として理解している。


「ここには、朕とそなたしかいない。我儘を言ってもよいぞ」


 魔王相手に、我儘を言う勇気のある妃は少ない。

 ブリジアは、その数少ない一人だと思われているからこその、魔王の言葉だ。

 だが、ブリジアは魔王に甘えるつもりはなかった。


 自分が幼くても、ただの肩書きでも、妻だと名乗ることを許されているのだ。

 夫とは、対等でなければならない。

 ブリジアは、肝に銘じていた。


「一つ、お聞かせ下さい」

「うむ」

「封眠殿は、妃の住む場所ではないとききました。私はもう、陛下の妃ではないのでしょうか?」


「そんなことか。一度朕の妃となった者は、朕が滅ぼされるまで抜けられん。規則ではそうなっている。それでは、妃の住まいが九つの宮殿に限定されていることと矛盾した場合、どちらがより強制されるかという問題だ。明確な定義はない。だが、妃を辞めるには、朕を殺すか自分が死ぬしかない。この規則は、絶対に破られん。ブリジアは、永遠にわが妃だ」


「はい」

「そこで嬉しそうにする人族の妃を、朕は初めて見る……ただ、覚えておけ。規則の抜け道を見つけたら、突き詰める前に、利用することを考えるのだ。安易に人にいうより、言わないことで利用できる場合もある」

「……はい」


 ブリジアが妃ではない可能性は、魔王が明確に否定した。

 だが、場合によっては、自分はもう妃ではないのだと言って、難を逃れる場合もあるかもしれない。

 その可能性を残すために、封眠殿にいようが妃であることは変わらないとは、言いふらすべきではないのだ。


 王族であるブリジアには、ごくありふれた処世術だが、魔王自身もそうやって身を守ってきたのかと感慨深くもある。

 ブリジアの頭髪を、魔王が優しく撫でる。


「陛下、クリスのことですが……」

「ああ。一騎討ちを申し入れたと聞いた。シャミンにくれてやることはできないのか?」

「クリスが無事だと確認できたので、安心しました。ナギサという侍女もいますので、クリスが望むのなら、今のままでも結構です。ですが、クリスは帰りたがっていると思います」


「そうか」

「陛下、最後にお尋ねさせてください」

「うむ。よかろう」

「トボルソ王国の王である父が、私に王笏と王冠を送ってきました。トボルソ王国では、何が起きているのでしょうか?」


 魔王が立ち上がる。

 ブリジアは、首が痛くなるほど見上げた。

 部屋の中にいる時より、魔王が大きくなったのではないかと感じる。

 それほどまで、大きかった。

 大きくなった魔王は、ブリジアを見下ろした。


「そうか……ブリジアは知らんか」

「……陛下、何をですか?」

「ブリジアに、トボルソ王国と世界各国の人族の拠点を移動する魔法陣を設置する許可を与えたな」


「はい。まだ、魔王城との行き来しかできるようになっていませんし、魔王城には人族がいませんけど」

「それでも、その変化は大きなものだった。前代のトボルソ王国国王は退位した。現在の国王は、ブリジア、そなただ」

「へっ?」


 ブリジアは、自分でも驚くほど、間の抜けた返事をした。

 歯の間から空気が抜けたようだ。


「トボルソ王国の元王女ブリジアは、現在はトボルソ王国の女王である。これからは、より一層国のことを想うのだな」

「はっ? ははっ」


 ブリジアは戸惑いながら、その場に膝をついた。


「朕は戻る。公務があるのでな」

「私がまだ妃なのであれば、お引き留めしてもよろしいですか?」

「今はならん。また、夜にくる」


「はい。お待ちしています。陛下が見えないと、私が侍女たちに叱られるのです」

「女王となってもか?」

「女王であるなら、より一層の義務があるものです」

「人族は、不思議な考え方をするものだ」


 魔王は笑いながら出ていった。

 自ら膝をついたブリジアは、膝を払って立ち上がる。

 魔王と入れ違いに、見たことのある侍女が封眠殿の門を潜った。


「シャミン名妃の名代で参りました。ギエイと申します」

「立ちなさい。私は、この宮殿の主人ではないのだから、そこまでの礼は不要よ」

「ありがとうございます。ですが……私はブリジア様に、ぜひお許しをいただきたいのです」


 ギエイと名乗る侍女が、封眠殿の砂利に額を押し付けるように平伏した。


「シャミンさんの名代で来たと言ったわね。一騎討ちのこと? 許すも許さないもないわ。私は、格上の妃であるシャミンさんのお怒りを買ったのだもの。許してもうのは私の方だし、許されるよりも重要なことがあると考えるのは、私の我儘だもの」


 ギエイは顔をあげる。

 ただの侍女にしておくには、勿体無いほど綺麗な顔立ちをしている。

 自分の侍女に加えたいと思いながら、ブリジアは自重するように自分に言い聞かせた。

 ナギサという侍女を増やしたばかりだし、クリスをまだ取り戻していないのだ。


「しかし……シャミン様は泣き暮らしております。ブリジア様に殺されると、いつもそればかり口にして……」


 ブリジアは、後宮に入る前から知っていたシャミンを思い出す。

 年齢はシャミンがかなり高く、何度か遊んでもらった記憶がある。

 あの頃は、優しかったのだ。


「……私のこと、罰したのはシャミンさんじゃない。私がそんなに恨んでいると思うなら……ああ、それであなたが来たのね。シャミンさんは来ないの?」

「シャミン様が直接来れば、地獄に連れていかれると恐れております。ブリジア様は、一騎討ちの名目で、シャミン様を地獄に連れて行くのではないかと」


 ブリジアは理解した。ブリジアのところにも、皇太后ミスティから『地獄巡り』について相談したいという手紙がきたのだ。

 同じ宮殿に住んでいるが、まだ引っ越して間がないため、直接会えば萎縮すると思ったのだろう。

 その点は、皇后デジィよりもよほど感覚はまともである。


「わかったわ。ギエイ、着いてきて。シャミンさんに伝えてほしいの。私が、どれほど怒っているか」

「やはり、ブリジア様は……」


 ギエイは息を呑みながら立ち上がる。

 ブリジアは実のところ、魔球の競技中に跪かされたことは恨んではいなかった。

 せっかく練習したのに何も活躍できなかったのは残念だが、ブリジアはまだ下から数えた方が早い低位の妃である。


 上位の妃の気分次第で理不尽に罰せられるのは、今に始まったことではない。

 ただ、魔王の子どもを孕ったクリスを、出産前に自分の配属に戻すための最も適切な手段として、選んだのが一騎打ちだったのだ。


 もちろん、魔王に事情を説明すれば、すぐに詔を発してでもクリスをブリジアの侍女にするだろう。

 だが、それではシャミンの立場がない。

 シャミンになんと思われようと、一番問題を起こさず、クリスをブリジアの侍女に戻すための方法を選択したつもりなのだ。


 ただ、直接足も運ず、シャミンは侍女をよこした。一介の侍女に、真実を告げるつもりにならなかったのも事実である。

 ブリジアは、封眠殿の正殿に戻った。

 そこでは、テティを中心に、テーブルを囲んで激論が交わされていた。


 全員が立ったまま、テーブルに広げられた図面を見つめている。

 テティの他には、皇太后の侍女ジャスティやドモ、ブリジアの侍女である芸事が得意なチャクと魔道具職人のシテンがいた。


「ブリジア様、血の池地獄の再現として、泥パックと岩塩サウナ、どちらがいいと思われますか?」


 正殿に戻った途端、テティから尋ねられた。

 普段の柔らかく暖かい物腰からは、別人と思われるような気迫に満ちている。

 正直に言うと、どちらでもいい。そもそも、興味がない。


「本物の血の池地獄は、赤いの?」


 ブリジアは、地獄に行ったことがない。

 魔王の言いぶりでは、罪を犯した魔族を閉じ込めるためのダンジョンだという。

 魔族は、簡単には死なない。

 だから入れるのであって、人族が行くところではない。


「ああ。赤いよ。だから血の池地獄なんだ。実際にはマグマだから、血じゃないけどね」


 あまりにも黒いため、見落としていた。

 テティを中心とした輪の中に、皇太后ミスティが楽しげに参加しているのだ。


「なら、赤い泥を使った泥パックがいいのではないでしょうか。泥の成分はどうするのですか?」

「なるほど……さすがはブリジア様、御慧眼です。泥の成分まで拘るとは……やはり、ミネラル成分大目がいいでしょうか?」

「肌の潤いには、コラーゲンがいいでしょう。錬金術師たちに作らせます」


 言ったのは、ジャスティだ。皇太后の侍女頭であり、見た目は直立するカメである。

 カメが皮膚にコラーゲンを求める姿を想像したが、ブリジアは笑わなかった。


「……ブリジア様、これは……」


 背後で、侍女ギエイが戸惑って立ち止まっていた。あえて帰れというまでもないと放置していたが、ついて来ていたらしい。

 ブリジアは振り向く。


「皇太后様は、妃たちの湯治場を作りたいのですって。せっかく人族の妃が同じ宮殿にいるのだから、意見を聞きたいってことみたい。シャミンさんのところにも手紙が届いたのは、多くの妃の意見を聞きたいからですか?」


 シャミンに手紙を送ったことは、ブリジアは知らなかった。

 その真意も同様である。

 ブリジアに尋ねられ、皇太后は言った。


「湯治場を作っていることは知られてもいいけど、地獄巡りって名前は、秘密のしておきたいのさ。サプライズだ。あまり知り合いの多くない、入ったばかりの妃なら、うってつけだろう?」

「は、はあ……」


 侍女のギエイは戸惑っていた。

 ブリジアが振り向いて尋ねる。


「ギエイは、湯治場って知っている?」

「存じません」

「お風呂は好き?」


「は、入ることは、ほとんどありませんが……」

「ずっと、綺麗でいたいでしょ?」

「それはまあ……」


 戸惑ったギエイの手を、ブリジアがとった。


「テティ、仲間よ」


 ブリジアの侍女頭テティが、鋭い目を向ける。


「針山地獄と聞いて、何を想像しますか?」

「絶滅危惧種の山ツボ嵐でしょうか」

「いいわね。採用、チャク」


「了解、でも、見つかる? 山嵐と全く同じ姿だけど、針で刺した相手をどんどん健康にしていくっていう不運の魔物でしょう?」

「その子なら、魔王親衛隊の第6部隊で飼っているはずよ。治療部隊だって」


 ブリジアが言うと、ミスティが頷いた。


「ああ。魔王本人が怪我なんかしないからね。こういう時に出番を作ってやろう。よく気づいた」


 ミスティに褒められ、ギエイは嬉しそうに恐縮した。


「ところで、シャミンはどうして来ない?」

「全身に発疹が出て、悶えております」


 ミスティの問いに、ギエイは即答した。

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