63.グラムイーターの情報 ③
クロディスは毎日トオルと別れる前に、ハグやキスをしてくれる。トオルもクロディスなりのスキンシップであると捉えるようにしていたが、その後妙に調子が良いと思うことがあった。もしかするとあれは、クロディスから源気をもらっていたのかもしれないと、トオルは今さらになって気付いた。それは房中術と同じ類いのものと言える、心身を癒すスキルだ。そう思うと、深い間柄にある者同士が源気の交換や補給をするのは悪くないことだと、トオルは感じた。だが、いくらクロディスが強い源気を持っているからと言って、一方的にもらうばかりになっていたことは、兄として面目ない気分にもなった。
「その通りです、トオル。自由意志や命を奪わなければ、ホミ同士の私生活について、学園が問うことはないでしょう」
「それなら、セレスティアさんはどんな男性がタイプなのかしら?」
「そうね、理知的な男もいいけど、まずは身体能力が高いことが必須条件ね」
「ちょっと漠然としていらっしゃるのね」とニーアが突っ込む。
「あら、私、好きな男に求める条件は厳しいわよ」
セレスティアはさらりと受け流すと、話題を戻した。
「ところでナティアちゃんの失踪のことが気になるわね?何か手がかりはあるのかしら。貪食者に襲われていたとしたら、きっと前兆として、何かしらの異変があったはずよ」
「異変ですか?」
「貪食者にも好みがあると聞きます。そして、実際に源気を吸い取る手口はそれぞれですが、ターゲットを殺さず、何度も襲うところが共通しているとも言われますね」
「何度も襲うの……?」
セレスティアは犯人の心理を推測しながら、身振りを交えて話を進める。
「貪食者の考えでは、美味しい獲物は殺しては勿体ないのよ。殺してしまえば始末が面倒で、掴まれば罰則も受けなければならない。それなら、獲物を生かしておいて、回復したらまた吸い取れば一石二鳥じゃない?」
「異変といえば……そんなに無茶なことをしたわけでもないのに、体が妙に疲れやすいとは言っていたかも……」
「それだけでは手がかりにならないわね……。源気を吸い取られていれば、その症状は当然のことよ。どんな時に、どんな場所で吸い取られたのか。もっと確実な証拠がないと、犯人を見つけるのは難しいわ」
ニーアはしばらく、何か思い出せないかと記憶の糸を手繰ってみたが、渋い顔になって溜め息をついた。
「ダメだわ……わからない……」
リュークも難しい顔でニーアを見た。
「それも貪食者を捕まえるのが難しい理由ですね。きっと何らかのスキルを使って、不利な証拠は残しません。9組のミレーヌさんの失踪事件でも、その前に彼女は、昨晩のことが思い出せないと言っていることがあったそうです。被害者の記憶を混乱させるというのもよくある手口ですから」
リュークの話を聞いて、リーゼロティは目を丸くした。
実は彼女も入学依頼、時々体調を崩したり、前日の記憶が曖昧になることがあった。飲んでもいないのに酒に酔ったような、二日酔いのような状態になるのを不思議だと感じていた。
(まさか私、覚えていないだけで……)
リーゼロティはそう思ったが、本当は思い出すのが怖いだけだった。時折、断片的な記憶が脳裏をよぎることがある。だがそれらの記憶は、多数の触手に囚われ、服を破られ、体のすみずみまで弄ばれるという悪夢のようなものだった。そして、それが夢であるなら、そんなことを夢想してしまう自分が恥ずかしすぎて、記憶に蓋をしてしまうのだ。
(リーゼロティさん、何か心当たりでもあるのか?)と、トオルが念話で聞いた。
彼女の思考が伝わってしまったのだ。
リーゼロティはさっと顔を赤く染めた。考えただけで恥ずかしくなるようなことを人に話すなんてできないと、リーゼロティはまた記憶を封じ込める。
(ごめんなさい……ちょっと記憶がごちゃごちゃしただけ、何でもありません……)
トオルはリーゼロティと目線を交わす。
(悩みがあったらいつでも言ってくれ)
(ありがとうございます、でも、大丈夫です)
リーゼロティは遠慮しているだけだとトオルは直感したが、それ以上踏み込むわけにはいかず、今は見守ることしかできないと思った。
「でも、ナティアちゃんやミレーヌさんが捕まっているとしたら、その犯人はどうして今さらになって彼女たちを捕まえることにしたのかしら?」
「恐らく、そうしないと正体がバレるからでしょうね。必死に源気の気配を隠すしかないんでしょう」
「何て酷いこと……どうしてこんな事件を、学園や生徒会はすぐに解決できないのかしら?」
ニーアが沈痛な顔でそう言った時、エリックが厳しい声で割り込んできた。
「できないわけではない。事件の追跡調査は進めているが、こちらも人手が足りない」
「人手が足りない……?」
「セントフェラストにある四つのキャンパスの治安は、各生徒会によって維持されている、それは皆も知っているとおりだ。だが、中央学園エリアだけは、それぞれの生徒会から一部の人材を投入することで維持される。大きな事件がない場合は各自のタイミングで巡回を行い、拙者のような志願者も異変に気付けば不審者を退治したり、逮捕することもある。だが、事件が同時多発的に起きた場合は、解決に時間がかかることもある」
「そんなに人が足りていないなんて……」
セントフェラストに通う心苗と教諭を合わせると約40万人。その中で生徒会から一部のメンバーは4000人にも満たない。さらに精鋭ともなると、その一割以下だ。力があっても生徒会に入ることを望まない者もいる。特別な召集がかかっても、それを引き受けるかどうかは本人の意志次第でもある。現実的に考えて、広大な学園全体を維持するには厳しい状態だった。
「ということは、貪食者については今、進行中の案件なのか?」
トオルが訊くと、エリックは彼の方を見た。
「ああ、ペルシオンのみならず、他のキャンパスでも類似の案件が挙がってきている。恐らく、複数の貪食者による多発的な事件だ。そのため、どの事件同士に関連があるかも未確定なところが多い。こちらも追ってはいるが、イタチごっこのような状態で、居場所の確定は難航している」
リーゼロティはおずおずと声を出した。
「何か、具体的な手がかりというのはあるのかしら?」
「一つは触手の『使役体』を操っていることだ。低レベルの魔獣を装っているのだろう。校内の各所に多くの分身を作っており、本丸を洗い出すのが難しい」
触手と聞き、リーゼロティは震えた。記憶が鮮明になり、その感触を体が思い出して痛いほどだ。
「もう一つはトラップ式の章紋術だ。術を踏んだ者は感情を拡張化され、心身に異常を来し、その場から離れられない。その状態で源気を吸い取られてしまう。その術式は巧妙な修飾がなされ、源紋も取りにくい。解析を試みたが、被害者の源紋に攪乱され、犯人の源紋は取れなかった」
ニーアはリーゼロティの焦点が合っていないことに気付き、心配になった。
「リーゼロティさん……顔色が悪いわ。まだ治りきっていないんじゃないかしら?」
「そう……でもありません……私は大丈夫ですよ」
リーゼロティは眼を細め、強がるように笑顔を見せた。だが、顔からは血の気が引いている。
「左門、やっぱりここにいたか」
一同が振り向いた先には、一階で知恵の輪を売っていたあのクラスメイトが立っていた。春斗は通路から一つ上の列に入り、トオルに向かって突き進んでくる。
「サキュバスラさん、ちょっと席を譲ってくれ。彼に話があるんだ」
「あら、男同士で恋バナ?言っておくけど、クールボーイに喧嘩を売るためなら、ここは譲れないわよ」
「とんでもない誤解だなぁ。同胞に挨拶したいだけさ」
セレスティアは一歩退いて席を譲ったが、春斗の話を信じているわけではなく、下等な生き物を蔑むように睨みつけた。
実はセレスティアは、春斗から高価な知恵の輪を買っていた。だが、知恵の輪を解いたあとで、「解ければ知恵が増える」という効果がないことに気付いた。
知恵の輪が解けなければポイントを支払う必要はない。それは事実だったが、知恵の輪が解けてしまえば返品はできない。知恵が増えようが増えなかろうが、ポイントを支払う義務が発生してしまうのだ。さらに、知恵の増減は目に見えるものではないため、知恵の輪が実際に知恵を与えていないという証明は難しい。セレスティアは春斗の嘘に気付いても、彼が行っている商売が詐欺だと指摘することもできなかった。春斗の店に群がる心苗たちを見て、セレスティアは心を痛めていたが、だからといってどうすることもできない。
そんな経緯があり、セレスティアは春斗を人格的に疑っていた。
登校初日以来、二人は話していない。トオルはひたむきに機元の研究と製造所の手伝いに集中していて、春斗についてはアクセサリー販売が上手くいっているようだと知っているだけだ。
「石井さん、何か用でも?」
春斗は意地の悪い笑みを浮かべながら、ポケット納屋を探り、知恵の輪を取り出した。黒鉄色の、細かい紋様の入った二つの輪が絡まっている。輪の上には、小さな円が刻んであった。
「一つ買ってくれよ。ニッポン出身の同胞だろ、お互い助け合うのは当然だよな?」
「ぼくなんかに売りつけるまでもなく、完売しそうだったけど?」
「ああ、売り切ったはずだったんだけど、解けないバカが多くてね。実際に稼げたポイントは、予想よりも少なかったんだ」
「それなら解けてからでなく、販売する時にポイントをもらうようにしたらいいんじゃないか?」
「お前にはわからないだろうけど、アクセサリーの商売はそう簡単じゃない。なぁ、これは特別限定品だけど、同胞だから500EPポイントでいいぜ。お前は頭が良いから、きっと解けるだろ?」
ファッションのトレンドに敏感なニーアが、羨ましげに知恵の輪を見た。
「いいですわね、サモンさん。イシイさんの知恵の輪、とっても人気なのよ?しかも限定品なんて……私ならぜひほしいわ」
トオルには、この知恵の輪に知恵を授かる御利益があるとは思えなかった。春斗にそんなスキルがあると信じられないからだ。トオルは無表情に春斗を見る。
「500EPポイント?君は本当に、ぼくがそんなにポイントを持っているとでも思うのか?」
「別に、今すぐ解けって言ってないだろ。来月以降でもいいし、好きな時にやってくれ」
(こんなもんで知恵が増えるわけねぇだろ、バーカ。それにしても、知恵のある奴を騙してポイントをもらう、二重で気分が良い商売だよな)
近くにリーゼロティがいるおかげか、春斗の心声はよく聞こえた。
「なるほど。それならぼくにも同胞として提案がある。ぼくは源使いなら誰でも使える武具を作ったんだ」
(は?交渉?いつからこいつ、こんな生意気になったんだ)
トオルはポケット納屋から、依織に使ってもらった、あの玉を一つ取り出した。
「これはまだ試作品だから効果は一回のみだが、すでに実験段階だ」
「へぇ?お前、こんなもの作ってたのか?」
「ああ。その限定品の知恵の輪の対価として、このアイテムの完成品と交換というのはどうだろうか?その条件が飲めないなら、ぼくも君の知恵の輪をもらうことはできない」
(まぁいいか、もらっておいて高く売りさばくか)
春斗の心脈は、まさに狂言詐欺師のパターンだ。嘘を付く時の、不気味な音がトオルの耳に響く。鋸のギザギザの刃が引かれるように、低く、暗く、それでいて速い。
「ま、良いだろう。乗るぜ」
「わかった、なら君の商品も受け取ろう。研究の合間に、気分転換のつもりでやってみる」
「フン、そりゃ光栄だね。それで、お前の試作品はいつ完成するんだ?」
「来月には商品化できるつもりだ」
「良いぜ」
春斗はトオルの肩を強く叩くと、耳元に口を寄せた。
「授業の後で屋上に来い。話がある」
不快な圧力に耐えながら、トオルが応える。
「二人で話したいのか?」
「そうだ、お前の秘密についてだ。お前がいかにピカピカのメッキか、俺は知ってるからな」
トオルが言い淀んでいると、コツコツと靴音がして、話は中断した。オリヴィアが来た。
「いいな、来なきゃ後悔するのはお前だぜ」
春斗は通路に戻ると階段を降り、教室から出ようとした。
「Mr.イシイ、どこに行く?」
「ちょっと左門くんに用事があっただけで、授業に出るつもりはないんでね」
オリヴィアは春斗を鋭く睨んだ。
「そうか、君はずいぶん商売に熱心なようだな」
「ハハ、おかげさまで。この学園の自由意志に乗っ取り、俺は自分の才能を生かしてポイントを稼いでるだけなんで」
「勘違いしているようだが、私は君を褒めていない。そうだ、君の商売について、苦情が私の耳に入っている。その件について話がしたいんだが?」
想像以上に早い告発に、春斗はドキリとしながらも、ポーカーフェイスを貫いた。
「今は忙しいんでね。またメッセージで都合の良い日時を伝えますよ」
春斗は何でもないような顔をしていたが、逃げるように教室を出た。




