54.兄妹密話 ③
「まずは基礎訓練をしっかり行うことだね。そうすれば、使える源の量が増えていく。それでも源気が足りなければ、今は補助スキルやアイテムを使って回復するしかないかな。でも、タマ坊とコダマがいてくれるだけじゃダメだよ。トオル自身が、自分を守るためのスキルを身につけないと」
クロディスの言っていることは正論だ。だが、言うは易し。トオルは戸惑いを隠せなかった。
「源気が不足していて、体力もないようなぼくに、できるスキルなんてあるのか?」
「章紋術で発動する宝具アイテムを作ってみる?トオルは指令回紋や機元作りが得意だから、シンプルなパターンの章紋を使う宝具ならいいかも。そこまで高い源気が必要なわけでもない」
トオルは頭を回転させる。リュークの言っていたことが、脳裏に蘇った。
「それはつまり、地球界でいう錬術士のように、章紋を使ってアーティファクトを作るってことだな。……たしか、術式回路という技術か?」
「そう。ちょうど私が借りた本があるから、トオルなら作れると思う」
クロディスはポケット納屋から十数冊の本を取り出し、テーブルに置いた。いずれも辞書のように厚く、重ねると二つのタワーができた。章紋術の技術書だ。
トオルは一冊を手に取った。中の紙は黄色く染められており、古そうな本ではあったが、抗菌抗黴処理がされた、妙な匂いがしている。パラパラとページをめくりながら、ざっと内容を確認した。各元素の初級レベルの章紋術と、術式回紋の技術、それらの実作と応用について書かれていた。どうやら地球界の術式回紋は、アトランス界から取り入れた技術だったらしい。この書籍に書いてあるのがオリジンだ。
「ありがとう、クロディス。これなら今のぼくでも力を身につけられそうだ」
「読んでいて分からないところがあれば教えてあげるね」
本を閉じる。トオルの表情はやる気に満ち満ちていた。
「徹夜で飛空艇ライセンスの勉強をしようと思ってたのに、こっちも気になってきた」
「大丈夫、トオルは明日、きっとライセンスを取れるよ」
「そんなことまで分かるのか?」
「タマ坊やコダマを作ってきたんだから、トオルはもう、飛空艇を操縦するためのスキルを身につけているよ。だから、ルールさえ少し勉強すれば大丈夫。テストは同じ日に何度でも再試験できるから、一度不合格になったって、問題ないよ」
クロディスの笑顔を見ていると、トオルは何故か、きっと合格できると信じられた。
その時、クロディスの胸元の石から最後の花弁が散った。白っぽい黄色の光が点滅している。
「それは何なんだ?点滅してるけど」
クロディスは、「あぁ」と言って、大したことではないように石を見た。
「もうそろそろ時間切れだね。この身体は一日しかもたないの」
「クロディスの身体が消えてしまうのか?」
「そう、明日また新しい身体を作るから、平気だよ」
身体を失うのは辛いことのはずだ。なのに、クロディスはリラックスした様子で、柔らかい笑みを浮かべている。
「……それって、ただ身体が失われるだけなのか?」
「うん。全ての記憶と経験は心に刻まれているから。身体が入れ替わっても、失うものは何もないよ」
「……そうか。心脈はないけど、体温はある。この身体はどうやって作られているんだ?」
「これはね、大地系の章紋術で錬成している身体なんだよ。ゴーレムみたいなものだけど、私の心光体が一時的に宿っている。源気と魂、そして心光体があれば、普通の人間のように動くことができる。でも、食事は必要ないね」
トオルは不服だった。口調は重く、気持ちも重い。
「どうしてクロディスは、そんな面倒なことをしなくちゃいけないんだ?」
毎朝身体を作り、毎晩滅する。たった一日すら命を持つことを許されず、日々、生と死を繰り返すというのは、トオルには酷く悲しいことに思えた。きっと、心光体の状態で生きることが、クロディスにとっては自然で気楽な生き方なのに、なぜ理不尽を強いられて生きていかねばならないのか、トオルには理解できなかった。
「タヌーモンス人の政府は、人造人間を作ることを禁止しているから。私のように身体を作るなら、タイムリミットとか、何かしらの制限がかかってしまうの」
「心光体のままで、人間社会で生きることはできないのか?」
「心光体は密度の高い源気で強化された者にしか認識できないからね。人間にとっては聖霊と同じレベルの存在になってしまう。だから、身体を作らないとね」
「でも、毎朝身体を作り直すのは、辛くないのか?」
毎日生き死にを繰り返すことが、クロディスに悪影響を及ぼすのではないかと、トオルは気がかりだった。クロディスはもうすぐ終わりを迎える身体でトオルに近付く。その頭をトオルの胸に寄せると、甘えたような口調になった。
「ちょっと不便だけど、私の心も意識も、何も変わらないよ?実体のある人と交流するためなら、少しくらい自由が縛られても、私は構わない。人間だって、毎日洗濯して、洗い上がりの服を着るでしょう?それと同じようなものなの。学校のない日や休みたい時は心光体のままで過ごしているから、大丈夫」
「……それはやっぱり、心光体の方がクロディスにとっては楽ってことだろ?どうしてクロディスは平然と受け入れられるんだ?……君はミーラティス人の国に育ったのに、どうして無理をしてまで、フェイトアンファルス連邦に留学しているんだ?人間との交流は、本当にクロディスの望んでいることなのか?」
クロディスは、トオルの胸から頭を離した。そして、トオルを見る。クロディスの目に映る彼は、大人の理不尽さを責める子どものように切ない。
クロディスはさらに優しい笑顔になった。
「トオル、私はピュトリティス族の初代巫、エフィティネの娘。だから、タヌーモンス人の社会を見守る責任があるの。それは、お母さんから継がれた意志」
クロディスの告白は、トオルに大きな衝撃を与えた。
「ぼくも……エフィティネの子ども、なのか……?」
――初代巫って、聖殿で肖像を見た……?一万年以上生きていたってことか?
クロディスはトオルの感情が揺れていることに気付くと、寄り添うように微笑んだ。
「驚くことはないよ。心光体で生きている私たちの命はとても長いから」
トオルは無言だった。自分の母がエフィティネであるということが、まるで現実感がなかった。
「お母さんのことを聞いて、ショックだった?感情が乱れているみたい」
「ぼくの心は、乱れているのか?」
「クロディスに任せて。乱れた心を癒すおまじないを教えてあげる」
「おまじない?」
トオルが言い終わるよりも前に、クロディスは優しくトオルの背中に手を回し、トオルの唇に自分の唇をそっと重ねた。トオルの時が止まった。全ての感覚が鋭くなり、固く握りしめていた拳が解ける。混乱していたのは束の間で、頭の中がふわふわと柔らかくなり、全ての煩悩が抹消されたような気分だった。それから何秒経ったのかは分からない。クロディスがトオルから離れると、頭がリフレッシュして、良い心地だった。
「クロディス…………」
胸元の石の点滅が速くなっていた。クロディスは愛情のこもった笑顔でトオルを見て、甘い口調で言う。
「ふふ、クロディスのおまじないだよ。トオル、また徹夜で作業でしょ?あまり無理しないでね。おやすみ」
「お、おやすみなさい」
クロディスの身体は無数の光となって、霧のように散った。トオルにはクロディスの心光体の一部がおぼろな輪郭としてしか見えない。クロディスの状態は、確かに未熟な心苗には聖霊と勘違いするようなものだ。トオルにも完全に見えるわけではないが、近くにいることは、源気で感じられる。クロディスは二階へ飛んでいく。寝室の扉は閉じていたが、クロディスは扉を開けることなく、通り抜けていった。
心光体のクロディスが動く光景を見送ると、トオルはソファーから立ち上がった。クロディスが安心して頼れる兄になれるように、頑張らなければならない。
――よし、作業に戻るか。
ティエラルスの夜。望楼の屋根には苔が生えている。花壇の中では虫が光りながら鳴き、芝生や茂みのキノコも光っている。巨木の下からでは星空を見ることはできなかったが、庭園に光る自然物が、星のカーペットのようだった。静かに流れる水の音が聞こえている。
巨木の幹に取り込まれた大きな青い宝石は、夜でも神秘的な光を放っていた。




