52.兄妹密話 ①
書斎の机の上には学習用の指令回紋のための機元端があり、その上で回紋を書くためのドッターが光っている。そこから繋がった机には立体映像が映され、フェイトアンファルス連邦の通用言語で書かれたコードが紋様となって浮かんでいた。トオルは不思議な形をしたキーボードを打つ。その度に、宙に浮かぶ文字が回紋を描いていった。
製作所での初日の仕事が終わった後、トオルはこっそりと倉庫内の空地で、旧式の飛空艇の練習をさせてもらった。その後は寄り道もせず直帰し、寮に戻ると書斎にこもり、ケティアにもらった材料を使って指令回紋の勉強と研究に没頭した。
「ただいま」
「おかえり、クロディス。こんな時間まで残って結社の仕事をしていたのか?」
「ううん、一時間前には帰ってきていたよ。トオルの研究の邪魔にならないように声をかけなかっただけ。リビングで心の『浄化』をしていたの」
「そうか」
心の『浄化』はミーラティス人の日課で、人間にとっての入浴のようなものだ。しかし、風呂に入るのは実体があるからで、肉体をもたないミーラティス人にとって、入浴は意味を持たない。
一日の間に汚れた意識を抜き取り、癒す。通常の汚れであれば、歌うことで心を洗い清めることができる。場合によっては章紋術を使い、雑念や、心に刻まれたトラウマを癒すこともある。入浴の代わりに、毎晩歌を歌い、心を『浄化』していく。
「ねぇ、しばらく休みましょう。トオル、きっと機元の研究に夢中で、まだ食事も取ってないんでしょう?」
クロディスの宿る仮の体には、脈音はない。それでも、落ち着いた香りと温かな気配から、クロディスがそばに寄ってきたことが、トオルには分かった。
長い集中を解き、トオルは背板にもたれかかる。タイピングポイントが中空で水平に揺れていた。
「うん、『活化』の影響かもしれない。研究に集中している間、一度も空腹感を覚えなかった」
「やっぱり休んだ方が良いよ。そのスキルに頼り過ぎちゃダメ。身体はまだ『活化』になれていないから、解除した後、急激に酷い飢餓感を覚えるよ?」
クロディスがそう言ったそばから、トオルのお腹の虫が凄い音を鳴らした。
「確かに……。あ、マズいな、食堂は34時までだ……」
クロディスは、仕方ないねというような、温かい笑みを浮かべた。
「そうじゃないかと思って、食べ物を持って帰ってきたよ」
「それは助かる、クロディス」
「食卓に置いてあるよ」
クロディスの気が利きすぎて、そんなふうに扱われたことのないトオルは心が温まり、顔が火照った。
「ごめん、世話ばかりかけて、面目ない……」
「家族なんだから当たり前だよ。もっと頼ってくれたって良いんだよ?」
クロディスの顔に、慈しむような笑みが増した。この淑徳は、クロディスの特別な個性だ。トオルも同じだけの時間を生きてきたはずだが、彼女には年齢に見合わない大人びた落ち着きがある。これまで、一体どこで、どんな生き方をしてきたのか、トオルはますます気になった。
クロディスはいつも通り、ブランコカウチに腰掛けて、章紋を手に綴り、結晶石を作っている。
ローテーブルにはお茶と茶菓子が置かれ、皿の上の結晶石が蝋燭のように橙に光り、室内の温度を調節している。テーブルの上には他にも、美しい形に錬成された石や、赤、緑、青、黄の、四つの透明感のあるビー玉のような石が、多数散らばっている。
トオルは食事を終えた後、満足げにリビングへやってくると、もう一つのソファーに腰かけた。食卓からもリビングは見えていたため、クロディスが何かを作っていることには気付いていた。
「クロディス、さっきから何を作っているんだ?」
クロディスはできたばかりのキラキラした宝石を手に取り、トオルに見せるように掲げた。
「『契紋石』だよ。術式を静態保存する方法なの」
「術式の静態保存?」
「普通、魔導士は自分の源で術式を描きながら、呪文を詠唱して章紋術を発動させるの。でも、術式の詠唱時間が省略できるなら便利でしょ?だから、事前に術式を用意して、その場ですぐに発動しないよう、保存させる必要があるの。保存には大きく分けて、動態保存と静態保存の二つがあって、今私がしているのは、静態保存。一つ一つの術式を石に錬成して、必要な時には何か触媒を使って、章紋術を発動させる」
「じゃあ、動態保存は?」
「術式を宙に綴ったままで、他の人に気付かれないように隠しておく方法だよ。源の高度や密度を調整したり、章紋を特別修飾しておくの。その状態にしておけば、使いたい時にいつでもすぐに使える」
トオルはテーブルの上の一粒をつまみあげた。近付けて、色んな方向から眺めてみる。
「『契紋石』か……。なるほど、これが魔導士の戦い方なのか。かなり細かいテクニックの要求されるスキルだな」
「そうかもしれないね。でも、章紋術のルーツはたくさんあって、種類や特性も様々だから、同じ術式でも、使う人によって効果が異なるんだよ。だから、自分に合う術を見つけることだね。そういえばトオル、セントフェラスト初日を過ごしてみて、どう?」
クロディスは話題を変えると、ブランコカウチを飛び降りて、トオルと同じソファーに座った。クロディスがとても近くて、トオルの目には、彼女の胸元に付いた石が見える。花弁の紋様はカウントダウンするように色を変えていき、最後の一枚が光っていた。
「とても充実していた。だけど、嬉しいことと、憂いとが、半分ずつかな……」
地球界よりも長いはずの一日なのに、思い出すととても短かったようにも感じる。トオルは今日一日を思い出しながら、時間の感覚が曖昧になっていることに気付いた。
口角を上げているトオルを見て、クロディスも少し嬉しげな表情になる。
「友だちはできた?」
「ああ、一応、クラスメイトのアルベールさん。それと、仕事が決まって、そこに勤めている先輩も。彼女は友だちとは言えないかもしれないけど」
トオルはリュークとケティアから連絡先を聞かれ、交換した。もちろん、昼食の際に穣治、美鈴、大輝とも交換した。
話しながら、トオルはリュークとケティア、それぞれとの記憶を思い浮かべている。クロディスはその意識と繋がることで、まるで現場にいたかのように全ての光景を共有することができた。
「二人はきっと良い友だちになるよ」と、クロディスの顔に笑みが増した。
友だちという言葉で依織を思い出し、トオルが「そういえば」と言った。
「依織さんがクロディスに会ってみたいって。結社で忙しいと思うけど、一度会えないか?」
「あの子か……」




