8.思いを運ぶ難破船 ②
トオルと依織の後ろを穣治が付いてきている。
依織は船内のデコレーションに興味津々の様子でキョロキョロと見回しているが、トオルは別の意味で船内を見渡していた。事件が起こった場合の避難ルートや、ルート上で拠点になりそうな場所の確認をしたり、パトロール中のガードマンを一瞥したりと頭の中は忙しい。
三人は同じ6167号室に振り分けられていた。6167号室の前まで到着した時、客室の前の廊下に、見覚えのある少年が立っていた。
「おう、さっきのお嬢ちゃんと坊やじゃねぇか」
埠頭でトオルとぶつかった大輝と美鈴だ。
「同室なのか?」とトオルが言った。
だが、二人は何やら話し合っていて、美鈴は眉をひそめている。依織がその表情に違和感を覚えた。
「何かあったのかな?」
少し近付くと、会話が聞こえ始めた。
「それなら、この客室の他の新入生と替わってもらおう」
「うん、男女別じゃないなら、せめて大輝くんと一緒が良い」
「……もし断られたらどうする?」
「それは聞いてみてからじゃないと分からないよ……」
大輝は頭が痛いと言うように、額に手を当てた。
「ああもう、面倒だな」
「話に割り込んでごめんなさい。何か悩んでいるの?」と、依織が訊いた。
「あっ、さっきのお姉ちゃん」
美鈴がパッと顔を明るくした。
「私で良ければ聞きますよ?」
美鈴は一度、大輝の方を見てから、また困り顔に戻って依織に聞かせる。
「それが……、私と大輝くん、別々の部屋になってしまって。私の部屋は他が全員男の人だったんです。なので、席を替わってもらいたいと思って……」
聞けば、大輝はトオルたちと同じ部屋だった。そこで、6167号室の他の者に席を譲ってもらえないかと話し合っていたのだという。
三人は美鈴が振り分けられた部屋を覗き見た。一人の男は横に大きく、一人の男はマッチョ。もう一人は細身だが髭が濃く、四人部屋だというのにタバコを吸っている。三人とも二十代後半くらいだろうか、妙に目付きの悪い男ばかりで、たしかに13歳の少女が同室になるのは不適切という印象を与えた。
「これは……ダメね……」
「まさか内穂さんが席を替わるつもりか?」
「い、いや……私もちょっと無理かな……。十代の女の子が見知らぬ年上の男三人と同室っていうのは良くないと思う」
自分から美鈴の悩みを聞いた依織だが、隣の客室を見て、あの空間に長居するのは難しいと思った。だが、聞いた手前、このまま断るのも厳しい。助け船を求めて依織はトオルを見た。
しかし、トオルは彼女の表情からその意味を読み取ることはできず、ただ無表情のままで「ん?」と言った。
穣治がここぞとばかりに胸を張った。
「んじゃあ、俺がこの部屋に入ればベストだろ。左門くんも男だが、君の友人が同室なら安心だろう?」
「金田さん、良いんですか?」
「はは、俺は元々一人きりだからな、問題ない」
心強い穣治の言葉に助けられ、依織はホッとした。
「ではお言葉に甘えます」
美鈴も、「おじさん、迷惑かけてごめんなさい」と言った。
穣治は豪快に笑った。
「いいんだいいんだ、旅路に助け合いは当然だからなぁ」
美鈴はさっきまでの険しい表情を緩め、穣治に向かって頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとうございます」
四人が客室に入って一時間が過ぎた。
部屋の中では、トオルが作ったセンザンコウロボットが動いている。
トオルと依織が横並びの席に座り、依織は正面の美鈴と仲良く話していた。大輝はトオルと依織との会話を拒絶するように、必要な時だけ美鈴に声をかける。それ以外の時間はトオルたちに背を向けるように座席を動かして、ずっと仮眠を取っていた。
トオルは自分の座席の手すりにある球体のコントローラーを使って、立体映像を投影させている。
この機能を使えば、様々な情報にアクセスすることができ、娯楽機能も充実している。地球界でいうパソコンのようなものだ。トオルはこの装置の使い方をすぐに学習しはじめ、システムの仕組みやプログラムのコンテンツまで探求を勧めている。トオルは勿論この世界のプログラミング技術に興味があったが、ある程度辿ったところで、これは不可解な技術で造られたものの産物であるということしか理解できないことが分かった。もっと基礎的な知識がなければ分からないようだ。
それからトオルは、船の立体図を調べ始めた。非常時の避難ルートについても詳しく調べている。
数十分程、模索しているうち、依織と美鈴も使い方を覚えてきた。三人が調べたことをまとめると、どうやらこの船には二つの避難方法がある。
一つは、彼らの座っている各座席が、そのまま一人用の救命カプセルに変形し、船からの脱出を図る方法。もう一つは、部屋以外にいた場合の避難方法で、避難ルートを辿って最も近い避難室へと移動し、そこから15人乗りの小型救命船で脱出する方法だ。
トオルはさっきからずっと、もしもクロディスの言っていたテロが起きた場合、どう対応すれば良いかということばかりを考えている。
一方、会話を続けていた依織は、美鈴に自分の能力を見せていた。両手を合わせ、そこに光を集める。数秒後、右の掌の中には一本のヘアピンが握られていた。美玲はマジックでも見たように目を輝かせ、嬉しそうに笑った。
「凄いです!本当にヘアピンが出来ました」
美鈴は大輝にも声をかける。
「見て見て、大輝くん。お姉さん、本当に金属を作りましたよ」
大輝は無関心そうに目を閉じたまま、「ふん」と言った。
「物を作れる人なんて他にもいるだろ」
「大輝君、そんなふうに言ったらお姉さんに失礼だよ?」
大輝は聞こえなかったというように、返事をしない。
美鈴には、きっと大輝がそんな態度を取ると分かっていたので、代わりに依織に謝った。
「お姉さん、ごめんね。大輝くん、いつもこうだから」
依織は美鈴に笑いかけ、「大丈夫よ」と伝えた。
何もないところにヘアピンを生み出すこの芸当は、依織に取ってはシャボン玉を吹くように手慣れたものだ。
「お姉さん、見せてもらっても良いですか?」
「はい」
美鈴はヘアピンを受け取ると、白金色にピカピカ光るそれを遊ぶように眺めて味わっている。そして、興味深げな表情のまま、依織を見て訊ねた。
「依織お姉さんは、いつからその力を持っているんですか?」
「小学一年生の時よ。これができるようになるまで、お母さんから源の使い方を色々と教えてもらってね」
依織の話を聞くと、美鈴は伏し目がちになった。
「羨ましいですね……。うちの家族の中で源を使えるのは私だけなので。私はほとんど大輝くんと二人で、独学で学んだようなものですよ」
「でも、教えてくれる人もいないのに、二人とも入学試験に合格できるなんて、凄いと思わない?」
「……そうかもしれませんけど、私、試験には合格しても、お姉さんのように物が作れるわけじゃありません。結局、源って何なのか、良く分からないままです」
「源気の能力は、人によって違うみたいよ。私も全てを知って、理解してるわけじゃないけど、人が身につけた能力っていうのは、それまでの経験に関わっているみたいよ?」
「経験ですか……それって具体的にどんなことですか?」
「趣味とか、特技とか。白河さんは、何か好きなことはある?」
美鈴はしばらく考えてから、気恥ずかしそうに答えた。
「特技ってほどではないんですが、詩が好きです。俳句とか、短歌を作るのが好きです」
「へぇ~!良い趣味じゃない。それって今すぐに作れるの?」
「まずはテーマを決めないと。そんなにパッとは作れないです」
困ったように微笑む美鈴に対し、依織は楽しそうに何か考えているようだ。
「じゃあ、この新世界に来た今の気持ち!それで一句作ってみるのはどう?」
「うん、作ってみます」
美鈴は素直にそう応えると、首を左へ向け、窓外の景色を眺めた。ふわふわと浮かぶ雲を見ながら、ぼんやりと何か思いを馳せるようにしていたが、数分後、「よし、こうしよう」と呟いて、依織と目を合わせる。
「新世界に来た今の気持ちです。「春の空思いを運ぶ飛空船」」
依織は顎に手を添えて、美鈴の俳句の意味を探ってみた。だが、それが飛空船の句であることは分かるが、美鈴の気持ちを表現しているのがどの部分なのかよく分からない。
「凄い、もうできたの?確かに、私たちが乗ってるこの飛空船も、地球界にはない技術で造られていて、本当に凄いよね」
初めて来た世界で、見聞きする何もかもが新しく、空を飛ぶ飛空船のようにドキドキわくわくする抑えきれない気持ち。それをこの句に凝縮させたつもりだった。だが、依織には上手く伝わらなかったらしい。美鈴は自分の未熟さを痛感し、思いを詩で伝えられないことを少し悲しく思ったが、硬い笑みを浮かべ、依織の感想を肯定した。
「……はい。この飛空船は素敵です」
「もしかしたら白河さんの力は、文学で示せるかもしれないね」
「そうでしょうか……」
自信なさげな美鈴に、依織は微笑みかける。
「うん、いずれ分かると思うわ。とにかく、セントフェラストに入学できたことは、源使いとして大きな一歩よ」
「はい。それにしても源って興味深いですよね。人によって使い方が全然違っていて。お兄さんは、自分が作ったものを源で動かせるんですね」
美鈴は目線を下げ、床を這うロボットを見た。ロボットはさっきから、馴染みの猫のように依織の足の甲やかかと、ふくらはぎに何度もすり寄っている。トオルが少し前まで住んでいたアパートの片付けのため、度々訪れていた依織によく遊んでもらったことを覚えているのだろう。
「ん?動かしてるんじゃなくて、ぼくはただ、自分の源を提供しているだけだ。動くのはAI回路に任せてる。ぼくにも、自分の源がエネルギーの一種だってことしか分かってない」
「そうなんですか。この子、名前は?」と美鈴が訊ねる。
「この子はタマ坊って言うのよ」とトオルが答えるよりも前に、依織が言った。
「お姉さん、よく知ってますね」
美鈴は依織を振り向いた。ロボットの名前よりも、依織とトオルの関係に興味が湧いてきたらしい。
「いや、内穂さんが勝手に名付けただけだ。識別ネームはオミクロン10号。それで十分だろ」
「だって、AI回路って、自分で判断する力を持ってるんでしょう?それならペットみたいに、可愛い名前があった方が良いじゃない」
「いや、自分が作った物をペットのようには扱えないだろ」
「親子みたいな関係ってこと?」
「まあ、その方が近いか」
「それなら余計に名前は大事だし、生き物として扱ってあげた方が良いわよね、白河さん?」
急に同意を求められ、美鈴は困ったように笑った。
「この子が気に入るなら、どちらでも悪くないと思いますよ」
「それならタマ坊の方が良いよね、タマ坊?」
ロボットは依織に甘やかされていたいのか、楽しげに頭を依織の足に擦りつけている。
「……まあ、否定はできないな」
と言って、トオルは二人から顔を背けた。
「でも、どうしてタマ坊という名前なんですか?動物型のロボットには性別があるんですか?」
「この子、体を金属の球体に変えることができるんだけど、その姿が大砲の弾みたいなの。だからタマ。それに、こんなふうにすり寄ってくるのは絶対に男の子だと思う」
依織の意見は憶測に過ぎない。美鈴はタマ坊の作り手を見やった。
「左門さんは、この子を男の子として作ったんですか?」
「いや、ぼくは性別を決めてはいない。ただ、無害な人間とは仲良くできるようなコマンドを与えた。オスだと思ったのは単なる内穂さんの勘違いだ」
「ふうん。お二人は仲が良いですね、まるで恋人みたいです」
突然の美鈴の爆弾発言に、トオルは耳を真っ赤にしたが、依織はひらひらと手を振り、苦笑いをするだけだった。
「やだな、白河さんったら。そんな関係じゃないよ?」
「え、でも。お姉さんは、お兄さんのロボットに名前を付けて、お兄さんはそれを認めたんですよね……?」
美鈴に言われると、依織はさっと頬を赤くした。
「そ、それは、たまたまお友だちの家に行って、生まれたばっかりの子犬にちょっと名前を付けたような、そんな感じよ?別に、ふ、不純異性交遊的なことは何もないのよ?」
依織の必死な弁解を本音だと思い、トオルは階段の上から蹴り落とされたような気持ちになりながらも、場を落ち着かせようとした。
「内穂さんの言ったことは間違いじゃない。ぼくたちはただの友人で、ぼくのロボットにたまたま名前を付けた。そしてその名をロボットが気に入ったなら、メモリチップを修正する必要もない」
トオルが僅かに微笑んだのを、依織は見逃さなかった。そのちょっぴり冴えた表情は、高校の教室では一度も見せたことのない顔だった。美鈴はトオルの言葉に感激したように目を輝かせてロボットを見る。
「へえ……ロボットなのに、まるで本当の生き物みたいですね」
依織もトオルのことは、ただのロボットオタクだと思って見ていたが、タマ坊への思いを聞いて、彼の繊細な一面を知り、少し思い直すところがあった。
トオルを見ていると、依織のお腹が鳴った。
「ん?」
「お腹空いてきちゃった」
「たしかに、アトランス界に来てから何も食ってないな」と、トオルが無愛想に言った。
「私もお腹がすいたみたいです」
「セントフェラストまではまだまだ時間がかかりそうだし、最上階のレストランに行ってみない?せっかくこんな素敵な船に乗ってるのに、ずっと客室にいるのも勿体ないし」
「そうですよね、私もちょっと船を見回ってみたいです」
空腹感に勝つことはできない。トオルも頷いた。
美鈴が大輝を振り返り、「大輝くんも一緒に来る?」と声をかけた。
大輝は仮眠を取っている振りをしていたが、一睡もできてはいなかった。おそらく三人の会話を盗み聞きしていたのだろう。美鈴が知り合ったばかりの二人と楽しげに話していることにやきもちを焼いているのだ。
目を閉じたまま、大輝は退屈そうに言う。
「俺は、ここにいる」
「でも、到着までまだ何時間もかかるよ?ずっと何も食べないのは良くないよ?」
大輝は腕を組み、美鈴たちから顔を背けるように丸まった。
「注文すればここで食べられるだろ。俺はここで食うからいい」
拗ねる大輝を心配するように、美鈴が眉を下げる。
「大輝くん……」
「隼矢くんが行きたくないなら、強引に連れて行かない方が良いわよ。もっと気分が悪くなるかもしれないし、一人の方が、気が楽なのかも」
依織がそう言うと、美鈴は軽く溜め息をついた。
「……大輝くん、それじゃ私、お姉さんたちと食事に行ってきますね。すぐに戻ります」
「ああ、いってらっしゃい」
と、大輝は明らかに不満そうな口調で言った。
三人が客室を出て、依織がカーテンを閉める。タマ坊も一緒についてきた。
「あ、そうだ。金田さんも誘ってみようか。あの人のおかげで同じ部屋になったんだしね」
「そうですよね、ちゃんとお礼を言わないといけないですね」
依織がトオルの背中を両手で軽く押した。
「トオルくん、金田さん呼んできてよ」
「えっ?何故ぼくが?」
「だって、もし金田さんがいなかったら、周りの人に声をかけないといけないんだもの。ちょっと怖いじゃない」
「ちゃんと話せば伝わるだろ」
「こういう時こそ男の出番でしょ?」
依織に押し切られ、トオルは「仕方ないね」と軽く溜め息をついた。
トオルは隣の客室の呼び鈴を鳴らした。すぐにカーテンを開いたのは、横幅の大きな男だった。
「金田さん?ああ、20分程前に出かけたよ。まだ戻ってない」
「そうですか、ありがとうございます」
「いないならしょうがないわね。三人で行きましょ」
依織が一番前を歩き、後ろに美鈴、最後にトオルが歩いて行く。三人は、転送ゲートの間に向かっていった。
廊下を歩いていると、向こう側からパトロール中のガードマン三人がやってきた。すれ違いざま、トオルは妙な違和感を覚えて振り向く。
――ん?あの人たち、心脈がない……?
歩き去っていくガードマンたちの背中を見ていると、トオルが付いてきていないことに気付いた依織が戻ってきた。
「トオルくん、どうしたの?」
「いや、何でもない。行こうか」と、トオルは依織を促す。