27年前の目録
12月に入り直ぐに期末テストが始まった。
松野宮伽羅は蒼褪めながら
「赤点取ったら家族と共に正月明けに東京送りにされるかも」
と連日ガクガクブルブルと震えている。
夏月春彦は探偵になる為に法学部に入ることを兄の直彦に報告し
「そうか、分った」
頑張れ
と言われてから懸命に勉学に励んでいる。
元々は海埜七海から探偵報酬の入金があり、それが高額だったので直彦から電話が入ったのだ。
その入金の事情ついでに探偵業の話もしたのである。
ともあれ、なんだかんだと落ち着いてノンビリとした日々を春彦も伽羅も過ごし、テスト期間中も土曜日は伊藤朔や神宮寺凛や田中悠真がやってきて試験勉強を楽しんでいた。
リバースプロキシ
中間テストの時期はちょうど紅葉の時期だったので庭で色彩豊かな秋の様子を見ながら勉強していたのだが、12月になると寒すぎて今は春彦の部屋で勉学に勤しんでいる。
雪こそ降らないものの気温は15度前後で20度を上回ることはない。
町を行く人々の服装もコートやジャケットが必須という感じであった。
悠真は数学の問題を解いて息を吐き出すと
「それで夏月」
あれから探偵業の依頼来ているのか?
と聞いた。
2週間ほど前に誘拐されるとところを助けた探偵事務所を経営している海埜七海の話である。
経営している探偵事務所の探偵が逃走し休業に追い込まれかけていたのだが、先日の事件が切っ掛けで大学を出るまではアルバイト、その後は探偵として正式入社という形で専属探偵として雇われることになった。
と言っても、依頼報酬制…つまり歩合制なので依頼のない間は自由行動という事であった。
特に春彦は高校生なので『出来そうな依頼が出たら知らせる』という形なのだ。
春彦は国語の問題を解く手を止めると
「ん?」
と悠真を見て
「先週に来たよ」
とあっさり答えた。
「なんか、安積東都重工科学センターがお得意さんになったみたいでそこからの依頼だった」
伽羅は知っていたのでウンウンと頷いたが朔も凜も驚くと
「本当に?」
「というか、命を狙った相手とまた取引するなんて」
と呟いた。
悠真も顔を顰めつつ
「凄い商魂だ」
と感心したように呟いた。
春彦は深い溜息を零すと
「誘拐はしようとしたらしいけど…センター長はUSBを取り戻したら開放するつもりだったらしい」
と告げた。
「まあ、それでも犯罪は犯罪だけどな」
朔は「なるほどねぇ」と言い
「それでどんな依頼だったの?」
と聞いた。
春彦はあっさり
「うん、今回は助言だった」
そう言うのも探偵事務所にくるんだなーって感じ
と答えた。
先日、元データを消されUSBを持って逃走されたことで探偵の目から見てのセキュリティーの助言を求められたのである。
ネットを使うと利便性は上がるが危険が多い。
その為にセンターは重要研究データをネットには繋いでいないのだ。
その為にUSBを利用できないようにすることはできなかった。
春彦としては元データを二つ用意し、一方は一定期間消せない形にすることとUSBのロックと指定PC以外でファイルを開けようとしたときにウィルス化するプログラムを組み込むことを助言したのである。
それについては元々IT企業に勤めようとプログラムなどを勉強していたので出来た助言であった。
勿論、詳細については話せないので春彦自身言う事はなかったし、悠真や朔や凜も詳しく聞こうとはしなかった。
伽羅はそんなやりとりを見ながら
「俺も頑張らないと」
と思わず両手をぐっと握りしめた。
ただ、伽羅自身も画家になると目指してからは本職の画家から手ほどきを受けている。
講習料は島津家から出ているのだが、その画家の先生から島津家の紹介という条件を除けても気に入られ今度美術展に応募することになっていたのである。
それぞれが小さな一歩でも進んでいたのである。
昼食を終えて夕刻を迎えると悠真と朔と凜の三人はそれぞれの家へと戻った。
春彦と伽羅は夕食までの時間も試験の勉強に励んでいた。
春彦が東京から九州に来て父親の島津春珂と兄の春樹のことを知り、そして、27年前の事件から兄の直彦の出生の秘密まで理解した。
春彦は息を吐き出すと
「直兄、今月の中頃に隆さんと来るって言ってたけど…泊るところ田中のホテルなのかな」
と呟いた。
春彦が『友達です』と紹介してから母親の更紗も春馬も県外からの来客の宿泊施設としてKyuoホテルを利用している。
恐らく、直彦と隆もそうなのだろうと思っていた。
伽羅も「そうだよな、俺の家族もKyuoホテルだと思うけど」と言い
「田中君のホテル凄く豪華だし、駅も近いから観光にも便利で良いかなぁって思ってる」
と告げた。
春彦は笑顔で頷くと
「そうだな」
と答え
「直兄とゆっくりできるのすっげ楽しみ」
と笑った。
その時には直彦の両親のことを伝えようと思っていたのである。
しかし。
夕食の席で春彦が更紗と春馬に直彦たちが来たら一緒にホテルでゆっくり過ごすことを告げるとあっさりと否定した。
更紗は伽羅に
「松野宮さんのご家族には島津家が経営する宿屋に宿泊していただきます」
松野宮さんもご一緒にゆっくりしてくださいね
と告げた。
つまり、伽羅は家族が来ている時は家族と共に観光を楽しみなさいと言っているのだ。
そして、春彦には
「直彦さんと津村さんには客間をご用意いたします」
と告げた。
「もちろん、観光の際には春彦も一緒に行けるようにいたしますが、年始から一週間は来客との挨拶があるので観光は年末までに済ませるようにしてくださいね」
春馬は食後の紅茶を飲みながら
「毎年、100人以上来るからな」
と流石に溜息を零した。
島津家の嫡男としての自覚がある春馬でも正月の挨拶は些かしんどいものがあるようである。
春馬は更に
「特に春彦、お前に関しては島津家次男として顔見せだから逃亡や中抜けは出来ないからな」
と告げた。
伽羅は春彦を思うと
「名家って大変だよな」
と小さく息を吐き出した。
春彦はふぅと息を吐き出し
「わかりました」
と言い、不意に
「そう言えば、お母さんのお父さんとかも来るんですか?」
と聞いた。
先日、一色卓史から母親の更紗が羽田野家の出だと聞いたが島津家とは疎遠だと聞いていた。
羽田野家は特別な一族ではないがこの辺りではそれなりに力を持った家系で長女が嫁いだ陸奥家とはかなり親密な関係だとも言っていたのである。
確かに春彦自身ここへきて数か月経つが羽田野家が親戚だと知らなかったほど繋がりを感じたことがなかったのである。
特別な時はどうなのかと気になったのである。
春馬は春彦の言葉に腕を組むと
「羽田野家か…毎年たしかに当主が挨拶には来るが殆ど喋ることがないな」
と呟いた。
更紗は視線を伏せると
「そうですね、私は島津に嫁いだ身で羽田野の人間ではありませんから」
特に気遣う必要はありません
「一般的な挨拶で構いません」
と返した。
春彦は「そういうモノなんだ」と呟いて
「わかりました」
と答えた。
「俺も直兄も親戚とかいなかったからどうしたらいいか分かってなかったので」
春馬は「そりゃそうだな」と頷いた。
更紗は少し戸惑ったものの
「そうですね」
けれど
「気にせず一般的な挨拶で構いませんよ」
と微笑んだ。
春彦は頷くと
「はい」
と答えた。
島津家が疎遠というよりは母親の更紗が疎遠なのかもしれない。と春彦はフッとそんなことを感じたのである。
食後のお茶も終わり、春彦と伽羅は再び試験勉強の為に春彦の部屋に戻りタブレットと睨めっこを始めた。
伽羅は問題を解きながら
「冬休みのあいだ別々で少し寂しいな」
と告げた。
春彦も頷いて
「そうだよな」
それに正月の挨拶が心配だけどな
とハァと息を吐き出した。
伽羅は笑いながら
「大丈夫、春彦なら俺絶対にちゃんとできると思ってる」
と告げた。
春彦は笑顔で
「そう言ってもらえると心強いけどな」
それに直兄や隆さんもいるからなんとかやっていくしかないな
と言い
「けど、一色さんの言う通りに島津家と羽田野家って本当に疎遠なんだな」
と呟いた。
伽羅も頷いて
「うん、春彦のお母さんが一歩引いてるって気がした」
と答えた。
春彦は考えながら
「俺もそう思った」
と呟き
「それに27年前のことでは磐井栞さんって人の行方も秋月直樹って人を呼び出した人も分かっていないんだよな」
とぼやいた。
伽羅は「ああ、そうだよな」と答えた。
「陸奥家にその栞さんって人から手紙が行っていてその手紙を受け取った元婚約者が行方を知っていてそこからかも…って話にはなったけど実際は一色さんも分からないって言ってたし」
春彦は頷き
「そう言えば、夕矢君からLINEで来てた菱尾湖南の乙女の絵もまだ調べられてない」
九州の美術館では置いていないみたいだし
「けど直兄の目に似てるっていうのは気になる」
名前がアナグラムで直兄の名前入ってるのもなぁ
と顔をしかめた。
伽羅はハフゥと息を吐き出すと
「まだまだ色々、分らないことが多いよな」
とぼやいた。
春彦も困ったように笑い
「だよな」
と答えた。
外は既に真っ暗で時計の針は夜の10時を指していた。
二人は適当に切り上げると伽羅は自室へと戻り、春彦もベッドで身体を休めた。
その日の夜。
伽羅は白い夢の中を歩いていた。
深い深い霧が立ち込め赤い太陽が横手の木々の合間から見えていた。
一歩踏み出すごとに赤茶色の枯葉を踏み、かさかさと音を立てていく。
少し先で道が二つに分かれ中央に像が立っていた。
「像だ」
そう呟いた瞬間に霧から一つの影が飛び出し伽羅は弾かれると逃げ去っていくその後姿を見送った。
「?」
何をそんなに急いでいるのか分からない。
そう思い、立ち上がったその枯葉を押した掌が赤く染まっており、急に真っ白になって右も左も分からなくなった中を手探りで歩いた。
かさかさと枯葉を踏む音だけが響く。
そして、木の根に蹴躓いて倒れたそこに…。
「ぎゃ―――――!」
と伽羅は叫びをあげると身体を起こしてゼーハーゼーハーと肩で息をした。
怖い。
怖い。
こっわい。
伽羅はもそもそとベッドの中から手を伸ばすと携帯を手に取り、春彦へと電話を入れた。
明け方の4時に携帯電話が軽快な音楽を奏でた。
春彦は目を擦りながら枕元の携帯を手にすると
「…伽羅だ」
と布団に包まりながら着信の応答ボタンを押した。
「もしもし」
夢見た?
伽羅はガクガク震え
「見た…めっちゃ怖いサスペンス」
と布団に包まりながら告げた。
春彦は時間を見て
「わかった」
起きて待ってる
と答えた。
伽羅は頷きながら
「ごめんな、さんきゅっ」
と返した。
春彦は「いいよ」と答え、ベッドから降りると暖房を入れて服に着替え始めた。
日曜日だが午前4時なら少し早いくらいの時間である。
伽羅は春彦の部屋に入ると
「時間早いよな、ごめんな」
と告げた。
春彦は首を振り
「大丈夫、少し早いだけだから」
と答え、向かい合った。
が、二人は同時に
「「寒い」」
というと部屋なのにジャンバーを羽織った。
暖房が効きだすまでの辛抱である。
ずっと暖房を入れていても問題はないしそう勧められるのだが春彦としては
「電気代が勿体ない」
という事で暖房を切っているのである。
取り敢えず、部屋が温まるまで我慢すれば良いだけなのだ。
春彦はソファに座って正面に座った伽羅を見て
「それで?」
どんな夢だったんだ
と聞いた。
伽羅は頷くと
「俺、霧の中を歩いてて先の方で道が二つに分かれていたんだけど」
そこから人がドーンって飛び出してきて
「尻もちついて手を見たら赤くなってて…霧も深くてグルグル何処か歩いてて躓いたらそこに…」
と顔をしかめた。
春彦は冷静に
「人が倒れていたってことだよな」
尻もちついて…か
と呟いた。
伽羅は「本当に怖くてさぁ」と言い突然
「あ!」
と声を上げた。
春彦は身を乗り出し
「何か他に思い出したのか!?」
と聞いた。
伽羅は真剣に
「美人の女の人じゃなかった」
と告げた。
…。
…。
いや、今はそれ必要ない。と春彦は心で突っ込み
「被害者と加害者の姿を見たんだな」
と冷静に返した。
伽羅は「見た」と返した。
「倒れてたのは結構年配のおじさんだった」
ぶつかった人は若かった
「でも顔は見てない…後姿だけだった」
身長は俺とあまり変わりなかった気がする
「あと、パーカーにGパンで何となく若そうだった」
春彦は腕を組んで
「そうか」
と呟くと
「じゃあ、加害者の方は俺達と似た年代の人物かも知れないな」
と言い携帯を渡した。
「これで最初に彷徨っていた場所の絵とぶつかった人物の絵と被害者の絵」
伽羅は頷いて
「わかった」
と答え
「そう言えば、二つ道が分かれていたんだけど…その分かれ道のところに像があった」
と告げた。
春彦は笑むと
「それは手掛かりになるから詳しく書いてくれ」
と告げた。
話し始めた頃はまだ外は暗かったが、徐々に白みを始め春彦の部屋の窓から光が射し込み始めた。
春彦はそれに目を向けると
「霧って言ってたからきっと濃霧の日だろうな」
と呟いた。
つまり、今見た外の風景からその事件が起きる日ではないことに安堵したのである。
だが何時その濃霧の日が訪れるかわからないのだ。
時間が延々とあるわけではなかった。
春彦は腕を組むと
「取り合えず濃霧の日を予測できれば良いんだけど」
と呟き
「そう言えば」
というと絵を描いている伽羅を横目にソファから立ち上がると机のパソコンを立ち上げた。
「確か、天気予報のサイトで濃霧の予報もだしてたよな」
春彦は検索をかけて気象庁等のサイトを調べた。
確かに濃霧の予報は出ているが予測ではなくリアルタイムの情報が多い。
春彦は今の状況を確認し
「けど、今日は濃霧注意報も警報も出ていないから大丈夫だな」
と呟いた。
本来、霧は風のない気温の低い朝に発生することが多いと言われている。
冬場は特に放射冷却によって地表が冷えその辺りの水滴が凝固するからだと言われているのでその日を注意しなければならない。
ゆっくりと東の地平から太陽が昇り街を照らし出していく。
その光を受けながら春彦は振り返ると
「伽羅」
と名を呼んだ。
伽羅はふぃ~と息を吐き出すと
「描けた」
と携帯を春彦に渡した。
絵は4枚。
全体的に見た風景と象、そして被害者と加害者の姿であった。
春彦は被害者の顔を見て
「やっぱりわからないな」
と呟いた。
「正月の挨拶をしたら…多少はどういう人がいるか分かるんだろうけど」
ただ
「着ている着物の胸元が酷く乱れているよな」
伽羅は頷いて
「確かに」
と相槌を打った。
春彦は絵を見ながら
「だけど、財布が残ってるし札も散らばってるし…きっとお金じゃない何かを探していたんだと思う」
と告げた。
「何かはまだ分からないけど」
そう言えばこの財布を大きく書ける?
伽羅は覗き込んで
「そこ?」
と呟いた。
春彦は携帯を渡しながら
「ん、あまり見ないロゴだし模様?もあまり見ないから手掛かりになるかもと思って」
と告げた。
伽羅は頷くと
「…わかった」
とお絵かきアプリを立ち上げると思い出しながら指を動かした。
財布は革製品で札と小銭入れが飛び出ている。
その革にロゴと模様が入っていたのだ。
伽羅は財布のところを拡大して描き
「これ以上は無理」
と春彦に渡した。
春彦はそれを見ると
「一番最初Jpはわかるけど…後は分かりにくいというか文字っぽくないな」
模様は熊手みたいだな
「商売人かも」
と呟いた。
「でも手掛かりは手掛かりだ」
伽羅は「そうだよな」と言い
「加害者の方はもっとわからないし」
と呟いた。
加害者にいたっては背中なので分るのはパーカーとズボンだけであった。
被害者よりも更に分からない状態である。
春彦は「よし」というと
「一番手掛かりになりやすい像から調べようか」
場所が分れば霧の発生とかの予測も立てられる
と告げた。
伽羅は頷くと
「ありがとう、春彦」
と告げた。
春彦は首を振ると
「俺の方が助けられているし…きっとこうやって今まで伽羅の夢を解いてきたからこれからの道も見えたんだ」
と笑顔を見せた。
伽羅は笑顔を浮かべると
「けど、ありがとうな」
と返した。
春彦はパソコンのキーボードの上に手を置くと指先を動かした。
キーワードは分かれ道にある像。
伽羅が描いた絵の像は亀が笛を担いだ石像だったので『山 石像 亀 笛』で検索をかけた。
意外とヒットするのである。
画像だけを見ることが出来るので画像を表示させるのである。
伽羅も横に座り画面を見た。
「あればいいんだけど」
春彦も頷いた。
「そうだな」
と言って画像をチェックし始めた。
画像の比率で大きさは異なるが大体7個ぐらいの画像が並びスクロールするたびに増えていく。
とにかく見ていくだけなので作業的には楽ではあるが、それも始めの内だけであった。
暫くすると伽羅は目を閉じて
「チカチカする」
と呟いた。
春彦は画面を見ながら開いている左手で目薬を手にすると
「はい」
と渡した。
伽羅は
「ありがとう」
と目薬を差した。
その時、ノックの音が響き
「春彦さま、松野宮さま、朝食のお時間でございます」
と武藤譲の声が流れた。
気付けばいつの間にか7時を越えていたのである。
春彦は手を止めると
「取り合えず、ご飯食べようか」
続きは食後だな
と告げた。
伽羅は頷き
「目を一休みできる」
と上を仰いだ。
二人は広間へ行き更紗と春馬に挨拶をすると、テキパキと朝食を食べて立ち上がった。
瞬間に春馬が紅茶を飲みながら
「今日は日曜日だっていうのに…えらくテキパキと食べたな」
とチラリと二人を見た。
意外と鋭い兄である。
春彦は出来るだけ目が泳がないように心を落ち着かせて
「試験中なので勉強をしようと思ってな」
なっ、と伽羅を見た。
伽羅はコクコクコクと頷き
「赤点取らないようにしないとダメなので」
とカクカクと震えそうになりながら答えた。
春馬は目を細めて
「ふ~ん」
と鼻で返事をすると
「また、探偵ごっこでもするのかと思ったぜ」
と笑った。
春彦の兄だ怖っ。と伽羅は心で叫び
「俺、勉強頑張ってきます」
と言い踵を返した。
春彦も慌てて
「あ、俺も」
と踵を返しかけた。
その時、更紗が春彦を見て
「春彦、身体を壊さないように気を付けてくださいね」
10時になりましたらデザートを持って行かせます
と告げた。
春彦は笑顔で
「はい、ありがとうございます」
と答えると慌てて広間を飛び出した。
更紗は部屋の隅で控えていた譲を見ると
「10時にデザートを運び二人の様子を見ておいてください」
と告げた。
「誰に似たのか…どこへ吹っ飛んでいくか分からないのでくれぐれも見張りを怠らないように」
譲は頭を下げると
「はい、肝に銘じまして」
と答え部屋を出た。
春彦と伽羅は部屋に戻るとテーブルの上にタブレットを置きいつでも勉強している振りが出来るように準備を整えるパソコンを立ち上げて石像を調べ始めた。
笛を担いだ亀。
珍しい石像だと春彦は思っていた。
「何故、亀の上に笛が乗っているんだろう」
と春彦がつぶやくと、伽羅は慌てて
「春彦、着眼点はそこじゃないから!」
と突っ込んだ。
確かにそのとおりである。
春彦は頷くと検索画面を呼び出し再び写真を流し見た。
「亀、亀、亀」
春彦が呟く中で伽羅は反対に
「笛、笛、笛」
と呟いた。
傍から見れば奇妙な状況である。
が、伽羅は一つの画像を指差すと
「これ!」
似てない?
と春彦を見た。
亀の上に笛が乗った石像でちょうど分かれ道の真ん中にあった。
春彦は画像をクリックすると現れたブログを読んだ。
『佐賀市の笛岳と亀岳攻略!
今日は朝から天気が良かったので佐賀市の笛岳と亀岳を登りました。
樫原湿原の分かれ道にこんな可愛らしい石像がいつの間にか設置されていました。』
という内容でその石像の写真が載っていたのである。
春彦は伽羅が描いた絵と見比べ
「多分間違いないと思う」
笛岳と亀岳だから亀が笛を背負っていたんだ
と理解し画面を閉じるとマップを開いて佐賀市の地図を出した。
佐賀県の西北部にあり佐賀市と唐津市の間に存在していた。
しかもその両方に挟まれるように樫原湿原があり、笛岳と亀岳を踏破しても1時間くらいで済むという感じであった。
樫原湿原には福岡から車で一時間半ほどであった。
福岡ICから佐賀大和ICまで高速が37分。
佐賀大和ICから湿原まで45分程だったのである。
深い霧の意味が春彦には分かった。
春彦はそのブログを印刷し、その後、福岡と樫原湿原のマップを印刷すると伽羅を見た。
「取り合えずその像を見に行くしかないよな」
…。
…。
伽羅はジッと春彦を見て
「それ、騒ぎの元になると思うけど」
と告げた。
春彦は伽羅を見返して
「…た、しかにそうだな」
と答えた。
「先に武藤さんに相談する」
伽羅は頷いた。
春彦は携帯の絵を見て
「これで場所は特定できるとして…問題は人だよな」
と呟いた。
壮年の男性と後姿の青年。
壮年男性は年齢からみれば60歳は超えているように見える。
春彦は絵を睨みつけた。
「だけど、考えたらこの人はどうして明け方の早い時間に態々そんな湿原に行ったんだろ」
伽羅は春彦を不思議そうに見た。
春彦は絵を見せながら
「いや、普通は早朝から湿原で待ち合わせなんかしないと思うけど」
と告げた。
確かにそうである。
春彦は考えながら
「この青年と人に絶対に聞かれたくない話をしてたんだろうと思うけど」
確実なのは二人とも地元の人だってことだけは分かる
と告げた。
伽羅は「ん?」と首を傾げた。
春彦は樫原湿原のマップを手にしながら
「だって、こんなところで早朝待ち合わせするなんて土地勘が無いと無理だと思う」
しかも霧の日だし
と告げた。
確かに旅行者が宿屋も周囲に無い場所のしかも山間の湿原で早朝に待ち合わせは考えにくかった。
春彦は時計を見ると
「そろそろ、おやつの時間だな」
とソファに座ってタブレットを手にした。
時刻は午前10時。
ノックが響き、譲が部屋に入ってきた。
「お勉強でお疲れだと思います」
本日はダックワーズと紅茶をご用意しております
そう言ってソファに座っていた二人の前に紅茶とダックワーズの乗った皿を置いた。
春彦は譲を見て横に置いていたブログとマップの紙を手にすると
「武藤さん、実は調べたい場所があるんだけど」
と告げた。
譲は心の中で
「やはり!」
と思わず叫んだ。
春彦はブログとマップを渡すと
「この亀と笛の石像がある場所を調べたいんだ」
出来れば俺が行きたいんだけど
「伽羅に騒ぎになるから武藤さんに先に相談するように言われて」
と告げた。
譲はちらりと伽羅を一瞥し直ぐに春彦に戻すと紙を受け取った。
「承ります」
と言い
「それで石像の何を調べられたいのですか?」
と聞いた。
春彦はマップを指差すと
「湿原の大きなマップ出しているんだけど」
そのマップのどの位置かってことを知りたいんだ
と告げた。
そして、ハッとすると携帯を出して
「後、こういう財布どこで売ってるか知ってる?」
と聞いた。
譲は絵を見て
「はー、これはJPstarですね」
福岡が本店のオーダーメイドで革製品を作っている高級ブランドです
「春彦さまがお気に召されたのですか?」
と聞いた。
春彦は慌てて
「あ、いや…少し気になっただけで別に…財布は持っているし」
と冷や汗を掻きながら笑みを作った。
「あの、もし…本当は忙しかったりしたら石像調べ俺と伽羅で行くけど」
譲はにっこり笑うと
「いえ、大丈夫でございます」
お任せください
「それより明日の期末テストに集中していただきますようにお願いいたします」
と立ち去った。
廊下を歩きながら譲は大きな息を吐き出した。
「こんな山奥の湿原に飛んで行かれなくて良かった」
本当にどこへ飛んで行かれるか…
しかし、こうやって移動前に春彦が話すようになったことに関しては安堵の息を吐き出すしかなかった。
「今回は松野宮さまに感謝するしかない」
そう呟いたのである。
春彦は伽羅とおやつを食べながら
「何か山奥に探索に行かしてしまうようで悪いよな」
とぼやいた。
自分で行くことに関してやぶさかではないのだ。
伽羅はにっこり笑うと
「それよりその財布の出所が分ったんだからよかったじゃん」
と告げた。
春彦は頷き
「ああ、確実に被害者の人は福岡の近隣の人だってこと分った」
それに
「武藤さんがオーダーメイドの高級ブランドって言ってたから持ち主を調べてもらうことが出来るかもしれない」
と告げた。
「こういう財布を持ってるってことはこの被害者の男性は資産家の可能性がある」
伽羅は考えながら
「そうだよね」
と答えた。
春彦は立ち上がると机の前に座りパソコンを立ち上げた。
「Jpstarの店のサイトにアクセスして本店の場所を調べる」
伽羅は慌てて紅茶を飲み干し
「ああ」
と春彦の隣に座った。
本店は博多駅前の住吉通りに面した商業施設が集中する場所にあり福岡では高級ブランドで有名であった。
ただ春彦と伽羅からすると
「「すっごい値段」」
と思わずヒーと声を上げそうなほどの値段であった。
カバンやポーチ、財布やキーホルダーなどを扱い、全てがオーダーメイドであった。
所謂、御用達の店のようである。
春彦は腕を組むと
「被害者の人ってやっぱり資産家なんだろうな」
と呟いた。
「もしかしたら、田中や伊藤君や神宮寺君の方がよく知っているかもしれない」
明日テストが終わったら聞いてみよう
「分からなかったら、帰りに本店によって聞いてみよう」
伽羅は頷いて
「うん」
と答えた。
春彦と伽羅はその後ソファに戻ってタブレットで勉強に励んだ。
更紗は武藤譲から報告を聞き
「分かりました、直ぐに調べるように手配なさい」
と言い
「それから確かに春彦の身の回りのものは東京から持ってきたものを使っているので古くなっているモノがあるかもしれませんね」
それとなく調べておきなさい
「必要とあればJpstarで作らせるようにいたしましょう」
と答えた。
春彦と伽羅は昼食を食べた後も大人しく勉強に励み、翌日、曇り空で天気が良くなかったことに安堵の息を吐き出し学校へ登校した。
理系は化学と数学で、文系は政治経済と数学であった。
春彦は理系なので科学と数学を受け、伽羅は文系なので政治経済と数学を受けた。
期末テスト最終日は明日の火曜日なのだが家庭基礎だったので切羽詰まった感はなくなっていた。
それにテストが終わった翌日に終業式をして冬休みなのである。
気分は半分以上冬休みになっていた。
テストが終わると伽羅は大きく伸びをして
「終わったぁ~」
と机に前のめりに倒れた。
春彦も横で笑いながら
「明日の家庭基礎で終わりだから…ゆっくりできるな」
木曜日からは冬休みだしな
と鞄にタブレットを入れた。
伊藤朔と田中悠真と神宮寺凛も二人の元に集まり、山場を越えて安堵する生徒が帰宅する姿を見送った。
春彦は5人が席の周辺に集まると
「あのさ」
Jpstarってブランド知っている?
と聞いた。
朔も凜も悠真も
「「「知ってる」」」
と答えた。
春彦は携帯を取り出すと最初に被害者の壮年男性を見せた。
「この人見たことある?」
と聞いた。
悠真は腕を組むと
「例の金にならない夢か!」
と告げた。
伽羅はハハッと笑いながら
「ご明察」
と答えた。
悠真は「俺は知らないな」と答えた。
朔も頷くと
「俺も見たことない人だけど」
と告げた。
凛は少し考え
「俺も見たことがないな」
その熊手の柄からして商売人なら後は陸奥とか羽田野に聞いたら分かるかもしれないけど
と呟いた。
春彦と伽羅は同時に凜を見た。
「え!?」
凜は眉間にしわを寄せて
「神宮寺や伊藤、島津もそうだけどそれぞれ業者や会社の繋がりが違うから俺たちの知らない商売人との繋がりがあるかもしれないからな」
前は一色も独自の業者筋を持っていたからな羽田野もそういう面ではあると思う
と告げた。
悠真は凜を一瞥すると
「陸奥家って陸奥樹か」
とぼやいた。
同じ2年A組の一人である。
春彦は全く喋ったことがない。
そう言えば、と春彦は
「羽田野大翔はもしかして羽田野家の人間?」
と聞いた。
朔も凜も同時に
「「そう」」
と答えた。
春彦はそれに
「けど羽田野家と陸奥家って仲が良かったんじゃないのか?」
彼らがこういう風に話ししてるの見たことがない
と呟いた。
羽田野大翔は一番廊下側の席で伽羅の斜め後ろの席に座っている。
陸奥樹は春彦の真ん前の席である。
だが、陸奥樹は何時も昼休憩の時は直ぐに食堂へ行き、放課後は直ぐに教室を後にした。
つまり、誰と交わることをしていないということだ。
それは家族同士の交流が深い羽田野大翔に対しても同じであった。
羽田野大翔に関しては同じクラスの南歩や小竹陽翔と話しているところは見るが、陸奥樹と話しているところは見たことがなかった。
朔は春彦を見ると
「だけど、夏月君のお母さんの更紗さんも羽田野家の出だったんじゃないの?」
まあ、夏月君の場合は少し特殊だけど
と告げた。
春彦は素直に
「だよな」
とぼやいた。
だが、今問題なのはそこではない。
春彦は三人を見ると
「今から博多駅の近くにあるJpstarの本店へ行ってこの人の事を聞いてみようと思う」
それで分らなかったダメもとで陸奥君にアタックしてみる
と告げた。
悠真は不審そうに春彦を見ると
「また、騒動起こすんじゃないだろうな?」
と目を細めた。
完全に要注意人物と化されている。
と、春彦は思いつつ
「聞いたらすぐに帰るから大丈夫」
と答え、タブレットを入れた鞄をぐっぃと肩にかけた瞬間にベルトがブチっとキレると袋の部分がズトンと落ちた。
…。
…。
「あぁ!!」と声を上げると春彦は慌てて中のタブレットを見て
「割れてない」
良かった
と呟き大きく息を吐き出した。
ただ、鞄のベルトを見ると今度は悲しい息を吐き出した。
「すっげぇショック」
直兄に中学入る時に買ってもらった奴なのに
ずっとずっと使ってきたのである。
伽羅はそれを知っているので慰めるように
「春彦、そう落ち込まなくてもベルトの部分を修理に出したらいいじゃん」
と告げた。
春彦は頷くと
「だよな」
と言い、仕方ないので鞄を抱えた。
悠真は腕を組み
「だったら序に鞄を買うのにJpstarを使ったらどうだ?」
怪しまれないぜ
と告げた。
4人が悠真を見た。
朔は頷き
「だよね」
鞄を買うために行くんだから
と告げた。
凜も「確かに」と答えた。
春彦は「この鞄は修理に出して一つ買うようにする」と言い
「田中ありがとう」
と告げた。
悠真は「まあな」と胸を張った。
伽羅は笑いながら
「さすが商売人」
新しいのを勧めるのが上手いよな
「ナイスアイディア!」
と突っ込んだ。
悠真は「そこかーい」とビシッと伽羅を手の甲で叩いた。
春彦は笑いながら
「じゃあ、事件の起きる霧の日がいつ来るか分からないから」
今日早速行ってみるな
と告げた。
凜と朔と悠真は頷いて
「その人物のことが分ったら知らせてくれ」
「俺にも連絡入れて」
「良いの選べよ」
とそれぞれ告げた。
5人は教室を出ると待っていた送迎の車に乗り込んだ。
帰宅すると部屋に荷物を置いて昼食を取りに伽羅と広間へと向かった。
春彦は更紗と春馬と伽羅の4人で昼食を取り、食べ終わった後に紅茶を飲み干すと
「今日、昼から博多駅に行ってきます」
と告げた。
更紗と春馬は同時に春彦を見た。
春彦は気配を感じると
「あ、今日…鞄のベルトが切れたので修理と新しい鞄を一つ買おうと思って見に行くだけだから」
と説明し
「ちゃんと通帳持ってきているので大丈夫です」
と告げた。
春馬は「あのなぁ」というと
「鞄を買うのは良いが、支払いは島津がする」
つまらねぇ気を遣うんじゃねぇ
「恥かかせる気か!」
と怒鳴った。
更紗も春彦を見ると
「これまでその辺りの気遣いが抜けていましたね」
春彦
「必要なものは遠慮なく言ってください」
鞄の代金は心配せず好きなのを選びなさい
「車を手配しておくので列車やバスは使わないように」
と告げた。
「分かりましたね」
春彦は頷くと
「はい」
と答えた。
春彦と伽羅は譲の車に乗って博多駅の住吉通りにあるJpstarの本店へと出向いた。
春彦と伽羅は前もって値段を調べていたのでどれほど高いか知っていたのである。
春彦は真剣に
「オーダーメイドの鞄ってすっげぇ高かったよな」
とぽつりと零した。
伽羅は頷き
「ン十万」
と返した。
二人は「「やっべ」」と同時に呟いた。
譲は二人の会話をそれとなく聞きながら小さく苦笑を零した。
9月に東京から九州へ来て4か月ほどだ。
それでもまだこの生活には慣れていないようである。
考えれば春彦自身があれこれと物を望んだことはない。
学校指定のタブレットなどは用意したがそれ以外のパソコンやカバンなどは東京から持ってきたものを使っていた。
「そういう意味では確かに配慮が足らなかったかもしれませんね」
と譲はここで呟いた。
Jpstarの本店はオーダーメイド専門の高級ブランド店らしい店構えで内装も品が良くシックであった。
店員も教育されているらしく春彦と伽羅が入ると深く一礼し
「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました」
という挨拶から店の簡単な説明をした。
というのもなじみの客であればシステムが分っているが一見となると店のシステムが分っていないのだ。
譲は付き添って店の中へと入ったものの春彦が自由に選べるように少し離れて控えていたのである。
春彦は女性の店員から説明を聞きハフゥと息を吐き出した。
「別に既製品でいいんだけど」
と思いつつ、携帯を取り出すと
「あの、例えばこんな風に自由に絵柄を入れることも可能ですか?」
と聞いた。
女性はそれを見て
「ああ、それは翔鵬堂の持明院様のデザインされた熊手の図柄ですので同じものとはいきませんが夏月さまの好きなデザインを入れることは可能ですよ」
と微笑んだ。
春彦と伽羅は顔を見合わせると
「翔鵬堂の持明院という人の財布ですか?」
と聞いた。
女性は笑顔で
「はい、わたくし共でお受けし作成させていただきました」
と答えた。
春彦は絵を女性に見せると
「もしかして、この人ですか?」
と見せれない部分は手で隠しながら聞いた。
女性は不思議そうにしたものの
「はい、さようでございます」
と答え
「持明院様のご紹介でしょうか?」
でしたら同じデザインで作成することも可能ですが
と聞いた。
春彦は慌てて首を振り
「いえ、俺はちょっと財布を見る機会があったのでそれで」
と誤魔化し
「えーと、鞄は」
と生地とサイズなどを見て
「…高い…」
と心でぼやいた。
安くしたいのだが、もうどうしたら安くなるのか頭が回らなくなっていた。
伽羅は既に「うわ~」という言葉しか出なかったのである。
譲は離れて控えていたものの春彦が迷っているのを見るとそっと後ろに立ち
「春彦さま、もし宜しければご利用される状況をお話してどのようなものが良いかをお聞きになられた方が良いと思いますが」
と助言した。
春彦は頷き
「あの、学校に持っていく鞄でタブレットなどをいれるんですが」
と告げた。
店員の女性は「さようでございますか」というとテキパキと説明を加えながら春彦に二つほどの候補を上げてどちらかを選ばせた。
全てが決まる頃には春彦も伽羅もぐったりとしていたのである。
支払いに関しては譲が店員の女性に言い、女性は驚くと慌てて頭を下げていた。
春彦も伽羅もぐったりしていたので女性が何を謝っていたのか分からなかったのである。
鞄は一週間後に届くということで譲は車に乗ると春彦と伽羅に紙袋に入った鞄を手渡した。
「明日から仕上がりまで鞄が無ければ困るのではないかということでそれを店の方からプレゼントされたのでお使いください」
春彦と伽羅は同時に「は?」と声を零して中を見て目を見開いた。
伽羅は震えながら
「…これ、確かかなり値段してたと思うんだけど…」
と呟き、春彦は顔を顰めつつ
「普通プレゼントって奴じゃないよな」
と譲に疑惑の目を向けた。
譲は車を走らせながら
「いえ、プレゼントでございます」
と返した。
春馬も利用することがあるのだが島津家だけではなく伊藤家や神宮寺家なども通常オーダーを入れる時には値段がついていないもので説明するのである。
そういう暗黙のルールがあった。
つまり、島津家の次男を唯の一見扱いをしたということである。
それが島津家に分ると店としては大きな取引先を失うことになるので数万程度のプレゼントでまた買いに来てくれるのであれば安いということであった。
春彦はふぅと息を吐き出すと
「…俺はこのプレゼントの鞄でも勿体ないくらいだ」
とぼやいた。
伽羅も頷き
「俺は今の鞄がつぶれた使う」
と呟いた。
ただ、大きな収穫があったのは幸いであった。
春彦は携帯の絵を見て
「翔鵬堂の持明院…か」
と呟き
「帰ったら調べてみるか」
と伽羅を見た。
伽羅は頷いて
「そうだよな」
と答えた。
二人は家に戻り更紗に礼を言うと自室で翔鵬堂について調べ始めた。
社名なのでヒットする可能性は期待できた。
春彦はパソコンを立ち上げて『翔鵬堂』で検索をかけた。
実際、持明院という人物が何時事件にあうかは本当にわからないのである。
明日かもしれない。
明後日かもしれない。
それとも一か月後かも知れない。
だが。
事件は不幸を生むだけなのだ。
せっかく、事前に知ることができたのだから止めたかった。
春彦は検索結果が画面に出るのを見つつ携帯を手に悠真と朔と凜の三人に分った情報を送った。
本人を知らなくても店を知っている可能性があるからである。
春彦と伽羅はヒットした内容を見て店の公式サイトへとアクセスした。
春彦は少し考えつつ
「翔鵬堂って古美術商なんだ」
と呟いた。
翔鵬堂は福岡を地にした古美術商で最近はネット通販も行っているようである。
春彦は会社概要を見て伽羅に目を向けた。
「社長…この人だ」
そう、社長は持明院壮一郎と言い65歳の壮年であった。
春彦は会社概要に目を通し
「本社が呉服町駅に連結したビルに入っているんだ」
と呟いた。
その時、悠真から携帯にLINE通話が入った。
「連絡見たけど呉服町駅に本社を持つ翔鵬堂の取締役みたいだな」
一声がこれであった。
春彦は頷き
「ああ、とにかく何時その日になるか分からないから一刻も早く話したいんだけど」
と告げた。
悠真は「やっぱりなー」と言い
「夏月が動くと俺の身がヤバいから翔鵬堂の本社には俺が行く」
何を聞きたいか教えてくれ
と告げた。
伽羅は横で聞きながら
「さすが…わが身を守ることに余念がない」
と心で拍手した。
春彦は戸惑いつつ
「いいのか?前の時も見張りしてもらったりしたのに」
と告げた。
が、悠真はふぅと息を吐き出し
「その方が俺は助かる」
と答え
「あ、そうだな。ビデオ通話させてやるからそれで聞け」
と告げた。
「島津家の子息と話しできるというと対面しやすいからな」
春彦は頷き
「ありがとう、田中」
と答えた。
悠真は鞄を持ちながら
「今から行ってくるけど時間的には大丈夫か?」
と聞いた。
春彦は頷き
「ああ、夕食は夜の6時からだからそれまでなら」
と答えた。
悠真は時計を見ると
「あと3時間ほどだな」
了解
と通話を着ると家を出た。
そして、朔や凜にも連絡を入れて翔鵬堂の本社へと急いだのである。
30分程で連絡が入りビデオ通話を行うことになった。
そこには春彦の他に朔や凜も参加し特別な家系の子息が半分以上参加することになって持明院壮一郎は驚きながらも喜んだ。
それぞれが大きな邸宅を持っておりそこには多くの骨とう品や美術品を置いているからである。
つまり、良い商売相手に将来はなる可能性が高いということである。
壮一郎は笑顔で
「初めてお目にかかります。持明院壮一郎と申します」
日頃は陸奥家羽田野家様にご利用いただいておりますが
「行く行くは皆さまにもご利用いただけると嬉しゅう存じます」
と告げた。
朔も凜も笑顔で
「「こちらこそ、これを機会に」」
とさっぱり返した。
春彦も見習って
「これを機会に」
と告げた。
壮一郎は春彦を見て
「それで私にお話というのは何でございましょうか?」
と聞いた。
春彦は頷くと
「あの、近々外で人と会う約束などしていないでしょうか?」
と聞いた。
「例えば唐津市と福岡市の間くらいで」
壮一郎は目を見開くと
「ほう、それを知っておられるとは…はっきり申していただいてよいですよ」
明日の朝に陸奥家のご長男である樹さまとお会いするお約束があります
と告げた。
全員が顔を見合わせた。
壮一郎は手帳を出すと
「我が社は羽田野家と懇意にさせていただいておりましたが、先日陸奥家のご長男である樹さまが27年前の陸奥初男様が売りに出された目録を知りたいとおっしゃっておられて」
と告げた。
春彦は少し考えると
「それは磐井家の所蔵品…ではなくてですか?」
と聞いた。
壮一郎は目を見開くと
「色々ご存知のようですな」
と言い
「表向きは羽田野家からでしたが…まあ幾つか磐井の紋が入っていたので恐らくは磐井家のモノだと思いますが、それに加えてもらいたいと少し後に初男様から絵を数点申し受けました」
まあ本人様が描かれた絵ですから…そういうのに混ぜて売りたいということだったのでしょう
「展覧会では二度ほど入賞されておりますが普通は」
ただ陸奥家に恩を売るのはこちらにも利益がありますし、それで受け取りました
と困ったように笑った。
春彦は息を飲みこんで
「もしかして、その陸奥初男さんの筆名は菱尾湖南で頼まれた絵は乙女シリーズでは?」
と聞いた。
壮一郎は驚いて
「……その通りです」
どちらでそれを
と聞き返した。
春彦は目を閉じると
「その絵は全て売り終えられたんですよね?」
と聞いた。
壮一郎は腕を組み沈黙を守った。
春彦はふぅと息を吐き出すと
「実は東京の知り合いから東北の方で展示しているのを見たらしく菱尾湖南の乙女シリーズの女性が凄く綺麗だと聞いたので興味があったんです」
と告げた。
「もし、何処かにあったら一度見て…良かったら俺も欲しいなぁと思って」
全部売れてしまっているので無理だとは思うんですけど
そう笑みを浮かべた。
壮一郎は目を開けると
「なるほど…東北というと弘前成田収蔵レンガ美術館にも一点売りましたのでそれをみられたのかもしれませんな」
と言い
「実は14枚の内の一枚だけ売れ残りましたね」
私が買い上げたものがあるんですよ
と笑みを返した。
…。
…。
春彦は「やっばぁ」と思いつつ
「どんな絵ですか?」
と告げた。
悠真はハラハラしながら壮一郎の横で座っていた。
相手は百戦錬磨の商売人である。
朔は冷静に
「まあ、値段が適正かどうかだよね」
と心で呟いた。
凛も同意で
「適正じゃなかったら助言すれば良い」
と思っていたのである。
壮一郎は後ろで控えていた秘書に顔を向けると
「倉庫に置いている菱尾湖南の『ハマユウ』を持ってきてくれ」
と告げた。
そして春彦を見ると
「かなり絵を売るのに条件がありましてな」
シリーズなのに全て違う場所に売るようにとか
「まあ、値段は低くても良いと言われたので道楽だとは思うのですが」
絵は賞をもらうくらいの腕でしたから13枚は売れたのですが…最後の一枚が残って私が仕方なく」
と告げた。
少しして女性が絵を持ってくると壮一郎はその絵を見せた。
春彦も伽羅も朔も悠真も凜も全員が目を見開いた。
春彦は目を細めて
「やっぱり…磐井栞さんだ」
それに
と呟いた。
そう、彼女の目が直彦の目に似ていることはよくわかっていた。
確かに似ている。
しかもその絵にはもう一人描かれていたのである。
春彦は固唾を飲みこみ
「その絵、おいくらですか?」
と聞いた。
壮一郎は笑って
「いやいや、冗談ですよ」
と言い
「あまりにあからさまに探りを入れて来られているので、つい」
と告げた。
春彦は首を振ると
「いや、俺がその絵を買います」
とビシッと告げた。
壮一郎は驚きじっと春彦を見た。
そして
「分かりました」
では
「30万でお売りします」
と告げた。
朔も凜もそれに口を挟むことはしなかった。
決して高い値段ではなかった。
かといって低すぎる値段でもない。
美術館に飾られているが作者自体が有名ではない。
賞も取っているが大きな展示会ではないのだ。
春彦は息を吸い込み
「わかりました」
と答えた。
「振込先を教えてください」
壮一郎はふっと笑うと
「この田中悠真様に支払い書と絵を渡します」
と告げた。
春彦は慌てて
「え?いや…絵は支払いが終わってからじゃ」
と告げた。
壮一郎はにこりと笑うと
「天下の島津家を疑ったりはしません…と言いたいところですが」
貴方を信じましょう
と告げた。
「これでも商売人なので人を見る目はあると思いますよ」
春彦は頭を下げて
「ありがとうございます」
と告げた。
壮一郎はまた
「後、明日、陸奥樹さまに渡す予定の27年前の目録とあと詳細のコピーをつけておきましょう」
と告げた。
春彦は頷き
「ありがとうございます」
と答えた。
悠真は大きく息を吐き出し
「焦ったー」
と心で呟いた。
テレビ電話が終わると壮一郎は言った通りに絵と27年前の目録と詳細のコピーと支払い書を作成して渡した。
「島津家の次男の春彦さまは何というか…こちらが引き摺られるものがありますな」
そう笑って評した。
悠真は受け取りながら
「確かに、俺も伊藤も神宮寺も考えれば引き摺れているんだよな」
まあそれも悪い気はしてないけどな
と心で呟き
「ありがとうございます、俺も同じですが悪い気はしてないです」
と答えた。
それに壮一郎は大きく笑った。
春彦はビデオ電話を終えると慌てて机を開けて通帳を取り出した。
「…30万あった!」
アルバイトしててよかった~
そう言って安堵の息を吐き出した。
その時、翔鵬堂を後にした悠真が春彦に電話を入れた。
「受け取ったけど、どうする?」
春彦はそれに
「その、悪いんだけどそのままこっちに持ってきてもらえるかな?」
明日の朝に約束しているってことだから
「それまでに理由を調べたいんだ」
と告げた。
「それに支払い書貰わないといけないし」
悠真は頷くと
「わかった」
確か6時から食事だったろ?
「7時半ごろに行く」
と答え
「余計なお世話かも知れないけどさ、島津家に言えるのか?」
と聞いた。
春彦は島津家の次男だが事情が事情である。
多大な遠慮というモノが春彦の中にはあるのだ。
春彦は笑顔で
「大丈夫、この前のアルバイト代で何とかなる」
九州来る前に何かあったらって直兄から貰ったお小遣いもあるし
「気にしなくていいよ」
と答えた。
その時、扉を叩く音が響いた。
「春彦さまに松野宮さま夕食のお時間です」
春彦と伽羅は同時にビクッとドン引きしたが直ぐに顔を見合わせて互いに気持ちを落ち着かせると
「「はい」」
と答えて、部屋を出ると譲に
「あ、7時半ごろに田中君が用事で来るんだけど」
と告げた。
譲は春彦をじっと見て
「まさか、お出かけになられるとか?」
と聞いた。
春彦は視線を動かして
「あー、今は出かけない」
とシドロモドロと答えた。
譲は深く息を吐き出すと
「つまり、それは後で出かけるかもしれないということでしょうか?」
と告げた。
伽羅は二人を見て
「武藤さんも鋭くなっているというか…警戒されているな、春彦」
と心で呟いた。
春彦は固唾を飲みこみ
「出掛ける時は武藤さんの車で出かけます」
と告げた。
譲は暫く考え
「出掛けるという意思は変わらないということですか」
と深い深い溜息を零した。
春彦は彼を見つめ
「その、分ってる…俺が出掛けるのを心配してくれてるってことは、本当にすみません」
けど、このままじゃ誰も不幸になるだけなんだ
と告げた。
「止めるチャンスがあるなら俺は止めるために動きたい」
譲は大きく息を吐き出し
「必ずお声をかけてください」
状況を見て私が判断します
と言い二人を広間へと案内した。
二人はテキパキと食事をして春彦は更紗と春馬に
「あ、7時半から田中君が遊びに来るので俺の部屋で遊びます」
と告げた。
更紗は驚いて
「それは泊るということですか?」
と聞いた。
春彦は首を振り
「いえ、少し話をするだけです」
と答えた。
春馬は怪訝そうに
「また、怪しい話じゃねぇだろうな」
と言い
「あのホテルもこのままじゃ長くはねぇな」
と呟いた。
春彦は慌てて
「田中、くんはちょっと俺が頼んだものを持ってきてくれるだけなので関係ないです」
と告げた。
春馬はちらりと春彦を見て
「頼んだもの?」
と目を細めた。
春彦は「やばいっ」と心で叫ぶと
「じゃあ、部屋散らかってるので!」
と逃げるように広間を後にした。
伽羅も「俺も頑張ります!」と何を頑張るんだ?という具合に疑問を残しつつ春彦の後について飛び出した。
春馬は眉間にしわを寄せつつ
「また何かやらかすな、あれは」
と呟いた。
更紗も想像はついたが息をついて沈黙を守った。
春彦は部屋に戻って汗を拭うと
「やばかった」
と呟き、譲から悠真が来たことを聞くと玄関に向かいに出た。
悠真は荷物を持って
「大丈夫か?」
と聞き、春彦は笑顔で
「大丈夫」
と答えた。
譲は悠真の大きな荷物を見て
「そちらのお荷物をお運びいたします」
と受け取り、何も言わないまま部屋へと運んだ。
春彦と伽羅は冷や汗を掻きつつ藪蛇にならないように口を閉ざしたまま部屋へと入った。
緊張の糸がピシピシ鳴っていると悠真は心の中で感じていた。
が声に出すことはできなかった。
譲は部屋に入ると荷物を置いて
「春彦さま、こちらの荷物は何でございますか?」
と聞いた。
春彦は心の中で「きた」と思うと
「絵を買いました」
と言い
「でも、俺のアルバイトと直兄から貰ったお小遣いで買うので大丈夫です」
と答えた。
譲はふぅと息を吐き出し
「絵、ですか」
と言い
「支払いはこちらで致します」
と悠真を見た。
「入金の手続きはどのようにすれば宜しいですか?」
春彦は慌てて
「いやいや、俺が勝手に買ったから」
高い買い物だから
と告げた。
譲はにこやかに
「夏月直彦様からのお金は大切にお持ちください」
こちらでご購入されるモノは島津家が全てお支払いいたします
「春彦さまは島津家のご次男です」
そのようにしていただかないと家名に傷がつきます
と告げた。
悠真は翔鵬堂の持明院壮一郎から預かった支払い書を譲に渡した。
そして春彦を見ると
「払ってもらっておけ」
と言い
「それより話あるだろ?」
ここで時間取るの勿体ないと思うぜ
と告げた。
春彦は頷いて譲を見ると
「すみませんが、宜しくお願いいたします」
と頭を下げた。
譲は笑んで会釈すると
「春彦さまはお気を使い過ぎておられる」
お気になさらず欲しいものはお伝えください
と言い立ち去った。
春彦は彼を見送り絵の入った箱を開けると見つめた。
服の乱れた美しい女性…磐井栞と彼女を優しく見下ろす秋月直樹の姿があった。
悠真はそれを見て
「綺麗な絵だな」
と呟いた。
伽羅も頷いて
「そうだよな」
と答え
「美術館の人が買うのも分かる。賞が少ないのは応募する回数が少ないからじゃないのかな?」
と告げた。
「凄く惹きつけられる」
春彦も頷いて
「うん、でもこんな二人を描く人が直樹さんを嵌めて殺すかな?」
ハマユウの花言葉ってどこか遠くへとかあなたを信じますだろ?
「それはもしかしたら秋月直樹さんに栞さんを託すって意味だったんじゃないかな」
と呟いた。
悠真は腕を組むと
「確かにそうは思うけど」
と顔をしかめた。
春彦は絵を箱に戻すと悠真を見て
「それで陸奥君が手に入れようとしていた目録って?」
と聞いた。
悠真は頷いて鞄から封筒を出した。
思っていたより分厚いものであった。
春彦は受け取りソファに座ってテーブルの上に広げた。
伽羅と悠真も座ってそれを見た。
春彦は一番上の紙を手に
「これが目録だな」
と告げた。
27年前の目録であった。
花器や皿、様々なモノが種類ごとに細かに書かれていた。
しかも販売先も記載されていた。
悠真はそれを見て
「すげぇな」
数もそうだけど有名な花器も多いし
と呟いた。
春彦は頷き
「そうだな」
と言い、最後の数行を見た。
「これ、付け足されている分だ」
と告げた。
「一週間遅れてみたいだな」
菱尾湖南の14枚の絵か
一通り見て横に置くと次の書類を見た。
それはそれらの骨とう品を持明院壮一郎に託した人物であった。
春彦と悠真は驚きに息を飲みこんだ。
春彦は目を細め
「あの時、持明院さんが言ったことが気になっていたけど」
売りに出されたのは磐井家の骨とう品なんだろうけど
「売りに出したのは羽田野家の当主である羽田野厚長なんだ」
と呟いた。
「乙女シリーズだけは陸奥初男だけど」
27年前の話に羽田野家も陸奥家も殆ど関わりなさそうだったけど、本当は深くかかわっていたんじゃないのかな
悠真は春彦の話にゾっと背筋に冷たいものを感じた。
「それって、磐井家を崩壊させたのが羽田野家と陸奥家だったってことか?」
春彦は冷静に
「どちらかというと羽田野家だと思う」
磐井家の骨とう品を売りに出しているのは羽田野家だ
「もし陸奥家だったら絵も一緒に混ぜれば良かっただけだ」
と告げた。
そして、肩越しに買った絵を見ると
「それに、シリーズものを態々一枚売りして持ち主をバラバラにしたことも気になる」
と呟いた。
「陸奥君は…持明院さんと何を話したいんだろ」
何があって彼は持明院さんを
大きく関わっているのは彼の父親である陸奥初男の乙女シリーズだ。
目録もその内容だ。
悩む春彦に悠真は
「明日の朝の可能性が高いんだろ?」
どうする?
と聞いた。
春彦は息を吐き出すと
「出たとこ勝負で…止めるしかない」
と告げた。
春彦は廊下に出ると恐らく勝手に出ていかないように見張っていたのだろう譲の部下を見て
「あの、武藤さんは?」
と聞いた。
「譲様でしたらお呼びいたしますのでお部屋でお待ちください」
と告げて立ち去った。
春彦は部屋で待つとやってきた譲を見て
「明日の早朝に樫原湿原に行く」
と告げた。
悠真も伽羅もハラハラしていた。
悠真は譲を見ると
「あ、俺も夏月の護衛代わりにいっしょにいくです」
と告げた。
伽羅は手を上げて
「俺も」
と告げた。
譲はじっと春彦を見た。
春彦は見つめ返し
「行かないといけないんだ」
と告げた。
「武藤さんの車で行くのでお願いします」
譲は内ポケットからマップを出すと手渡した。
「像は湿原の一画の分かれ道に立っていました」
そこですね
「黙って家を抜けていかれても困りますから…今回は大目に見ますが」
護衛はつけていきます
「それは譲れません」
春彦はほっと安堵の息を吐き出すと
「はい」
と告げた。
悠真も安堵の息を吐き出し
「じゃあ、明日の朝…こっちを立つ前に連絡くれ」
と告げた。
「一応、伊藤と神宮寺にも連絡をいれておくぜ」
春彦は頷いた。
翌日、まだ夜明け前の深い霧の中を春彦と伽羅は譲の車で島津家を後に樫原湿原へと向かった。
悠真も三台連なる車にぎょっとしつつも後ろについていくように運転手に指示をした。
朔も凜も欠伸をしながら家を出て湿原へと向かったのである。
春彦は車の中から深い霧の光景を見て
「やっぱり、今日だったんだ」
と呟いた。
伽羅も頷いて
「夢の中もこんな感じだった」
告げた。
そして、福岡ICから高速に乗り佐賀大和ICで地道へ降りて45分程走って樫原山房湖守屋前の駐車場に車を止めると既に二台車が止まっているのに春彦は舌打ちすると
「間に合ってくれ」
とつぶやいて駆け出した。
湿原の外側の道野途中に像はあり全員が車から降りて春彦を追いかけた。
薄暗い靄が少しずつ明るくなり始めた。
伽羅はその様子を見て
「あの夢のようにもうすぐ赤い太陽が横手に見えるかもしれない」
と春彦に告げた。
春彦は頷き像の前に立つ人の姿に目を見開くと
「待ってくれ!!」
と駆け寄り、驚く持明院壮一郎の前に立って霧の中に立つ人影に目を向けた。
Yシャツにパンツを履いた陸奥樹であった。
彼は驚いて春彦を見ると
「…夏月、春彦…」
と名を呼んだ。
春彦は頷いて
「そうだ」
と答えて汗をぬぐい
「間に合ってよかった」
と告げた。
伽羅も横に立って
「走ったー」
とぜーぜーと息を吐き出した。
悠真も朔も凜も汗を拭いながら姿を見せた。
樹は彼らを見て
「何故、ここに?」
と聞いた。
春彦は彼を見て
「27年前のことを君が調べているのかもしれないと思って話を聞きに来た」
と告げた。
一か八かの賭けであった。
ただ、27年前の目録を求めるということは27年前のことを調べていると言ってもあながち間違えにはならないと踏んだからである。
樹は「それは」と視線を伏せた。
その時、春彦は自分たちが来た道と反対側の道を睨むと
「そこで話を聞いてるのは誰ですか?」
と呼びかけた。
それには全員が「ん?」と首を傾げた。
春彦は伽羅を見ると
「ずっと、伽羅の夢がおかしいと思っていたんだけど」
最初に伽羅が彼とぶつかってこけた時に転んで起き上がる時に血がついてたって言ってただろ?
「それって伽羅が遺体を見つけた場所とずれているんだ」
それに陸奥君はパーカーもGパンも履いていない
と小声で告げた。
伽羅は驚いて春彦を見た。
春彦は霧から現れた影を見て
「何の目的があって二人を狙うんですか?」
と告げた。
「27年前のことを探られたくない…そう、磐井家の所蔵品を陸奥家ではなく羽田野家が売った事を知られたくない」
そう言う事ですよね
譲はそっと春彦の前に立った。
そして、部下に目配せをした。
悠真や朔、凜や樹を守るように指示したのである。
影は舌打ちすると逃げるように踵を返しかけた。
春彦は足を踏み出すと譲の横をすり抜けて影の手を掴んだ。
「羽田野大翔…くんだよな」
そう言って見つめた。
「君は磐井家の所蔵品を羽田野家が売った事を知った」
だがそれがどういう意味なのかを理解して公にならないように二人を殺しにきたんじゃないのか?
羽田野大翔は大きく目を見開くと顔を背けた。
春彦は彼が持っていたナイフを掴むと
「放してくれ」
君はまだ誰も傷つけていない
「だからまだ戻れる」
と告げた。
「何故そこまで考えたのか…話してほしい」
罪を背負う前に君が背負ってる荷物を降ろす手伝いを俺はしたい
そして、樹を見ると
「陸奥君の荷物もだ」
と告げた。
黙る二人に春彦は息を吐き出すと
「俺は27年前のことを知りたいと思っている。真実を」
伊藤君も神宮寺君も田中もみんな同じだ
「恐らく俺たちの両親の誰もがそのことで傷ついて苦しんでいる」
今も…苦しんでいる人がいる
「誰だって好きな人が苦しんでいたら助けたいと思う…だから知りたい何があったのか」
それを解き明かしてこそ乗り越えて前に進めると思うんだ
と告げた。
「二人の力を借りたい、それに、人を傷つけてほしくないし傷ついて欲しくない」
そう思う人が何処かにいてその祈りが
「俺達に今日のことを察知させてくれたんだと思う」
と告げた。
陸奥樹は大きく息を吐き出すとその場に座り
「…あの人だ」
あの人が夢で今日の事を知らせたんだ
と春彦を見た。
「磐井家の女の人を父は匿っている」
それに全員が目を見開いた。
樹は息を吐き出し
「父が愛しているのはその人だけだ」
母はそれを知っていたし母も父を愛していない
「ただ陸奥と結びつくために俺を生んだだけだ」
俺は父にも母にも愛されていないんだ
「ただ、同じように『なおひこ』ってずっと呼ばれている母の違う詩音っていう妹がいて彼女とだけは心が通じ合った」
俺達はどちらも親に愛されていない子供だったから
と言い
「詩音は父が27年前に売りに出した乙女シリーズを家の蔵で見つけて売りに出した絵には何かあると調べているんだ」
最初は俺がサイトで探して教えていたんだけどでも分からないものも多くて
「それで…売りに出したのが翔鵬堂だと分ったからどこに売ったかを教えてもらうためにここに呼び出したんだ」
と告げた。
「父や他の人に知られたら絵を調べに行っている詩音が危なくなるから」
持明院壮一郎は息を吐き出すと胸元から目録を出して
「これが目録です」
ちゃんと売った先もあります
「今の話は他言しません」
と渡した。
春彦は笑みを見せると
「その詩音って子のことも守ってあげないとだな」
と言い
「俺の友達に各地を移動している子がいるから相談してみるけど?」
その詩音って子を手助けできないかって
と告げた。
樹は頷いて
「ありがとう」
と言い、上を見上げると
「けど、吐き出してすっとした気がする」
と涙を滲ませた。
伽羅はそれを見て
「あのさ、俺もつい最近まで両親に嫌われていると思ってたんだ」
会話もなかったし
「色々な」
でも正面を向いて気持ちをぶつけたらちゃんと向いてくれた
「だから、陸奥君も胸の思いをぶつけたらどうかな?お父さんに」
相手が後ろを向いてるって思ってても本当は自分が後ろをむいてることあるからさ
と笑んだ。
春彦も朔も凜も悠真も笑みを浮かべた。
春彦は手を掴んだままの羽田野大翔を見ると
「君は羽田野家を守りにきたんじゃないのか?」
27年前の情報を持っている持明院さんの口を封じるために
と告げた。
羽田野大翔はふぅと息を吐き出して
「ああ、そうだ」
けど、まるで三文小説ような話だな
と言い、春彦を見て
「俺は嫌いじゃないけどな」
俺だって全部吐き出せたらと思うし
と顔を歪めて手を払うと
「ただ、俺が言えるのは…気をつけろだけだ」
あの人たちは欲に塗れた妄執に憑りつかれているんだ
「ぞっとするくらいにな」
と背を向けた。
「今あった事は言わない」
だが27年前のことはまだ…何も終わっていないんだ
「夏月、お前は死ぬなよ」
そう言い駆け出すと霧の中へと消え去った。
夢で見たパーカーとGパン姿であった。
春彦は樹の前に立って手を差し伸べると
「君のお父さんの絵を見てきた」
凄く綺麗で優しい心の籠った絵だった
「俺は君のお父さんは凄く優しくて愛情深い人だと思う」
君のことを愛してる気がする
「向き合って話し合ってほしい」
と告げた。
樹は目を閉じると
「俺も蔵で見た」
綺麗な絵だった
「お父さんの絵…俺は好きなんだ」
と言い
「言ってみる」
振り向いて欲しいって
と春彦の手を掴んで笑みを見せた。
誰もが安堵の息を吐き出し駐車場へと戻った。
ただ、譲は心の中で羽田野大翔の言葉を反芻していた。
『27年前のことはまだ…何も終わっていないんだ』
『夏月、お前は死ぬなよ』
春彦もまたふと足を止めると羽田野大翔の言葉を思い出していた。
『27年前のことはまだ…何も終わっていないんだ』
『あの人たちは欲に塗れた妄執に憑りつかれているんだ』
そう言ったのだ。
恐らく27年前のことに関係しているのだろう。
彼が言ったあの人たちが憑りつかれている妄執とは何か。
それが全ての原因なのかもしれない。
霧は太陽の熱で消え去り、春彦たちが福岡のそれぞれの家に戻る頃には青い空が広がり街の様相がくっきりと浮かび上がっていた。
その日の早朝にこっそり戻った春彦たちは更紗と春馬に悟られることなく朝食を終えて期末最終日のテストを受けたのだが、睡魔の到来でかなり危ない点数となったのことは後の話である。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。




