第三十二話:翔の実力と敗者の希望
3.空間支配と、精密なる技術
中庭の空気が、一瞬で張り詰めた。
翔は神殺しの聖剣(複製版)は使用せず、ラックからごく普通の、使い古された訓練用の木剣を一本借りて手に取った。
身長百九十センチの翔が、木剣を無造作に下段に構える。
グスタフは木剣を中段に構え、その全身から、先ほど生徒たちを相手にしていた時とは明らかに異なる、緊迫した「殺気」とも呼べるオーラを放ち始めた。
「翔殿、参る!」
グスタフが踏み込んだ。
先ほどの陽斗とは比べものにならない、地を這うような鋭く、かつ重厚な一歩。グスタフの木剣が、翔の右肩から袈裟斬りに振り下ろされる。
スッ──。
翔が動いたのは、まさにその剣撃が届く「一瞬前」だった。
翔はバスケットボールで培った、ミリ単位で身体の重心を制御する超絶的なステップワーク──『ピボットフット』を応用し、右足を軸にして、コマのように身体を僅かに回転させた。
グスタフの木剣は、翔の胸元を僅か数ミリの差で、虚しく通り抜ける。
「なにっ!?」
グスタフが驚愕した次の瞬間には、翔の木剣の先端が、グスタフの木剣の「鍔」の隙間にスッと滑り込んでいた。
テコの原理。
翔が手首をクッと捻った瞬間、グスタフの木剣は強烈な回転力を受けて弾け飛び、宙を舞った。バランスを崩し、よろめいたグスタフの目の前。
スッと、翔の木剣の刃先が、グスタフの眉間の前でぴたりと静止していた。
静寂。
僅か一合。時間にして、一秒にも満たない刹那の攻防だった。
「……見事。なんと滑らかな重心移動。まるで、あらかじめ私の剣の軌道がそこにあると知っていたかのような、完璧な『先』のいなし……!」
グスタフは両手を挙げ、脱帽したように笑った。
「ステータスが上がっていないなど、到底信じられぬ。翔殿、あなた自身が、最高峰の武芸者だ」
「いや、驚かせてすみません」
翔は木剣を引き、穏やかに微笑んだ。
「私は長年、バスケットボールという『常に自分の重心を制御し、相手の重心を予測して空間を支配するスポーツ』をやってきました。さらに、相手の視線の配り方や肩の動きから、次の動作を察知する『心理学』も、教師としての経験から身につけています。グスタフさん、もう一度いきましょう。今度は、打ち合う形で」
「おお、望むところだ!」
グスタフが木剣を拾い上げ、今度は本気で、嵐のような猛攻を仕掛けてきた。
カン! カン! カン! カン!──。
激しい木音の連打が中庭に響き渡る。
グスタフの、岩をも砕くような重い一撃一撃。しかし、翔はそのすべてを、余裕を持った表情で、最小限の力で「受け」「いなし」「切り返し」てみせた。
力と力がぶつかり合うのではない。
翔はグスタフの剣の「威力」を、自身の木剣の角度としなやかな膝のクッションで綺麗に地面へと受け流し、その反動を利用して、グスタフの首元や胴に、何度も木剣の峰を優しく滑らせた。
「……参った! 本当に、手も足も出ん!」
グスタフは息を切らしながらも、心からの敬意を込めて木剣を収めた。
生徒4人は、言葉を失って立ち尽くしていた。
能力値が上がっていなくとも、自らの肉体を、感覚を、技術を極限まで研ぎ澄ませば、これほどまでに圧倒的な「強さ」を表現できる。
その圧倒的な現実を、自分たちの担任教師が、目の前で見事に証明して見せたのだ。
「先生……すげえよ。格好よすぎるよ……」
陽斗が、瞳に憧れの炎をぎらぎらと燃え上がらせて呟いた。
「俺……本気で、剣の使い方、ステップの踏み方、教えてほしい。ステータスだけじゃなくて、先生みたいになりたい!」
「私も! 魔法の出し方、身体の使い方の基礎から教えて、先生!」
教え子たちの、本当の意味での「向上心」に火がついた瞬間だった。
翔は満足そうに微笑み、4人の頭を順番に撫でた。
「よし。特別授業、本格的に始めるぞ。日本の最新トレーニングマシンと、プロテインも用意してあるからな。覚悟しておけよ」
4.王都の他派閥の蠢きと、敗者への書状
一方、王都の薄暗い陰謀の渦──。
アルトリウス王の側近であり、主戦派として知られる過激派貴族、ヘンドリックス侯爵の邸宅。
「──ブルグンドが、怪しい動きを見せているだと?」
薄暗い執務室で、ヘンドリックス侯爵は、密偵からの報告書を睨みつけながら低く唸った。
「はい。王都から追いやられたあの『異界の者』どもですが、ブルグンド公爵領に入ってから、 妙な『鉄の塊』や、見たこともない形状の『靴』、さらには謎の『飲料』を大量に搬入し、騎士団の訓練を劇的に変化させているとのことです」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。根性論を廃した生温い訓練などで、我が国の精鋭が強くなるはずがなかろう」
「しかし……。それだけではありません。公爵領とカノーヴァ領において、鉛を一切含まないという、 驚異的な効果を持つ『未知の化粧品』や『ガラス製品』の極秘の独占販売が始まり、王都や南部の令嬢たちの間で、 早くも口コミによる噂が広まり始めております。商会名は……『ミヨシ・トレーディング』」
ヘンドリックス侯爵の目が、不気味にぎらりと光った。
「三好……あの、カイルたちを倒した教師の男の姓か。
ブルグンドめ、あのバケモノの暴力を盾にして、独自の利権を貪り、軍備を拡張するつもりか。 ……これ以上、あの北の野蛮人どもを増長させておくわけにはいかん。王都の派閥の力をもって、 いずれその利権、奪い取ってくれるわ」
王都の闇は、急速にその触手を北部へと伸ばそうと蠢き始めていた。
* * *
同じ頃。王都の片隅、薄汚い冒険者ギルドの片隅にいたカイルたち4人は、 信じられない「一通の公式書状」を前にして、震えていた。
封筒に押されているのは、北部の絶対的覇者──ブルグンド公爵家の、獅子の紋章。
「カイル……これ、本当に公爵様からの手紙なの……?」
ミリーナが、信じられないものを見るような目で呟く。
「ああ。間違いない。この重厚な羊皮紙、そしてこの魔力の封蝋は、公爵閣下の直筆だ……」
カイルの手が、小刻みに震えていた。
王城から追放され、代表候補の座を剥奪され、王都のギルドで泥水をすするようなゴブリン退治の日銭稼ぎに身を落としていた彼ら。国中の誰からも見捨てられたと、絶望のどん底にいた。
カイルは、意を決して封を切り、書状を広げた。
そこには、ブルグンド公爵──そして彼らのもう一人の後ろ盾であったカノーヴァ伯爵の連名で、 驚くべき内容が記されていた。
『──カイル、ミリーナ、シェリー、ジーモ。
お前たちの、王都でのあまりにも軽率で、傲慢な行動。我が北部の誇りを汚したその醜態には、 私もカノーヴァの伯爵も、深く落胆した。……しかし。
お前たちが、幼い頃から血の滲むような特訓を重ね、北方の期待を背負って立ち上がった、 その「本質」と「才能」を、私たちは未だ完全に見捨てたわけではない。
敗北を知り、泥水をすすった今こそ、お前たちが本当の『強さ』を掴み取る好機である。
一年を切った中央闘技大会への参加について。
そして、お前たちがこれから這い上がるための『新たな手段(天啓の魔石)』について、 直接顔を合わせて話したいことがある。
──直ちに、荷物をまとめ、ブルグンド公爵領へと来い。
お前たちの去路は、まだ閉ざされてはいない』
「公爵様……」
ジーモが、丸太のような太い腕で、ボロボロと大粒の涙を流して机に突っ伏した。
「俺たちを……俺たちを、見捨ててなかったんだな……!」
シェリーも、ミリーナも、溢れ出る涙を堪えることができず、お互いの肩を抱き合って咽び泣いた。
カイルは、書状を胸に強く抱きしめ、天を仰いだ。
悔しさと、敗北の屈辱にまみれていた彼の瞳に、かつてないほどの、 清らかで、かつ力強い「再起の炎」が、ぎらぎらと燃え上がった。
「行くぞ、みんな。公爵領へ!」
カイルが力強く叫んだ。
「あの教師と生徒たちに見せつけてやる。
俺たちはもう、かつてのような傲慢なクズじゃない。泥水をすすって、一から這い上がって、 本物の『代表』として、神の前に立って見せる!」
「「「おお!!」」」
敗者たちは、暗闇の底から、新たな希望と、命がけの覚悟を胸に抱き、 北の辺境──ブルグンド公爵領へと向けて、力強く走り出すのだった。




