第1話「記録開始」
廃棄区画の壁に、古いモニターが一台貼り付けてある。
誰かが拾ってきたものだ。映像はたまに乱れるが、音声はまだ生きている。スラムの住人たちが思い思いに座り込んで、昼間の中継を眺めていた。
ソウマも、その端に腰を下ろしていた。
特に見たいわけじゃない。ただ、今日の収穫を整理するのにちょうどいい場所だというだけだ。ボロボロの袋からパーツを取り出し、使えるものと使えないものに分けながら、流れてくる映像を横目で追う。
《ーーきたきたきたァ!アビス・ポーン、第七波ァ!中央海域から一気に五十体以上が浮上してきたぞォ!》
画面の向こうで、金髪のリーゼントがぶれた。
MCフォーチュン。Re:cordの顔だ。ガチガチに固めたリーゼントに、ティアドロップのサングラス。チャラい服装と昭和みたいな頭が噛み合っていないが、それも含めてこの男の芸風らしい。画面越しに見ても声がでかい。
《さあ各イージス・ウォーリア、動き出したァ!本日もRe:cord、絶賛中継中だぜ!俺様MCフォーチュン、今日も最高のドラマをお前らに叩き込んでやるからなァ!》
「草」「フォーチュンきたァ」「今日も盛り上がれ」「ポーン五十体て」「えぐ」
コメントが画面の端を流れていく。全世界から飛んでくる文字の洪水。ソウマには関係ない話だが、スラムの住人たちはそれも含めて楽しんでいた。
《知らない奴に説明しとくか!ここはネレイス!海の上に浮かぶ人類最後の砦だ!約五十年前、海の底からアビスってのが湧いて出てきてな——その出現ポイントをネレイス中央の一点に限定するシステムを開発したのが我らが英雄、アイギス様だ!元は医療用パワードスーツの研究者だったこの御仁、その技術を応用してイージスシステムを完成させた!おかげで人類はまだ戦えてる!》
「アイギス様神」「人類の救世主」「イージスシステムなかったら詰んでた」
ソウマの手が止まった。
アイギス、という名前には反応してしまう。この都市で生まれ育った人間なら誰でもそうだ。英雄という言葉がこれほど似合う人間は、たぶん他にいない。
《さあ余談はここまでだ!戦闘に戻るぞォ!おっとォ!早速来たァ!銀髪の貴公子、カラムが先陣を切ったァ!》
中継映像の向こうで、銀髪の少年が動いた。
流れるような動作でイージスデバイスに触れる。光球が射出された瞬間——カラムはそれを迎えるように腕を伸ばし、肘でなめらかに打ち込んだ。衝撃点から白いアーマーが広がり、指先まで一瞬で覆われる。まるで服を着るように、当たり前のように。
ソウマは手を止めた。
あれがイージスシステムか。
《BLZブレードを展開、ZNTライフルで牽制しながら——うおっ、きれいだねェ!幻影で三方向から来るように見せかけて実際は一方向から叩き込むってか!さすがMVPポイントトップ、スポンサー各社もニッコニコだろうなァ!》
「カラム神」「またカラムか」「えぐすぎ」「MVPやろ」「スポンサー何社ついてんだ」
《MVPポイントってのはな——戦闘成績にスポンサー評価を掛け合わせた数字で、これがそのままメシの種になる仕組みだ!強くて人気があれば食える。弱くて人気がなければ——まあ、察しろ!スポンサーってのは個人でも企業でもいい。戦士に装備やガジェットを提供する代わりに、勝利の栄光を共有するシステムだ!いい装備があれば戦いやすい。戦いやすければ勝てる。勝てればスポンサーが増える——シンプルだろ?》
「なるほど」「知ってた」「Re:cord初めて見たけど面白いな」「スポンサー集めが大変そう」
隣に座っていた男が、感心したように頷いた。スラムに最近流れ着いてきた男で、ソウマは名前を知らない。
「カラムってすごいな。あんなに装備があるのか」
「スポンサーが多いから」とソウマは短く答えた。
「お前も戦士になれば?」
「スポンサーがいないと話にならない」
男はそれ以上何も言わなかった。
《そしてそして!向こうからあの巨体が来たァ!ネレイス最強の一角、セレストォ!》
映像が切り替わる。
青髭の男だった。
短く刈り込んだ黒髪に、顔の下半分を覆う濃い青髭。どこからどう見てもゴリゴリのおっさんだ——なのにヴィオラ・クチュールの紫のアーマーを纏い、Re:cordのカメラに向かって片手を上げた瞬間、コメント欄が爆発した。
「セレストさんキタァ」「今日も最強」「美しい」「顔はともかく」「顔はともかくじゃない」
《コレで見た目がオッさんじゃなけりゃ最高の逸材だったよなぁ——》
映像の中でセレストがこちらを向いた。
ゆっくりと、それだけで空気が変わるような動きだった。カメラを——フォーチュンを——真っ直ぐに見据えた目が、じっと細くなる。
《……えー、失礼しました。最強の逸材でした》
「草」「フォーチュン謝罪草」「眼力で黙らせたの草」「美しい」「それはそう」
スラムの住人たちがどっと笑った。ソウマの隣の男も吹き出している。
セレストはすでに前を向いていた。
アビス・ナイトが向かってくる。人間の三倍はある巨体が、地を這うように四足で駆けてくる。全身の黒い外皮から暗い体液が滲み、骨のような突起が乱立していた。赤い単眼が光っている。
ソウマは画面から目を離せなかった。
セレストは止まらなかった。
デバイスに触れる。光球が展開された瞬間——正面から全力の拳を叩き込んだ。
どォン、と重い音がした。
衝撃点から一気にアーマーが広がる。BRFナックルが両手に装着され、そのまま減速もせずにアビス・ナイトへ向かっていく。
《ーーどっかァン!BRFナックルの一撃ィ!あの巨体を素手でぶん殴るっていう頭おかしい戦い方!これが最強の意味だぜォ!》
「は?」「筋肉すぎ」「えぐい」「人間?」「美しい」「顔はともかく美しい」
ソウマの手が、袋の上で止まっていた。
あの動き。光球を殴って展開するあの一瞬。衝撃点からアーマーが広がる瞬間——何度見ても、目が離せない。
《ポーンの群れも残り十体を切ったァ!各ウォーリアが連携して——あ、終わったな。今日は早かった》
《ーーよしッ!本日の戦闘終了だァ!各ウォーリアお疲れさん!最後に!我らが英雄、アイギス様から一言いただいてるぞ!》
映像が切り替わった。
白髪の男が映る。
短く整えられた白髪。仕立ての良いスーツ。その佇まいだけで画面の空気が変わった。穏やかな表情。整った顔立ち。視聴者に向けて、静かに微笑む。
住人たちの話し声が、ぴたりと止んだ。
《「ネレイスの皆さん、そして全世界の視聴者の皆さん。我々は必ず、この戦いに勝利します。諦めないでください」》
「アイギス様かっこいい」「英雄すぎる」「神」「この人がいるから戦える」「泣ける」
「本当に英雄だよなあ」と隣の男がしみじみと言った。「あの人のシステムがなかったら、世界中がアビスに侵食されてた」
「そうだな」と別の誰かが答えた。
ソウマは何も言わなかった。
アイギスの目が、少し気になった。笑っているのに——どこか遠くを見ているような気がした。まあ、英雄というのはそういうものかもしれない。守るべきものが多すぎて、目線がどこか遠くに行ってしまうような。
《ーーさすが英雄!以上、本日のRe:cord中継でした!また明日も最高のドラマを期待しろよ!》
ブツン。
モニターが暗くなった。
住人たちがぞろぞろと立ち上がり、それぞれの場所へ戻っていく。笑い声と話し声が遠ざかっていった。
ソウマは立ち上がらなかった。
袋の中のパーツをもう一度確認する。電力変換ユニットの破片が二つ。センサー基板が一枚。使い物にならないスクラップが山ほど。
悪くない。
暗くなったモニターを一瞥した。
カラムの変身シーンが、まだ頭の中に残っていた。あの流れるような動作。光球を迎える腕の角度。衝撃点から広がるアーマーのあの一瞬。
袋を肩に担ぎ、路地を歩き始める。
関係ない話だ。
頭上のパイプから水が滴っていた。遠くで警戒音が一度鳴り、すぐに止んだ。
スラムの夜が、静かに始まった。




