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――呪いとは、言ってしまえば悪意をもって付加された術式の総称だ。生来備えた性質をそう呼んだりはしない。
修行時代、とある貴族の赤子にかけられた呪いの解呪を請け負ったパルメディアに、講義の一環として同行したことが俺にはある。
その時の会話は今でもよく覚えている。
――じゃあ生まれた時にすでにそうだったのなら、それがどんなに残酷でもその正体は呪いじゃないんですか?
――いや。中には、時を超えて世代を超えて継承されるように仕組まれた術式もあるにはある。だが問題なのは悪意に根ざしているかどうかであって、当人が生まれた時の状態ではないさ。
――だとすると、やっぱりあの赤子の顔は呪いのせいなんですね。
――結果としてはそうだろう。偶然にしてはあの子の有様は生家の歴史をあまりに冒涜している。これが人の悪意の結実でなくてなんだと言う?
依頼主は見目麗しい美貌の一族。
その美しさを売りに政略結婚で貴族の末席さえ手に入れた成り上がりの家系。
しかし、その当主の嫡子に顔面奇形が現れた。
それも羊飼いという一族のルーツを思わせる面長の貌。
――呪いの本質は、その術式の効果が何であれ、その行為そのものを成した悪意の方だ。何者が、何ゆえに、恨み、呪ったのか。それを詳らかにしないことには解決は難しい。
――そんな面倒なことしなくても先生なら魔力で術式を焼き切れそうですけど。
――呪いの正体が明白なら可能だ。だがあいにく呪いというのは、陰湿なものだと古来から相場が決まっている。狡猾な悪人が真っ当な市民を装うように、呪いという不幸は運命を装ってもたらされるものだ。
――どういう意味ですか?
――簡単だ。魔術とは現実の一部に代入された幻想だ。故にそこには必ず作為性が生じ、だからこそ魔術師は他者による術式さえも認識し得る。だが呪いを成すのはいつだって被術者への否定の念だ。それは往々にして理不尽で、不条理で、不可解で、脈絡が無い。つまり整合性の無い悪意に基づいた術式には一貫性が見い出せず、元ある自然の摂理と見分けがつかない。
――つまり、呪いのせいじゃなく成るように成っただけ、としか思えない……?
――現にこの家に降り掛かった厄災も巷では先祖の悪行に対する祟りだと噂されているだろう。曰く、羊に産ませた子を嫁がせて富を得た報いだ、と。
――それは、悪趣味な言いがかりですね。
――だが同時に、もっともらしくもある。仮に羊の怨念が原因だとして、しかし、いまさら子孫の顔を奪う道理もないはずなのに、羊飼いという前提は羊面の呪いと直接の因果関係を思わせる。大抵の人はその単純明快さに飛びついてしまうだろう。
――でもそれは事実じゃない。犯人は別にいる。そうでしょう?
――当然だ。そもそも羊に人間を呪う力はない。だが人間にはその業がある。どう考えても犯人は後者だ。
――でもそれならなおのことどうして呪いの術式は魔術師にも見つけるのが難しいんですか。術者に悪意があるからって術式が見えなくなるなんてどういうからくりなんです?
――今回の場合、犯人の仕掛けた欺瞞は二つ。一つは事件性という悪意の輪郭を不確かなものにすることだ。
――悪意の輪郭?
――そもそもこの事件、犯人の悪意は誰に向けられたものだと思う?
――それは顔を羊のようにされた赤子でしょう?
――違う。生まれたばかりの赤子が誰かの恨みを買うはずがない。あるとすれば周囲の人間のとばっちりを受けた可能性だ。
――そんな。誰かのとばっちりであの赤子はあんな呪われ方をしたって言うんですか?
――それも違う。あの赤子は呪われてなどいない。本当に呪われているのは別の人間だよ。
――何言ってるんですか。あの赤子の顔、どう見ても呪いのせいじゃないですか。先生だってさっきそう言ったでしょう。
――私は、結果的には呪いのせいだと言った。この術式の正体は必ず羊面の子を産まさせるというものだ。つまり呪われているのは母親だよ。犯人の悪意は彼女に焦点されていて、必然、術式もそこを起点としている。だからいくら赤子を調べても術式は見つからない。
――うそ、でしょう……?
――呪いは陰湿だと言っただろう。あの赤子の羊面はいやでも目を引く。それは術者の目的を達成する手段であると同時に、術式の起点である母親から目を逸らさせるための仕掛けだったのさ。
――それじゃあ母親を調べれば術式を見つけられるんですか?
――いいや。そこまで単純な話ではない。犯人の仕掛けた二つ目の欺瞞を理解しなければ答えにはたどり着けない。
――なんなんですか、二つ目の欺瞞って?
――普通、魔術の術式は演算のかたちをとる。つまり現実と幻想とを足したり引いたりしながら目的の現象を結果させる術というわけだ。たとえば、空気中の水分が冷却され、そこに暴風が吹いたとする。それらすべてが現実のものならそれはブリザードいう自然現象だ。しかしそれが真夏に起こったことならその冷却は現実ではなく、人為的に代入された幻想だと判断できる。必然そこには(『水分』+『幻想としての冷却』)×『暴風』=『ブリザード』という術式が成り立ち、魔術の成立と行使が証明される。ブリザードの発生過程という自然法則に従いつつも、その時起こりえない冷却という矛盾を内包するがゆえにその作為性を隠せないからだ。
――それはわかります。魔術は普通じゃないから魔術ってことでしょう。
――ああ。そうだ。ところが、多くの呪いは単純な演算という手順は踏まない。それどころか呪いはしばしば間接的で回りくどい手順を踏む。被術者には直接術式を打ち込まず、周囲の現実に幻想を紛れ込ませる。なぜなら特定の条件と結びき環境に変化を及ぼすためだ。その環境の変化は連鎖的に被術者に影響を与え、それを複数蓄積させることで相互作用としての結果を被術者にもたらす。つまり呪いだ。
――そんなの本当に魔術なんですか。術式として一つにまとまってないじゃないですか?
――それが二つ目の欺瞞だ。この手の呪いは一つひとつの術式が些細すぎて魔術師でさえも容易に気づけない。以前、呪いによって吸血鬼にされた女が居たが、彼女の家の包丁には『肉を切ると血のにおいに食欲をかきたてられる』という術式が付加されていた。料理中に腹が減ってもそこに他者の作為など感じないからな。私も見抜くのに苦労したよ。
――でもさっきの話からすると、その術式一つで吸血鬼にされたわけじゃないんですね。
――もちろんだ。それまで真っ当な人生を歩んできた人間が、においひとつで吸血に走ったりはしない。ほかにいくらでも美味い味を知っているからな。だがその時の犯人は他にも術式を使い、彼女を経済的にも人間関係的にも孤立させた。元々あまり裕福ではない人だったが、時間をかけゆっくりと追い込まれていったんだ。そして彼女がいよいよ困窮した頃、犯人は定期的に食材を差し入れるようになった。それも生きたままの鶏をな。いやらしいやつだろう? 善意を装いつつ例の包丁で捌かさせたんだ。本人もひさしぶりのご馳走に大喜びで包丁を振るったそうだ。そんな姿に、思惑通りにことが進んでいると確信した犯人は、月に何度か、彼女の執着心を肥大させるように差し入れの間隔を広げながら繰り返した。そのせいで彼女は鶏を少しも無駄にできなくなっていった。文字通り、血の一滴さえもな。




