2-40
「ゼノ!?」
俺の援護要請に、レーンは一瞬ためらったような声を上げた。
無茶な要求だろう。
無理難題だろう。
それでも次の瞬間にはレーンは行動してくれた。
俺を攻撃する猫族たちに切り込んで彼らの目を引きつけてくれる。
猫族も仲間の危機を無視することはできない。
レーンに対処するために俺を取り囲んでいた包囲網がわずかに綻た。
結果、魔術を使う余裕がわずかに生まれる。
大魔術は無理だがそれでも俺は行動の自由を得た。
それを見逃すはずがない。
俺はすぐさま魔術の行使に取りかかり、直後、ニャンデリカからの一撃を受けた。
「がは――」
突進攻撃を直撃された俺はなすすべもなく吹き飛ばされる。
木々の隙間を抜け、茂みを突き抜け、地面に叩きつけられたあとも何度か転がり仰向けの状態でようやく停止した。
やはりニャンデリカの矛先はこちらに向いたか。
しかしなんて威力。
一撃で俺の体はボロボロだ。
「ゼノ。そんな――」
「何やってるにゃん!?」
遠く、声が聞こえた。
意識は思いのほかはっきりとしている。
遠いのは物理的な距離。
ニャンデリカの一撃によって俺は源泉のほとりまで吹き飛ばされていた。
「ごめん。ボクがちゃんと守れてれば……」
違う。
これは俺が指示した結果だ。
レーンは何も悪くない。
「子分を守れなかったのはにゃんの責任にゃん。仇はにゃんが取るにゃん」
プリニャンカも仲間思いなのはうれしいが早まらないでほしい。
俺はまだ死んでいないのだから。
「無駄ですわ。これで貴方がたは残り二人。対してわたくしたちの包囲陣形はほぼ無傷。もう勝負の行方は見えたのではなくて?」
「そんなのまだ分からないにゃん。偉そうなことはにゃんを倒してから言うにゃん」
「分かりますわよ。賢者ゼノ・クレイスは貴方がたの要。その彼が倒れ、残った貴方がたはわたくしたちの手のひらのうえ。これでは趨勢は決したも同然ですわ。ねぇ、勇者様?」
「君。ボクたちのこと、最初から……」
やはり知っていたのだ。
俺のこともレーンのこともニャンデリカは最初から知っていた。
この周回では初対面のはずなのに、彼女は俺たちを俺たちと認識したうえでここで待ち構えていた。
最初に『大物がかかると聞いていた』と言っていたことも、今思えば俺やレーンことを言っていたのだろう。
ちまりこちらの動向は掴まれていた。
その情報源は一つしか心当たりが無いが、目的がいまいち推論できない。
それを聞かなければこのまま殺されて時間を戻されるわけにはい。
さいわい俺の反撃準備は整った。
「俺たちはまんまと罠にかかったのかもしれないが、それでもここは君たちの間合いの外だろう?」
俺はゆっくりと立ち上がる。
開けた場所に、開けた空。
そして猫族の包囲陣形の外。
何にも邪魔されずに魔術を使うのに適した位置。
ニャンデリカの一撃をあえて受けることでそういう場所に俺は移動した。
「わたくしの一撃を受けて平気なんて、貴方、化物ですの?」
「あいにくただの痩せ我慢だ!」
「――ッ。ならその我慢の限界、超えさせて差し上げますわ!」
「もう遅い。水星!」
片手を頭上にかざし空に呼ぶ。
それは周囲の液体を引き寄せ生まれいづる水の星。
川や湖、あるいは水脈。
それらから吸い上げた水を頭上の空で一つの球体にまとめ上げる魔術。
だがこの地の水脈は普通ではない。
流れているのは沸騰し煮えたぎる温泉。
源泉から水柱のように吸収された膨大な熱湯が、俺の頭上で水星となって見る者すべてを圧倒する。
「ちょっと、こんなの聞いてませんわよ……」
何せ元ネタはルルド温泉郷のすべてをまかなうほどの源泉だ。
そこから引き上げた膨大な水量によって俺の水星の魔術は大きく膨れ上がっている。
それはこの山林の切れ間から覗ける空を塞ぐほどの印象を与えるだろう。
少なくとも、グツグツと沸き立った熱湯の塊に頭上を抑えられて強気に出られる人間はそうは居ない。
事実、ニャンデリカを筆頭に猫族は水星を見上げたまま固まっている。
「レーン。ご主人様。こっちへ」
今のうちにバラバラだった二人を近くへ呼び寄せる。
その動きをニャンデリカが目で追ったが、ここで邪魔を許すはずがない。
そのための水星だ。
「動かないほうがいい。熱湯で全身を火傷するのは地獄の苦しみだ」
実際、こんなに凶悪な水星を生み出す日が来るとは俺自身思ってもいなかった。
人道に反する魔術の使用はパルメディアにも禁則されているし、できれることならただの脅しで済ませたい。
「たしかに剣呑ですわね。けれどあんなもの落とせば貴方がたもただでは済まないのではなくて?」
「全部落とせば、だろう。必要な水量で狙い撃ちにすればいいだけだ」
本当のところ、水星の魔術は元々は攻撃用ではないし細かい制御も効かない。
そういう意味ではハッタリだし、道連れ前提の防御手段と言ったところだ。
「くッ。やっかいですわね……」
とにかくこれで一方的になぶられるだけの状況は脱した。
あとはこの拮抗状態を利用してニャンデリカがここに現れた理由を聞き出したいところだったのだが――
「何か聞こえるにゃん。それに揺れてるにゃん」
「なんなの。これもゼノがやってるの?」
頭を振ってレーンに否と答え、全感覚を総動員して状況を確認する。
不規則かつ断続的に聞こえるのは地響きのような音。
そしてそれに連動して伝わって来る地面の振動。
地震とも違う不気味なその現象は、しかし確実に激しさを増していく。
誰もがその正体、原因を見極めようと地面を注視するなか、不意に頭を上げたニャンデリカが表情を強張らせた。
「まさか、冗談じゃありませんわ……」
「たしかに悪い冗談だな、これは」
つられてニャンデリカの視線を追った俺は、その光景の有様に、同じように固まるしかなかった。
プリニャンカやレーンも同様だ。
「あれってもしかして炎の巨人、なの?」
正体の正誤はともかく、そこにあったのは源泉の陥没穴から這い上がって来た巨大なゴーレムの姿だった。




