19 ものすごいツバ
「今まで死んだ剣闘士は、全員いまのチャンピオンが殴り殺したんだ。
それ以外の剣闘士はみんな、無理だと思ったら降参する。
大怪我して戦えなくなって、剣闘士としてのキャリアが閉ざされたら元も子もねえだろ。
無理するやつなんていねえよぉ」
と、控室の壁にへたりこんだ青年剣闘士が、情けない顔でめそめそしている。
正直すまんかった。
いやホント、殺したりする気はなかったんだけど……。
「お兄さん、基本的に『対格上』で『負けたら死』の思考するからね。
格下相手だとオーバーキル気味になっちゃうんだよ」
「今後、気を付けます……」
言われてみれば、実際、格上相手の戦闘が多かった。
ギャングウルフ然り、ドウマン然り――そしてそのどれもが『降参』なんてない殺し合いであったのだ。
そのことは理解していたつもりだけれど、思考がどうしても『出し惜しみしない』ほうへ向かってしまった。
「骨にヒビ入ってますね、コレ。
メディックメイドに処置してもらって、数日は安静でしょうか。
下級ですし、剣闘士候補と交代で街に戻ってもらうことになるかもしれません」
「そ、そんな――ひぃ! いてえ!」
タマコちゃんが仏頂面で両腕をつつき、そのたびに青年が「あひん」「ほひぃ」と大変聞き苦しい悲鳴を上げている。
「それにしたってお兄さん、やりすぎたね。
私だって肋骨とか折らないように気を付けて殴ったのに、全力投擲でしょ」
「やめて、狂戦士のナナちゃんに言われると、本当にいたたまれなくなってくる」
「あれあれ、お兄さんったら、私のことをバーサーカー扱いするなんて……どうやら肋骨がいらないみたいだね」
そういうとこだぞ。
ともかく、僕としても悪い気がするので、『傷舐め:A』の詳細を伝えて青年の治療を申し出た。
青年剣闘士はなるほど、と頷いて、とても澄み切った瞳で僕に問う。
「それってコスプレのオプション付けられますか?」
「そんなオプションはねえよ」
「困るよー、お客さん。
お兄さんにコスプレさせたいなら、ちゃんと私を通してもらわないと」
「そんでもってどの立ち場なんだよ、ナナちゃんは」
マネージャーかよ。
実のところ、『傷舐め』に関連して、ちょっと試したいことがあったのでいい機会なのだ。
ランクアップにより骨折にも効くようになった『傷舐め:A』の凄さは、カグヤ先輩のおっぱいに顔を突っ込んで確認済みである。
けれど、ここで気になるのが『傷舐めって結局なんなの』という、しごく真っ当な疑問。
いや、この疑問は最初期からあったのだ。
なんで舐めたら傷が治るんだよ。
どういう理屈だ、と思っていたら、物知りなレンカちゃんがしれっと教えてくれた。
カグヤ先輩の治療後、ロッジから古都に戻ったあと、レンカちゃんと二人で書類を片付けていた時のことである。
●
「もとより、唾液には殺菌作用があるというのはよく知られておりますけれど。
2017年に、唾液成分中のヒスタチンには殺菌、毛細血管を新生させ、細胞同士をつなぐ効果があるとする研究が発表されておりますわね。
もとはギャングウルフのスキルだったわけですし、野生動物が傷を舐めるのは昔から知られておりましたけれど、『傷舐め』スキルはその効能を拡大、拡張したものではないでしょうか。
骨にすら作用するのはランクアップによる『スキルのふしぎ』でしょうけれど……。
成分分析ができるほどの設備や知識がないのが惜しまれますわね。
科学的に再現できれば、それこそRPGのポーションのように扱えますのに」
「ええと……よくわかんないけど、どういうこと?」
「ものすごく簡単に言うと、『ものすごい唾液』こそが『傷舐め』の肝要ではないかと。
直接舐めることも重要でしょうけれど。
――ものすごい唾液!? そんな、汁だくプレイだなんて……卑猥ですわ!
いくらでコスプレを追加できますの!?」
「そんなオプションはねえよ」
●
僕、いつも同じツッコミ入れてるな。
もっとバリエーションを増やしていかないと。
ともあれ。
『ものすごい唾液』が能力の正体ではないか、というのが推測のひとつ。
であれば、新たに手に入れた『粘液魔法:C』の有効な使い道もおのずと思いつく。
「んべぇ……」
青年剣闘士の真っ赤に腫れあがった両腕に、『粘液魔法』で増やした『傷舐め』のツバをでろりと垂れ流す。
直接舐めなくても、ツバさえあれば治るはず――これが今回の検証。
「うわなにこれ!?」
「でろぉ……」
「ぎゃー! ねばねばが! ねばねばがおれの全身に!?」
「あ、ごめん、ちょっとズレたれろぉ……」
「うわあああああ!?!?!?!?」
初の試みだったから、多少狙いがズレた――あと分泌量過多だったけれど、おおむね予定通り患部を『ものすごい唾液』でパックすることができた。
患部以外の部位もだいぶべったべたにしてしまったが。
「なんてことだ……ただの女装ママじゃなくて汁だく女装ママだったのか……」
「謎のジャンルを新設するな」
「そうだよ。汁だくオプションも、ちゃんと私を通してからにしてもらわないと」
「だからどの立場なんだ、ナナちゃんは」
ともあれ、唾液を無駄にしないよう、パックした上から包帯で巻いていく。
……アレ、これ実は『唾液を染み込ませた包帯で巻く』とかでよかったのでは。
わざわざ唾液をぶっかける必要はなかったんじゃないのか。
ふむ。
「まあいいか」
「お兄さん、他人の性癖を致命的に捻じ曲げた挙句『まあいいか』で済ますのはどうかと思うよ」
「いや、おれも捻じ曲げられた気はないぞ」
「だよね、ちょっとしたネタだよネタ」
「ちょっと女装美青年の汁だくママじゃないと興奮できなくなっただけだ」
もう手遅れだった。
「まあいいか」
「だから、どうかと思うよ。
ていうか、あれ、コレひょっとして私も同じノリで捻じ曲げられたのでは?
おかしい、筆頭騎士としての自覚を取り戻さねば……!」
なお、タマコちゃんは僕が唾液を出し始めたあたりで「私が見ていいものではない気がします」と去っていった。
ヒトをR18扱いするんじゃない。
僕のどこが卑猥だというんだ。ただちょっと他人を舐め回したり、唾液がありえないくらいいっぱい出るだけじゃないか。
……。
卑猥ですわね!
「あ、でもまあ、たしかに痛みが引いていくわ。
これがAランクスキルか……さすがだな。
……なあ、ひとつ相談があるんだけどよ」
と、青年剣闘士は粘液まみれで真面目な顔をした。
「怪我で剣闘士を脱落して、街に戻ったやつらが何人かいるんだ。
そいつらにも、治療をしてやってくれねえか?」
「いいよ」
「よくないでしょ、安請け合いが過ぎるよお兄さん。
だいたい、ユウギリにこびへつらうやつらを治してどうするの」
ナナちゃんがぷんすこ怒って、僕のほっぺたを引っ張る。
いてえよ。
「もひろん、ただで治す気はないひょ」
ナナちゃんの手を剥がしつつ、苦笑する。
僕だって、そこまでお人好しじゃない――と、思う。
脱落者ということは、負けたヒトたちだ。
つまり。
「対価として、情報が欲しいんだ」
「情報……? なんのだ?」
「上級剣闘士――特に、チャンピオン無限の拳と怒りの双剣の情報が欲しい。
スキル、戦闘スタイル、性格……とにかくわかっていることをぜんぶ教えてほしい」
負けた剣闘士は、当たり前だけど勝った剣闘士の情報を持っている。
ようやく僕らしい攻略法ができそうだ。
汁だく女装ママ……!!
★マ!




