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白銀のスコール  作者: 九朗
第二章『東雲の少女』
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第24節

 物語もいよいよ大詰めですね。






第24節


 アキトの部屋を飛び出したシノが向かったのは、ナギの部屋だった。


 とにかく、一人になりたかったのだ。


 部屋に入るなり鍵を閉め、布団を被る。


「バカ!バカバカバカ!!アキトのバーーカ!!」


 そしてひたすら彼を罵り続けた。涙を流しながら。


 しかし、そうやって罵詈雑言を吐くと、一緒に毒気が抜けていくように頭に冷静さが戻って来る。


 と言っても、彼への怒りが消えた訳ではない。


 ただ、彼女が最後に彼に言った言葉、


『アキトはシノの事、愛して無いんだ!!』


 という言葉。


 あれを告げられた時の彼の表情が鮮明に思い出されてしまうのだ。あの時の彼は、まるで言葉の刃ではなく本物のナイフを胸に突き立てられたように苦痛と絶望に顔を歪めていた。


 冷静になってしまったシノにはその意味が分からない。


「なんであんな顔するの!?」


 悲鳴のような問い。だが、一人きりのこの部屋にその問いに答えてくれるような存在は居ない。


 だからシノは自らで考えなければならなかった。


 でも、答えは一向に分からない。


 だってそうでしょ?本当はシノの事を愛しているのなら否定すればいい。もし本当にシノの事を愛していないなら他に浮かべる表情が有るはずだ。それが今の今まで騙されて来たシノを嘲る笑みなのか、それを見破ったシノに対する驚きの表情なのかは知らないが。


 けれど、少なくともあんな痛そうで苦しそうな顔では無い筈だ。


 あれでは、あれではまるで…なんだろうか。分からなかった。


 だけど、アキトはナギにはキスをして、シノにはしてくれなかった事だけは確かなのだ。


 何故アキトはナギにキスをしたのだろうか。何故シノにはキスをしてくれなかったのだろうか。


 やはりシノの事を愛していないからなのだろうか。

 でも、でもそれは認めたくない。


 そう、認めたく無かった。まるで彼との全てが嘘になってしまうようで。


 今まで彼の手が優しく撫でてくれた事も、優しい笑顔で笑いあった事も、優しくお話してくれた事も、厳しいけどやっぱり優しくご飯を食べさせてくれた事も、優しく、優しく、優しく――――。


 記憶の中の彼はいつだって優しかった。


 そしてシノは初めて気付く。その彼の優しさを、自分が今まで『当たり前』のように甘受してきた事に。


 『当たり前』なんて無い。彼の言葉だ。

 ならば、そこにもちゃんと理由が有るのだ。


 でも、その理由はなんだろうか?私を利用したいから?私に何の能力も無いのは彼が一番よく知っている。私が太陽竜だから?だが、彼がその恩恵に与ろうとした事は一度も無い。『言い訳』に名前を使われた事は有っても、それで彼が何かを得た事は一度たりとて無かった。


 そうやって、可能性を一つずつ消していくと、やはり残ったのは『アキトはシノが大事だから』という答えだ。

 だって、そうでなければどうしてあんなにも優しい表情ができるのだろうか?どうしてあんなにも優しい言葉を掛けてくれるのだろうか?ただ彼に甘えて、食事も楽しみも安息も、与えて貰うだけで何も返した事の無い自分に。


 彼に何も返せない自分を恨めしく思いながら、シノは思考を続ける。


 アキトがシノの事を大事に思っているのは間違い無い。ううん、それだけは譲りたくない(・・・・・・)疑いたくない(・・・・・・)


 だから、ナギにはキスをしてシノにはしなかったのには理由が有るのだ。


 それは何だろうか?


 シノとナギの違い。

 それはやはり…


「胸…かなぁ?」


 自分の胸に手を当てる。そこには、少女らしい膨らみ、とすら言えないような絶壁があった。そして、同時にナギのシノの頭ほども有る胸を思い出す。

 圧倒的な戦力差だった。


「違うもん!!シノはまだ子供だから無いだけだもん!!」


 誰にともなく言い訳をする。


 そして瞬時に閃く。子供だから胸が無いのなら、大人になればいい。だが、大人になるにはどうしたらいいだろうか?


 竜とは不便なもので、精神年齢によって人の姿の外見的な年齢が変化する生き物だ。逆に言えば、精神年齢が変化しない限り、何年経とうが栄養をどれだけ摂取しようが成長しない。


「大水竜様なら何か知ってるかな…?」


 彼女の知るなかで最も年齢の高い彼女なら何か知っているかもしれない。もしかしたら大人になる方法だって。


 シノは布団から跳ね上がると、街へ出る事にする。


 自分は教会から狙われているらしいが、この一カ月というもの何も無かった。きっと彼らも諦めたのだろう。それに大水竜様の居る酒場まで行くだけだ。今日はアキトと顔を合わせづらいから、そこに泊めて貰おう。


 ヒカルに着いて来て貰おうか悩んだけれど、やはり大人になる方法を聞きに行くなんて恥ずかしい。一人で行ってしまおう。大丈夫、場所は覚えているし一人でも辿り着ける。


 そして、彼女の冒険は始まった。冒険には危険トラブルが付きものだとも知らずに。


 子供達は元気一杯にはしゃぎ、遊び回る。その安全と幸福を誰かが守っていることも知らずに。

 享受する事こそ彼らだけに許された特権と、そして『罪』なのかもしれない。


 結果、彼女の冒険は思わぬ帰結を辿る。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ドン!とヒカルは己の拳を居間のテーブルに叩きつける。高級品であるそのテーブルは大きく、そして頑丈だった為叩いたヒカルの手の方が痛む。


 だが、そんな事を気にしている場合では無かった。


 ふっとヒカルの瞳が完全に暗くなった窓の外を捉える。そして、目を逸らすように窓から視線を引き剥がす。


 戻した視線の中、居間のドアが開け放たれナギが入って来る。


「駄目です…。大水竜様の所にも行かれていないそうです」


 その報告にヒカルの顔が一層曇る。


 状況は明白だった。


『シノが誘拐された』


 昼間の一件の後、シノはいつの間にかその姿を消していた。


 最初は誰もその事を特に気にしていた訳では無かった。シノが屋敷の外に出たという訳でもないだろうし、この屋敷にはユウキの侍女部隊によって厳重な警戒の下にあったのだから。


 だが、それは外から屋敷へ入ろうとする者へ向けられた物であり、屋敷から出ようとする者に対してはある種の脆弱性を持つ物だったのだ。


 何の偶然か、はたまた神の悪戯か、おそらくシノ自信も意図してやった訳ではないのだろうが、彼女が屋敷から飛び出して行ったのはちょうどヒカルがアキトからナギを引き剥がそうと奮闘し、屋敷の中がにわかに騒がしくなり、侍女達の注意がそちらへ向いた、その僅かな時間に成し遂げられてしまったのだ。


 だが、そんな事を彼女達が知る由も無い。


 シノが姿を見せないのは屋敷のどこかに隠れている所為なのだろう、と予想しヒカルは抜け殻となってしまったアキトの介抱に追われていた。


 おかしいと思い始めたのは夕食の時間になってもシノが姿を現さなかった所からだろうか。


 流石に心配になり、侍女や召使さん達にも協力してもらい屋敷中を探して回った。

 だが、居ない。どこにも居ない。


 ヒカル達は騒然となる。なんせ、シノは目下教会に付け狙われているのだ。最近はほとんど彼らのアクションが無いと言っても諦めた訳では無いのは分かっていた。


 ユウキは早くも侍女部隊に探索を命じ、正気に戻ったナギはシノが大水竜様の所へ行っていないか確認に行っていたのだ。


 そして、アキトはこの事態を耳にするなり、それまでの魂が抜けたような状態はどこへやら、鬼気迫る表情で飛び出して行ってしまった。おそらく文字通り、彼女を探す為に街中を『飛び回って』いるのだろう。


 そしてヒカルは引き続き屋敷の中の捜索と街に探しに出ているアキトとナギがすれ違いにならないように、屋敷に留まっていた。


 だが、どこを探してもシノは見つからなかった。


 この水竜の国の王都で彼女が行きそうな所など数えるほどしか無い。そもそもあまり出歩けていないのだから。


 となれば考えられるのは一つしか無い。それにこんな千載一遇のチャンスを教会の連中が逃すはずもないだろう。


わたくしの所為です。わたくしの…」


 ナギは自分を責めていた。あの時、シノはナギとお茶をしていたはずだった。それがああなった過程で何かが有ったのだろうという事は確実なのだから。


 だが、それを言えばヒカルだって自分を責めていた。彼女はシノが出ていく直接の原因を作った訳ではないけれど、アキトとナギがああなったのは自分の所為だと思っていたのだ。


 彼女は二つの読み間違いをしていた。


 一つは、アキトの変調の理由を『彼が私達を「女性」として意識し始めたからだ』と推測した事だ。

 この推測は間違ってはいなかった。間違ってはいなかったけれど、決して正しくも無かったのだ。

 実際に彼の中に在ったのは、『女性への意識』などと言う可愛らしい物では無く、もっと激しく、彼自身にも御し難い代物だったのだ。


 そして、もう一つはその事をナギに話した事。正確にはナギの『動機』の読み間違いだ。

 ヒカルは彼女と同様にナギもアキトの事を心配している『だけ』だと思っていた。

 だが、ナギの内側にはアキトの『ソレ』にも似た抑え難い衝動が存在していたのだ。

 そして、それはヒカルの話により激しさを増してしまったのだろう。それがあの事態を、ひいてはシノの誘拐を引き起こしたのは間違い無かった。


 ヒカルは唇を噛み締める。



 屋敷の誰もが己を責めていた。

 しかし特定の誰かが悪かった訳ではない。誰もが悪かったのだ。


 そしてそれは、勝手に出て行ったシノにも言える事だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


「………」


 アキトは天を仰ぎ見ていた。その視線は温かみの欠片も無い冷徹なもので、鋭くすがめられた瞳は月光を宿しギラリと光っている。


 視線の先には天高くそびえる白亜の塔、水竜大聖堂だ。そしてあそこのどこかにシノが居る。


 アキトはシノの匂いを追って屋敷を飛び出したが、その匂いが途中で途切れている事に気付いた。おそらく船で移動したのだろう。シノはお金を持ってはいないはずだ、つまり自分から乗った訳ではない。シノだって船に乗るにはお金が必要な事くらい理解している。無賃乗船などしようとは考えない。つまり無理矢理乗せられたのだ。


 そんな事をする心当たりなど、ここしか無かった。


 アキトは飛び出して行きたい衝動を奥歯が砕けるほどに歯を食いしばる事で耐えていた。


 出来る事ならば、この白亜の塔ごとシノの誘拐など企む連中を消し去ってやりたかったが、シノが今どこに居るのか分からない以上そんな無茶は出来ない。

 かと言って、正面から乗り込んでもシノを人質に取られて何も出来ないままお終いだ。


 一旦屋敷に戻って策を練る必要が有った。

 自分の冷静な思考がそう判断を下すが、


「そんなことは、分かってる!」


 今の彼はそんな思考を素直に受け入れる事が出来ずに、自分の思考に当たり散らすほどに不様な有り様だった。


 頭ではそうする事が正しい事だと分かっているのだ。


「でも、でもっ!」


 感情は素直に理解なんてしてくれなかった。


 アキトは己の胸へと手を当てる。そこには何の傷も無いのに酷く痛む、疼く、まるで大きな風穴が空いたかのような喪失感。

 ほんのちょっと前までシノは近くに居たはずなのに、今はここに居ない。それが激しく彼の胸を騒がせる。


 あの子は無事だろうか?酷い事をされていないだろうか?泣いてはいないだろうか?震えてはいないだろうか?


 胸をよぎるのはそんな事ばかりだ。


 俺はかつて無く『飢えて』いた。


 彼はまだその『飢え』が何なのかを知らなかった。ただ、『欲望』だとしか。

 本当はもっとユウキ君が活躍するはずだったのに、ほとんど女王様に出番喰われましたね。合掌。

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