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白銀のスコール  作者: 九朗
第二章『東雲の少女』
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第20節

 この物語はご都合主義を多分に含みますが、アキト君は決して完璧超人ではありません。


 このように。






第20節


――――ザアアアアア


 雨が降っている。どうやら夕立のようだった。


 雨粒が笹の葉に当たってパラパラという音を立てる。


 額と首筋に濡れた髪が纏わりついて煩わしい。


 だが、彼はその髪を掻き上げようともせず、ただ一点を睨み硬直し続ける。


 その視線の先には、全長3mを優に超す紅い毛並みを持つ一匹の虎が居る。

 おおよそ、彼の元居た世界でも最大級の巨体を持つその虎と、彼は身じろぎ一つ、僅かな音一つ立てずに静かに睨み合い、ひたすらに硬直している。


――――ザアアアアア


 雨はひたすらに降りしきる。その硬直を許さぬがごとく。


 その時、笹の葉から垂れた一滴の雨粒が彼の目を撃ちすえ、その視界を一瞬、ほんの一瞬だけ鈍らせる。


 虎にはそれで十分だった。


 重さ300キロを超える筋肉の塊が、その強大な膂力とバネを駆使して跳躍する。


 驚異的な跳躍力でもって、その間合いを詰め殺傷域へと侵入する。

 そして、その身を躍らせ体重を乗せた前肢が彼の頭上から振り下ろされる。

 それは必殺の一撃。彼のような人間の脳蓋を容易に砕き、脳漿を撒き散らせ、その背骨すらも叩き折り、彼を絶命させる、筈だった(・・・・)


「拝無神流、」


 彼はその一撃を避けようともせずに、静かに宣言コールする。

 いや、避けないのではなく、避けられない。

 たとえ、その一撃を避けたとしても続く虎のあぎとが彼を容易に捕え、避ける暇すら与えずに、その喉を引き裂くだろう。


 だから、彼は避けない。


「奥義がいち、」


 ただ、淡々と、いつも以上に冷淡にその言葉を発する。

 その眼は冴え切り、凍てつき切っている。研ぎ澄まされた鋼の鋭さ、ではなく、極細の氷の刃の冷たさでもって彼はその動きを見切る。


 ふっと身を沈め、その第一撃の合間を縫うように虎の懐に潜り込む。


 当然、腕から逃れた彼を襲うのは、続くあぎとだ。


 だが、その第一撃と第二撃の僅かな時間、僅かな間隙に彼は指先を浅く折った腕を振るう。

 それはまるで、『エッジ』。


「『虎爪コソウ』」


 そして、絶命宣告コール


 その指は、今まさに彼に喰らいつこうと伸ばしきっていた虎の首へと伸びる。

 そして、易々(やすやす)と、まるで豆腐でも崩すかのような容易さでもって、虎の喉の肉を抉り取る(・・・・)


 大きく動脈を傷つけられたと言うのに、一滴の血も流れない彼の奥義特有の現象を確認するまでもなく、その技は執行され虎の命を奪い去る。


―――ドオォッ


 虎が彼に飛びかかった勢いそのままに地面に叩き付けられる。その時には既に虎の命の炎は消え去っている。


 彼はその虎に一瞥いちべつもくれず、技の残心へ入り、浅く息を吐き出す。


 その表情に勝利の喜びなど一片も感じられない。


 ただひたすらに氷のごとき無表情。


 そのまま、彼は竹に覆われてほとんど見えない曇天の空を見上げる。


 そうして、その夕立が止むまで彼は呆然と立ち尽くしていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 今、アキトが居るのは王都から遠く離れた辺境の地。


 そして、今し方彼が倒したのはBランクの魔獣『ブラッドタイガー』。その名の通り、血のように真っ赤な毛並みを持つその虎は、今はその毛並みを己の血でもって染めていた。


 彼が何故そんな場所に居るのか、何故そんな事をしているのか。疑問は尽きぬと思う。

 さて、一体何から説明したものか。


 まずは、彼がこの虎と戦っていた理由からだろうか。


 彼がこの虎を倒したのは、それが今回の依頼だったからだ。

 彼は以前登録してあるように、冒険者であり、依頼をこなして生計を立てているのだから、そこは特に問題では無い。


 では、彼がシルバーの上級ハイ以上の冒険者にしか受けられない筈の、Bランクの魔獣討伐をしている事に関してだろうか。


 それも特に不思議は無い。

 ヒカルと竜を探し歩いた一カ月と、水竜の王都に着いてからの(・・・・・・)一カ月(・・・)で彼はそのランクをブロンズの上級ハイからシルバーの上級ハイまで上げていたのだから。


 そう、一カ月(・・・)

 既に、彼らが王都に滞在して一カ月になる。


 だが、アキトはその一カ月のほとんどを王都で過ごすことは無かった。


 あの夜。

 ナギの抱える闇と相対したあの夜が明けてからと云うもの、彼はこうしてひたすらに魔獣の討伐の依頼を受け、水竜の国のあちこちを渡り歩いていた。


 そこにヒカル達の姿は無い。


 ヒカルはいまだに俺の命じた鍛練を続けて王都に留まっているし、シノは教会から狙われているのだ。安全なカッツィオ家を出る訳にはいかない。ナギにはその護衛を頼んである。


 だから、今彼はたった一人だった。


 もちろん依頼が終われば、一旦王都に戻りヒカルの鍛練の様子とシノの無事を確かめてはいる為、そんなに長く会っていない訳ではない。


 けれど、彼は王都に長く留まる事は出来なかった。


 理由は、


「っ、はっ!」


 アキトは己の胸を抑え、うずくまる。戦闘の余韻によって、再び『アレ』が鎌首を上げたのだ。


 それは『欲望』、『渇望』と呼ばれる類の感情。

 ドロドロして、しかし蕩ける様に甘くて、どんな黒より黒い、『欲望』。


 それが戦闘の興奮に引きずられるように、胸の奥から湧き上がる。


 それは彼の胸を焼き尽くし、延髄を駆け登り、脳髄を侵す。

 まるで塊として口から取り出せそうな程の『欲望』が彼を苦しめていた。


 そして、それこそが彼が王都に、彼の仲間である彼女達と共に居られない訳でもあった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 あの夜。

 ナギと過ごしたあの夜。


 あの後、特に何かが有った訳ではない。今も彼の身体は清いままだ。それが良い事か悪い事かは別として。


 だが、特に何かが有った訳では無いのだ。


 表面的には(・・・・・)


 だが、『おがみ』たる彼はそうはいかなかった。


 彼はあの夜、強く、強烈に意識してしまったのだ。おそらく彼の人生で初めて、最も激しく。


 己の『欲望』というモノを。


 あの時、ナギに強く男として求められたあの時。

 彼は理解してしまった。己の内にあんなにも大きくて、強大で、ドロドロしていて、逃れ難い『欲望』が有る事を。


 『理解』してしまえば、それが『真実ほんとう』へと変わるのにさほど時間は必要無かった。


 彼の一族はその性質上、『真実ほんとう』に強く依存してしまう。


 その結果、彼は恐ろしいほどの『飢え』を感じるようになっていた。


 彼は怯えた。その『欲望』が彼の大切な人々を傷付けてしまう事を。


 だから、彼は『逃げた』のだ。

 大切な人々を傷付ける事は出来ないが、同時に『真実ほんとう』を無視する事もできなくて。


 だから、滅茶苦茶にギルドから依頼を請け負って、王都を飛び出し、辺境を飛び回った。


 そのおかげ、と云うと変だが、彼の冒険者としてのランクはあっという間に上昇し、今やシルバーの上級ハイ。このままあと一か月もこんな事を続ければ、おそらくゴールドにすら手が届くだろう。


 だが、彼にそんなことを喜ぶ余裕は存在しなかった。


「はっ、はっ、はっ!!」


 彼がまるで犬のように荒い息を吐く。

 いや、実際今の彼は飢えた犬畜生となんら変わりない。


 今、彼が考えている事は、『今すぐに王都に取って返し、ファーストキスを奪われたナギのあの柔らかな唇を奪い返し、その豊満な肉体を寝台に押し倒し、思うままむさぼりたい』という、完全な『獣欲』だったのだから。


 ―――ゴッ!!


「っぐ!」


 竹林に鈍い音が響く。

 彼が自分の頭を自分の拳で殴った音だ。


 額から血を流し、瞳の焦点が虚ろになる。膝から崩れ落ちた事により、彼の袴が泥にまみれる。


 今の彼はこうやって、自傷することでどうにか『理性』を保っている状態だった。

 とてもではないが、彼の仲間の少女達の傍に居られる状態では無かったのだ。


「…ぐっ」


 グラグラする頭を振り払い、ついでに湧きあがる『欲望』も振り払って、彼は立ち上がる。


 夕立は既に止んでいる。


 彼は濡れて重くなった服を引きずりながら、彼が殺した虎の元へと向かう。


 今回の依頼は討伐だが、その皮の剥ぎ取りって持って帰れば、状態によっては追加で報酬が貰える。


 重たい身体を引きずりながら、アキトは持参した短刀で虎の皮を剥ぎ始める。


 無心に虎の脂と皮の間に短刀を走らせながら考える。


 この『真実ほんとう』に対して、俺はどう折り合いを着けるのか、と。


 小一時間ほどで虎の皮は完全に持ち主の身体を離れていた。

 だが、彼の懊悩おうのうの答えはいまだに出る事は無かった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はい、依頼の達成を確認しました。お疲れ様です。こちらが報酬となります」


 そう言って、ギルドの受付の女性が一枚の金貨を差し出して来る。


 金貨は銀貨で約50枚程度の価値が有る。以前ヒカルはグレイベアが銀貨30枚が相場だ、と言っていたので、あの虎はどうやらそれよりもヤバい相手だったようだ。

 そんなことすら気に掛けず、依頼を受けていた。

 ただ、己の内の『欲望』を何かにぶつけたくて。


(最低だな…)


 自分で自分を嗤う。

 何かに八つ当たりのように己の流派の技を振るったその浅ましさにもそうだが、今の今までその事に気付く事のなかった己の愚鈍さを彼は嗤ったのだ。


 しかし、そんな事は顔に出さず、差し出された金貨を無造作に財布代わりの袋に放り込む。

 大金を粗野に扱う俺に、受付の女性が眉をひそめるがそんな事を気にしていられる程の余裕は無かった。


 それに、一度にこんな大金を稼ぐシルバーランクの冒険者に金目当てで襲って来るような無謀な輩はそうそういない。

 居たら居たで、今の俺に喧嘩を売るような不運な奴には同情を禁じ得ない。

 なんせ、今ならいつもより手加減無しでうちの流派の技を味わえるのだから。泣いて喜ぶに違いない。


 そこまで考えてから、俺は虎の皮を剥いできている事を思い出す。


「対象の皮を剥ぎ取って持ち帰ってある。状態の確認をして欲しい」


 不躾ぶしつけに受付の女性に尋ねる。


 その言葉に、彼女は一つ頷くと、ギルドの奥に入っていく。どうやら、専門の鑑定士を呼ぶらしい。


 そして、戻って来た時には背の小さな老人を連れていた。あれがここの鑑定士らしい。


 俺はその老人に言われるままに、ギルドのホールに己の魔法の鞄(マジックバッグ)から取り出した虎の皮を広げる。


 今日剥ぎ取ったばかりのその皮は、いまだに雨に濡れていたが特に問題はないだろう。


 その皮を老人がふむふむと呟きながら、眺め、時に手に取り、裏返して見ている。


 俺は鑑定が終わるまで手持無沙汰になり、ボケっと立ち尽くす。

 その間に考えるのは、この魔法の鞄(マジックバッグ)の事だ。


 このギルドのホールの床面積の大半を占めてしまうような虎の皮でも楽々と運ぶ事が出来るのは本当にありがたい。

 これを贈ってくれたヒカルには感謝が尽きない。


 そういえば、この鞄を買ってもらったあの街の宿で、俺はどうして彼女の誘惑を振り払う事が出来たのだろうか。


 どうして、己の『欲望』のままに彼女の柔らかい肉体に喰らいつき、思うままむさぼらなかったのだろうか。


 あの時の彼女の柔らかな肌と驚くほどに高い体温を思い出す。

 せっかく鎮めたはずの『欲望』と共に。


 彼女はあの時言っていた。『死の霧』を撃ち倒せるならば、己の『すべて』を捧げる、と。

 それならば、今の俺には彼女の『すべて』を好きにする権利が有るんじゃないのか?


(いや、彼女の目的はいまだに達成されてはいない)


 そう『理性』が必死の抵抗を試みる。


 己を叱咤することで、なんとか正気を取り戻そうとする。


 だが、その程度で止まるほど俺の『欲望』は可愛いものじゃ無かった。

 自分の『理性』的な言い分に、さらに言い訳を重ねる。


 だけど、それはほとんど達成されたような物じゃないか、と。

 俺と云う存在が居る限り、全く問題ないじゃないか、と。


 むしろ、今彼女がやっている努力は全くの無駄だ、と。


 そこまで考えて、慌てて頭を振る。自分は一体何を考えようとしているのか。

 それは彼女の侮辱にしか繋がらないだろう、と言い聞かせ。


 それに、あの時俺は言ったじゃないか、『友達だから、いいよ』と。

 その言葉すら反故にしてしまう気か?


 だが、一度考えてしまった事は止められない。

 そこには多分に『欲望』が加味され、俺の思考を狂わせる。


 その『欲望』が俺に命じて来る。

 今すぐに王都に戻り、彼女にこう言うべきだ、と。


『俺に協力して欲しければ、さっさと『すべて』を捧げて、俺にむさぼり喰われろ』


 ―――ゴッ!!


 再び俺は自分に拳を叩きつける。先ほどよりもさらに強く。

 切れた額から血が流れ、視界を真っ赤に染める。


 受付の女性が慌てて布巾と包帯を取りに走る。そういえば、ここはギルドの施設内だったっけか、といまさら思い出す。


 鑑定士の老人も驚いた顔でこちらを見ている。


 俺は苦虫を噛み潰したような顔になり、手当てを申し出てくれた受付の女性に丁重に断わりをいれて、毛皮の分の報酬を貰って、早々にギルドを立ち去った。


 このままじっとしていたら、またおかしくなってしまいそうだったから。


 俺は逃げるように再び雨の降り出した空の下を転がり回るように走るしかなかった。


 まるで、野良犬のように。

アキト:ステータス異常 【チャーム】&【コンフューズ】


 みたいな状態です。


 彼の扱う『真実ほんとう』とは、いつだって諸刃の剣ですから。

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