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白銀のスコール  作者: 九朗
第二章『東雲の少女』
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第21節

 やばい…。三十節程度で第二章を終わらせようと思っているのに、全く終わる気がしない。


 それもこれも、全部…。




第21節


 とぼとぼ、と彼は雨の中を歩いていた。その瞳は虚ろで何の光も宿していない。


 ギルドを飛び出した彼はそのまま街中を逃げるように無様に走り回り、そして今、体力の限界を迎えようとしても、いまだにその足を止める事が出来ずにいた。


 まるでその足を止めた瞬間に己の『欲望』に追い付かれると思っているかのように。


 雨はそんな彼に容赦なく降り注ぐ。夕立のような激しさではないが、しとしとと彼の体温を奪い続ける。


(…ここは、どこだっけ?)


 今、彼は完全に己を失っていた。自分がどこに居るのか分からない程に。


(…宿、そうだ宿に行かなきゃ)


 まるで空っぽになってしまったかのような頭を必死に動かし、目的を探す。

 そうして、ようやく方向性を得た彼の歩みは、しかし再び霧散してしまう。


(…宿に着いて、それから?部屋に閉じこもってまた『欲望』に怯えるのか?)


 立ち止まってしまえば、そこまでだ、と信じ切っている今の彼にとって宿の閉鎖的な空間はまるで檻にも等しい。決して心休まる場所、などでは無い。


 再び目的を失って彷徨う足。


 既に暗くなり始めた街を再びフラフラと歩き始める。


 雨はしとしとと降り続ける。


 ぶるり、と彼の肩が震える。


(…寒い)


 そう、ひたすら寒かった。

 寒くて、寂しくて、苦しくて、一人で居る事がとても耐えられそうになかった。


 いつも。

 そう、いつも、彼がこの世界に来てからずっと、常に、離れる事無く寄り添っていたはずの少女の居ない今、彼を温めてくれる者など存在しなかった。


 彼の胸が狂おしい程にその温もりを求めているのが分かる。

 今すぐにでも手を伸ばし、抱き寄せて、頬ずりし、その温もりを甘受できたら。

 それはどんな幸福にも勝る、まさしく“至福”。


 だが、だが、だがっ!!


 そこでもまた『欲望』が邪魔をする。


 だが、今の俺に、たった(・・・)それっぽっち(・・・・・・)の“至福”で満足出来ると、どうして言えるだろうか?

 さらなる温もりを求め、さらなる『飢え』を癒そうと彼女を求めないと言えるだろうか?


 言えない。言えない、言えない!!


 もし、もしだ。考えたくも無いが、もし。

 あの無垢なで、無邪気な少女に己の『欲望』をぶつけてしまったら。


 俺は己を許す事は無いだろう。そんな下衆を生かしておくことは無いだろう。


 跡形も無く、なるべく無残に、できるだけ苦しませて、殺すだろう。


 それほどまでに、あの子は、いやあの子だけでは無い、あの子達(・・・・)は彼にとって、己の命が霞んで見えるほどに大事な存在だった。


 だから、今の己にあの温もりを抱きしめる資格など無いのだ。


 こうして、無様に雨に濡れて、野良犬のように汚らしく惨めな姿を晒し続けるのがお似合いなのだから。


 ああ、だが彼女達はきっとこんな己を心配しているだろう。

 自分達を『欲望』の対象として見られている事など気付かずに、俺の身を案じているだろう。


 ナギなど時期的な連想をして、俺が豹変したのは自分の所為だと己を責めているかもしれない。


 そんな事は全く無いのに。

 この『欲望』はどこかの誰かに押し付けられた物では無く、俺の中に元々存在していただけなのに。


 元々、俺がこんなに浅ましく、救い難い存在であったと云うだけなのに。


 どうしてもっと早くこの事に気が付けなかったのだろう。

 そうしていたら、彼女達を危険な目に合わせる事も無かったのに。


 シノは傷が癒えているのを確認した時点で放逐出来ただろうし、ヒカルに協力しようなどと、今の自分を顧みれば片腹痛い約束などしなかっただろうし、ナギを助けるだけ助けてさっさと身を隠すことだって出来たのに。


 それで全ては丸く収まっていたはずなのに。

 全ては後の祭りだ。


 今さら彼女達と離れようとしても、きっと彼女達はどこまでも彼を追って来るに違いない。

 それぞれがそれぞれの約束を果たして貰う為に。


 かと言って、こんな事を彼女達に相談できるはずも無い。

 そんな事をすれば、ナギなど喜んで自分の身体を捧げてくるだろう。


 ―――ぼやける視界にカボチャが映る。


 俺は彼女を『欲望』の命じるままに喰らうだろう。


 ―――そのカボチャは世にも不思議な喋るカボチャ。


 だが、きっと、いや絶対、俺の『欲望』は満たされない。


 ―――カボチャはひとりでに喋り出す。


 俺はナギを『欲望』の赴くままにむさぼり喰らい、そして彼女を壊してしまう。


 ―――亀裂のような口を開いてカボチャはこう言う。


 そうなれば、『次』だ。


 ―――『モット、モット』


 『次』はきっとヒカルだろう。あの表情に乏しい顔を、それでも朱に染めて、こう言うのだ。

 『仕方ない、私を喰らえ』と。


 俺は彼女をまたもや喰らい尽くすだろう。

 だが、それでも俺の『欲望』は収まらない。


 ―――『モット、モット、モット、モット』


 そうなれば、残るはシノだ。彼女もまた臆す事無くこう言うのだ。

 『アキトだから、いいよ』


 ―――いつしか俺の視界には無数のカボチャが映り込み、その口を蠢かせ、こう言う。


 俺は、そんな、シノ、を、


 ―――『モットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットットモットモットモットモット』


 あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!


 彼は絶叫していた。

 だが、衰弱し切った彼の口から出たのは、「あ……ぁ…」という微かな喉の震えだけ。


 そのまま、バシャっとぬかるんだ地面に倒れ伏す。


 そのまま意識を失い、そうして皮肉にも、ようやく束の間の安息を手に入れるのだった。


 そんな彼の上に、やはり容赦無く雨は降り注ぐ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「見ろ、すっかり遅くなってしまったではないか」


「しかし、陛下。この近辺に凶暴な魔獣が出るのはご存知でしょう?警戒を怠る訳にはいきません。というか、わざわざそんな場所に行くと言いだしたのは陛下御自身ですよ?」


 近衛の隊長が若干疲れた様子で彼の主君に説明する。

 しかし、彼女は不満そうだ。


「むしろ出てくれるのを期待していたんじゃが…」


 が、既に街は眼と鼻の先だ。そんな彼女の思惑は外れ、このまま何事も無く街へと辿り着くだろう。

 口を尖らせる彼女を、近衛の隊長はたしなめる。


「またそのような事を仰って!御身に何かあったらどうされるおつもりですか!」


 しかし、彼女は聞く耳持たず、むしろ意地悪そうな顔になる。


「そうなったら、我が勇敢なる近衛の兵達がこの身を護ってくれるのであろう?そうなれば、街には安全が戻り、我が国の近衛の勇名も轟こうというもの。余も鼻が高いぞ」


 そう言われ、彼は閉口する。


 彼の主君はいつもこうだ。


 もちろん、その能力を疑った事は無い。事実、この水竜の国は目の前の少女無しでは成り立たないだろう、とすら言える。


 だが、その性格は奔放で豪放。例えるなら、鎖に繋がれていない獅子。


 今回の視察にしてもそうだ。


 辺境の街の付近に凶暴な魔獣が徘徊している、という報告を耳にした途端、僅かな時間によって今回の視察が計画され、今実行されていた。


 別に魔獣は大したことは無い。

 魔獣はギルドで言う所のBランクに相当するらしいが、他の国ならいざ知らず、水竜の国の近衛の兵にとってその程度の魔獣は敵では無い。


 だが、そんな危地に彼女自身が赴かなくてもいいではないか、と思うのだ。

 彼女は王族であり、この国にとって欠かすことの出来ない存在だ。前王夫妻が早くに亡くなられて、兄弟も無く、この国で王族といえる血筋は彼女だけなのだから。


 しかし、彼が口籠るのは同時に彼女の言う事ももっともだからだ。


 彼女が動かなければ、彼ら近衛が動く事も無く、この街の問題はさらに長期にわたり放置されただろう。

 そしておそらくギルドの依頼として処理されていたに違いない。


 ハァ、と今日何度目になるか分からない溜息を漏らす。


 結局、彼程度の人間が何を言おうと彼女は己の意志を曲げる事は無い。いや、きっとそれはこの世界の誰にも出来る事では無いのだから。


 実際、彼女は何か悪い事をしている訳では無いのだ。

 政務をほっぽり出している訳ではないし、彼女の言う通り魔獣を近衛が直に倒したとなれば国民の聞こえも良い。


 彼女に落ち度は無い。

 もし、彼女に何かあったら、それは彼ら近衛の所為に他ならないのだから。


 ゴトゴト、と馬車の車輪が石畳の上を転がる音がし始める。どうやら街に無事着いたようだ。

 胸を撫で下ろす近衛の隊長。


 だが、


「馬車を止めい!!」


 突然彼の主君が御者に命じて馬車を止める。

 あまりに急な事に、近衛の隊長が反応する間も無く、馬車を降り、彼女は雨の降りしきる街へとその身を躍らせる。


「陛下!お召し物が汚れます!!」


 慌てて隊長が引き止めるが、やはり彼女は聞く耳持たず、雨の中傘も差さずに駆けていく。

 その後を追いかける。


 彼女が駆けて行ったのは、大通りに通じた路地の一本。

 そこに誰かが倒れている。おそらく彼女はそれを誰よりも早く見つけたのだろう。その人物に駆け寄り、抱き起こし脈を診ている。


 そんな彼女にようやく追いついた彼は持っている傘を地面にしゃがみ込んでいる彼女の上にかざす。


 そこでようやく彼女の腕に抱きかかえられている人物へと目をやる。

 顔面蒼白で今にも死にそうなその人物は。


「アキト殿!?」


 まさかの水竜の国では『英雄』と呼ばれる人物だった。


 その事実に意表を突かれ、しばし硬直する彼。


 そんな彼を主君である少女が叱咤する。


「何をしておる!早く診療所まで運ばんか!!」


 その声に彼はようやく動き出したのであった。

「栄養失調と過労ですな」


「どうすればよい?」


「温かい寝床に寝かせて、起きたら何か精のつくものを食べさせてあげるといいでしょう」


「そうか、分かった」


「陛下、どうされるのですか?」


「アキトを宿へ運べ。話はそれからじゃ」

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