第36節
貴方の名前はどんな意味を持ちますか?
第36節
白銀の世界が収縮してゆく。今回は流石にきつかった。こんなに長時間この世界に居たのは初めてではないだろうか。
世界の収縮に従い、辺り一面の溶岩と焼け野原は消えてゆく。あれはあの世界だけの『真実』だから。
しかし、まだ人間に戻る訳にはいかなかった。
何故なら―――
秘義『加具土』。己の身体を燃焼させ、対象を滅する絶技。この技の最大最悪の弱点のせいだった。
俺は今、産まれたままの姿だった。死竜と一緒に服も完全燃焼していた。変態だった。このまま人間に戻ったら、間違い無く変態度がアップする。
もし、『全裸の変態』と『全裸の毛玉』。どちらかを選べと言われたら、俺は間違いなく『全裸の毛玉』を選択するだろう。と云うか、していた。
そのおかげで腕はいまだに燃えている。白銀の世界はギリギリまで絞ってあるから周りに延焼することは無いが、これは人に戻っても大火傷確定だろう。
まあ、心配しなくてもそのうち治るのだが。
今まで俺が奥義を使う時、『気』なんてぼやけた言い方をしていた物は、結局この姿の力がほんのわずかに普通の世界に漏れて来ていたモノだ。
同時に尋常ならざる回復力も、それのおかげである。まあ、流石に『不死』ではないが。
「痛い…。超痛い…。しばらくは絶対秘義は使わねーぞ」
人狼であろうと、人外であろうと、痛い物は痛い。正直まだ頭がくらくらする。
それに『世界』もしばらくは何も出来ないだろう。あれだけ大きな『仕組み』を潰したのだ。
いかに『世界』といえど、自分を好き勝手に改造出来る訳じゃない。あれを再び動かすには、相当な時間が必要だろう。それこそ、数十年。まあ、今回は五年だったらしいが。
さて、それじゃあ――――
「アキト!!」
――ベチャ。
これからの事を考えていたアキトに、突然シノが駆けよって来て、その顔に張り付く音がする。
「アキト!アキト!!」
何度も俺の名前を呼ぶ。どうやら心配を掛けてしまったようだ。
「よしよし、もう終わったから」
「心配した!!心配したんだよ!?」
「それは分かったから、まずは顔から離れて。苦しい」
そう言って、無事な方の腕でシノを引き剥がす。離れたおかげで、シノの黒い大きな瞳が涙ぐんでいるのが分かる。その瞳を直視できなくて、つい目を逸らしてしまう。
そうして、逸らした視線の先には…。
虎が居た。
「ア・キ・ト?」
「はい!なんでしょうか!?」
思わず敬語を使ってしまう。
そうして、その虎は俺の所までツカツカと歩いて来ると、俺に馬乗りになる。
「へ?」
「アキト。貴方には言いたい事が山ほど有るが…。そうだな、まずは…」
そう言って、そのマウントポジションのまま俺の顔面を殴って来る。本気で。
「痛い!痛い!!何で殴るの!?俺頑張ったじゃん!」
そうだ。この大一番の立役者に向かって、マウントでぼこるとは。一体、どういう了見で――――
「これは私を騙した分だ!!忘れたとは言わせないぞ?」
「ギクッ!!」
その言葉に思わず硬直してしまう。そう、俺にはヒカルの言葉に思い当たる事が有った。それが露骨に出てしまう。馬乗りになっているヒカルにはそれが手に取るように分かるだろう。底冷えのするような笑顔を向けて来る。
「そうだろう、そうだろう。もちろん心当たりが有るだろう。いくら私が茫然自失としていたって、『数時間も思考に没頭していた』なんて流石に常軌を逸している」
そう、アキトが竜の所に向かってからクルスに声を掛けられるまでの数時間の空白。彼に名前の意味を聞かれてからの長すぎる思考。いくらヒカルが我を失っていたとはいえ、不自然過ぎる。
ならば、答えは一つしかない。この男の使う人を騙す技『語』と云うやつの一つに違いない。
そして、その推測は的中だったようだ。彼の硬直が証明している。ついでに目も泳いでいる。
「あ、あれはですね?ほら、ヒカルさん精神的にキツそうだったから、ちょっとでもそれを和らげられればな~、と思った次第でありまして…」
「ほほう。アキトは優しいのだな?この私を『騙して』まで心配してくれるとは。嬉しくて拳が止まらないよ」
言葉の通り、ヒカルの拳はさらに激しさを増してアキトを打ちのめす。
あまりの仕打ちに、アキトは自分の焼け爛れた右腕を指して言う。
「ちょ、待って!!ほら、見て!!俺の右腕!酷い火傷だろ!?だからもっと怪我人を労わって――――」
だが、
「ほう。また私を騙すつもりか?」
ヒカルの疑心に満ちた瞳がその言葉を遮る。
「違う―――!!それ、どんだけ身体張った『騙し』だよ!!騙して得られる物より失った物の方がでかいよ!!」
俺の泣き落とし作戦も失敗に終わった。逆に俺が泣きそうだった。
すると、ヒカルが幾分真剣な調子で問うて来る。
「私の前では『騙さない』のではなかったのか?」
「その言葉の前に『自分を』と云う前提が付くはずですが」
「…つまり、アキトは私なら平気で騙せるのだな」
その答えに、ヒカルが涙を流し始める。ヒカルの琥珀色の瞳からポタポタと感情の雫が落ちてゆく。
最近分かった事なのだが、ヒカルは案外涙もろい。本人は顔を真っ赤にして否定するだろうが。
女の涙と云う最大の兵器を持ち出された俺は、どうして良いか分からず必死に弁解しようとする。
「違いますよ!?全然平気じゃ無いですよ!?ただ、今回ばかりは手段を選んでいられなかったというか…」
「うるさい!!どうせあれも嘘だったのだろう!?」
「アレ?」
ヒカルの言っている事が分からず、首をひねる俺。
そんな俺の様子に、さらに涙を流し叫ぶように俺を糾弾するヒカル。
「私とずっと一緒に居てくれると言ったじゃないか!いや、いい。どうせそれも騙したのだろう!?その場限りの嘘だったのだろう!?」
ぐわー!!そんな事言ってましたね!!シリアスモードの俺!何口走ってんだ!!そのシリアス面を殴らせろ!!おかげで俺が今殴られてるよ!!
アキトが過去の己に理不尽な罪をなすりつけている間も、ヒカルの涙も拳も止まらない。このままじゃ、本気で死ぬ。死竜すら滅ぼした俺が女の子に殴り殺されそうとか、笑えない。本当に笑えない。
けれど、あの時の言葉も、気持ちも、そして行動も。全て嘘なんかじゃないのだ。それだけは伝えたくて、俺は言葉を紡ぐ。
「言ったろ?『ヒカルの前では自分を騙さない』って。だから、あの時の俺の言葉は嘘じゃ無い。それに、約束通りちゃんとここに居るだろ?」
「ならば、約束通りずっと私の傍に居て貰う!!」
涙目で訴えて来るヒカルに苦笑しながら、俺は心からの言葉を返す。
「そのつもりですよ」
だが、その後に続く言葉は俺の予想を遥かに超えていた。
「奴隷として!!」
「え゛!?」
は?この娘、今何て言った?ツンとそっぽを向きながら、頬を染めるその姿は大変可愛らしいのだが…。
「奴隷ぃ!?」
「そうだ!アキトはこれから私の奴隷として馬車馬の如く働いてもらう!!」
言っている事は全く可愛くなかった。というか、鬼畜だった。
「嫌だよ!!何この展開!?」
嫌がる俺をヒカルがジト目で睨んで来る。
「奴隷が嫌なら、アキトは何が良いと言うんだ?」
「そ、それは…」
ヒカルの瞳には若干期待した色が見える。
だが、スマン!!俺は真性の『小心者』なんだ!!
「…『友達』とか?」
もちろん殴られた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
クルスはようやく今自分が目にした光景を理解し始めていた。
『死の霧』の打倒。それは『死』をはねのける事に等しい。誰もが不可能と諦め、その理不尽に唇を噛むだけのそれ。
けれど、彼はそれを成し遂げた。
「ハ、ハハ、ハハハ!!」
気分が高揚して、自分でも抑えられない。自然と口からは笑いがこぼれ、止める事が出来ない。
「凄い!凄い!凄い!!」
まるで子供のようにそんな言葉しか浮かんでこない。子供のようにはしゃぐ事を止められない。
今なら分かる。私が彼らの中に望んでいた物が。自分の『意志』でもって見たかった物が。
それは『意志』の力だ。『理不尽』すらはねのけて進む『鋼の意志』だ。
私は本当は諦めていたのだ。自分が弱小貴族である事を理由に。ただ位が高いと云うだけで高い地位に置かれる暗愚な貴族達。そして腐敗してゆく組織。それをただ見ている事しか出来ない自分。それらを心の中では『理不尽だ』と思いながらも、けれど自分には何も出来る事が無いのだ、と諦めてしまっていたのだ。
しかし、それは違ったのだ。それを彼は証明してしまった!!
あの『死の霧』に挑む事に比べれば、己の抱える『理不尽』など如何程の物だろうか。
ならば、私も進もう。己の『意志』でもって。
それに今なら不思議と『不可能』だとは思わない。
何故なら、彼には本当の『同志』が居るのだから。
ここに彼は一つの『真実』を見つけたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あの、そろそろ服貰えませんか?」
あまりの羞恥に耐えかね、ヒカルに頼む。それに『全裸の毛玉』の上にねこみみ少女が馬乗りになると云う、ただでさえアブノーマルな絵面だ。このままでは『全裸の毛玉』が『全裸の毛玉の変態』に成り下がるのも時間の問題だった。
そこでようやく俺が『全裸の毛玉』であることに気付いたのだろう。ヒカルはその顔を真っ赤にして俺の上から飛び退き、魔法のポーチから黒マントを渡してくれる。
それを羽織り、ようやく俺は白銀の世界から回帰し、人の姿に戻る。
「ふう…」
ようやく人心地つける。毛玉ではあったが、やはり全裸は人間として精神的に来るものが有る。葉っぱで局部を隠したアダムとイブの気分が分かるようだ。
ズキリ、と右腕が酷く疼く。もちろん邪気眼を発症した訳ではなく、単なる火傷だ。火傷の痛みは裂傷や打撲傷とはまた違った痛みが有る。ヒリヒリするような、ジリジリするような。ひどく曖昧であるかと思えば、激しく痛覚を刺激する。その安定感の無い痛みの波がひどく煩わしい。治るまでは辛そうだ。
『不死』である人狼になり、治療すれば良いように思うが、それは禁じられている。
俺達は『人で無いモノ』だ。けれど、同時に『人として死ぬ』事も出来るモノだ。
俺のご先祖様達は皆、『人として死ぬ』事を選んで来た。俺はそれを誇りに思うし、その誇りを汚すつもりもない。
第一、そんな風に力を我が儘に使えば、それは『世界』がやっている事と同じになってしまう。『世界』の理不尽を打ち滅ぼす俺達が、理不尽に振る舞ってはいけない。この力の良い所も悪い所も全て受け入れるのが俺達一族の選択だった。
けど、まあ痛い物は痛いのだが。
そんな俺の様子を見かねたのか、ヒカルが気遣わしげな声を掛けてくれる。
「大丈夫か、アキト?やはり先ほどの力の?」
「ん?うん。まあ、しばらくすれば治るから心配は要らないんだけどね」
そう、この傷はどうせこの身体の回復力でもって数日で治るだろう。そんな事よりも気になる事が俺には有った。
「その、さ。ヒカルはどう思った?」
「?何がだ?」
俺の主語を抜いた問いに、ヒカルは首を傾げる。その主語と云うのは、つまり――
「俺の『真実』の事。怖い、とか気持ち悪いとか思わなかった?」
そう、それが今の俺には何より恐ろしい。以前ヒカルが獣人が差別される理由を話してくれた時、おそらくこんな気持ちだったのだろう。自分を『拒絶』されるのがたまらなく恐ろしい。
そんな俺に彼女はこう答えた。
「ん。別に」
あまりに素っ気ないその態度に、こちらの方が愕然としてしまう。
「別に!?何か有るだろ!?」
流石に無反応は予想外だ。もうちょっと何かあってもいいんじゃなかろうか?別に無理して拒絶されたい訳じゃないが、それはそれで寂しい。
しかし、そんな俺を他所にヒカルは淡々と述べる。
「別に。獣の耳なら私にも有る」
「いや、そうじゃなくて…」
「口だって有る。鼻もな。アキトは何か勘違いしているようだが、私と貴方は『何も違わない』。同じ『人間』だ」
貴方が私を『人間』と言ってくれたようにな。そう言って彼女は笑っていた。
その言葉に二の句が継げない。ちょっと涙ぐんでさえいるのだから。
俺達一族の選択。『人として生き、人として死ぬ』。それが間違ってなんかいない、と言ってくれたような気がして。
嬉しかった。涙がこぼれそうな程嬉しかった。誰かに肯定してもらえる事がこんなに嬉しい事だなんて知らなかった。これもまた、俺の新たな『真実』。
そんな俺を見て、ヒカルが嬉しそうに微笑んでいる。
「おいおい、そんな顔をするんじゃない。そもそも、アキトが最初に言ってくれたのだぞ?私も同じ『人間』だと」
「そう、だったな…」
目を擦り、涙をぬぐう。心の中でこの少女に感謝しながら。
そして、しんみりしてしまったそれまでの空気を振り払うよう手を打ち鳴らし、こう言ったのだった。
「それじゃ、水竜を撫でに行きますか!」
ヒカルが呆れた顔で聞いて来る。腰に手を当てて、顔に「意味分からん」と書いてあるかのようだ。
「何故、撫でに行くんだ?」
その問いに、満面の笑顔でもって、身振り手振りも大仰に答える。
「決まってるだろ?水竜は今きっと悪夢を見てる。悪夢には頭を撫でてやるのが一番良いんだぞ?」
あんなに苦しんでいたんだ。たとえ眠れたとしても、きっと悪い夢に苦しめられているに違いない。以前の俺がそうであったように。
その答えにヒカルは、頭に手を当てて、やれやれといった様子だ。
「頭を撫でるのが良いって…。また、根拠の無い事を…」
「根拠なら有るさ!それが『真実』だって俺は知ってる」
そして、以前俺が悪夢にうなされた時、その悪夢から救ってくれたのは、この少女の掌だったのだから。だから、これは『真実』に効果が有る。少なくとも俺にとっては『真実』なのだから。
その言葉に、どうやらヒカルも思う所が有ったのか、頷いてくれる。まあ研究熱心な彼女の事だ、ただ水竜を撫でたいだけかも知れないが。
そして、顔によじ登ってきたシノも、声を張り上げ、自分の存在を主張する。
「シノも!シノも!!」
「はいはい」
そうして、俺達は賑やかに水竜の元へ向かったのだった。
その途中、ヒカルが脈絡無くこんな事を聞いて来る。
「アキト。貴方の名前の意味は何?」
「何だ?突然?」
「いや、私だけが明かしたのでは不公平だろう?」
「さいですか…」
そう言って恥ずかしそうに顔を掻きながら東の空を見上げ、それを指差す。
「ほら、あれ」
「?」
指の先には、まだまだ夜明けの遠い空が在る。しかし、その夜空は確かな夜明けの気配を帯びている。
「あんな感じの空を『暁』って言うんだ。その『暁』に『人』って書いて、『暁人』って読む」
「そうか」
なんだか嬉しそうにヒカルが呟く。
「そうか。貴方にピッタリな良い名前だ!」
「そうか?」
首を傾げる俺に、ヒカルは笑って言葉を繋ぐ。
「ああ、ピッタリだとも。あの空を見ていると、何かが起きそうな、そんな胸の高鳴りを感じる。ドキドキしていてもたってもいられなくなりそうだ!!アキト。貴方にピッタリの良い名前だよ!」
彼女はスキップでもするように水竜に近付いて行く。俺とシノもその後に続き、水竜の頭をそっと優しく撫でてやる。いつまでも、いつまでも、俺達はそうしていた。
そんな俺達を、朧な月と、登って来た太陽が、いつまでも優しく眺めていたのだった。
次回、エピローグ。
ハンカチのご用意…は要らないんじゃないかな?




