決意
注:この話は、「おかしなおかしな教師近藤が何やらとても悩んでいるご様子です」の続きです。
「校長先生」
近藤は、勤務している中学校の廊下で、自らの上司にあたる校長に声をかけました。
「はい」
校長は、面倒な男からの呼びかけに、嫌な気持ちがわきながら視線を向けました。
「お話があります」
しかし、そのときの近藤は、普段とは違い、実に真面目な雰囲気が漂っていたのでした。
「え? 本気かよ?」
「ああ」
「なんでだ?」
近藤の友人である米野が、彼に尋ねました。
「どうして教師を辞めるんだよ?」
そう、近藤は教師を退職することを決めたのです。校長にもその件について告げたのでした。
「きみも知っての通り、私はギターが弾けるし音楽が好きだから、音楽雑誌もよく読むのだが、日頃から音楽のライターの人たちが書く文章がおしゃれだなと感じていたんだ。それはもう、激しく嫉妬してしまうくらいにね。加えて、私ももういい歳。教師だけでこのまま生涯を終えるのは、果たしてどうなのか。教育者はやりがいのある仕事ではあるけれども、いち個人として、死ぬときに『やり残したことはない』と思いたい。だから、考えたすえ、やりたいのならやろう、正直になろうと決意した、というわけだよ。やって満足したら、再び教師に戻るのだって、まったく不可能ではないのだからね」
「そうか」
このときもとても真剣な面持ちで、米野は今回の決断を尊重し見守ってやろうと、近藤相手に初めてじゃないかと思う友情の感情が芽生えたほどだったのでした。
そうして、その年の年度末まで教壇に立って、学校から離れた近藤と、四月に顔を合わせた米野は、彼に問いかけました。
「……なんでだ?」
近藤はやはり真面目な態度で、言葉を返しました。
「私が転職する理由は、以前にちゃんと説明したはずだが?」
「いや、教師を辞める訳はよくわかったよ。ただ……」
米野の目の前にいる近藤は、身につけているのは黒色のパンツとシューズのみという格好です。
「お前、音楽のライターをやるんじゃなかったのか?」
「はあ? そんなことは一言も口にしてないはずだけども」
そう、近藤が始めた新たな仕事は、音楽のライターではなく、プロレスラーなのでした。
「きみも知っているだろう、私が大のプロレス好きなことは」
「知ってるよ。知ってるけど、前にした教師を辞める話のときの口振りだと、音楽のライターをやると思うだろうが!」
「おいおい、自分が勝手に勘違いをして、私に不満を言うなよ」
近藤はそう返しながら、レスラーとして体を鍛えるためのスクワットをするのでした。
「くっそ、しょうもねえ。やっぱりお前はふざけた男だよ!」
米野は、近藤がどんな人間か、長年の付き合いで嫌というくらい知っているというのに、まともに相手をして、彼を信じた自分にも腹が立ちました。
「まあまあ、怒りなさんな。悪かったよ」
近藤はそのように口にしつつ、まったく反省している様子はありませんでした。スクワットをしながら移動すると、取ってきた何かを米野に差しだしました。
「ほら、お詫びにこれを受け取ってくれ」
「あ? 何だよ?」
「私のデビュー戦のチケットだ」
すると近藤は、その場で受け身の練習を始めました。
「よくその目で見ておくんだ! 刺激がなくなり、いかに無難に過ごすかばかりになっている我々の年代で、果敢に挑戦する私の姿をな!」
興奮してそう言い放つと、続けてエアスパーリングを開始したのでした。
「はい、はい」
米野はやってられないという表情で、その場を後にしていきました。
その場に自分一人となった近藤でしたが、気合い全開でトレーニングを継続しました。
「うっ!」
しかし、モロおっさんなので、簡単にふくらはぎに痛みを感じてしまいました。
これはピンチです。米野に伝えたように、彼はもうすぐプロレスのデビュー戦が控えているのです。
「負けるか、くそっ!」
医者に診せたらストップがかかるかもしれません。けれども近藤は、迫った戦いのために、変わらず練習に励みました。
そして、いよいよプロレスラー近藤誕生の日を迎えたのでした。




