第五話 朝食会という名の作戦会議
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、アレスはゆっくりと目を開けた。
寝起きのぼんやりした意識の中で、まず感じたのは左半身の妙に柔らかい体温だった。
「……あ、朝……?」
「む……もう起きるのか、アレス……?」
同じ口から重なるように響くエリスの声は、寝起き特有の低さで妙に色っぽい。
アレスは反射的に身をすくめた。
「ひゃっ……! ち、近い……!」
「近いもなにも、同じ身体じゃろうが」
そうだった。
昨日の混乱が一気に脳裏に蘇り、アレスは布団の中で小さく震えた。
(……夢じゃなかった……)
胸の奥がじわりと沈むような感覚が広がる。
「さて、身支度を整えるのじゃ」
エリスが言うと、収納魔法の黒い穴がふわりと開いた。
だが、昨夜のように衣装を直接取り出すのではなく――
「まずは、身体を整えるのじゃ」
「え……?」
エリスは左手を軽く振り、魔力の糸のような光を身体の周囲に走らせた。
すると、融合体の身体がふわりと浮き上がる。
「うわっ!? な、なにこれ!?」
「寝癖を直すのじゃ。お主の側の髪が跳ねておる」
「そ、そんなの手で直せば……!」
「わらわの側の髪は長いのじゃ。お主の寝癖が引っ張ると絡まるのじゃ」
魔力のブラシが髪を持ち上げ、左右のバランスを整えていく。
アレスは空中でぷらぷら揺れながら、情けない声を漏らした。
「それとこの髪留めは、わらわのほうに着けるぞ」
エリスの前髪が目を隠さぬよう、角の手前に花模様が刻まれた蒼色のピンで挟む。
(……朝からこんな姿、誰にも見られたくない……)
「よし、整ったのじゃ。では着るぞ」
エリスが取り出したのは、昨日のナイトウェアとは違う――
淡い紫の、ゆったりしたロングチュニックだった。
「えっ……これ、また……?」
「昨日のは寝間着じゃ。今日は外に出る可能性もある。動きやすく、庶民のような、なおかつ美しい服を選んだのじゃ」
「美しいって……僕、男なんだけど……」
「お主の側は地味すぎるのじゃ。わらわの美学に合わせるのじゃ」
アレスは反論しようとしたが、左半身が勝手に袖を通し始める。
「ちょ、ちょっと待って! まだ心の準備が……!」
「準備など不要じゃ。ほれ、腕を上げるのじゃ」
「う、うぅ……」
右腕を上げると、左腕も自然と連動し、チュニックがすっぽりと身体を包んだ。
布地は軽く、肌触りは驚くほど柔らかい。
だが、胸元の装飾や裾のひらめきが、どう見ても女性向けだ。
「……似合っておるぞ、アレス」
「似合ってるって言われるのが一番つらい……!」
アレスの胸の奥で、また何かが静かに揺らいだ。
「さて、顔じゃ」
「えっ……顔って……?」
「メイクアップじゃ。はよ、わらわの美学に慣れることじゃな」
「いやいやいやいや! 僕、男だよ!?」
「男でも整えるのは大事なのじゃ。ほれ、じっとせい」
エリスが収納魔法から取り出したのは、魔界製の化粧道具一式。
アレスは逃げようとするが、左半身が逃がさない。
「ちょ、ちょっと! 目元に何か塗らないで!」
「動くでない! アイラインが曲がるのじゃ!」
「アイラインって何!?」
「美の基本じゃ!」
右手と左手がぶつかり、頬にパウダーが飛び、尾が跳ねる。
アレスは半泣きになりながら鏡を見る。
「……だ、誰……これ……?」
「美しいではないか。わらわの側の美しさと、お主の素朴さが融合しておる」
「褒められてる気がしない……!」
完全に女装させられたアレスの自尊心は、朝から静かに揺らぎ続けていた。
◆
「さて、腹が減ったのじゃ。朝食を作るのじゃ」
「えっ、僕が!?」
「わらわは料理は不得手なのじゃ。魔界では侍女が作っておったしな」
アレスは台所に立つ。
右手で包丁を握り、左手はエリスが支える形になる。
「アレス、手元が危ないのじゃ」
「だ、大丈夫……僕、料理は得意だから……」
野菜を刻む音が心地よく響く。
アレスの動きは迷いがなく、手際も良い。
「む……お主、料理が上手いのじゃな」
「え、えへへ……祖父の手伝いで、よく作ってたから……」
「ふむ……これは良い。わらわの側も誇らしいのじゃ」
「誇らしいって……僕の側なんだけど……」
褒められて少し嬉しい自分に気づき、アレスはまた胸がざわついた。
◆
テーブルに並んだ朝食は、香りも彩りも良く、
エリスは満足げに頷いた。
「うむ、これは美味いのじゃ。魔界の料理より繊細じゃな」
「そ、そうかな……」
「ここまで旨い料理の出る朝食会はないぞ!」
「朝食会って……」
食事をしながら、二人は今後のことを話し合う。
アレスはしばらく間を置き、意を決したように口を開いた。
「……エリスさん。この姿のままじゃ、外には出られないよ」
エリスはぱちりと瞬きをした。
「なぜじゃ? わらわは散歩でもしようと思っておったのじゃが」
「えっ……散歩!?」
アレスは思わず声を裏返した。
「むしろ、どうして出られると思ったの!? 僕たち、左右で全然違うんだよ!? 角も尾もあるし……僕の村の人に見られたら大騒ぎになるよ!」
エリスは口を尖らせた。
「ふむ……確かに、お主の村人は繊細そうじゃな。わらわの美しさにひれ伏すかもしれんが」
「ひれ伏すとかじゃなくて、普通に恐がられるよ! 魔王なんだし!」
「む……」
エリスはスプーンを持ったまま固まった。
どうやら、魔王である自分が人間界に姿を晒す、という危険性を、今さら思い出したらしい。
「……そういえば、わらわは魔王じゃったな」
「忘れてたの!?」
「いや、忘れてはおらん。ただ……この世界の空気は心地よいし、久々に自由に歩けると思ったらの……」
エリスは少し寂しげに視線を落とした。
ただ、それはお互いに感情が伝わるからこそ、胸がつかえるような苦しさもアレスは感じた。
「……でも、危ないよ。ユノーさんが追ってくるかもしれないし、魔界の魔族に見つかったら……」
「むぅ……確かに、魔王の姿を晒すのは得策ではないのじゃ」
エリスはアレス側の腕をつかんで組み、しばし考え込む。
「それに、わらわの魔力は今や本来の百分の一以下。お主と融合しておるせいで、魔力の波長も変わっておる。魔界の連中に探知されぬのは幸いじゃが……」
「だからこそ、慎重にしないと……」
「……仕方ないのう」
エリスはようやく観念したように息をついた。
「わらわの美しさを隠すのは惜しいが、潜伏のためならばやむを得ん。カムフラージュしてやるのじゃ」
「してやるって……僕も協力するよ」
「当然じゃ。お主の側が地味すぎるから、わらわが引き上げてやるのじゃ」
「引き上げなくていいよ!?」
アレスの背筋が震えた。
「そ、それに……祖父のクロノスが帰ってくるの、あと2日なんだ……」
「ふむ……あの結界の主か」
「えっ、エリスさん……結界、感じなかったの?」
「うむ。わらわの魔力が落ちておるせいか…… あるいは、お主との融合で無効化されておるのかもしれん」
「無効化……?」
「つまり、わらわ単体なら弾かれる結界でも、お主と融合しておる今なら通れてしまう、ということじゃ」
その点においては、アレスは少し胸をなでおろした。
だいたい、魔王レベルの魔力であれば、結界に連動するセンサーが発動し、異変を感じたクロノスがとんで帰ってきたかもしれないからだ。
「じゃ、じゃあ……どうすれば……?」
「ふむ……わらわに考えがある」
エリスの目が妖しく光った。




