第四十七話 一つの心臓
アレスは鏡から目をそらし、ベッドの端に腰を下ろした。
「……エリスさん。僕……アリスの姿で戦って……敵を倒した時……すごく……複雑な気持ちになったんだ」
「……アレス……」
エリスは、どう言葉をかけたらよいかわからず詰まらせた。
アレスは拳を握りしめる。
「相手は魔族で……僕たちの命を奪いに来た相手で……倒さなきゃいけなかったのは分かってる。でも……
逆に『自分が命を奪った』って事実が……胸に残ってて……」
エリス側の左手がそっとアレス側の右手に触れた。
「それは……そなたが人間だからじゃ。命を奪うことに痛みを覚えるのは……人として自然なことじゃ」
アレスは俯いたまま続ける。
「でも……アリスの中には……エリスさんの容赦なさもあって……その部分が……怖かった」
エリスは少しだけ悲しそうに、だが冷静な言葉で返す。
「わらわは魔族。戦いに容赦はせぬ。だが……そなたの優しさが……わらわの中にも流れ込んでおる」
「……え?」
「そなたがアリスとして戦った時……わらわも……そなたのためらいを感じた。命を奪うことへの痛みも……全部、共有しておった」
アレスの目が揺れる。
「……じゃあ……」
「アリスは……わらわとそなたの『間』に生まれた存在じゃ。容赦なさと優しさ……どちらも持っておる。
どちらも……アリスの力じゃ」
アレスは胸に手を当てた。
「……どうやって……その二つを……僕の中で折り合いをつければいいんだろう……」
エリスはアレスの手の甲に、自分の掌を重ねる。
「それを探すのが……これからのわらわたちの課題じゃろうな」
アレスは小さく頷いた。
「……うん。一緒に……考えていこう」
「うむ。そなたとなら……きっと答えが見つかる」
しばらく、二人は黙って座っていた。
静かな午後の光が部屋に差し込み、戦いの余韻がまだ身体に残っている。
アレスはぽつりと呟いた。
「……ねぇ、エリスさん。さっきの……胸がドキッとしたの……あれって……魅了なのかな……?」
エリスは頬を赤らめながら答える。
「……わらわも……姿見でそなたの顔を見ると……この心臓が……お主とつながっているからか……魅了……なのか……それとも……」
言葉が続かない。
アレスも、エリスも、アリスとして心を重ねた記憶が、まだ二人の中に残っている。
その余韻が、二人の距離を微妙に近づけていた。
アレスは深く息を吸い、鏡の中のエリスへまなざしを向ける。
「……エリスさん。僕……アリスとして戦ったこと……後悔はしてない。でも……命を奪うことに慣れたくない」
エリスは静かに頷く。
「うむ。そなたの優しさは……わらわが守るべきものじゃ。アリスの中にある容赦なさは……わらわが引き受けよう」
僕は目を見開く。
「……エリスさん……」
「そなたはそなたのままでよい。わらわが……そなたの心を守る」
アレスとエリスの共有する心臓がまた鼓動を強めた。
ドクンッ
これが魅了なのか、それとも別の感情なのか、答えはまだ出ない。
けれど、二人はゆっくりと、その答えを探していくことを誓った。
その時――
「……ん……エリス様、アレスどの……?」
アーテーが寝ぼけた声で目を開けた。
続いてマケも、毛布にくるまったまま顔を出す。
「にゃ……なんか……甘い空気を感じるにゃ……?」
アレスとエリスは同時に飛び上がった。
「ち、違うよ!? べ、別にそういうんじゃ……!」
「そ、そうじゃ! 誤解するでない!」
アーテーは半目で二人を見て、にやりと笑った。
「……ふぅん? 鏡の前で二人して顔赤くしてたのは……魅了のせい、ってことにしておきますね?」
「にゃはは、顔真っ赤にゃ!」
「マケまで……!」
アレスは頭を抱え、エリスも尖った耳まで赤くして俯いた。
アーテーはベッドから降り、ふたりの前にすっと立つ。
「アリス様は、あなたたち二人の間に生まれた存在。むしろ……これからどう向き合うかが大事です」
マケも真面目な顔で言う。
「にゃ。アリス様は強かったにゃ。でも、エリス様の強さも……アレス様の優しさも、どっちも必要だったにゃ」
アレスは胸に手を当てた。
「……アリスの時の感覚……まだ残ってる気がするんだ。エリスさんと心が繋がってた感じ……」
エリスも静かに同意する。
「わらわもじゃ。そなたの優しさが……胸に残って消えわせん」
アレスは深く息を吸った。
「……うん。僕……逃げないよ。命を奪ったことも……エリスさんと心が近くなったことも…… 全部、ちゃんと向き合う」
エリスはまだアレスの手を握ったままだ。
「わらわも……そなたと共に歩む」
ドクンッ
ふたりの、一つの心臓が絶え間なく脈動する。
アーテーとマケは顔を見合わせ、同時にため息をついた。
「……これは魅了じゃないわね」
「にゃ。これは……恋……」




