第四十六話 遅く起きた日
アリスはスコルピアを撃破した後、まだ揺らぐ魔力を胸に感じながら、静かに歩き出した。
「……アーテーも、マケも……無事だといいな……」
その時、頭の奥に柔らかい声が響く。
『主様にゃ? 聞こえるにゃ?』
マケのテレパシーだった。
アリスはぱっと顔を上げる。
「マケ! 無事なの?」
『もちろんにゃ。キャンクローは倒したにゃ。そっちはどうにゃ?』
「うん……私も勝ったよ」
少し誇らしげに、でもどこか幼い声で答える。
続いて、別の声が重なる。
『エリス様、こちらも勝利しました。私は無事です』
アーテーの声だ。
アリスは胸を撫で下ろす。
「よかった……みんな無事なんだね」
3人は互いの位置を魔力で探り合い、自然と同じ方向へ歩き出した。
波打つ亜空間の中、アーテーが最初にアリスを見つけた。
「アリス様……その姿で戦われたんですね」
アリスは少し照れたように笑う。
「うん……まだ人化変身が解けないみたい。それに、アレスへの魅了がどう残るか分からないから……ここで無理に戻るのは怖いし……」
アーテーは優しく頷く。
「そうね。自然に戻るのを待ちましょう」
そこへマケが駆け寄ってくる。
「主様にゃ! 無事でよかったにゃ!」
アリスは笑顔で手を振る。
「マケもアーテーも……本当にありがとう。みんなが頑張ってくれて……よかった」
3人は互いの無事を確かめ合い、戦いの結末を報告し合った。
アーテーが静かに言う。
「これで……スコルピア、キャンクロー、ピュートン。暗殺者の魔族3名はすべて倒したわ」
マケは尻尾を揺らしながら頷く。
「にゃ。これで街に被害は出ないにゃ」
アリスは少しだけ表情を曇らせた。
「……私、人間の姿なのに……敵を倒すとき……エリスの容赦なさが出ちゃった」
アーテーはアリスの肩に手を置く。
「それは……あなたがエリス様でもあり、アレスどのでもあり……そして『アリス様』だから。どれか一つじゃなくて、全部があなたなんです」
アリスはゆっくりと頷いた。
「……そっか。私……全部なんだね」
マケはにやりと笑う。
「にゃ。だから強いにゃ」
アリスは少し照れながら笑った。
3人が歩き出すと、周囲の白黒の空間がひび割れ始めた。
「……分断魔法の効果が切れたのね」
アーテーが呟く。
マケが耳をぴくりと動かす。
「にゃ……外の世界の気配が戻ってきたにゃ」
アリスは胸に手を当てる。
「アレス……大丈夫かな……」
3人が一歩踏み出すと、亜空間は光の粒となって崩れ、完全に消滅した。
気がつくと、3人は元の世界――川沿いの遊歩道に立っていた。
空は薄い青に染まり始め、東の空がゆっくりと明るくなっていく。
「……夜明け、か」
アリスが呟く。
アーテーは空を見上げて微笑む。
「長い夜だったわね」
マケは伸びをしながら言う。
「にゃー……疲れたにゃ。早く帰って寝たいにゃ」
アリスは二人を見て、小さく笑った。
「うん……帰ろう。私たちのお部屋へ!」
アリスはアーテーとマケの体に触れ、瞬間転移を唱える。
薄明の光の中、3人の姿が消えると、そこには川の流れの音だけが刻々と響き続けていた。
◆
アパートの部屋に転移した途端、アリスの身体がふらりと揺れた。
「……あ……」
アーテーが慌てて支える。
「アリス様!? 大丈夫ですか……?」
それと同時に、アリスの身体を包む光がふっと消え、変身が解けていく。
光が収まり、アレスとエリスが連なる半身ずつの姿で現れた。
だが、変身解除と同時に、二人は膝から崩れ落ちる。
「っ……!」
「……く……」
アーテーとマケも気が緩んだのか、同じように床へとへたり込んだ。
「にゃ……もう……限界にゃ……」
「わたしも……魔力を使いすぎたわ……」
幸い、今日は休日の朝。
誰も急ぐ必要はない。
アレスとエリスは、互いに支え合うようにベッドへ倒れ込み、アーテーとマケも同じベッドに寄りかかるようにして全員、そのまま深い眠りについた。
◆
どれほど眠ったのか。
窓から差し込む光は、もう午後のものだった。
アレスがゆっくりと目を開ける。
「……ん……」
同時に、身体のもう半分でエリスも目を覚ます。
「……ふぁ……よく……寝たのう……」
アレスは身体を起こそうとして、全身の節々が痛むのを感じた。
「……うっ……筋肉痛……?」
エリスも同じように顔をしかめる。
「わらわもじゃ……魔力の流れが乱れたまま戦ったせいか……身体が重い……」
アレスはふと気になって尋ねる。
「……エリスさん。昨日の魅了……まだ残ってない?」
エリスは自分側の腕を上げ下げし、真剣に魔力の流れを確かめる。
「……うむ。もう大丈夫じゃ。アリスの姿になったことで、魅了の干渉は完全に断ち切れたようじゃ」
アレスはほっと息をつき、エリスは口角が緩む。
「そなたが無事で……本当に良かったぞ」
アレスはベッドから降りようとするが、足がふらつく。
「……まだ……ちょっと……」
エリスが体を立て直す。
「無理をするでない。わらわも……まだ本調子ではないしの」
二人は互いに息を合わせ、ゆっくりと立ち上がる。
アーテーとマケはまだ寝ている。
その寝顔を横目に、二人は洗面台へと歩く。
遅く起きた日であっても、エリスは自分を整えることを怠らない。
鏡の前に立ち、アレスとエリスは自分たちの顔を覗いた。
ドクンッ!
ふたりの心臓が大きく鼓動し、息遣いも荒くなる。
同時に、エリスが胸元を押さえる。
「……っ……」
鏡に映るのは、戦いを終えたばかりの二人。
疲れた顔。
少し乱れた髪。
それでも、どこか、頼もしさと安心が広がってくる。
アレスは思わず呟く。
「……なんか……変な感じだね……」
エリスも頬を赤らめながら言う。
「う、うむ……アリスの姿で……そなたと心を重ねたせいか……わらわも……妙に……」
二人の視線が鏡越しに重なる。
また心臓が跳ねた。
ドクンッ!
アレスは顔をそらし、つられてエリスも同じように視線を逸らす。
「……なんか……恥ずかしいね……」
「……うむ……わらわも……どうにも落ち着かぬ……」
この感覚は前にも、いや、けしてそれだけではないような気持ち。
そのとき、アレスはとんでもない仮説にたどり着いてしまう。
「……これ、魅了が自分たちにかかってるんじゃ……?」
鏡の前でしばらく、呆然自失となるふたりであった。




