おまけ
この話は蛇足だと思いますので、読まれない方がいいかもしれません
安眠を妨害するように騒音が鳴り響く。騒音の主は枕元に置いた目覚まし時計。それはひねらないと止まらない型だったが、うなり声を上げながら男は慣れた手つきで簡単に時計を止める。
数分後、男は布団から跳び起きた。時計を慌てて見る。すでに八時三十分を回っている。
男「やっちまった」
日頃はぎりぎりまで寝てはいても、寝坊だけはしない様にしていた。しかし、男は前日夜更かししたのが原因で、今日は起きる事が出来なかった。
男「もう、どうやっても間に合わねぇな」
八時三十分までに登校しないといけない高校に通いながら、同時刻に起きてしまった男の名はイブキ シンム。黒髪の短髪で、くせ毛がきつく、筋肉は見事に鍛えられ、身長は高くもなく、低くもない。顔も決して美形ではないが、侮男と言うわけでもない。
三階建ての賃貸アパートでシンムは一人暮らしをするようになって、すでに一年と七ヶ月が経っていた。高校受験の際、シンムは剣道のためにこの島の高校を選んだ。
太平洋上に浮かぶ倭国の島、尾野頃島。島は車で走れば一時間程で一周する位の大きさだった。その中央付近にシンムの通う八尋高校はあった。
八尋高校は、生徒が九百人程。服装は学校指定の学生服があり、特に女子の着る服装はこの高校を卒業した有名人が作ったらしく、かわいいと評判だった。
八尋高校には戦前からあるという図書館があり、高校の校舎とは二階の渡り廊下で結ばれていた。図書館は一般に開放されており、結構有名な知識人なんかもよく来ていた。
今年の春でシンムも二年生になり、渡り廊下の隣に教室がある二年三組の生徒になっていた。
遅刻したシンムは校門で待ち構えていた教師に叱られた後、席に着いた。家からシンムが通う八尋高校までは歩いて二十分程の距離。但し、シンムがその気になって走れば五分もかからなかった。もっとも、登校で走っていかない日などなかったのだが。
授業が始まると、シンムは教科書に隠れて、眠りに着く。そんな日々を送っているから当然なのだが、シンムの成績はお世辞でも良いとはいえなかった。その上、本人はまったく気に止めておらず、友人の一人とテストの度に、どちらがより悪かったかを比べている位だった。
昼休み。外では十時過ぎ位から激しく降り出した雨が音を立てている。昼食を終え、特にする事もないシンムは、友人に誘われて図書館にやって来ていた。
誘った友人は図書館に来るなり、一人で本を探しに行った。読書に興味がないシンムは目的もなく本棚を眺めていた。そして、一冊の古書を見つけた。
この図書館にあったほとんどの古書は大事に保管され、いくつもの手続きを通さないと読む事が出来ない。但し、一部の古書は図書館内にかぎり、一般人でも読む事が許されていた。それを誰かが返却し忘れたのだろうと思い、シンムは手に取った。その古書の表紙には「倭国神代記」と、裏には「フツヌシ タケヒコ」と、書かれていた。さして、興味もなさそうな題だったため、シンムは中身を見る事もなく、すぐに図書館の係員の下へと届けた。
シンム「これ、出しっ放しになってたぜ」
忙しそうに何かをしている係員は、事務的に「そこに置いといて下さい」と答えた。
シンム「それでいいのかよ!」
思わずシンムは大声を出した。静かな図書館内ゆえにシンムの声が響き渡り、人によっては「黙れ」といった目で睨みつける。それにシンムは気が付きすらせず、カウンターの上に古書を置いて大声で話す。
シンム「この古書、大事な本なんだろ。だったら、すぐに直さなくていいのかよ」
何かの作業を中断してシンムに向き習うと、係員はぶすっとした表情を見せた。その表情のまま、シンムが古書を置いたカウンターの方に目を向ける。カウンターの上を、係員はきょろきょろと探しながら「その古書は何処に?」と、疑念を多分に含んだ言葉を口にした。
シンム「ここに置いただろ」
古書を置いたカウンターの上をシンムは指差すが、そこには何もなかった。
シンム「いつの間にか……誰かが持って行ったのか?」
機嫌悪そうに、係員は睨んでから作業に戻った。
シンム「冷やかしじゃねぇ!」
更に大声で何かを言おうとしたシンムだが、騒動を聞きつけてやって来た友人に背中の服を引っ張られて、図書館を後にした。
放課後、シンムは剣道の道場へと足を運んだ。
道場の主はシンムの伯父である。剣の道を目指す者なら知らない人はいないと言われるほどの達人だった。
中学校の時から通い続けるシンムは何度も練習試合をしているが、いまだ太刀筋すら視る事は出来ないでいた。
シンム「今日も伯父さんは留守か?」
道場主が見つからず、シンムは近くにいた中学校に通う道場生に聞いた。帰って来た答えは「今日は来ていません」だった。
シンム「ありがとよ。何処行ったか、知ってるか?」
その道場生は首を捻って「知りません」と答えた。
今日は久方ぶりに練習試合を申し込むつもりだったシンムは、調子を外される。とはいえ、なにもせずに帰るつもりもない。素振りをしながら、その道場生の練習を見てやる。実は、シンムはこの道場で伯父の次に強い。高校に入ってからは、全国の剣道大会で優勝を繰り返していた。
シンム「前足の踏み込みが少し甘いぜ」
年下の道場生に言葉で教えながら、実際に手本をシンムは見せてやる。そうしているうちに、シンムは練習試合を申し込まれた。申し込んだ道場生の後ろにも期待の目を向ける者達がいる。この道場に通う生徒はシンムを入れて全員で十人。結局、今日来ていない三人を除く全員と練習試合をした。そして、本気で戦い、シンムは全員に勝った。
翌日、シンムはいつものように走って登校した。その際、校門の前に見知らぬ車を見つけた。その車は豪華なリムジンで、執事風の若い男が外からドアを開けると、中から女性が出て来た。
長い黒髪を後ろで束ね、小顔で瞳が大きく、誰が見ても美人といえる女性だった。
その女性を横目でちらりと見てから、シンムは校舎の方へと走って向かった。その女性はシンムのクラスに転向して来た。
イヨ「今日より、皆さんと学ぶ事になりましたスメ イヨです。どうか、よろしくお願いします」
礼儀正しく丁寧に深々と頭を下げたイヨから、シンムは目がなかなか放せなかった。