ポストエピローグ:サクラの季節 そしてこれからのプロローグ
新年度の大学、まだ授業が始まっていない事もあり、食堂は空いている。いつもの顔ぶれはほとんど居ない。自分の庭となる構内を見物しに来た新入生と新入生を取り込む為のチラシを整えているサークルがほとんどだ。
数少ないその他の学生であるアイナは、初々しい新入生にも気迫のこもる勧誘員にも意識を向けず、携帯ゲームに熱中している友人へと真っ直ぐに向かった。
「授業の無い日に大学に来ているというのに、やっている事はゲームかい? 真面目なのか不真面目なのか分からないね。ゼミだって今日は休みだろう」
そう声を掛けると、友人は驚いた様子で顔を上げたから、嬉しそうに笑った。
「おお! ミルポン! 久しぶり!」
「久しぶり、舞奈。全く君は、久しぶりに会ったと思ったらまた変な呼び名で呼ぶ」
「良いじゃん良いじゃん。これが信頼の証」
テーブルの上に座って友人と向かいあって携帯ゲームに目を走らせていた兎の人形もゲームから目を外して、アイナを見上げた。
「久しぶりだな。どうだった、島は」
「テトも久しぶり。楽しかったけど、中々大変だったよ。結局途中で逃げてきたしね」
「そうか。まあ、生きてただけでも御の字だろ」
それで再会は終わった。苦境の旅から帰って来て久しぶりだというのに、余りにもあっさりと。先程出会った友人達とはそれこそ涙の再会となったのに、それと比べると落差が激しい。
だが別に目の前の友達と親密で無い訳ではない。これもまた信頼の形だ。人の間には様々な形の絆がある。
「そういえばアイナこそ、どうして大学に?」
「復学の手続きをしに来ただけだよ」
「あー、成程ね。確かにそんな事やったなぁ」
「舞奈の方こそどうして……いや、どうせ姉君関連だろうけど」
アイナが苦笑すると、舞奈がふくれっ面を作った。
「なんでそうなるかなぁ。根拠は?」
「君の所属するサークルの方々が校内の至る所で新入生を勧誘しているのに君はしていない。だからサークル関係じゃない。向こうのテーブルに居る人達も君を恨みがましく見ているしね。手伝ってあげれば良いのに」
「やだよ。今日は私お休みだもん」
「そうですか。で、勉強はさっきからゲームをやってる事で否定出来る。様子からすると人との待ち合わせなんだろうけれど、友達との待ち合わせだったら態々新入生であふれかえる構内を選ばないだろう。とはいえ、この学校は目印としては最適だ。一度来た事があるなら尚更ね。だからこの辺りに不慣れで、かつ君と関連があるといえば、君の姉君しかいないだろう」
「見事に当たり。と言いたいところだけど違うよ」
舞奈が悪戯っぽく笑う。
「おや、違うのかい?」
「いや、合ってるよ」
「もう! 違うでしょ、テト! 今日はお姉ちゃんと遊ぶんじゃなくて、私の可愛い可愛い妹と遊ぶんだよ!」
「でも姉から頼まれた事だろ」
「そうだけど、違うの!」
必死に弁解する舞奈と呆れるテトに一頻り笑ってから、アイナは席を立った。
「じゃあ、私は行くよ」
「あ、もう行っちゃうの?」
「うん、目的は果たしたし、君は待ち合わせをしているんだろう」
「そっか、またね。あ、そうだ」
「どうしたんだい?」
「アイナは就職どうするの? もう決まってる子も多いけど、アイナはまだやってないんでしょ?」
「私は会社に入る気ないからなぁ」
「へえ、じゃあどうするの」
「今迄通りフリーのコンサルで細々とやってくさ。別にやりたい仕事も無いしね」
「そっかぁ」
「しかし何で突然」
アイナは急な話題に面食らっていたが、ようやく舞奈に何か不安事があるのだろうと悟った。
「舞奈は? まだ決まっていないのかい?」
「うん、あたしの働きたい会社は募集が半年先だから」
「で、周りで決まってる人達を見ていて焦ってしまったと」
「まあね」
「ちなみにどんな会社なの?」
アイナの質問に何故かテトがそっぽを向いた。一方舞奈は真剣な目でアイナを見据えて宣言した。
「除霊師!」
「は?」
「心霊現象を解決するの!」
「何でそんな職種を」
「だってお姉ちゃんの働いている業界なんだもん」
「ああ、成程。でも技能職っぽいけど大丈夫なのか? そんな才能あったっけ?」
「無いよ! でも大丈夫! だって私はお姉ちゃんの妹だもん!」
「コネ?」
「いや、そいつは姉のライバル会社に入って将来対決したいらしい」
「ますます意味が分からないんだけれど」
テトが深く溜息を吐いた。きっと色々あるのだろうなと悟って、アイナは詮索するのを止めた。多分夢見がちな答えしか返ってこないだろう。でも何となくだけれど、目の前に居る友達なら何て事無く受かる気がした。何の根拠も無い願望なのかもしれないけれど。
食堂を出ると、向こうから女性と少女が歩いてきた。見覚えがある。女性は舞奈の姉だ。少女は舞奈の妹だろう。
何だか緊張しつつすれ違おうとした時に少女が呟いた。
「ねえ、どうしてみようとしないの?」
自分に言った言葉ではないのだろうとは思ったが、気になってアイナは振り返った。すると少女がじっとアイナの事を見上げていた。その手を引く女性はアイナににこりと微笑むと、少女に向き直って、
「信じようとしないと見えないものなんだよ」
少女の手を軽く引いた。少女は不思議そうに首を傾げたが、女性に引っ張られるので留まっていられず、女性について行ってしまった。
何故かそれだけのやり取りなのに、アイナは恐怖に近い感情を抱いていた。
校舎を出て正門へと向かい、途中で振り返ると、桜の並木道の先に大きな校舎が塞がっていて、絵になる光景だった。来た時にも見た光景だが、改めて感慨が湧いた。特に両側に並ぶ桜がアイナをとても感傷的な気持ちにさせた。
「何だか見惚れていますね」
「日本人は誰だって桜に見惚れるものさ」
サクラと父さんの声が聞こえてくる。何て単純なんだろうと自分の事ながら笑ってしまう。桜を見てサクラを思い出すなんて。やはり島で家族を取り戻せる気がして感傷的になったのを引きずっているのかもしれない。どうせ叶わぬ夢だったのに。
「本当に綺麗だもんねぇ」
「本当にね。流石サクラの名前の元になっただけはあるわ」
「最初に聞いた時はサクラと同じ名前だからどんな変な花かと思ったけど」
「ちょっと待ちなさい。何ですその物言いは」
セシルの声、母さんの声、またセシルの声、サクラの声。それを皮切りにみんなの声がどんどんと響いてくる。
嫌だなぁ。島でちょっとは強くなれたと思ったのに。こんな幻聴を聞くなんてむしろ弱り切ってしまったみたいだ。
幻聴は益々強さを増して、遂にはその姿までが見える様になった。並木道にかつての家族達が並んでいた。幻覚である事なんて百も承知だ。それでもアイナは、幻であろうともその幸せを抱き留めたかった。
「何だかアイナ様、ふらついておられますね」
「ああ、どうしたんだろう」
目の前まで来ても幻覚は些かも減じない。それどころかより細部が明確になった。まるで本物の様に。
アイナはゆっくりと腕を広げ、片腕でサクラを抱きしめた。
「ひ、ひえ、アイナ様!」
「あれ? 触れる?」
アイナは再度サクラを抱きしめてから不思議そうに首を傾げて、今度は隣に居たセシルを抱きしめた。また触れた。幻覚のはずなのに。一人一人その感触を確かめていって、最後に母親に顔を埋め、それから父親の鼻を摘まんだ。
「どうして僕だけ鼻なのかな」
「何で? どうして触れるんだ」
あまりにも唐突な再会。何だか冗談の様な状況に困惑しているアイナに、父親は鼻を擦りながら笑いかける。
「君が僕達を憶えていてくれたからさ」
「どういう事?」
「つまりね」
母親がアイナの頭をなでながら優しく微笑む。
「あなたの誰とでも仲良くなれる力が私達を引き戻してくれたのよ」
そう言われてもアイナには良く分からない。父親が補足する為に付け足した。
「君はあらゆる魔力との親和性が高い。だから僕達の魔力の残滓を取り込んで、形にする事が出来たんだ」
「何だよそれ。意味が……そんな事出来るのか?」
「実際に出来た。まあ襲われる以前から研究していたからね。やっぱり外に出たかったから。けれどイニシエーションは死ななければならない。僕達が外に出るには結局の所、一度死ぬしかなかった。だからあの状況は良く言えば千載一遇の好機だったんだ。まあ、完成していなかったから、半々の博打ではあったけれど」
おどけた様に両手を広げた父親が何だか懐かしく見えた。はっきり言って、父親の言っている事は理解が出来なかった。けれど、今自分を取り囲んでいる家族が実態を持ってそこにある事だけは理解出来た。
「じゃあ、本物なんだ」
アイナが呟いた。
「勿論」
みんなが答えた。
「本当に本物なんだ!」
アイナが叫んだ。
「勿論!」
みんなも叫んだ。
アイナの目が潤む。それを隠す為に母親に抱きついた。優しく抱き留められてその胸に顔を埋めて、そうして声を上げて泣いた。一度泣き出した後にはもう隠す必要も無くなって、声を上げて泣きながら皆の存在を確かめて、そうして更に大きく泣いた。
やがて泣き声が小さくなり、アイナはようやっと顔を上げて、涙の伝う顔を笑顔に染めた。
「また会えて良かった」
「みんなそう思っているよ。な、サクラ」
父親が傍らに居るはずのサクラに声を掛けた。しかしサクラは何処にも居ない。
「サクラ?」
皆が辺りを見回すと、離れた所で転げまわるサクラが居た。
「あ、サクラは何だかアイナ様に抱きつかれたぁとか言って、さっきから転がってる」
「あ、そう」
あっさりとサクラを見限って、皆はまた再会を喜び始めた。
しばらくしてセシルが不思議そうに尋ねた。
「でも魔力を形にするってどういう事? 昔の私達みたいに入れ物を作って中に入れるのとは違うの?」
「同じだと思うよ。アイナがやった事だから、調べてみないと正しくは分からないけれどね。多分アイナの体と同じなんじゃないかな?」
「アイナの体?」
「私の体? つまりみんな土で出来てるのか?」
「多分ね」
遠くで、「アイナ様と同じ体?」という叫びが聞こえた。視線をそちらに向けるとサクラが一層激しく転がっていた。皆の視線は直ぐにそらされて、サクラは誰にも見られる事無く転がり続けた。
「土を変換して肉体にしているんだろうね」
「でも、どうして今になって? 島と関係あるのか?」
「魔力が成長したからだろう。あの島は魔力を鍛えるにはうってつけの場所だった」
「父さんはあの島を知っていたの? それよりも私が島に行った事を知ってたの?」
「島の事は知らなかったけれど、そりゃあ、付いていったしね」
「うんうん」
皆が頷いている。その意味がアイナには分からない。
「どういう事?」
「つまり僕達はずっと君の傍に居たんだよ。そう言っただろ? 君と一緒に居るって。けれど残滓の僕達を見るには力が足りなかった。気付く事が出来なかったから、形にする事も出来なかった。それがようやく見られる様になったという訳さ」
「それにね、島であなたは私達に会えるかもと思ったでしょ? それまでは諦めきっていたけど。それも一因だと思うわ」
「いや、ちょっと待って。それは良いんだけど、何? ずっと傍に居たって」
「そのままの意味だけど?」
「途切れ途切れにしか意識を保てなかったけれど、いつでも僕達は君の傍に居たんだよ」
優しく微笑んでくる皆を前にして、アイナが顔を赤くして震え始めた。見ている者はそれが嬉しさの所為で感極まったものと見えた。だが、
「恥ずかしい」
アイナは顔を両手で覆ってその場にしゃがみこんだ。
「え? ああ、いえいえ、そんな事無いですよ」
「そうそう、アイナ様いつもご立派に生き生きとしておられて、非の打ちどころなんかありませんでしたよ」
「やめてー、そういう事を言うのを止めて」
「あ、でも彼氏が」
「そうそう、それよ、アイナ。ちゃんと良い人を見つけないと」
「止めてくれー、出会いが無いんだから仕方ないだろ」
「アイナ様、お綺麗なのに」
「多分外国人だから敬遠されているんじゃないかな?」
「止めてくれー、下手な慰めは心に刺さる」
余計に俯くアイナを余所に父親は転がるサクラを見た。
「まあ、彼氏が出来ない本当の原因は何となく分かっているけれど」
「一体何なの?」
「それは秘密」
「分かるなら解決してあげなさいよ。父親でしょう」
「僕も父親だからね、娘を人に差し出したくないんだよ」
「最低ね、あなた」
「何とでも言ってくれ」
アイナが恥ずかしがる。サクラが転がる。両親が言い争う。使用人達がどうしていいか分からずおろおろする。しばらくそんな状況が続いていたが、しばらくして転がりから立ち直ったサクラがアイナへと近付いて言った。
「アイナ様、立ち話も何ですし、アイナ様のご自宅へ行きませんか」
表情もたたずまいも真っ直ぐだが、唇から洩れる熱い吐息がアイナには妙に不気味に感じられた。
「良いわねぇ。私、アイナのお話沢山聞きたいわ。高校生の時の肝試しも途中で意識が飛んじゃって最後まで見られなかったし。折角男の子と良い雰囲気だったのに」
「あの時の話はしたくない」
皆が校門に向かって歩き出す。とても楽しげな調子で、笑い合いながら。
「聞くと言えば、アイナ様、私アイナ様を思う歌をたくさん作ったんですよ! 聞いてください!」
「何それ。ちょっと気持ち悪いんだけど。サクラってこんなだったっけ?」
「サクラはこんなだったわね」
「こんなだったねぇ」
「そうか、思い出の中で大分美化していたのかもしれない」
陽光に照らされた桜道はとても儚げで、アイナには今がまるで夢のように思えた。
「あ、そういえば、言った通りだったでしょう?」
「ん? どういう事だい、サクラ」
「私はアイナ様のお傍を離れません。ずっと一緒に居ます。何が合っても絶対に」
「ああ、確かにね。でも、今考えると大分危険な言葉だなぁ」
「そんな事ありません! とても美しい主従愛ではありませんか」
「そうかな?」
「そうです!」
アイナはこっそりと身体をつねってみた。痛みを覚えた。けれど覚める気配は一向に無い。だから安堵する。
「そういえば、アイナ、学校は楽しい?」
「うん、中学、高校、大学と周りが良い人ばかりで、何不自由なく楽しく暮らせたよ。でも見てたんだろ?」
「外から見ても、心は分からないものなのよ。楽しいなら何より」
段々と声が遠ざかっていく。
姿もまた小さくなっていく。
「ところで、アイナ」
「何? 母さん」
「好きな人位出来たんでしょ?」
「うるさいなぁ。居ないよ。私に恋愛事は向かないんだ」
「まあまあ、照れなくても良いじゃない。みんなも聞きたいよね?」
「はい、奥様、アイナ様」
声は更に小さくなって、姿も更に小さくなって、
「ちょっと待ってください! いませんよね? いませんよね?」
「アイナ! 僕はまだ結婚なんて早いと思うぞ」
「何で会ってそうそうこんなに心を抉られなくちゃいけないんだ」
その小さな影を桜の花びらと見紛った時には、その姿も声も何処かへと消えて、後には誰も居ない桜の並木だけになった。
しばらくして一人二人、ぽつりぽつりと人通りが現れ始めて、舞い散る桜も再開の余韻も新入生達の希望に満ちた喧騒に埋もれていった。




