2度目の人生の始まり
初めに見えたのは、小さな弟の顔だった。
小さな手は傍若無人にぺちん!とリデルの頬を叩いたのだ。
けたけたと、幼いリンデルドが笑っている。
「ねー、ね!」
「リンデルド」
叩かれた頬の小さな痛みで、これが現実だと悟る。
ーー戻って来られた。
弟の幼さと自分の手の小ささから、今が何時なのだろうかと考えたがすぐにわかった。
身に着けたドレスは、パパラチアの紋章が入った黒いドレス。
このドレスを着るのは、7つの夏の間だけだ。
そして、そのドレスを着ているということは今日が、首都への出発の日だということ。
その日まで、私は遡ったのだ。
ーー22歳だった私が7歳に戻った。15年の時を遡ったのだ。
「リンデルド、リデルを困らせてはダメよ」
「おかあ、さま」
懐かしい声に、反射的に声をかけてしまった。
リデルとリンデルドから離れた位置で優雅にお茶を飲む母の姿は、男爵家には不釣り合いな華やかな装いだった。
魔力の弱さのためホワイト伯爵家から男爵家へ嫁いできた母は、元々この家に不満があったのだろう。
男爵家の金では足らずに、伯爵家に度々金の無心をしていたことを、家の帳簿を確認するようになってから、リデルは知った。
それでも、母のいるその光景は酷く懐かしいものだった。
ご機嫌に喃語を話すリンデルドを膝に座らせながら、こちらに興味があるのかないのかわからない母を見る。
昔から、母は見ているだけだった。
抱っこしてもらったことはないし、リンデルドを抱き上げているのを見るのもパーティやお茶会で【良き母】を演じているときだけだった。
私のときも恐らくそうだったのだろうことは想像にし難くない。
あれをやれこれをやれと厳しくはなかったし、お転婆に木登りをしても嗜めることはあれど、叱ることはない人だったのだけど。
「リデル」
「お父様」
その代わり、父は体が大きくなってきたこの頃でもリデルを抱き上げてくれる。
記憶よりうんと若い父にぎゅっと抱きついて、もう重いから下ろして、と頼んだ。
「いつもならもっとと強請るのに、7つの夏を前にしてお姉さんになったんだな」
「……うん、私、お姉さんになったのよ」
「そうか、立派なレディーだな」
頷いて答えると、父は下ろしてくれた。
下ろされた後、侍女のターニャに髪型を変えたいと傳える。
「あらあらお嬢様、今の髪型もとても素敵ですよ」
「うん、でも変えたいの」
「かしこまりましたお嬢様、どのような髪型にいたしましょうか」
ハーフアップで編み込んでいた髪を解いて、全て一つにまとめて後ろでお団子にしてもらう。
今まで、全くしてこなかったその髪型は、少女には似つかわしくないシンプルなシニヨンだ、だがそれで構わない。
今世では、誰のものにもならない。
サファイアに嫁ぐつもりもない。
可愛いドレスも、細やかな刺繍も、美しいワルツも必要ない。
「本当にこの髪型でよろしいんでしょうか」
「うん、ありがとう、これでいいわ」
時計を見ると、もうすぐ出発時間だった。
「もういかなくちゃ」
「気をつけて行ってくるんだ。お友達をたくさん作ってよく学び、よく遊んで。楽しんで」
「ええ、ありがとうお父様。ーーお母様も、どうかお元気で」
7つの夏は、その一年で7歳になる令嬢が首都の大聖堂に集められ、属性魔法を授かる儀式と3ヶ月に及ぶ魔法の授業のことだ。
それまで貴族の令嬢は公に名前や存在を公表されていない。
属性魔法の儀式をもって、家は娘の存在を国中へ知らせるのだ。
7つの夏は、それまで殆ど領地の外どころか屋敷の敷地から出たことのない少女達が、魔力の強さや、属性によって使い方を教育され、貴族の繋がりを持つ機会でもある。
国中から集められるため、7つの夏の移動は風魔法を使用と決まっていた。
風魔法の従者や親族がいない場合は、教会から派遣される。
男爵家には風魔法を使用できるものはいない。
部屋から出たリデルを待っていたのは、教会から派遣された快活そうな妙齢の婦人だった。
「リデル・パパラチアです。よろしくおねがいします」
「ええ。荷物はこれで全部でしょうか?」
「はい。そんなに大荷物は必要ないですから」
着替えになる同じ黒いドレスと下着と細々した物が入った旅行鞄を抱えるようにして持つ。
7歳の体からしたら、それだけの荷物でも大きくそして重い。
「お持ちしましょうか」
「いいえ、私の荷物なので。ありがとうございます、お気持ちだけ」
「リデル嬢は、しっかりしていらっしゃいますね。ーーでは行きましょう。いい風が来ました」
ふわりと体が浮き上がる。
浮き上がってしまえば、鞄の重みも感じない。
風に乗って次々と景色が変わる光景は、何度体験しても楽しいものだった。
あっという間に、大聖堂へ到着し、リデルは婦人に礼を言って、大聖堂の門をくぐった。




